第4集 希望か罪か
「くそがッ。もう戻ってきたのかよ」
流涛の手から弾き飛ばされた鎌が人の形となり地面に転がる。見た目は炎威よりも若い。気を失っているその顔は戦闘には似つかわしくないほど優し気だった。しかしそんな事になど構う様子はなく、赤髪の男が剣を構える。「そうか、ブロンドの方が剣なのか」と炎威がおぼろげの中考える。
「おい、もうどうみても降参だろ。白旗! なあ、今日は引き上げるってんだからその剣下ろせよ」
ぞわぞわと引きつっていく流涛の顔。しかし熱い深呼吸をすると構えた剣を容赦なく横薙に斬り込んだ。電閃が扇状に一気に掛け巡り、バリバリと放電音が一帯に轟くとぶつかり合った電流で辺り一面に爆発が起こった。爆破の火炎に巻き込まれた流涛の姿が消える。しかし突然突風と共に水しぶきが炎に飛び込み火がかき消される。立ち込めた煙の中から趾に掴まれた流涛と共にドラゴンが宙へと飛び立つ。雫を滴らせながら舞い上がる薄翠色の巨体が太陽光に当てられキラキラ光る。
「待てって! 海燕がまだ、海燕がまだそこにいるだろがあああ!」
流涛の悲痛な叫び声を残し、ドラゴンが西へと飛び去る。再び激しい風が起きると今度は黄金に輝くドラゴンが一度深くかがみ、勢いをつけ飛び立とうとした。流涛を連れ去ったドラゴンを追いかける気なのだろう。しかし赤髪の男がそれを制した。
「いい。今回は深追いするな」
ドラゴンが赤髪の男の前に降り立つ。前足を折り、頭を垂れ、それはまるで赤髪の男にかしずいているように見えた。ドラゴンが鼻先を撫でられると光の綿帽子がぽわぽわと溢れ、やがてブロンドの髪の男性へと形を変えた。
炎威が二人を前にふらふらと立ち上がる。焼け跡には焼けこげた人影が転がっている。流涛が海燕と呼んだ人物だろう。やはり戦闘には場違いな柔らかい横顔をしていた。
炎威がおぼつかない足取りで向かったのは火璇の元だった。
「新人くんだよね。ごめんね、遅くなって」
ドラゴンだった男が声を掛ける。聞こえていないのか、炎威が反応することはない。火璇のそばにしゃがみこむとその躰を拾い上げる。もげた腕と足からぼたぼたと血が落ちた。そしてその体にぽたぽたと水滴が落ちる。
何か出来ると思った。何も出来なかった。挙句に失くしてはいけないものを失くした。それも自分のせいで。それはもう、自分が命を捧げても取り返しがつかない。
そんな炎威を見るブロンドの男の目には慈悲など映っていない。あるのは冷めた瞳。赤髪の男は炎威の方を見ることも、口を開くこともしなかった。
「ねえ、君に教えなきゃいけない事があってね。着いて来て」
塗れた目元で男の方を見る。火璇の躰をぎゅっと抱くと歩を進める。しかし前を行く男が足を止める。
「ソレは置いていきな?」
炎威がふるふると首を振る。男がはあと小さくため息を付くと、再び歩きだした。
「僕は金瑞って言うんだ。それで、こっちが光躍ね」
ブロンド髪の男が名乗ると、赤髪の男を指さした。
「香頭の人、ですよね」
ぱさぱさの目元のまま、大事そうに火璇を抱えながら後を着いて歩く。
「うん。光躍は黒い牙の幹部でもあるし、領主の側近でもあるよ」
「幹部……あの、初めまして。炎威です。その、俺なんも知らなくて」
あまりにも弱弱しい声に、ちらりと振り返った光躍は興味なさそうにすぐに前に向き直る。明るくにこにこしている金瑞も炎威を見る視線は冷たく、腹の底が読めない。品のある端整な顔立ちがよけいに恐怖心をそそる。炎威が初めて身の縮む思いを感じる。
「だから天籟たちにいろいろ教えさせろって言ったのに」
「どうして何も教えてくれなかったんすか」
「火璇に止められてたんだよ。気持ちに整理ついたら自分が教えるって」
「気持ちに、整理……?」
つかつかと歩く金瑞と光躍に連れて来られたのは主楼の地下。湿度の高いその地下通路には薬品のようなニオイが充満している。何かの研究施設だということは炎威にも分かった。
「君はそうやって人の死を目の当たりにするのは初めて?」
炎威は答える代わりに火璇を抱く手にぎゅっと力を入れる。
「これからはそういう光景をたくさん目にするし、たくさん経験するよ。君は耐えられる?」
「俺がもっと、鍛錬出来てれば。黒い牙として戦うことがどういうことか知ってれば」
「『火璇が教えてくれていれば』。『教えてくれなかった』『だから知らなかった』。君から聴こうとはしなかった?」
「いや」と言いかけて口を噤む。聞いたけど教えてくれなかったなんてダサい言い訳だ。火璇は教えてくれようとしていたと金瑞は言った。理由があって出来なかった。その心に寄り添おうとはしたか。火璇の事情を知ろうとはしたか。
「火璇が俺に伝えなかった気持ちを、信じてやらなければいけなかった」
その言葉に光躍が目を細める。答えに納得したのか、金瑞の冷たい空気が少し緩んだ。
「おいで、炎威」
行きついた先にあるドアを金瑞が開けた。
開かれた部屋の内部に炎威が目を見張る。
薄暗い部屋にずらりと並んだ養水タンク。大きな試験管のようなそれに入っているのは人だった。いや、人であるのかは定かではない。ただそれらは人の形をしていた。並べられたタンクの間を金瑞たちが進む。
「火璇が言わなかったから、僕が代わりに教えちゃうね。炎威はもう見たでしょ。火璇や僕がドラゴンや武器になった姿を」
炎威が一度頷く。
「僕たちやこのタンクに入った人型のものはクリーチャーと呼ばれてる。今から300年前、このクニにソルという巨大なエネルギー源が発生した。そしてその巨大エネルギーに引き寄せられるように異能が生まれ集まり出した。いや、そもそもあったものがソルをきっかけに集まったのかは定かではない。それは人間に宿り、強力な武器に姿を変える異能力。そしてそれを扱えるのは選ばれた者だけ。それを器と呼んでいる」
「器……」
「あんたが器やったんか」。炎威が戦闘前、老人に言われた言葉を思い出す。
「この力は、今や各々の都市が侵略するため、守るための主要戦力となっている。そして巨大エネルギーを中心に構成された異能力は『パラソルシステム』と名付けられた」
「じゃあ、このタンクに入っているのは人間なんすか?」
金瑞がタンクの一つに手をあて優しく撫でる。
「人間を兵器として扱い、使えなくなれば捨てるなんてことは非道だと考えた。だから異能が宿った人たちの遺伝子を研究した。驚くことに器にしかない遺伝子を取り出すと、それらは独りでに構築改変し人と同じ姿を作り出した。そして異能はこれに宿りクリーチャーが完成したんだ」
「それじゃまるで、人型の兵器じゃないっすか」
絶望にも似た声が炎威から漏れる。金瑞はその言葉に特別反応を示すことはなかった。
「人間が望んだことじゃない。しかし、だから市街への情報を制御している。反対する者が必ず出てくるだろうから」
金瑞の細めた目が炎威を刺すと、気まずそうに目を逸らし腕の中の火璇を抱き込んだ。
「クリーチャーがドラゴンにも姿を変えるんすか?」
「パラソルシステムは数多の異能を与えたけど、中でも強い力を持つ者は星光体と呼ばれている。星光体は現在7体確認されていて、それらだけが僕みたいにドラゴンにも姿を変える。星光体を扱える器は特別なんだよ?」
今度は金瑞が炎威にむけてにこりと笑う。今の炎威はそれを素直に喜ぶことが出来ない。
「じゃあその火璇みたいに使い物にならなくなったらどうするかを聞きたいんでしょ? 君は運がいいね」
一番奥に置かれているタンクまでたどり着く。そのタンクをコンコンとノックするように金瑞が叩いた。炎威がタンクへと視線を上げる。そしてそのクリーチャーの姿に驚いた。
まるで火璇と瓜二つの体が養水の中で眠っている。思わず腕の中の火璇と見比べた。
「体は、再現出来るんっすか……?」
「いいや、出来ない。火璇は双生児だった。こんなことパラソルシステムが生まれてから初めてだよ。だから実験対象にもってこいだったのに」
わざと炎威を責めるような口ぶりで話す。炎威が鼻先が付きそうなほどタンクに近づくと、まるで宝石を見るように見惚れる。するとクリーチャーの口元からコポっと気泡が零れた。炎威の目が大きく見開かれる。
「ああ、さすが同じ遺伝子の躰だと戻ってくるのが早いんだ」
金瑞の微笑がタンクに映る。
炎威が抱いていた躰が光の玉となり、まるで細胞が消えていくように腕の中が軽くなっていく。それは光と共に消え去り、ついには炎威の腕と体にべったりと付いた血だけが残った。
「肉体が死ねばその躰は消える。そして異能は次の躰に宿る。でも異能の記憶や経験は消える事がない。躰が変わってもね。だから、君はまた火璇に会えるね」
「よかったね」と語る金瑞に快く頷くことは出来ない。金瑞の言う事が本当なら、クリーチャーは300年この世を生きている。それも大半は戦いの中、武器となり盾となり。辛い事も忘れられず、自由にも生きられず。それを「よかった」と言うのはエゴではないか。
それに、次に自分がヘマをすることがあれば火璇は二度と戻ってこない。いや、躰を変えてまた戻ってくる。しかし見た目が変わった人を同じだと、自分は言えるのだろうか。
炎威が同じ器である光躍に向き直る。
「光躍さんは、パートナーを失くしたことはあるんすか?」
炎威の問いに光躍の体が反応した。
「体が変わっても、同じパートナーだと思えますか?」
先ほどまでお喋りだった金瑞が黙り込む。
「さあな」
それだけ言葉を残し、光躍がその場を後にする。去っていく背中を見つめ、もう一度タンクに眠る火璇を見上げた。