ほんの僅かで
「奇しくも、あなたがヴェラルドゥンガ様の宿敵とも言える太陽神ロムサハルを崇める滅骸師だったとは少々驚きましたよ。でも、これがなければ何もできやしない。違いますか?」
「クッ!」
「おい、カシュナータよ。いつになったら冥邪天帝とやらの顕現を始めるのだ。余はそろそろ待ちくたびれたぞ」
後ろにいた凡愚の皇帝ボルキエスタがつまらなそうに割って入ってきた。
「陛下、長らくお待たせしました。直ちに行います。成功すれば、このエルズラーニア大陸は瞬く間に陛下のものになることでしょう!」
「うむ。早く始めろ」
ボルキエスタは自分が真っ先に殺されることも知らずに命令を下した。
「はっ、仰せのままに!」
カシュナータは深々と一礼すると、カサレラに向かって歩き始めた。
まだ生きていたい。自分にだってまだやりたいことがいっぱいあるのだから。物心ついた頃から初めて抱いた生に対する執着心に他ならなかった。
カサレラは必死になって足掻いた。だが、両方の手足は頑丈な鎖で引っ張られ、思うようにならない。そこで、やり方を変える決断をした。
精神を統一すると、両方の円らな瞳を閉じた。そのまま一縷の望みに身を委ねる。
「太陽神ロムサハル様、その御名においてどうかあたしをお救いくださいませ! このとおりお願いします! あたしをお助けください!」
それは神聖魔術を唱える呪文でなく、ただの切なる懇願でしかなかった。
「ハハハ」
カシュナータは高らかに哄笑した。
「何をするのかと思えば、神頼みとは笑わせてくれますね。《破滅の少女》よ、もしそれで鎖が断ち切れたら、それは〝奇跡〟と呼ぶのですよ!」
あからさまに小馬鹿にするカシュナータの言葉など全く耳に入らなかった。カサレラはただ強い信仰心とともに祈り続けた。そのときだ。
太陽神ロムサハルを唯一絶対神と崇めるテムロア教の象徴を象った首飾りが、突然目の眩むほどの眩しい光を発した。その直後、獄淵界との扉である緋色の巨大な空洞よりほんの僅かに離れた雲間から四本の火焔の矢がカサレラ目がけて降り注いだのだ。その燃え盛る矢は両腕と両足の拘束具を束縛していた鎖を焼き切った。
不安定な体勢で立っていた清廉な少女は両手をついて前のめりに倒れ込む。
「ありがとうございます! 太陽神ロムサハル様!」
カサレラは祈りが通じたことに感謝の言葉を口にした。
鎖の付いた重たい金属製の拘束具を嵌めたままだが、六芒星の大魔法陣から逃げ去ることは可能だった。
全力を振り絞って立ち上がると、この血生臭い大魔法陣の外に逃れるために死力を尽くして駆け出した。
「往生際が悪いですよ!」
カシュナータは天晶玉をその場に投げ捨てた。すかさず左手で抱えていた魔導書を開く。
「万物を焼き尽くす焔灼王の紅蓮の息吹よ。燃え滾る烈火の壁となりて、我らに仇なす存在を封じ込めたまえ!」
呪文の詠唱が終わると、六芒星の大魔法陣の全ての頂点を通るように描かれた外円から勢いよく灼熱の炎が高々と噴き上がった。
「キャッ!」
ほんの少しの差で行く手を阻まれ、炎のあまりの熱さから逃れるようにカサレラは尻もちを着いた。諦めたくはないが、もはやこの場から逃れる術はないように思われた。
「お遊びはここまでにしときましょうか。さぁ、ヴェラルドゥンガ様が顕現されるときです!」
カシュナータの声の響きが変わったのを感じた。これから起きることを心から楽しんでいるように聞こえた。
「助けて!」
耐え難い恐怖心から、カサレラは大粒の涙が零れ落ちるのを感じた。もはや頼みの綱は一つしなかった。
「助けて、ナファネスク!」
力の限りを尽くして叫んだ。必ず自分を守ると誓ってくれた少年に全てを託した。この窮地から必ず救い出してくれると信じながら――。




