思わぬ来訪者
ナファネスクとハクニャが我が家に戻ったとき、不意に父親の気配を感じた。振り向く間もなく、物凄い怒号が轟いた。
「ナファネスク! お前、今の今までどこをほっつき歩いていた! 何故朝稽古に来なかったんだ!」
父親は紛れもなく怒り心頭に発していた。
当然のことだが、背丈はナファネスクよりもさらに高い。服を着ていても、がっしりとした頑強な肉体なのはすぐに分かる。その片手には槍のようなとても長い棒を握り持っていた。
「それは……朝の分は夜に倍やるからさ。それでいいだろ?」
「なんだ、その生意気な態度は! お前、ここのところ性根が弛んでるぞ!」
父親の怒りは収まらない。逆に、火に油を注いでしまったようだ。
事実、最近毎朝毎晩の稽古に対してのやる気が緩んでいるのは自分でも気付いていた。
父親のやる鍛錬はとても厳しかった。普通の子供なら、そのあまりの過酷さにすぐに悲鳴を上げるはずだ。だが、自分は負けないという気概があった。
今まで歯を食いしばり、しゃにむに食らいついていった。三年前、霊峰マハバリ山で父親が口にした冥邪の存在しない世界に作るために――。
ただ、この村はとても平穏で、冥邪など一度も目にしたことがない。それなのに、どうして血の吐くような稽古をしなければいけないのか、正直分からなくなっていた。
「だったら、訊くけどよ。いったいいつになったら、冥邪どもを退治しに行くのさ! この村には冥邪なんか現れない! 体を鍛える必要なんてないんだ! そうだろう?」
父親は少し失望したように顔を横に振った。
「やれやれ、未だに冥邪がこの村に現れない理由にも気付いてなかったとはな」
「な、何だよ、それ!」
あからさまな父親の落胆した態度に、ナファネスクはむかっ腹が立った。
「その続きは、わしから話したほうが良さそうじゃのう」
突然しわがれた声とともに、齢七十を過ぎようとしている風格のある老人が現れた。
隠者のような地味なローブを着ているものの、長く伸びたあご鬚は先端が尖るように綺麗に整えられていた。
ナファネスクが注意を惹かれたのは、左手に持っていた幾つもの宝石と装飾があしらわれた荘厳な作りの杖だ。何かしら謂れのあるものに感じられた。
「これは、ユリゴーネルさんではないですか!? いつからそこに?」
父親が問い返す。ナファネスクも父親も全く気配を感じられなかった。
「つい先ほど来たばかりじゃ」
こちらに歩み寄りながら、この村の長であるユリゴーネルはにこやかな口調で返した。
「これはお恥ずかしいところをお見せしました。実はこれから朝ご飯を食べようと思っていたところでして……大したものはありませんが、一緒にどうですか?」
自分の未熟さを恥じ入りながらも、父親は冷静な顔になっていた。わざわざここまで来たのには何か重大な知らせがあると感じ取ったからだろう。
「ナファネスク、お前は早く服を着て、急いで食事の支度にかかれ!」
ユリゴーネルの存在に呆気を取られていたナファネスクだったが、父親の言葉で我に返った。
「ああ、分かった」
ナファネスクもただ事ではない空気を読み取った。急ぎ足で家の中に向かっていく。
「さぁ、村長。むさ苦しいところですが、どうぞ中へ」
父親は丁寧な口調で言った。
「では、失礼するぞ」
ユリゴーネルは全く遠慮せず、ナファネスクたちの家に上がり込んだ。最後に父親が付近の様子を見回してから玄関のドアを閉めた。
気安く人の家に尋ねることなどしないユリゴーネルである。何か不穏な空気が漂っていた。
☆☆☆
男親一人で家事全般をこなしてきたにしては、家の中はきちんと片付けられていた。
居間の中央には木製の円卓があり、ちゃんと来客用の椅子も置かれていた。
「村長はそちらにお座りください。杖はこちらでお預かりします」
父親は低姿勢で対応していた。村長なのだから当たり前ではあるのだが、どこか父親らしくない態度だ。
「いやいや、この杖はわしの半身みたいなものでのう」
村長は丁寧に断った。次いで、「これでよい」と自分の椅子に立てかけた。
その間に、自室で毛織物の上着を急いで着たナファネスクは、早速料理の準備にかかった。
食事は交代で当番を決めていたから、即座に対処できた。すかさず手の空いた父親が台所にやって来て、分担してやることにした。
「さて、こんな朝っぱらから私たちに何の用だろうな?」
父親は少し暗い顔をしていた。この農村には冥邪が出ないという話のときにちょうど現れたのが尾を引いているのかもしれない。
「さぁ、俺に訊かれても……」
ナファネスクは横目でユリゴーネルの顔を覗いた。とても穏やかな顔で、ほとんど緊迫感は感じられなかった。
(いったい何を考えてるんだ? あの爺さん)
焔豹のハクニャは何をしているのかと言うと、食器棚の上に寝転んでこのドタバタ劇をただ眺めていた。




