四話 夏の日の思い出
自転車屋から帰り道、去年の夏の出来事を思い出していた。
自転車のトレーニングを始めて約6ヶ月、その成果として俺の体重は10k以上減っていた。赤城山のヒルクライムも始めは一気に登れなくてスタート地点の学校から1313m登ったゴール地点の観光案内所まで2時間以上かかっていたが、1時間半くらいで登れるようになっていた。
去年の夏休みが終わる頃、先生と俺は二人だけで、赤城山を登っていた。ただ、この頃はまだ先生ではなくて、実家の自転車屋を手伝っていた。先生になったのは夏休み明けの二学期で臨時採用の後だった。学校では先生の授業を受けてはいないし、たまに会っても挨拶するていどだ。
近藤輪業のお客がメインのアマチュアのサイクルチームがあって、本格的なロードレース大会にでる選手たちもいて若手の育成に力を入れていた。同年代のメンバーもいたがレベルは高く彼らのトレーニングには付いていけそうではなかった。もっと、俺はチームに入っていない。定期的に初心者向けの指導会を開催していて俺も時々参加している。俺は一人で登る方が好きだが数人で登り競い合うのもモチベーションが上がって楽しい。その日の参加者は俺と先生だけだった。
早朝、サイクリングにくる人達にも解放されている学校の駐車場に集合して、赤城山を登る県道4号線を先生の後ろに付いて登っていた。国道353と交差する畜産試験場の信号までの5.6kは信号も多いし、安全を考慮して、先生曰く、楽なペースで登った。とはいえ先生のペースは速くて付いていくのが精一杯だ。畜産試験場の信号を過ぎると先生のペースが上がる。心拍計の数値も170を超えて更にキツくなってきた。先生も口数が少なくなってきた。
畜産試験場の信号から5分ぐら経った時、
「ほら!高梨君、私のお尻ばっかり見てないで前にでて引いてよ!」
先生の前に出るのは大変かも知れないけど、たしかに女性のお尻りを追うのは恥ずかしいし、色々複雑な気分なので空っ風街道と交差する信号を過ぎた所で頑張って前へ出て限界に近いペースで引く、この道は昔は有料道路で途中に料金所があったそうだ、そこはスタートから8.9kで橋の手前で僅かだけど足を休ませる事ができる貴重な平坦区間がある。しかし、その手間はきつい勾配になっていて、限界近くで引いていた俺はそこを登り切った所で足をゆるめて、
「もう限界です。先生、先、行ってください!」
「もう、こっからだよ!」
と、先生はまた、前に出る。俺はボトルの水を飲んで、上がった息を整える。橋を超えてまた登りになった。先生との距離は少しずつ開き始めたが、俺は追うのを諦めて、マイペースで登った。
10分ぐらいして、心拍数が落ち着いて来た。先生とは300mぐらい離れてしまったが、まだ姿は見え隠れしていた。勾配はさらにきつくなって来たが少しづつペースを上げた。桃林のバス停付近から先生との距離が詰まってきた様な気がした。先生は俺を待っているのか、疲れて来たのかわからないが少しづつ距離を詰める。ここまでほぼカーブは無かったがスタートから12.7kのカーブ1の手前が最も勾配がきつい。カーブで先生の姿が見えなくなったので少し不安だったが、カーブを抜けるとまた先生の姿を捉える事が出来た。
その後も地道に距離を詰めて、焼きとうもろこし屋の手間で追いついた。先生はかなり苦しそうだった。そして、俺に気がついて。
「ひゃー!追いつかれちゃったよ」
と、先生はボトルの水を飲んで。
「本当、成長したよね、おねいちゃんは嬉しいな」
先生からみたら、俺は弟みたいな感じで恋愛対象じゃないかな。
「ありがとうございます。菜々さんのおかげです」
「でも、まだ負けたくないかな、そうだ、私に勝ったら、チュウしてあげる」
「ふざけないでください!本気になりますよ!」
「ハハッ、大丈夫負けないから」
スタートから15・3k、姫百合駐車場を抜けて、九十九折区間へ入るゴールまで6kぐらい5分ペースだと30分ぐらい、ここまで60分だったからもしかして1時間半を切れるかも知れない。俺は頑張って前へ出る。
「あっ!マジで私の唇、狙ってる⁈」
前には出たけど、ここで頑張り過ぎるともたないので、マイペースで登った。先生はピッタリ付いてくるが前には出ない、いつでも抜けるという考えなのだろう。
しばらくして、ゴールまであと2k手前、登坂車線があって少し広くなっている「一杯清水バス停」、大会の時は給水所になるのだけど、そこを過ぎたカーブで先生がダンシングして加速して前に出る。俺も必死に追いかける。若干、緩やかな勾配のカーブが連続したところはダンシングもして、先生に張り付く、そして最後のカーブを過ぎてゴールが見えてきた。そこは少し平坦になっているので、精一杯踏んでゴール地点に飛び込む。
「ウソだあー、負けちゃったよ!」
と先生は悔しそうに、ハンドルを叩いた。
俺と先生は自転車をバイクラックに引っ掛けて、観光案内所前のベンチに倒れ込むように腰掛けた。まだ息が上がったまま、サングラスとヘルメットを脱ぐ、先生は下を向いて息をハアハアしていた。
早朝なのでまだ観光案件所は開いてなくて、先生と二人きりだった。しばらくして息が落ち着いて来た所で。
「あー、まだまだ負けないと思ったのに、本当に速くなったね」
「ありがとうございます。でも、俺に合わせてくれたんですよね」
「そんな時ないよ、私も精一杯だったよ、あっ!ちょっとこっち向いて」
言われるがまま、顔を向けると、先生の顔が近づいてきた。そして、俺の唇は奪われた。
「菜々さん、なにを⁇」
「だって、約束だし、ご褒美だよ、ダメだった?」
俺は突然の出来事で考えがまとまらないでいた。確かに先生のことは嫌いじゃ無い、素敵なので憧れている。だけど、恋愛対象として、思ってないなかった。
「いいえ、俺も菜々さんこと嫌いじゃ無いですから。
先生はにっこり笑って、
「良かった。でも特別な意味じゃなくて、ただ勢いと、言った手前のご褒美だから気にしないでね、それに私も高梨君のこと嫌いじゃ無いし、誰でもキスするわけじゃないから」
先生は少し考えて。
「でも、ごめんなさい。私、年上だし、色々あるので、これまで通りの関係で、私のことは姉だと思って、これからもよろしく、あと、ファーストキスじゃないよね、もし、そうだったらごめん」
「いやまぁ、それは微妙なんだけど」
心拍上げて、走るとドーパミンとかアドレナリンとかの脳内麻薬がでて、ハイな気分になるらしい。そんなことも突然のキスの原因かも知れない。でも、いくらなんでも好きでもない人にキスするとは思えないし、なんかよくわからない。
それから雰囲気を変えたかったのか、何事もなかった様に先生はその日のヒルクライムについて話し始めた。
下りはスピードが出るので無言だった。別れぎわも。
「お疲れ様、じゃあまたね」
とそっけないものだった。それから色々考えてみたけど、よくわからなくて、モヤモヤモヤするだけだった。
そして夏休みが終わって新学期の全体朝礼で菜々さんが臨時の教師になると知った。そう、先生と生徒じゃ恋愛はまずい。だけど学校で初めてすれ違った時に先生はニコニコしながら近づいて、他の人に気付かれないように。
「学校では先生だからよろしくね」
それから、俺は先生を避ける様に近藤輪業やその関係の練習会に行かなくなった。
やっと四話、でも小説書くのが楽しい