転換点
「俺はこの先、どうなる……?」
若干怯えた視線でオレの方を見てくる大輝。
「お前が妙な動きを見せなければ、オレがお前を殺すことはない。そこは信用してもらっていい」
「ん……じゃあ、今まで通りの生活をしてもいいってことか?」
「基本はオレと玲奈のマーキングにより居場所が分かるようにする。それさえ守ってくれれば、今まで通りの生活を許可できる。だが、今回のように呪詛の罠を振り切るようなら、それも容認できない」
「そもそもどうやって統也の呪詛を全て無効化したの?」
「さあな。大輝本人が記憶障害で覚えていない以上、神のみぞ知るってところか」
玲奈の言う通り、大輝はオレの呪詛を大方無効化することにより行方不明になっていたと考えられる。理由は分からないがその後、異学のある円山地域で放浪していた。
翠蘭とオレもその場に駆けつけたというわけだが。
大体にして、大輝に引き寄せられるように集合した「影」の大群の目的や意味すら分かっていない。
つまり、分からないことが多すぎる。
推測しようにも記憶に穴が開いているこの状況では意味がない。
「覚えてなくて、すまない。でも俺だって頭がおかしくなりそうなほど混乱してるんだ。今の状況を理解すること、認識すること自体が夢のようで、なんとなく現実味がない。ふわふわしてる」
「受け入れるのに時間がかかる内容も多いかと思うが、その辺は腹をくくれ。お前は影人化できる人間で、この世にある異能、影人を理解し、それを把握していなければならない。自覚していなければならない。大変だろうが、お前は誰が何と言おうがそういう人になった」
本当は危惧すべきことは他にもあるが、今はこれでいい。
玲奈も反論してこないということは納得しているといことだろう。
*
玲奈とオレは大輝に呪印を刻印したのち、彼を病院まで送り、その後二人で密談することになった。
この話を持ち掛けたのはオレではなく玲奈の方だった。
「それで、密談するのになぜ事務所なんだ?」
オレは彼女の所属する事務所スタースタイルに足を踏み入れていた。
「私この後、スタスタに用があって」
「スタスタ?」
「スタースタイルのこと。ごめん界隈用語使っちゃった」
事務所の建物に入るなり、彼女はサングラスと帽子を取り、耳にイヤリングを付ける。
オレはマフラーを巻き直し、ポケットに手を入れつつ彼女を追尾する。
「なるほど」
廊下を通る度玲奈に頭を下げて挨拶していく事務員か、何かしらの関係者。
その内の一人の女性が玲奈に話しかける。
「レナ~会いたかったよー」
そう言って上品に手を振る。
「ええ、久しぶり。一週間ぶりくらい?」
「うんうん、多分ね。最近『青の境界』の変調頭痛で大変でさ……。レナの方は大丈夫?」
「ええ、最近は良くなったけど。そっちはまだ治ってないの?」
「うーん、なんだか偏頭痛みたいな感じ」
その調子で暫時立ったまま話を続けていたようだが突然彼女の視線を感じ、オレは軽く意識だけ向ける。
「……で、その人は?」
女性は背後のオレを見つつ玲奈に尋ねる。
先ほどから玲奈の後ろで待機している謎の存在を不信がっているようだ。
「彼は適宜ボディガードとして呼んでるの。割とイケてる人でしょう?」
愛想笑いなのか普段の会話ではこうして笑うのか分からないが、とにかくいつもは見せないような笑顔で対応する。
割とイケてる?
思ってもないことをよくまあ、こんなに堂々と。
「えーうん。彼のマフラーはファッションか何か? 真夏にマフラーは暑そう」
「そうじゃない? あんまり分かんないけど」
とぼけてくれているようだ。
杏姉と繋がりがあったのなら、名瀬家の異能副作用が温度感覚異常であることは既知のはず。
オレが寒がりであることも以前伝えている。
「へー、レナはこういう男がタイプなの?」
「え?」
「え、ってその反応分かりやす! 絶対そうじゃん!」
「……いや、多分そんなことはないはず」
「えーほんとにー?」
「違うはずだけど」
そこまで否定されると流石に傷付くが。
オレはその砕けた話し方により展開される会話をただ玲奈の背後から聞き流していた。
しばらくの立ち話を終えたあと。
「じゃあねレナ。明後日の収録頑張ってね」
「ええ、ありがとう。またねシオネ」
そこから、今まで会話していた相手はシオネというらしい。彼女はオレに視線を向けた後、そのまま通り過ぎてゆく。
一度どこかで見たことのある顔付きだった。
少し気になり玲奈に聞いてみることにした。
「今の誰だ?」
「彼女は花守汐音。聞いたことない? 有名な歌手なんだけど」
だから見覚えがあったのか。
「ヴィオラが出ていた昔のテレビで見たことがある気がする」
「でしょうね。芸能界では有名な子よ。歌上手いし可愛いし……」
「玲奈ほどじゃないがな」
「え……」
意味不明と顔に書いてあった。
「玲奈が歌っている姿の方がなんとなく魅力的に感じた覚えがある。これは完全に好みの話だが、顔も玲奈の方がタイプだ」
「プフッ……!」
アゲハ蝶が羽を広げたように、いきなり笑いだす玲奈。
右手を拳にし、口の前を持ってくる仕草をする。そのままクスクスと笑っている。
「ん?」
「統也って、そんなふざけたことも言う人なのね」
それは褒めていない気がするけどな。
「それはそうだろ。オレも人間だからな」
「その反応は統也らしくて笑える」
相変わらず笑みをこぼしている。
「けどありがと、遠回しに褒めてくれてるんだよね? お世辞でも嬉しいかも」
少しだけ柔らかい表情を見せてくれた。
おそらく演技では無いだろう。なんとなくそう感じた。
戦闘の際とこのような普段では、まるで見せる顔が違う。これが歌手の力か。
そんなことを馬鹿正直に考えた。
「遠回しではなく直接褒めたつもりだったが、生憎オレは会話が下手らしくてな。スムーズに伝わらなかっただけだ」
「それってつまり……私を口説いてると?」
「そう思うか?」
「質問したの私なんだけども」
「だが今はオレも質問している」
「そう思うかって、そう思うよ。だって私を今ここで褒める理由はそう多くないはず。あと……願望かも」
戻った表情、このポーカーフェイスにも慣れてきたところだ。
「願望?」
「ヴィオラも汐音もすごくいい子で可愛いし、歌も上手いから。もちろん命ちゃんも」
つまり、自分もそうなりたいと。
彼女は売上だけで言えば女性歌手現在一位だろう。だが、確かにそれと自分の願望は別物。
他人や彼女のファンがいくら彼女を褒めたたえ、崇めようと彼女自身の中にある承認欲求が満たされるとは限らない。
「ヴィオラはもうこの世にいないから除外でいいとしても、命や汐音より人気なんじゃないのか?」
「そうだね、ごめん。少し話し過ぎた。……統也って不思議。なんとなく警戒できないというか、一緒にいて安心する」
この女の子、自分で今何を言っているのか分かっているんだろうか。
こっちの方がよっぽど口説き文句に近い気がするのはオレだけか。
「それはオレを口説いているのか?」
「え……あっ、うん。そうかもね」
「おい」
「それにしても統也……ヴィオラちゃんの話するとき、まるで旧友を語るみたいだった。知り合いでもないのに」
「まあ、有名人だからな」
言いながらオレはもう一度マフラーを整えた。
*
オレは事務所内の会議室のような部屋に入るなり『避役の檻』を展開し、玲奈は第四定格出力「精霊」による感覚特化の『衣』を付与した釘をドアに横に刺す。
壁に掛けられた時計を見ると既に時間は16時を回っていた。
「その異能技、私に見せていい物なの? 結構高度な技術のようだけど」
その異能技、とは『避役の檻』のことだろう。
「構わない。オレは名瀬家を仲間だとは思っていない。この技術を見られて損をするのはオレの姉だけだ」
第一、彼女も第四定格出力は初披露だろう。
『衣』という異能はマナ出力の定格数が少なければ少ないほど会得難易度が高く、強力で汎用性が強いと言われている。
以前瑠璃と玲奈の戦闘では第三定格出力「炎霊」や第二定格出力「魂霊」を目の当たりにしたが。
「その発言の意味も、いまいち咀嚼できない」
それはそうだ。彼女はあくまで伏見家であり名瀬家ではない。
確かにある程度の名瀬家の事情を知り、数多くの事案を理解しているようには感じる。
だが、それとこれは別問題。
「オレは孤独だ。特段何か別の仲間がいるって訳ではない」
少なくとも。
この世には。
「その割には円滑に行動出来ている気がする。そもそも私も知らない伏見家との繋がりって何? 一体どんなことをすれば、私の一族とのパイプを作れるの?」
「それは答えられない」
「統也が影人について詳しいのと何か関係ある?」
電気異能が雷電一族の専売特許であることをオレが知らなかったように、オレも異能について完全的な理解をしているわけではない。
比較するなら茜の方がよっぽど異能についての詳しい知識を持っているだろう。
同様に影人についてもそんなに詳しくはない。
だが、普通の異能士よりも知っていることは多いはずだ。
そして玲奈も一般異能士より影の性質に熟知しているように思える。
「玲奈、そんなことを聞くためだけに、こんな密会時間を用意したのか?」
「それは違う。……本来の目的は、あなたと本格的に手を組みたいって話がしたかったんだけど」
「手を組む?」
「ええ。協力関係ともいう」
意外と思うかもしれないが、これは案外普通の申し出だった。
三宮拓真はその技量、異能力を全般的に明示公開していないためにS級異能士として昇級していない人物と聞く。
つまり彼の実力は相当なものであり、もちろん一流の異能者として知られている。
オレはそんな彼を僅か0.1秒で気絶させ、彼に勝利した。
もちろんあの時使用した、『檻』の第零監獄「律」は多発動すると、身体が重力場により潰れ、跡形もなくなるだろう危険な技。いやそれ以前にマイクロブラックホールが生成するか。
とにかく数か月に一度使えるかどうかの大技ではあったが、彼を倒した。
無論それは異能世界においては偉業といっていい。
要は、そこまでの実力を有しているオレと手を組みたがるのは至極真っ当な流れ。
「断ったら?」
「あなたの身辺調査をする」
ほう。この子、凄いな。
それを脅しに使うということは、オレがどれだけ何に拘っているのかをよく理解している。
「もしオレが玲奈と協力すると頷けば、あんたはオレの身辺調査をやめてくれるのか?」
「ええ、約束する」
「ならいい。オレは玲奈に協力する」
「えっ即答?」
意外な反応だったのか、瑠璃に似た予想外といった表情を見せる。
さすが姉妹。
これが可愛かったのも墓まで。
「なんだ駄目なのか?」
「いえ、むしろありがたいんだけど……」
「ただ一つ条件がある。オレは『玲奈』という人間には力を貸すし、協力するもする。だが、伏見一族に力を貸すつもりはない。オレは死んでも消えても名瀬の人間だ。これは変わらない事実。それだけは理解してほしい」
「ええ、分かっている。私たちは御三家の別家だし。一族としてではなく、あくまで個人の関係ってことで」
「あんたが賢くて助かる」
とはいっても、おそらく大きな変化はない。
協力と言ってもそこまで大きなことは出来ない。
一定の体制を敵に回す際、味方になるかならないか程度の差異だろう。
しかしながらそれがオレ達の命運を左右する可能性もある。
この世には無くていい物なんてない。
すべてには等価の見返りがある。ただの持論だが、子供の頃からの考えだった。
そんな時だった。
部屋がノックされた気配を感じ取る。
「誰かドアノックしてる」
玲奈も第四の出力「精霊」をもって、それを感知した様子。
遠距離攻撃に頑丈防御、加えて感知索敵か。衣という異能はなんでもアリだな。
詳細は分からないが、微弱な音か、振動か何かをキャッチできるのだろう。
檻の外にあるものと交信……か。
やはりマナ系統の発信は檻を透過するんだな。
分かり切っていたことではあるが。
玲奈が立ち上がろうとしたため、それを制止しオレがドアを開けることにした。
このドアの向こうにいるノックをした人は、当たり前だがオレを知らない事務所関係者。
先に護衛が部屋から出なければ、辻褄が合わなくなる。
本来護衛という立場が先に様子を見せるのは道理だからだ。
そうしてオレは右手を軽く握って檻を解除しながら白いドアの内鍵を解錠し、扉を開く。
「――――――――――えっ!?」
開いたドアの先には目を大きく見張りながら声を漏らす女子がいた。
「ん?」
「統也……どうかした?」
冷静でいながらも内心驚いていたオレの背に、玲奈が話しかけてくる。
「いや……」
「誰が来てるの?」
「それが……」
オレが口籠っていると、眼前の女子が先に口を開く。
「ど、どうして玲奈さんが使用中の会議室に、統也くんがいるの!? これは……どういうこと!?」
ドアを開けた先には魅力的な私服に身を包む命の姿が。
そうか。ここはスタースタイル。
つまり―――――命がいる事務所だ。
お読み頂きありがとうございます。
興味を持ってくれた方、早く続きが見たいと感じてくださった方がいれば、評価、ブックマークなど是非お願いします。




