予兆【2】
*
オレは彼女が風呂に入っている間なんとなく気まずくなり、近くのコンビニで買い物をすることにした。夕食を買うためだ。
まあ夕食という時間でもないが。
時刻は21時を回っていた。
オレが夜食を買いホテル部屋に戻ると、里緒が白の長袖シャツに緩めの黒ズボンを穿いて髪を乾かしているところだった。
ドライヤーをしていて音は聞こえなかったはずだが気配を察知したか、洗面所から顔を出し玄関で靴を履き替えるオレに声をかけてくる。
「おかえり」
「ああ、ただいま」
「何それ、ごはん?」
オレの手に持つ白いコンビニ袋を目で捉えつつ聞いてくる。
「ああ、そうだ」
「自分の分だけ買うとか酷くない?」
「誰がそんなこと言った? 里緒の分もちゃんと買ってある」
「ほんと? ……ありがと」
そんな会話をした後、オレと里緒はごはんを食べ終え、歯磨きなど諸々した後、しばらく休憩、心身ともに休ませる。
なぜかその間はオレも彼女も何も言わず、淡々と振舞った。
里緒もベッドに座ったのを確認し、話しかける。
「電気消してもいいか?」
「うん」
ベッド棚に置かれる小型時計を見ると時刻は23時と遅い。
オレは彼女の返事を聞き、部屋の明かりを消す。
部屋内はさっきまでの明るさをなくし、ちょうど真っ暗になる。
オレはベッドに座りながらベッドランプを灯すと、同時に里緒も自分の方のベッドランプの照明を付けた。
何も語らず里緒はオレの方のベッドに近づき、オレの左に並んで座る。
暗闇の中灯る二つのランプ。そのオレンジがかった光に照らされる里緒の滑らかな肌。
オレと彼女の距離は十センチもない。
その行動に多少なりとも驚いたが何か話したいことでもあるのだろうと解釈する。
「ね、名瀬。……あたしと正式にギアを組んでくれる?」
先がけて口を開いたのは彼女の方だった。
オレは静かに彼女の方を見る。
「なんだ急に? オレは初めから里緒とギアを組むつもりだったが?」
正式なギア登録はまだ済ませていないが、オレは元よりこの考えを変える気はない。
「……ありがと」
安心したような、緊張が解けたような表情をしている。
「なんとなく断られるんじゃないかって、怖かった」
「いや、オレは最初から里緒をギアにすると言っていた」
「うん、それでも少し緊張したの」
彼女がこんなことを言う日が来るなんて、一体誰が想像できただろうか。
彼女の普段の様子はオレ視点から受け取る事しかできない。
だが香が言っていたように他人とは多く関わらない性格なのも予想できる。
また陸斗への対応、初対面だったオレに対する塩な態度を鑑みると、おそろく里緒はここまで人に心を開いてくれる女性じゃないように思える。
少なくとも今のオレに対して心を開き、警戒心を解いてくれているのは、なんとなく分かるが。
若干鈴音もそういう節がある。
そんなことを脳裏にかすめた時、オレはずっと言い忘れていたことを思い出した。
「そういえば、鈴音がオレのギアになりたいと言っていたが、断っておく」
「え、鈴音? 彼女に会ったの? ……しかも、そんなこと言ってたの?」
「まあな」
「どんな繋がり? てか、そもそもどうやって鈴音と知り合ったわけ?」
「まあ、まぐれだ」
「またそれ……。まぐれとか偶々とか偶然とか……いっつもそうやって誤魔化して、大事なこと隠そうとする」
そうかもしれないな。
里緒は意外にもオレのことをしっかりと把握していたらしい。
「だが今回は、本当に偶々だ」
そもそも鈴音と出会ったのは全くの偶然。
偶発的に起こった事象の結んだ、運命とでもいうべき結果。図らずも起こった事。
オレが彼女と出会うことなど、誰も予想していなかっ………。
その時、徐々にオレの中の理性が無秩序に追いやられ、本能的に警告する。
いや……待て。
なら―――彼女はなぜあの高架下に現れた?
なぜオレのことを何の疑いもなく雷電だと思い込んだ?
なぜ傘を二つ持っていた?
鈴音。全て偶然……だよな。
オレは気持ちの悪い違和感と共に、その渦にのみ込まれる直前―――。
里緒がオレの肩に触れ、現実へ引き戻してくれる。
「名瀬、大丈夫?」
「ん、ああ、すまない。考え事をしてた」
「うん、見てれば分かるよそのくらい」
オレはため息を吐きながら、自身の肩に乗る彼女の右手を左手で掴み、ベッドの上に置く。
彼女の手は相変わらずとても柔らかく、この世の物とは思えないような感触をしている。
オレはその手を放さない。
「なせ……」
囁きながら彼女はゆっくりとオレの左肩に頭を乗せてくる。オレの肩に頭をもたれる。
彼女の身長は167cmと高めなせいか、オレの肩との距離なども割かし適切。至極自然体な感覚に陥る。
「そろそろ、オレのことを姓で呼ぶのはやめてくれないか」
「んー?」
甘えたような声で曖昧な返事をする。
「未だにオレのことを苗字で呼んでいるだろ。そもそも、同級生なんだから名前で呼べと言ったのは誰だ?」
「あたしそんなこと言ったっけ?」
「ああ、出会ってすぐにな」
「もう忘れた」
オレの手で包んでいる彼女の右手に入っていた不要な力が抜けるのが分かった。
彼女はそっと手の平をひっくり返し、オレの手を握ってくる。
「統也」
オレの名だけを口にする。
「ん?」
「名前で呼んでほしいって言ったから呼んだだけ」
「名前で呼ぶのはいいが、やり過ぎじゃないか?」
具体的なことを示唆したわけじゃないが趣旨は伝わるだろう。
オレの手を握るのも、肩に頭を乗せるのも、ただのギア同士の行いとしては多かれ少なかれ不適切。
「かもね。けどやめたくない」
「お前、それずるいぞ」
「かもね……」
そのまま、しばらくが経過した。
オレも彼女も何も話さない静かな空間。そこにあるのは暗闇と照明の明かり、そしてオレ達の温もり。
「統也の手……とても温かくて、すごく安心する」
オレが黙っていると、肩に乗せていた顔をこちらに向けてくる。
直視とまではいかないが、オレも横目に見ていたため、目が合う。
以前の里緒なら目を逸らしていただろうが、今回は割と恥じている様子はない。
すぐ近くに見える、クールな目元を作り出す睫毛と切れ長の目。
綺麗な顔のパーツ。柔らかそうなピンクの唇。
オレも年頃の男子。これを見て何も感じないわけはないが、オレはあることに気付く。
「里緒、微かに目が青いな」
「えっ嘘だ」
「いや、ほんとだ。近くで見るまで気づかなかったが、瞳が紺に発色している」
「……オッドカラーかな」
「ああ、多分な」
オッドカラーシンドロームという異能力者特有の色素変化は、先天性と後天性があり、里緒はおそらく後天性。
後天性の人が発色を始める時期は人それぞれだが、その多くは思春期付近と言われている。
里緒もそれに該当したということなのだろう。
ちなみに先天性色素特異で有名なのは伏見一族、ホワイト一族など。説明不要なことだが、基本的には両方「金髪」という特徴が出る。例外もあることをオレは知っているが。
また伏見もホワイトも目の色は人ぞれぞれで統一性がない。
例えば玲奈はオレンジの瞳だったし、瑠璃は紺だった。
後天性も色々ある。白夜一族に発症する水色主体の色素特異「水晶色素」や風間一族が持つ赤主体の「灰化色素」等々。
「受け入れるのが早いな」
「だってオッドカラーを治す方法は現代医学にはないでしょう? 今更焦ったって意味ないし、紺の瞳なら嫌じゃないから」
「そうか」
まあ、未来医学にもないがな。
「うん……。それに……今ならすべてを受け入れられる気がする」
「そうか……」
*
結局今日も本名を言えなかった。
でもきっと、まだその時じゃない。あたしはまだ本名を名乗る時じゃない。
彼が、その『王』なら、そうだと確信が持てるその日まであたしは自分の名前を伏せる。
「王」と出会って初めてあたし「里緒」は、「理緒」になる。その日まで。
「王」という字に「里」
王里で「理」。
本当はもう気付いてる。
檻で理になるということは、そういうことだよね。
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