予兆
*
オレと里緒は黒羽大輝を監禁する、強固で頑丈な檻『封獄』を見晴らせる場所にあるビジネスホテルの一室にチェックインした後、その部屋の扉を開ける。
その部屋は206室。
オレは入ってすぐに『避役の檻』を展開し、この部屋を防音にする。
ちなみに大輝の監視とは言っているが、どうせ『封獄の檻』を破れる人間などこの世にはいないため本当に監視する必要はない。
形式上、名目上管理しているという「形」が欲しいだけなのだ。
まあ、半日瀕死のまま地べたで寝させられる大輝を思うと気の毒だが彼の存在と危険性を考慮すると妥当ともいえるか。
「なあ里緒、本当にいいのか?」
オレは部屋の中に臆することなく入っていく里緒の背中に尋ねる。
「だからいいって。そんなにあたしとの同室が嫌なの?」
「そんなこと言ってない。だが逆に里緒が嫌じゃないのか?」
実はビジネスホテルの部屋がほぼ満室で、この一室が最後の空室だったという。
無論、本来オレと里緒は別々の部屋に泊まるはずだったのだが。件の事情で一室二人きりというわけだ。
「だから、別に嫌じゃない。さっきからそう言ってるでしょ?」
振り返る際、セミロングのストレートヘアを揺らす。
オレから見て左の髪にはオレが贈った銀のヘアピンが光る。
片耳だけ出す彼女のヘアスタイルはもはやトレードマーク。
「どうしたの? ……そんなにあたしの顔を凝視して」
「いや……」
オレは口籠りつつ、彼女のクールな目から視線を逸らした。
そこまで言うなら一夜を共にしようじゃないか。
「そんなことよりさ……向こうで何があったの、なんか玲奈さんまで来てたみたいだけど?」
二つのシングルベッドのうち奥の方に腰を掛けつつ、そう尋ねてくる。
幸か不幸かこの部屋はシングルベッドが二つ設置されていた。チェックインしたのはオレではないのでそのことを今初めて知ったというわけだ。
オレは手前のベッドに腰を落とし、言いかける。
「例の女性型を抑え込み、捕獲に成功したんだ。異能士協会本部に引き渡された」
楓さんはあの場で色々な特別措置や職務があっただろうが、その間里緒は待機していたからな。起きた事を知らないのは至極当然だ。
「ふうん、そうだったんだ。なら影人の正体が明らかになる日も近いかもね」
「ああ」
言いながらオレが微かに視線を落としたからか、
「嬉しくないの?」
そう聞いてくる。
「ん?」
「影人の正体が分かるかもしれないのに、なんだか浮かない顔してるから」
「そうか?」
「うん。まるで影人の正体が明かされることを望んでないようにも見える」
「いや……そんな顔してたか?」
オレと里緒は適切な距離で離されているシングルベッドに座り、互いに向かい合う。
何を思ったか里緒は微かに表情を緩めた後、オレの目を見つめる。
「何か悩んでるなら相談に乗るよ? あたしじゃ頼りないかもだけど」
そう言ってくれる。
その心遣いには感謝するが、オレが相談できる相手は後にも先にも茜だけだ。
「急かもしれないが里緒はなぜ影人に殺意を向けるんだ?」
「え、あたしそんなこと言ったっけ?」
軽く目を丸くする。
「いや、言ってないがなんとなく分かった。オレらが初めて会った時もそうだったが、影を殺したくて堪らないって目をしてる」
そもそも彼女はまだ17歳で焦る時期じゃない。
しかし実際はギアとの相性に焦り、影討伐に焦り。早く、より多くの影を殺そうとしているように感じる。
そこに彼女の真意、何か目的があるとオレは見ている。
「そうだね正解かな。あたしの両親は影に殺されているからその敵討ち……弔い合戦のためにあたしは異能士になった。家系上、異能士にならなきゃいけいないかって言うと実はそうでもない。あたしの従兄にあたる人物が霞流家次期当主になることも可能だしね」
なるほど。強制ではなく両親が殺された憎しみで異能士になったということか。
そのために強くなって影を殺したい、と。
「名瀬はさ、どうして異能士になったの?」
「オレ? オレは……」
そうだな。オレは一体何がしたいんだろう。
別に影を殺したいというわけでもない。影の正体を暴きたいというわけでもない。第一、そんなものは知っている。
「影人調査部隊に行きたい」
今、オレの発言と思考は矛盾しているだろう。だがこれでいい。
「調査部隊? 日輪じゃなく?」
当然のように何か思う所があるようだ。
「ああ、いつか相談しようと思っていた。自由活動が許される独立の日輪とは違い、隊の指示がある。紫紺石だけでなく軍からの収入もあるが、里緒にとってはどうでもいいことかもしれないな」
「よく分かんないけど、名瀬は矛星異能士になりたいってこと?」
「そういうことだな。それを踏まえて、当たり前のことだがギアである里緒も同じ所属になる」
おそらくはあまり賛同を得られないだろう。
話術は得意ではないが、ここからオレは詐欺師のような方便で彼女を上手く説得する必要がある。
「そっか」
「オレはなんとしても矛星異能士になりたい。もし里緒が矛星を嫌だと言うなら、オレはギアを変更しなければならない」
そうは言ったが、まあ嘘だ。
里緒を手放す気はさらさらない。
しかしこうでも言わないと彼女は傾いてくれないだろう。
だが――。
「じゃあ無理」
そう一言告げる里緒。
やはりオレは話術が苦手のようだ。
むしろ矛星所属を無理と否定する前提まで誘導してしまった始末。
どうするべきか。
「影人調査部隊に入りたくない理由でもあるのか?」
「え、ないよ? だから入るって言ったじゃん?」
「いや、無理だって言ってなかったか?」
「うん、名瀬と離れるなんて無理……そう言っただけ。名瀬が矛星に行くなら、あたしも行く」
その言葉を聞いたオレは自然に驚く。
この驚きの素はなんだろう。
彼女が予想外のことを口にしたからか。
多分違う。
オレの中の里緒が想像よりも大きくなっていたからだ。
もし何とも思っていない人から、同じセリフを言われてもオレは何も感じない。
同様に逆も言える。
つまり、嬉しかったのだ。
「だからいいよ。一緒に矛星行こ」
彼女は微笑みながらオレの目を見る。
「ああ……ありがとう」
「うん。けど一つ聞いていい?」
オレは静かに頷く。
「もしあたしが断ってたら誰とギアを組む予定だったの? 口ぶりからすると誰か当てがあったようだけど。……委員長とか?」
「翠蘭? いやそれはないな。馬は合うかもしれないが、なんとなく噛み合わない気がする」
「へー、女性型追う時には委員長を選んだくせに」
所属の話より、そこへ誘導するまでのギア変更という話題で不興を買ってしまったようだ。
ぷいとオレから顔を逸らし、不機嫌そうにしている。
「怒ってるのか?」
「全然全く!」
なるほど、怒っているのか。
「あの時にも言ったことだが、あの状況では翠蘭よりも里緒の方が適役だった。何より信頼できる人材があの場には必要だった」
それに、翠蘭にあれ以上大輝を見られるのはまずかった。
翠蘭はその異常に鋭い直感からか、大輝を見て影人の正体に気付いたようだった。既に彼女の中では確信に近いものとなっているだろう。
「本当は委員長と一緒に居たかったんだ? 可愛いもんね。足綺麗だもんね。スタイルいいもんね!」
駄目だ。珍しく話が通じない。
里緒は経験こそ浅いが、客観的に対象を認識する能力に長けているから意外に冷静で状況判断ができる。
よっていつもは他人より話が通じるんだが。
「お前も十分可愛いだろ。それにスタイルだっていい」
機嫌を直してくれると思い意図せず本心をそのまま言ったが、里緒は余計に顔を逸らしてしまった。
なぜだ。
「校内三大美女じゃないのか? みんなからも可愛いって思われている証拠だろ。実際に可愛い」
追い打ちをかける。
「名瀬、あたしのこと殺そうとしてる?」
顔を逸らしたままそう言ってくるが、その言葉の意味はあまり理解できない。
「してない」
取りあえず否定しておいた。
「してるよ。今あたし心臓飛び出そう」
「それは大変だ。出血多量どころか、即死だろうな。オレが異界術で治そうか?」
「もういいもん。……風呂入ってくる」
そう言って彼女は備え付けの風呂場へ向かった。
着替えはその辺の服屋で適当に買ったものを着る予定だろう。
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