嵐の前の嵐【2】
オレはそのままブラック校舎の男子トイレに入り、奥の個室で通話をオンにする。
「はい? 里緒?」
『あっ……やっと出た! いきなりごめん』
そう言う通話の向こうでは里緒が走っている音が聞こえる。
何やら相当に焦っている様子。
「それはいいが何かあったのか?」
『うん……あたしたちが任された学校の標的がいたでしょう?』
「大輝か」
『そう……彼、現在行方不明なんだって。なんか嫌な予感がしない? ……だから名瀬が打った呪詛のマーキングをマナ水晶で追っているところ』
行方不明なのは少々理解できない。
あれだけ追跡用の呪詛を仕掛けたのにそれを全部破ったのか。
明らかな異常事態だな。
「分かった、オレも行く」
『うん、ありがと』
授業中だが仕方ない。
あとで舞や教官からも何か言われるかもしれないが、その時はその時だ。
オレは里緒との通話を切り、急ぎめでトイレから出たあと外へ向かった。
*
オレがかなりの速度で校内をダッシュしていると、横から急に声をかけられる。
その美声には聞き覚えがあった。
「……翠蘭か」
オレは速度を落とし、止まる。
「あの、呼び止めてしまってごめんなさい。もしかして目的が同じなのではないかと思ったのですが、違いましたか?」
翠蘭は高めの壇から飛び降り、そのチャイナドレスを浮かせる。
その際に艶めかしい脚が姿を見せるがオレは軽く視線を逸らす。
直後、綺麗に着地してみせる。
「同じ目的?」
「この近くで影人の反応がありまして……それを追っているのかと」
「いや……」
大輝は影と言えば影だが、人間と言えば人間だ。
どう答えるべきか。
「何か他の懸念があるようですが、大体は同じと取っても異論ありませんね? この異学がある円山地域は一般人も大勢います。被害を受ける前にとにかく急がなければ」
おそらく翠蘭が言及している影とは大輝のことだろう。
出現タイミングが一致しているので間違いない。
だがそこから察するに大輝はこの近辺にいることになる。
ただ、里緒に聞くまでもなく奴の居場所が暴けるのなら願ったり叶ったり。
「分かった。翠蘭についていく」
「ええ、行きましょう!」
二人で走って数分後、無口だったオレ達の沈黙を翠蘭が破った。
「厄運ですね」
「厄運? ……今日が懲罰委員会の日だからか?」
「ええ。本来今日、統也さんのことを委員のみんなに紹介するつもりだったのですが……」
放課後に行われる委員会の場でオレを紹介し、新しい委員だと認知させるつもりだったらしい。
「今日はもう無理だ」
「分かっていますよ。おそらく私たちはそんな時間を持ち合わせていない」
「ああ、その通りだ。そしてオレらが組む即席のギアとなる。必ずその影を討伐できるってわけじゃないからな」
「はい。承知しています」
だが、その必要はなかった。
*
オレと翠蘭は影人の反応があったという川沿いの空き地にやってきた。
オレはここへ来てすぐに状況を理解できたが、翠蘭の方はそうはいかないようだった。
「え……元異能決闘第一位の霞流さん……? 卒業したはず。なぜこんな所に?」
オレのギアである里緒と大輝が激戦を繰り広げていた。
奴は手から火炎を放射する、まるで異能『焔』のような攻撃を繰り返していた。
一方、里緒の手には『高周波ブレード』と化した黒いナイフ。
さらに里緒はオレのことを視認し、目配せしてくる。
オレはそれに応じ、頷く。
「翠蘭、下がっていてくれ」
オレは、里緒からギア成立祝いのプレゼントして贈られたマフラーを首から解き、その端を掴み、広げる。
そして現在に至る。
*
オレはそのまま正面に封獄監禁される大輝に近づく。
「大輝……起きろ」
オレが声をかけるが、青い立方体の中でうつ伏せになっているだけ。どうやら意識が復活する気配はない。
そして相変わらず手足からはプラチナダストが発生している。
(駄目か……。正直これ以上影人として暴走されたら厄介だ)
そんなことを考えていると、里緒が小走りにこちらに帰ってくる。
「楓さんに連絡入れといたよ。数分後向かうって。名瀬の判断で封獄したことも伝えといた……良かった?」
「ああ、むしろ賢明だ」
だがなんだ。何か嫌な予感がする。
「それにしても名瀬。委員長の李翠蘭さんと知り合いなの?」
唐突にそう尋ねてくる里緒。
「功刀舞花に絡まれたときに助けてもらった。そのよしみだ」
「へぇ……あの堅物委員長がそんなことしたんだ」
堅物? 真面目なのは分かるが少し誇張表現な気もする。
「てか、そっか。舞花は妖精眼を持ってるから名瀬の正体に気付いたんじゃ?」
「ん? ……いや、そんな素振りはなかった。確かに決闘は申請されたが、もしオレのことについて勘づいているなら、あの場でそれを口にしたはずだ」
「ううん。舞花は多分そんなことはしないと思う」
その眼差しは実直で穢れのないもの。
「……それじゃあ、気付いていながら隠してくれた、と?」
「まぁ、そういうことになるかな」
「確かに言われてみれば、始めはオレと二人きりで会話したいとか言っていた」
もしかしたらブラックでいながら異能を持つオレという特異な存在に気付きつつ、それを問いただしたかっただけなのかもしれない。
二人きりで、ということはオレの異常さから何かを察知し、公にしてはいけないと感じ取ったか。
「うん……名瀬が舞花をどんな風に捉えているか分からないけど、異界術部所属の双子のために頑張ってる、割と健気な子なんだ。横柄な態度の時とかもあるけど分かってあげてね」
異学現役時代、里緒が功刀舞花と親睦を深めていてもおかしくはない。
元は互いに一位と二位のトップランカー同士。
気が合うことも多々あっただろう。
「とにかく悪い子じゃないから」
「ああ、分かった。心に留めておこう」
「けど……委員長は最後までよく分かんなかった。同じトップランカー同士でも」
「そうか」
オレはこちらに近づいてくる翠蘭に目を向ける。
「あの、私は取りあえず異学に戻ってもいいでしょうか?」
「待って委員長、ここでの出来事や名瀬とあたしがギアであることは機密内容として扱ってほしいのと……」
「いや、それについてはもう説明した」
里緒の言葉を遮り述べる。
「あ、そうなの?」
さっきのオレの家が黙っていない、という脅しで十分だろう。
今のオレにそんな権限はないが口約束だけなら問題ない。
元々翠蘭という女子生徒はそういった面では慎重で、とても賢い選択をする。他言はしないだろう。
「ええ、統也さんから口止めされていますから。それに……こんな存在を世間が知ったら大変なことになるでしょう」
こんな存在とは言わずもがな大輝のこと。
「それもそうだが、第一、奴のことは御三家内の機密事項なんだ。寛大に見逃してくれ」
「はい、分かりました。見逃しましょう。ただ……その前に一つ尋ねても?」
迷いや不安、疑念に後悔。そういった感情に似た念を持つ目をオレに向けてくる。
「ん? なんだ?」
「統也さんの檻に閉じ込められている彼の存在を鑑みるに、影人の正体は――――――」
オレはその瞬間、翠蘭の顔面に向けて思いっ切りマフラーを振る。
「えっ……名瀬!」
驚く里緒。
当然と言える。
だが翠蘭は首を右に大きく傾け、オレのマフラーによる振り下ろしを避ける。
彼女が避けたオレのマフラーの先は、彼女の背後にある木の幹に突き刺さり貫通する。
「な、名瀬? 委員長に何を?」
動揺を隠しきれない里緒とは異なり、オレのマフラーの矛を向けられた本人の翠蘭はまるで動じず平静としていた。
オレは里緒の言葉を無視して翠蘭の方に話しかける。
「おい、何してる? 盗み聞きとはいい御身分だな」
「え、えっと。それは……どういう」
冷静さを取り戻しつつも相変わらず錯乱している様子の里緒。
「ええ、趣味が悪いですね」
と翠蘭。
オレは力強くマフラーを木から引き抜くとそのまま手元に持ってくる。
「翠蘭、駄目だった」
「浅かったんでしょうか」
「いや、以前にもこんなことがあった。そもそも核は心臓部という通説だがそうとも限らないらしい」
「そのようですね」
「委員長と名瀬はさっきから何の話をしてるの?」
里緒がオレ達に聞いたその時―――。
翠蘭の背後にある木の裏側から、高速でタコのような黒い触手が二本伸びる。翠蘭と里緒に直線的に目掛けられていた。
おそらくは両手から一本ずつ。
翠蘭は振り返りざま緑に光ったマナの手刀で、里緒は黒い刃のナイフに高周波を乗せ、それぞれ咄嗟に防御する。
その隙にオレは、弾丸のような速度で木の裏にまわり、その触手の正体……変形手を持つ影人にマフラーで斬りかかる。
「……速い!」
翠蘭の声。オレの動きに対し言っているのだろう。
オレの青いマフラーが閃光のように一帯を一線する。
空間ごと切り裂く。木もろとも両断する。
発生する衝撃波。空間圧力。
だが、どういうわけかオレは少し躊躇ったらしい。
そのせいかオレの攻撃はかわされ、数歩下がる影。その場で止まったかと思ったが、長めの髪を揺らしそのまま去っていく。
オレは速い動きでマフラーの追加攻撃を与えるが、奴の触手に弾き返される。
(オレが……影相手に躊躇した? あの影が女の姿をしていたからか?)
いや、そんなことを吟味している暇はない。
「里緒、大輝の見張りを頼む。オレと翠蘭は奴を追う!」
「え、名瀬と一緒に戦うより、黒羽を守れって?」
「ああ、そうだ。そっちに信用できる人を置いておきたい」
少々不満そうな里緒だが、オレ自身あまり余裕がない。
オレは言いながら翠蘭に目で語り掛け、女性型の影人を追い始める。
事情を察したか翠蘭もオレのあとを追ってくる。
走り始めて程なく翠蘭が口を開いた。
「あの……もう影人の姿を見失ってます。どうやって探すつもりです?」
その言葉を聞きつつオレは浄眼を展開、さっきの影を捜索。
五秒ほど前方を透視すると、すぐに奴の姿を発見する。
人気を避けつつ夜の街を走り去っていく。
(やけに遠くまで行かせてしまったな……)
奴の恰好はフードを被った黒い私服。だがそのフードからはみ出るほどの黒髪。
また体型や体格は女性のそれ。胸の膨らみもあり、女性らしい曲線美を持っている。
当然肌は黒く、眼も赤かった。
別に女性型の影は珍しくない。それでもあの触手……。
「それはオレに任せろ。オレは探知もできる。だが問題はあの変形手……」
「……ええ。タコやイカの触手のようでした」
そこまで理解しているといことは、今追っている女性の影人がA級に近いレベルレートであることも理解しているだろう。
変形手と呼ばれる腕の身体変形を行えるのはS級異能士が担当するA級の影人のみ。
翠蘭ならそんなことは重々承知しているはず。
その上でオレについて来たということは、つまりそういうことか。
「御三家にもあんな触手を持つ影の報告はない。討伐どころかオレと翠蘭……二人とも返り討ちにされるかも知れない」
オレは振り返りつつ、後ろで走る翠蘭に言いかける。
「はい、大丈夫です。そもそも、もし本当に統也さんがそう考えているのなら私を呼んだりはしないはず。……統也さん、実は少しも負けるとは思っていませんね? むしろどうやって力を秘めつつ戦おうか熟考中……そんなところでしょうか?」
はぁ……。
オレは心の中で大きなため息を吐く。
随分とオレは隠し事が下手らしい。
それとも翠蘭の直観が異常に鋭いのか。
「その話は後だ。とりあえず奴を逃がすな」
「はい。色々、一知半解ですが分かりました。今は統也さんの指示に従います」
オレはその言葉を聞くや否や足にマナを溜め、高く跳躍する。
走っていた助走で並ぶ一般宅の屋根に登ることに成功する。
翠蘭も高く飛び、屋根に上がったことを確認すると継続して走り始める。
奴を追うために。
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