決闘大会当日【5】
◇◇◇
6月18日(土) 午前9時34分。
私は、室内の窓際に置いてある上品なガラス花瓶に挿された9本の薔薇を眺める。
その薔薇たちは陽光に照らされつつ花びらの茜色を強調していた。
薔薇は初夏――ちょうど今頃が旬だけれど、多くは四季咲きと呼ばれるどの時期にも咲いてくれる花。
年中美しい薔薇が見られるのだから、花が好きである私にとっては喜ばしいこと。
その薔薇を眺めつつ数分前の会話を思い出していた。
午前9時21分。
オペレーション室。彼からの連絡信号「青」。
聴覚神経安定装置―――〈正常〉。
脊髄意識リンギング―――〈正常〉。
仮想神経系拡張デバイス―――〈正常〉。
内耳神経同調率―――〔98.6%〕。
同調信号……確認成功。
マナ接続による聴覚結合―――完了。
同調……接続―――共有開始。
「はい、もしもし……こちらK。何かあった?」
通常通り静かに尋ねる。
彼に何度似通った言葉をかけたか分からない。
けれど、明日も明後日もそしてこれからも私はこの言葉をかけていくだろう。
『何もない……とは言えないが異常ってほどのことでもない』
気取らないクールな声が脳内に緩やかに響く。
「……そう。で、要件は何?」
『鈴音が異学にいた』
彼はそれだけを伝えてきた。
「え? 鈴音さん?」
『ああ、彼女は間違いなく雷電一族だということも分かった』
「うん……それで?」
『おそらく雷電鈴音は本名だ。彼女に直接聞いた時、それを認めた』
「嘘かもしれないでしょ?」
『いや、あの人は嘘をつくのが苦手だ。おそらく本当のことを言っているだろう。もし嘘ならあんな風に狼狽えるはずがないからな』
「でもそれだといくつかの辻褄が合わないけど」
統也がそうだと判断したならそうなのだろうと頭では分かっていても、やはり驚かずにはいられなかった。
「確かにそうだが“雷の誓”を知っているようだった』
「雷の誓?」
『ああ、本来雷電一族だけが知る十の掟だ』
「そんなものが……」
雷電一族にそんな戒律が存在したなど私も知らなかった。
『それを理解している様子だった。まあ、とにかくオレが言いたいのは彼女が雷電である以上、一つ目は容易にクリアできる可能性があるってことだ』
「確かにあなたが上手く立ち回れば可能ね」
『ああ。正直まだ意味はないがな』
「うん……」
『それと別件報告だが、雷電鈴音相手に向けられた正体不明の攻撃を防ぐ際、自身の右手が出血。すぐさま再構築し、これを治療。加えて加害者が残した空気干渉系のマナ残影をも再構築で消去、オレが異能を使った痕跡全てを削除し、これに対処した』
私が報告書に記す際複雑な要約を強要しないためか、彼が的確に簡約、整理された趣意を述べる。
こんなところでも彼の配慮が垣間見れる。
「了解」
『即時対処したとはいえ、学校内のマナ検知システムも笊じゃない。少なからず奴のマナ痕跡を残した可能性もある』
「分かった。それはその時に教えて」
『ああ、そうする。……追加で、後にその男を追う予定だ。まだ先の事だろうが、その際戦闘になる可能性があるとも言っておく』
「また?」
『ああ、鈴音さんを殺すのが目的なのかは知らないが邪魔になる可能性がある。排除も考慮するが、校内だから無理だろう。辺獄器による異能の一時停止が限度だ』
「それは現場の判断に任せる」
『了解した』
辺獄器。
彼や旬が扱う古式異界術「呪詛」の中でも一際会得難易度が高いもので、その呪詛の刻印を受けた被術者は自身の異能力を一時的に失う。
ただし第二級異能、ルビー級と称される階級異能にのみ通用するため、統也の『檻』や旬の『衣』といった特殊異能などには効力を発揮しない。
「というか、今何してるの? 土曜は異学休みじゃなかった?」
『休みのはずだったが異能の決闘大会というものが開催されている。今はその会場に戻る途中だ。さっきまで鈴音さんと会話していたがそろそろ友人と合流しないと怪しまれる。一回戦も直に終わる頃だろう』
「戻る途中ってことはスマホか何かで偽装してるの?」
『ああ、人気はないが一応な』
スマホを耳に当てていれば、それだけで通話しているように見える。
その手法で聴覚同調の偽装ができる。
私の口から“偽”という言葉が出るなんて皮肉としか言いようがないと自嘲気味にそう思った。
*
午前9時26分。
「翠蘭さん。俺はそろそろ行きます。タコ焼き食べたいですし」
感情の薄さをそのまま表したような薄い声で言いかける雪葵さん。
決闘大会にタコ焼きなど無いですけどね。
私、李翠蘭は雪葵さんと校内警備中に少量のマナを感知していたところでした。
正当なマナ検知装置での感知なので正確無比でしょう。
空気干渉系の異能という反応結果が出ていたらしいですがその正体を掴めずにいました。
それどころか異能の気配が消えてしまったのです。
まるでマナ情報そのものが元通りに復元され、何も無かったかのように。
懲罰委員会副委員長である白夜雪葵というホワイト男子生徒の感情のない視線が私の方へ向けられる。
すらりとした体型で薄水色の髪、水色の瞳。身長は175cmと経歴書に記されていたのを覚えている。
私は彼に向かって口を開く。
「やはりおかしいですね。どういうわけかマナの反応が全くありません。志波くん曰く空気干渉とのことでしたが……」
「やはり検知装置の故障では? コショウだけに」
相変わらず感情のない単調な口調とは一致しない内容の発言だなと思う。
「そのようなはずはありません。マナ検知装置自体、常に手入れ、点検を入念に行っていますから」
私はいつも通りの「雪葵ギャグ」を無視して答える。
「だったとしても一瞬のことでしたし大きな問題はないと俺は思いますけどね。それに翠蘭さんの場合、決闘戦5戦目では? そろそろ準備の方に行かないと後々面倒になります、と俺は思います」
彼の言っていることも正しい。
もうすぐ決闘準備をしなければいけない。
決闘の事務表に名前を記入しに行かなくては、ですね。
とは言ってもしかし。
一体なぜマナ反応が検知されたのでしょう。
そしてなぜそれが唐突に消えたのでしょう。
私は右のシニヨンに触れながら首をひねった。
*
「――――――はじめ!」
異能士教官の一人である審判員の決闘開始合図、その声。
二階観戦席からの喝采溢れる声。
どれも他人事のように聞こえる音。
私はこのコートに立つといつもこうなります。別に今日が特別なわけじゃありません。
それらを聞きつつ、コート内にいるぶかぶかなパーカーを着た私はその場から一切動かない。
この黒いパーカーは名瀬くんが貸してくれたもの。
大きくてサイズは合っていませんがそんなことは関係ないんです。
「またあれですの?」
功刀舞花さんが紫のつり目で話しかけてくる。
顔は可愛らしく男性からの人気もあるでしょうね。
「ごめんなさい」
彼女は何を思ったか、私のその発言を受け眉間にしわを寄せたかと思うと自分のグレーヘアを手で払う。
「影人と同じ……赤瞳を持つ哀れな愚民風情……。私の慈悲で地べたに落ちるのですわ」
そう言ってくる舞花さんもその場から動かず、手に持っている扇子をこちらに向けてくるだけ。
直後私のいるこの場所を座標点に重力負荷をかけてくる。
なるほど理解しました。重力をかけるための異能座標は扇子がキーでしたか。
バチン!
私の頭上で紫電が煌めく。
当たり前のように電流が舞花さんからの攻撃を防ぐ。
「……相変わらず詰まらない加護ですわね」
「驚かないということは、予め知っていたんですか?」
「物理攻撃があなたに効かないのは周知のこと。まさかマナ標準による異能座標をも弾くなど……知らなかったですわ」
私の【雷の加護】は物理的な物体以外に、概念的なマナ情報をも弾く電流守護。絶対防御。
功刀舞花さんの異能「重力制御」は物体の重力を操作する際、その物体に必ずマナ標準という座標設定を行う。
念動や超能力、名瀬くんの異能「檻」もそれは同じこと。檻の場合は空間に展開座標を設定するといったところでしょうか。
でなければ間接的な異能作用をこの世に現象として表すのは不可能。
異能とはそういうものなんです。
私はその異能座標を弾いた。
「そう言っている割には驚いていないように見えます」
「驚愕の事実を前にした時、必然的に驚かなくてはいけない……そのようなルールがおありですの?」
「そんなことは言ってません。ただ……マナ情報を弾いたのはこれが初めて。普通驚いても不思議じゃありませんけど」
「どうでもいいですわ。あなたの加護は私の重力コント―ロールさえも防げる電流だったというだけの事」
功刀舞花さん。クラスが違うこともありあまり話す機会が無かった。
彼女との決闘も初めて行いました。
こうして彼女と対峙する前はもっと感情的なお嬢様という想像をしていただけに意外です。
プライドが高く、トップランカーとしての意識を人一倍持っていると聞いていましたが、少しイメージと違いました。
とても冷静で何が起こったのかも理解している。
普通、マナ情報を弾いたなどとは思いもよらないはずですが、それを理解し把握しているということはそれだけ彼女の観察力が高いということでしょうか。
それとも……。
舞花さんにはマナを視認できる眼が有るという噂が広まっていましたがあれは本当なんでしょうか。
もしあの噂が本当でマナ情報本体を目視できるのであれば頭上で弾いたものがマナ標準の異能座標だということも容易に理解できるでしょうからね。
「降参しますわ」
彼女は審判員の方を向き、そう告げる。
その表情は「つまらない」「楽しくない」というそのもの。
まだたったの一度しか攻撃していませんが、悟ったんでしょう。
『只今の決闘……功刀舞花の降参自己申告により、勝者、小坂鈴音』
会場一体が騒めくのを感じる。
私と舞花さんはそのまま決闘フィールドのコートから離れる。
準備室、控室、更衣室などの設備がある方へ向かい始める舞花さんは、去り際に一言こう言ってきた。
「このような意味のない、つまらない決闘方法をいつまで続けるつもりですの?」
どうでもいいけど一応聞いた、というような無関心を露わにした声。その表情は見えなかった。
私が答えるよりも先に扉を開け、去ってゆく。
私はその場で立ち尽くす。
別に好きでやっているわけじゃないんですがね。
雷電不可侵条約がある以上、私は下手に手出しできないだけ。
どういうわけかこの時、名瀬統也くんのことが頭によぎった。
名瀬くんは『雷の誓』を知っていた。
それは古来より雷電家の人間に伝わる誓いと掟。
その内容はいくつかある。
一つ、雷電は他の一族との子を有してはならない。
一つ、戦いへ向かう他の雷電に鼓舞の言葉をかけてはならない。
など。
武道訓のようなもので、もっと沢山ありますがそのすべては一族で守られてきた掟。誓い。古い慣習のようなもの。
名瀬くんは雷電一族ではありませんが「戦いへ向かう他の雷電に鼓舞の言葉をかけてはならない」を知っていた。
彼は優しい。
彼は自分を最低だと評価していましたが、私はそうは思いません。
そんな彼が中庭で、決闘に向かう私に励ましの言葉を一切かけませんでした。
頑張ってという意の言葉、その欠片、その一縷でさえ述べなかった。
その代わりにもっともらしい理由を付けて私にパーカーを渡してくれた。貸してくれた。
私は自分が丁度今着ている黒いパーカーを包むように、抱きかかえるような仕草をする。
このパーカーを着ている間だけ私は「雷の加護」ではなく彼に守られている、そう錯覚できる。
彼が私を守ってくれると感じる。
温かい不思議な感覚。
この気持ちを大切にしたい。ずっと感じていたい。
「鈴音さん、どうかした?」
「あっ……進藤くん」
左から彼が近づいてくる。
「舞花さんとの決闘お疲れ」
「はい、ありがとうございます。進藤くんは午後でしたっけ?」
「そうだ。あまり緊張とかはしてないけどなんとなく落ち着かない感じがしてる」
「そうですか。でも進藤くんなら大丈夫でしょう」
言いながら私は更衣室などがある方へ歩き出す。
進藤くんも私についてくる。
彼には変に懐かれてしまいましたね。
歩きつつ考える。
おそらく名瀬くんには雷電一族の知り合いがいたのでしょう。
一族の掟である『雷の誓』を知っていたことや、励まし言葉の代わりに自分の身につけているものを渡すという独自の慣習まで知っていた。
もしかしたら私が本物の雷電一族であるかどうか探るために試したのかもしれませんね。
だとしても。
私は紛れもなく本物の雷電です。
遠隔作用の異能における異能座標
……マナ標準と呼ばれる座標を展開することで遠隔型異能を発動する。
『衣』や『焔』『波動振』のような異能は手などの人体から直接作用することから始まる異能であり、『檻』や『重力制御』といった遠隔展開系の異能はその異能発動の際に物体または空間に異能座標を展開する。
鈴音の持つ【雷の加護】はその異能座標さえも強制乖離する。
伏線整理をしていて不定期投稿になってしまいました。申し訳ないです。
不定期投稿のときもあるかと思いますが、これからもぜひ読んでください。
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