決闘大会当日【3】
人除け結界
……人が本能的にその結界を避けるという呪詛能力。
*
床にこびりついた頑固な凝血を拭き終えたオレは少し私的な話がしたいと鈴音さんに告げると、いいですよ、と快く受けてくれた。
全体で二戦目の異能決闘に出場するそうだが、それまでの時間はもう少しあるという。
どうやら彼女も決闘順位が上位らしい。
さらに、内密な話もあるだろうと想定してか廊下右手の外にある中庭で話しませんかと提案してきた。
オレと鈴音さんは二人で中庭へのドアを開け、中へと入っていく。
思ったよりも草木が生えていて、ジャングルのようなイメージを想起する場所だった。
彼女は何でもない事のようにその場に隠密結界を張り巡らす。
「防音と侵入阻止を兼ねた開印結界です。『人除け』はかけていませんが大丈夫ですよね?」
「ああ」
オレは平常な返事をしつつ、かなり驚いていた。
不屈の修練の果てに会得できるといわれる呪術「結界」をいとも簡単に発動したからだ。
結界は結界士といわれる結界に人生を捧げた者か、異能家の幹部のみが使用できる高等古式異能力。
古式異能をいくつか使用できるオレでも結界という高等能力を展開することはできない。
鈴音はそれを簡単に展開してみせた。
「積る話もあるでしょうからね」
だから結界を張ったと言いたいらしい。
彼女はそのまま中庭内の鉄製ベンチに腰を落とす。
彼女が無言で手招きしてきたので、オレもそのベンチに座る。
結果的にオレと鈴音さんは並んで座る形になる。
以前、秋田県の樹海公園でもこうやって並んで座った。あれは屋根付きのベンチだったが。
今は物理的にも、精神的にも見えるものが異なる。
あの公園では、何もない花壇や少年たちが走るグラウンドが見えていたが、現在は花や木が生える庭があるのみ。
あれからまだ三か月ほどしか経過していないという事実に驚きつつも、オレは過去を振り返る。
あのとき起きた複数の出来事を回顧する。
雨が降る中、駅近くの高架下で初めて彼女……鈴音と出会ったこと。変な赤いストラップが付いた折り畳み傘を貰ったこと。
その後会う約束をし、樹海公園で話したこと。サッカーボールが飛んできたこと。それを、オレが異能「檻」で防いだこと。
彼女と二手に別れた直後、彼女の正体が雷電一族だと知ったこと。
オレはおもむろに口を開く。
「まず聞きたいんだが、君の本名は雷電鈴音でいいのか?」
「えっ……なぜそれを?」
ツインテールを激しく揺らしながら隣にいるオレの方を向いてくる。
オレはそんな彼女と目を合わせず、継続して正面を見ていた。
「実は以前に君の戦闘風景を少し見てしまった。昼間の廃病院で影人と戦闘しているシーンだ」
「だから私が……雷電であると……?」
「ああ。加護は体質の一つとして誤魔化せるかもしれないが実際使用する電気の異能は誤魔化せないからな。それ以外に考えられないとの結論に至った。初めに君の目を見たときは、別の一族にもこんな赤い瞳の人がいるのかと思っただけだった。だが、どうやら既知の通り雷電一族特有の赤瞳だったようだな」
「ど、どうしてそのことを? ここではそれを知らないはずでは……?」
「言っている意味が分からないが、あの赤瞳は、雷電一族が生まれた時から体内に保管している電荷の影響を受け虹彩のメラニン色素が極限的に欠如。結果的に本来色素で茶色であるはずの瞳孔が透明化する。それが原因で血液の赤色が直接見えるために起こるものだ」
簡単に言えば電気の影響により、メラノサイトという色素細胞が特殊変異し、欠落したものと考えられている。透けた瞳はそのまま血液の赤を表す。
「そうですね。全くその通りです」
「その赤瞳を有している鈴音さんは、確実に雷電の血を引いている。君はどうやって雷式部・鬼狩り事変から逃れた? あの大規模な迫害では雷電凛という一人の少女以外助からなかったということになっている。その事実も、伏見旬というオレの信頼のおける人が残した報告書に記載されているものだ。ならどうして雷電一族である君は生きている?」
「それは…………ごめんなさい。今は答えられません。でもその迫害で生き残った人物が、り……いえ、その方のみであるならば、それは決して変わらない事実です」
「それだと君の存在を丸々否定することになる。君は雷電一族で間違いないんだろ?」
「ええ、そうです。私は雷電一族です。今更成瀬くんの慧眼をかいくぐれるなどとは考えていませんので、それは認めます」
言っている意味が分からない。
雷電一族の生き残りは凛だけだという真実を踏まえつつ、鈴音さん自身が自ら雷電一族であると認めている。
それは矛盾というものだ。
雷電生存者は凛一人だが、鈴音さんも雷電一族だと言っているのと同じだ。
鈴音さんが雷電一族ならばこの世の雷電と付く人物は二人いなくては辻褄が合わない。
「理解できないな。君の言ってることは矛盾しているように聞こえるが」
「うーん、どうでしょう。けれど矛盾はしていませんよ。さっき言ったじゃないですか。迫害事件での生き残りは凛さんだけだと。その事実は決して変わらないと。けれど……この世の雷電一族が彼女だけだとは誰も言ってませんよ」
「なに?」
冷静でありつつもオレはこのベンチに座ってから初めて彼女の方を向いた。
今度はオレと交替するかのように彼女は顔を前へ向け、オレと目を合わせない。
「ごめんなさい。困らせてしまいましたね。でも今ここで名瀬であるあなたにその秘密を教えるわけにはいかないんです」
(ん……?)
「ちょっと待て。今なんて言った?」
「あなたにこれ以上の秘密は教えられないと……」
オレはその言葉を遮る。
「いや、その前だ。オレのことを何一族と言った?」
「……名瀬一族、ですよね? 成瀬という名瀬に近い偽名からも凡そ理解してました」
「……気付いていたのか」
オレはすぐに騙すのを諦める。
「ええ。薄らとした記憶で正確性はありませんが、廃病院のあの時、私を助けてくれた英雄さんは、あなたですよね?」
言いながら彼女は、その綺麗な横顔を見ていたオレと目を合わせ、見つめてくる。
ここに座ってから初めてオレたちは互いにその目線の温もりを交えた。
その際に微かに彼女のツインテールが揺れる。
彼女の言った「廃病院のあの時」というのは、秋田県旧大館市の改築予定があった廃病院のことに相違ないだろう。
あそこでは合計九体もの影人が潜伏し、しかも昼に活動していた。
うち三体は鈴音さん本人が仕留めたが、何故かその後急激に劣勢状況になり、残りの六体が現れた。
結局その六体はオレが討伐したが、学生臨時解放異能士制度で通りかかった進藤樹という茶髪のイケメンにその討伐数を譲った。
そういう経緯があった。
「さっき言った通り、あの場所にはオレもいた。だがな……六体の影を討伐し、君を助けたというのはオレじゃない。あれは進藤という男がやってくれたことだ」
「いえ、違います。あなたです」
背が低く、幼いようなその体躯には似合わない強く、赤い眼光がオレの目を射抜く。
「どうしてそう思う?」
「確かに進藤くんは私を助けてくれたと自分で言っていました。けれど、なんとなく進藤くんの異能とあの時私を助けてくれた異能は別物だと感じたんです。系統が違ったので。……実際、戦略的に彼に近づいて色々調べてみました。彼の性格や人柄、戦闘技能や異能力。彼のそばで色々詮索してみましたが、影人が六人いたあの状況で私を救い出せるほど彼は強くありませんでした」
オレは黙ってその言葉を聞く。
「あまりに意識が朦朧としていて、あの時の記憶は定かではないんですけど、あの青い障壁や囲い。あれは名瀬家の特殊異能『檻』ですよね? 加えてあの時、右手に持っていた青く光った長い布のような物……あれはマフラーだった。そうでしょ?」
「はぁ……」
オレは彼女が語った全ての内容を聞き、ため息を吐く。
「あっ……気を悪くさせたならごめんなさい。父と母譲りの分析能力なんです。癖でつい……」
「いいんだ。オレがもう少し上手く自分のことを隠せていれば良かっただけのことだ。人前で檻を展開するのは流石にやり過ぎたと反省しているところだ」
「いえ、あれのお陰で私は助かったんです。名瀬くんが隠したい自分の異能を使ってまで私を守ってくれたから……だから今、私はここで生きてます。あの時私、本気で死ぬかと思ったんです。走馬灯まで見えて、母や保護者の声までも聞こえてきて……。でも、そんなとき私を優しく守ってくれたのは、あなただった。そうですよね? 名瀬統也くん」
今から誤魔化したとしても無駄だろう。彼女は彼女なりにオレのことを考えていたらしい。
「ああ、そうだ。あれをやったのはオレだ」
「やっと認めましたねっ。あの時は助けてくれてありがとうございます。本当に感謝しています。いえ、感謝しきれませんっ……!」
彼女は、庭の花壇にある花よりも綺麗な笑顔をオレに向けてきた。
雷電一族の女子だからか、なんとなく凛に似ている笑顔だなと思った。
「いいんだ。人を助けるのに理由なんていらない」
「クールな見かけによらず、依然として優しい人ですね」
「そんなことはない。オレは最低な人間で、優しいとは程遠い」
オレは言いながら、別のことを考えていた。
確かに樹海公園でサッカーボールを防ぐ際に檻を展開した。
彼女側からならば、オレの手に乗る青い異能光波くらいは視認できただろう。
だがそれが異能「檻」であると断定するほどの証拠にはならない。
むしろそう思わないはず。
御三家の人間は遺伝配色性によりそれぞれ異なる色の異能を使用する。
伏見玲奈なら橙色の衣、瑠璃なら群青色の衣。杏姉なら碧色の檻、オレなら青の檻というように、それぞれ異能体の配色が異なる。
だがその事実を知るのはごく一部の人間のみ。
里緒が初めてオレの異能を見た時すぐにそれが檻だと認識できなかったことや、瑠璃が青い檻に対し少なからず驚いていたように、本来檻とは碧色または緑色としての印象が強い。
それは北日本国で唯一のS級異能士。オレの姉……名瀬杏子の檻の緑色という配色に由来しているだろう。
碧い閃光という二つ名からもその事実は推察できる。
「ちなみにオレの青い異能光波だけで、なぜそれが檻だと判断できた?」
「え……? それはどういった質問ですか?」
とぼけているといった様子ではなく、本当に意味が分からないという顔をしていた。
「普通檻は緑色の障壁を展開する異能だと思われていることが多い。だが君の言い方的に、何の疑問もなくオレが有している『青い異能』は『檻』だと判断したように聞こえた。気のせいかもしれないが」
「えと、正しいですよ。サッカーボールを受け止めてくれた青い光波を見た時から、それが檻ではないかと僅かながらに考えてしました。さすがに御三家と呼ばれる最強異能家系の人が、北海道ではなく秋田県にいるのはおかしいなと感じていたので、初めは軽く想定していたくらいの話でした」
「珍しいな。青い異能を見て、それが檻だと認識するなんて」
「えと。それはどういう意味でしょうか? 逆に青いと言えば、みたいなところありません? 普段から見れる物なのに疑う人などいるんでしょうか?」
「いや、余計に意味が分からないが?」
「えー、じゃあ気にしないでください」
右の方に首を傾げながら彼女は笑った。
オレと鈴音の会話には何か大きな食い違いがあるような気がしたが、気にしないことにした。
「それより、名瀬くんだけ私に質問するのずるくないですか?」
そんなことを言ってくる。
「決闘までの時間は大丈夫なのか?」
オレは話を逸らすように誘導する。
「大丈夫ですぅ!」
少し不満そうにふくれっ面をした末、唇を尖らせる。
「そうか。なら少しだけ質問に答える。……少しだぞ?」
「ありがとうございます。では遠慮なく聞きますが、名瀬さんはなぜブラックに所属しているんです?」
オレの胸元に付けれている黒蕾バッジを見ながら聞いてくる。
「諸事情だ」
オレはそれだけを述べた。言いながら再び正面に向き直る。
「え……それだけ?」
「ああ」
「それは……説明が雑すぎませんか?」
「そうでもない。説明するほどの事情もないんだ」
「私のこと……信用していないんですか?」
完全に信用しきっていると言えば嘘になる。
理屈の読めない雷電という二人目であり、ただでさえ謎の多い人物。
仮に彼女がオレの大きな秘密など耳に入れたとしても他言は出来ないだろう。
オレも彼女の秘密を握っている以上はな。そういう意味では彼女を信用している。
「そういうわけじゃない。単純にオレはあまり人を信用しない」
「では信用してもらうために、私からも色々話すとします。……今は小坂鈴音と名乗っていますが――――」
「リンネ?」
語り始める彼女の言葉にオレはすぐさま反応する。と、同時に全ての内容に納得がいく。
「え、はい、駄目でしたか?」
「いや、偽名に駄目とかはないが……。ってことは君が里緒に勝ったのか?」
「里緒ちゃん? ……確かに決闘で勝ちましたが、なぜ里緒ちゃんを知ってるんです?」
「里緒はオレのギアだ」
「えっ、駄目です……。名瀬くん、里緒ちゃんと正式にギア登録を?」
「いや正式登録はまだだが……なぜそんなことを聞いてくるのか分からない」
「これは里緒ちゃんと戦争ですね」
真面目な顔でそんなことを言い始める。
「なんの戦争をするつもりなんだ。あんたらは」
「それはもちろん……名瀬くんを取り合う戦争です!」
「は?」
「里緒ちゃんに言っといてください。名瀬くんとギアになるのは私だと」
彼女は嬉しそうな感情が乗る目で、オレに里緒への伝言を残した。
元々彼女の存在は謎だらけだが、発言もオレを失望させないほどに謎だった。
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