決闘大会前日
*
6月8日(水) 23時02分。
オレは自室マンションの自分のベッドに座り、チューニレイダーを起動していた。
『ふーん。じゃあ何? その翠蘭って子は何も隠していないって? そう言いたいの?』
オレの補佐指揮官である天霧茜がイラついているのが分かる。
ピリピリとした冷たい口調。確かにいつも冷たい口調だが、それは声から読み取れる感情が薄いという意味であって冷酷的ということではないし、怒っているという意味でもない。
だがオレが、翠蘭のことは取りあえず静観するとの旨を伝えると、茜が少しイラつき始めた。
正直なぜ彼女の機嫌が悪いのかも理解できない。生理だと言われた方がよっぽど納得がいくが。
「いや、そうは言ってない。ただ、彼女のことはあまり詮索する必要もないという結論に至った。結局彼女もオレの力や潜在的な異能の能力に勘づき始めている。今更オレがそれを必死に隠したところで効果はない」
『それは統也がその子とイチャ……じゃなくて、組手なんかするからでしょう?』
今、なんか途中までイチャイチャって言おうとしなかったか?
「いやまあ、それはそうなんだが」
『そうなんだが、じゃないんだって……。その子が可愛いのかなんなのか知らないけど、対処が甘すぎるよ』
「可愛いのは関係ないだろ。オレが対処を緩くしているのは彼女の性格や人柄を考慮した結果だ」
『でも否定しないってことはやっぱり可愛いのね』
茜にしては珍しく余計な私情が垣間見える。
普段は無意味な趣意の発言をしない人だが、どういうわけか今日はやけにしつこい。
「いや……確かにそうだが、そんなこと知ってどうする?」
『好きなの?』
「は?」
『その子のこと』
「……茜?」
オレは心配になり彼女の名を呼ぶ。
いつもはこんなこと言わないからだ。
『なに?』
「今日はどうした?」
オレが言った数秒後に再び脳内に彼女の声が流れてくる。その間、彼女は何かを思考していたのかもしれない。
『うん……ちょっと変だよね。ごめん……ほんとにごめん。見えないせいかな……。統也が遠くへ行ってしまう気がする。困らせちゃうって分かってるんだけど』
今日は本当に彼女の「女の子の日」かもしれないな。
月経。いわゆる生理期間中は、ホルモンバランスの変動によって精神的に不安定になりやすく、急に涙が出たり、怒りっぽくなったり、イライラしたりするといった情緒面も不安定になりやすい時期として知られている。特に「常に気が張っている状態」で生活をしている人は情緒的にもろくなることもある。
茜は重大任務を背負うオレの補佐指揮官。そのプレッシャーやストレスはまさに気が張った状態。
彼女は精神的にも強い人だ。もろいという言葉は適切ではないかもしれない。
だがそんな彼女でも理解不能な不安感や焦燥を感じるデリケートな日もあるだろう。それは生物学的なヒトとしての自然な摂理だ。
「安心しろ。オレはどこにも行かない。少なくともオレが茜の部下である間は君に従い、君に寄り添う」
オレは少尉で彼女は中尉。彼女は上官だ。
そういった仕事面でも、それとは関係ないプライベート面でも。
オレは彼女にいつでも寄り添いたいと思う。
それは、彼女が「孤独なオレ」を知る唯一の人物だからかもしれない。
『うん……ありがとう。少し落ち着いた』
さっきよりも口調の冷たさが戻っている。
「そうか……それは良かった」
可愛いから好きかと聞いてきたようだし、その誤解も解いておくか。
「ちなみに言っておくが、必ずしも可愛い人がオレの恋愛対象になるわけではない。正直顔は関係ないと思っている。オレが好きになってしまえば、その時点でその子は世界の他の誰よりも可愛く見える。男とはそういうものだ」
『だから、翠蘭って子を見た目だけで好きになることはないって?』
「ああ。そういうことだ」
オレは、最低なオレを受け入れてくれる、そんな人物を好きになるからな。
『そう……。それにしても統也にはもっと色々な自覚を持ってほしいかな。その子のこともそうだし。……あなたの最大の役目が何なのかは忘れてないんでしょう?』
「ああ、もちろん。それは忘れていない。オレはそのためにここにいる」
『それならいいよ。だけど、これだけは言わせて。……あなたはもっと自分の規格外さ、異次元的な強さを自覚するべきなんじゃない?』
急に真面目な話をされた上に、そう言われてしまう。
オレの規格外さ、か。そんな大それた話じゃないがな。
その言葉を聞き、少し意地悪をしてみるかと考える。
「もしその理屈をオレに納得させたいなら茜も規格外、異次元的強者ということになるが、そのことは分かってるのか?」
『………』
オレの言葉を聞き、彼女は何も答えない。おそらく何も答えれないのだろう。
「前に茜が自分で言ってたろ。茜とオレは同じくらいに強いって。つまりオレが自分で規格外的な強さだと認めたら、それは同時に茜が同様であると認めることになる。要は君も桁外れの強さを有する異能力者ということになるが……」
『それは……統也が勝手に想像してくれればいい。でもね……私の異能力者としての能力なんて統也の中の概念封印「量子の鍵」を解放した全開時の能力に比べれば、些細なもの。あなたがその気になれば、絶対的な「檻」を使用することで空間をも支配する、誰よりも強い異能力者となってしまうことを私は知っている』
量子の鍵……懐かしい言葉だな。久しぶりに聞いた。
オレ自身でも24時間以上の制御は不能であるほどの空間干渉力、その解放能力にリミッターをかけている鍵のことだ。
「そんなことまで知っているのか。一体誰から聞いたんだ? それとも……ダイヤデータに載っている事項なのか?」
『さすがのダイヤデータでも『量子の鍵』のことなんて記載されていないよ』
「なら、どこで知った?」
オレは言っていて自分で気づく。
そうか。
「あの人か」
オレの姉、杏子ですら認識していない事実を知っているのは、伏見旬しかいない。
『そう。あなたに概念封印を施した張本人でしょ?』
概念封印「量子の鍵」。古式異能の一種である呪詛の一つで旬さんがオレに施した能力抑制のための概念封印。
量子テレポーテーションの量子運動量や、量子もつれのEPR相関そのものによりマナを特殊空間に転送する封印術式の呪詛でオレの身体に概念的に封印されている。
「茜は随分旬さんと仲がいいんだな」
『それは、育ての親でもあるからね。別に仲は悪くないけど』
そう言われたとき、なんとなくオレの心の奥がモヤっとした。
幼いころ、父と母が仲良くしているときに感じた疎外感に似ている。
いつも構ってくれている母が父に取られてしまうのではないか、という不安や焦り。独占欲のそれに近い。
この感覚が何なのかは分からないが、オレはその場で首を振った。
「そうか。………けど旬さんにそんな素振りはなかった。オレは5、6歳の時から彼に弟子入りしているが、多分君に会ったことは一度もないな」
とは言え、オレは茜の素顔を見たことはない。例えオレが幼少期、彼女を見つけていたとしても、その子と彼女が同一人物であると判断する材料情報はないということだ。
『それは……そうだろうね』
含みのある言い方。相変わらず彼女は何かを隠しているようだった。
だがそれでも―――――オレは彼女を信頼できる自信がある。
今まで彼女と接してきた感覚と、信用できる旬さんの里子だという事実もそうだが、彼女は幾度となくオレに的確、賢明な情報支援と重要な知識サポートをもたらした。
彼女は今のオレを導く最強の指揮者と言っていいだろう。
*
6月17日(金)。16時27分。
オレは月、水、金である登校日の金曜日、いつも通りに古びたブラック校舎に登校し、舞や式夜と談笑していた。
異能士学校異界術部での座学のほとんどはペーパーテストや試験によるものだけで、しかもそれが実施されるのは月に一度の月末のみだという。
さらに4時間中、1時限目から3時限目までは自習であるので、当然その間に先生や指導員などはクラス内にいない。結果的にオレ達は自由時間かのように会話をしていることが多い。
「とうち~ん、明日の決闘大会見に行く?」
式夜、舞、オレの順、かつクラス内最後列の席に着席していたオレ達はいつも通り談笑していた。
先週や今週の月曜、水曜と何も変わらない景色だ。
「決闘大会?」
オレは〈影人の殺傷方法〉という章末問題ワークに手を付けながら舞に聞き返す。
「え、うん。もしかして、とうちん決闘大会すら知らないの?」
「ああ、知らなかったらまずいのか?」
オレは本当に決闘大会というものが何なのかを知らなかったため、そう聞いてみる。
「統也って不思議な奴だなぁ。なんというか……知識が偏っているというか。まるで異邦人のようだぞ」
式夜はいつ見ても細目で目線が読み取りずらい。
「うんうん。異能士学校に編入してきたってより~、新入してきたみたい!」
さすが、鋭い人だ。
功刀家の異界術士なのだから普通ではないのだろうと思っていたが、これは想像以上に厄介だな。
自分の言動のひとつひとつに気を配らなければいけない。
発言などに配慮を忘れ、少しでも油断すればすぐにオレの正体に勘づきそうなレベルだ。
功刀舞は、正直オレにとってはホワイト生徒の功刀舞花よりも対処に困る存在だろう。柄にもなくそんなことを考えた。
「で、結局……決闘大会ってのはなんなんだ?」
オレは舞の方を見て尋ねる。
「その月にある第3週目の土曜日に必ず行われる異能決闘の大会だよー。異能演習用の立体体育を貸し切ってホワイト同士がそれぞれ決闘して順位を競い合う。それでみんな結果を集計して順位を確かめるの! 今月の第3土曜日は……」
「確かに明日だな」
オレは舞の言葉を遮り発言する。
「……そーそー。会場で戦うのはホワイトだけど、ブラックの生徒も見に行っていいんだよ~」
「俺たちは明日の午前九時から始まるその大会を見に行くつもりだ。良かったら統也もどうだ? 一緒に見に来ないか?」
「うんうん、来なよ~」
そう言って二人でオレを誘ってくれるが、これはありがたいことだ。
明日は特に予定もなかったはずだ。行く分には問題ないだろう。
今この国の持つ異能士の可能性、その異能レベルを確かめるいい機会かもな。
おそらく功刀舞花や進藤樹、それこそ李翠蘭といった人物の異能内容も確認できるだろう。
何よりオレのギアである里緒を倒した『リンネ』という異能決闘順位第一位の女子生徒も見られるかもしれない。
それだけでも行く価値は十分にあるな。
「分かった。オレも行くことにする」
オレは〈影人の殺傷方法〉の章末問題を終え、次の〈紫紺宝石について①〉という集合問題に取りかかりながら舞と式夜に言いかける。
「やった~!」
黄色い棒付き飴を舐めながら口を開ける舞。
「喜ぶのはいいがお前……影人ワーク終わったのか?」
式夜が舞の机に置かれているワークを覗き見る。
「ちょっ……み、見ないでよー!」
舞が焦った様子で両腕を前に出してワークを隠していることから、どうやら一切終わっていないようだ。
オレはその会話を聞きつつも、紫紺宝石の問題を解いていく。
紫紺宝石とは紫紺石の別名のこと。ヴァイオレットクリスタルとも呼ばれている。
紫紺石は「影人」もしくは単に「影」と呼称される、夜にだけ出現する人型の怪物が消滅する際に残す謎の石ころのこと。
かつて人類の六割を殺戮した化物としてIWの影は異能士に討伐される。
その討伐の証拠品としても働く物で、それ一つにかなりの値が付く。
その石の色は、その名の通り暗い紫である紫紺色だ。
オレはワークの空欄を埋める。
「紫紺石の主成分はマナを多く含んだ『1.二酸化ケイ素』であり、その鉱石は『2.ケイ酸塩鉱物』として知られている。またそれらのことから現代異能科学では影(影人)の残す紫紺石の正体は極めて『3.アメシスト』に近い宝石ということから、紫紺宝石という称呼としても登録されている。」
アメジストとして知られる紫の水晶宝石だが、その正式名称はアメシスト。
硬度は7で、比重は2.65。その組成はSiO2、いわゆる二酸化ケイ素。
こんなことを勉強して得をするのは、紫紺石鑑定士だけだろうな。
そんなことを考えながら、オレは難なく空欄を埋めていった。
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