翡翠の瞳を持つ少女【5】
異学
……本来は正統でない学問を示すが、IWでは異能士学校の意味。異能士学校の略称。
*
6月8日(水)。放課後。16時12分。
オレは札幌中央異能士学校に通いに来ていた。
異能士学校は異能部が日曜日以外毎日登校なのに対し、異界術部は月、水、金曜日のみの登校。
なので火曜日である昨日は異学には来ていなかった。
李翠蘭という仲良くなった異能部女子生徒がいるが、その生徒はいくつかの謎要素を持っていた。
月曜の夜に茜が言っていたことが正しいのならば、まず彼女は異能力者全員の個人情報を束ねているアーカイブデータ通称「ダイヤデータ」に記載されていなかった。
このデータは出生した際、特殊なマナ反応などがある異能適性児などに目星をつけ、その人物情報を独自の手法で調査、獲得することで、結果的に記載、網羅される情報データ群。
この「ダイヤデータ」という異能力者データ管理システムは1970年近辺に考案された仕組みであり、以降継続されていたシステムだった。だが逆に言えば1970年より昔に生まれている人物はその異能情報を明記されていないということでもある。
なぜなら出生時、異能適性のある新生児にターゲットを絞り調査することで全員の情報を獲得しているので、出生時のマナ情報などが頼りになるからだ。
加えて翠蘭が異能機関に身を置いている以上そんなことは起きようがなく、必ずそのデータに記載されているはずだった。
翠蘭さんが偽名を使っているのなら、鈴音さん同様にそのようなことも可能ではあるが、異能士学校は独立家「白夜」の人間が管轄している。彼らはとても慎重派な一族家系であり、オレが偽名で編入するのも初めは認めていなかったほど。
そんな白夜家の連中が偽名かもしれない人物をそう安々と異能士学校に入学させるとは考えにくい。
しかしこんな異常な状況にも何か理由があるはずだ。
正直、翠蘭は悪巧みをする類の人間ではない。オレは一昨日、彼女と接し、話したからこそ分かる。彼女は外道や凶悪とは無縁な域の存在。
確かに何かを隠している風なのは確かだ。
彼女が異学内決闘順位で一位、二位にランクインしていないのも不自然、というか納得がいかない。
オレ自身、彼女の強さをまじかで体験した人間として信じがたい事柄だった。
翠蘭は異能が無くともおそらく異能決闘順位二位以内ほどの実力があるだろう。少なくとも異能が使用できる里緒よりは強い。
決して里緒が弱いわけではない。過去にこの学校の中で主席であり決闘の順位が一位だったように、彼女に実力があるのは事実。それはとっくに知っている。……オレのギアなのだから。
だがそれでも翠蘭はさらにその上を行くというだけの事。
彼女が異学内でどのくらいの順位なのか調べる必要がありそうだ。
*
オレは一昨日と同様にホワイト校舎裏にある別棟、ブラック校舎に来ていた。
オレの教室へ行くと、やはり生徒が少なく、オレを含め10人程度だった。
「あ、とうちんだ!」
オレが扉を引くと、そんな快活な声が教室後方の席から聞こえてくる。
とうちん、などという呼び名を使用する女子生徒は学内では一人しかいない。
オレは一瞥もせずに口を開く。
「舞か」
「うんうん。まいまいだよ~」
相変わらずのハイテンション。
異能部所属である功刀舞花の双子の妹、舞だ。彼女はオレと同じ異界術部の生徒。一昨日を同じように棒付きの飴を舐めていた。
「おい、そのテンションやめろ」
そう隣に座る舞を注意したのは、異界術部の神多羅木式夜。古式異能「水魔術」を使用する特殊異能力者。
「え~なんでーー? 別、いいじゃーん」
「こっちが恥ずかしいんだよ。……それと、マイマイってカタツムリのことだって何回言ったら分かるんだ」
「げぇ……それまじ?」
何故かオレの方を見て聞いてくる舞。
この時のオレはまるで月曜日をループした気分になっていた。
なぜなら、このやり取りは一度経験したことがある。
「ああ、一昨日にも教えたが、マイマイはカタツムリのことだ」
「ん~……あれ? こんな会話、前にもしたっけ?」
そんな風に聞いてくる。
冗談や、ふざけているようには見えない。
「おそらく一昨日にな」
オレは、呆れた様子の式夜を横目に舞に教える。
「あーれー、おっかしいなー」
「なあ、式夜。これはいつもの事なのか? どうやら舞は軽く記憶が飛んでいるようだが……」
オレは舞の発言から記憶が欠落しているように感じた。
オレのことを認識し、覚えているので一昨日すべての記憶が消えているというわけでもないのだろう。
「はぁ………前に話したろ? こいつは異能特別性の一卵性双生児だって」
「ああ、それは確かに聞いたが」
だが、記憶と異能特別性一卵性にどんな関係がある。
オレは異能医師じゃないので医学的観点からの異能についてはあまり詳しくない。
「異能特別性の一卵性双生児は必ず脳にある異能演算能力を双子間で分配するんだ。それも有名だから知ってるだろ?」
「ああ、一応はな。それで姉の功刀舞花という人物にほとんど異能演算能力を持っていかれたという話も聞いた」
式夜は頷きながら発言する。
「うん、そうだ。俺は舞と幼いころから遊んでいたから知っているんだが、その異能演算の分配割合は舞花99%、こいつが1%だったらしい」
「なに?」
そんな馬鹿なことがあるのか。
本来ならば、双子のそのほとんどが五分五分で分配されるはず。99対1など聞いたことが無い。
「統也が驚くのも無理はないだろうな。先例もない、本当に稀な例だそうだ」
それはそうだろうな、と思いつつ口を開く。
「確かに驚いた。舞が稀な例だというのも分かる」
「えー、私ってそんなに稀かなー?」
舞はオレの言葉を聞き、ふざけた様な口調で話す。
「話がややこしくなるから、お前は黙ってろ」
「え~」
そんな舞と式夜のやり取り。いつもこんな会話をしているのだろうな。一昨日も類似した会話の流れだった。
オレは式夜を見つつ話を戻す。
「舞と舞花の双子が特殊なレアケースだというのは分かった。だが、それと記憶に何の関係がある?」
「ああ、それのことか……。普通、異能力者は異能演算のための情報処理領域を脳内で100%準備して生まれてくる。しかし舞の異能演算は僅か1%だった。結果、残りの演算部分である99%が空になる。そのはずだったんだが……人間とは不思議な生き物らしいな。その99%があまりにも大きすぎる脳内処理能力の空白だったためか、勝手に人間本来の『思考機能』をその99%分に拡大した」
「いや、待て。それだと逆じゃないのか?」
「逆?」
「つまり式夜が言いたいのは、舞の余った異能演算部分99%に思考領域が拡大したってことだろ? それなら知能指数が高くなるだとか、記憶能力が向上するだとか、推理力、思考力が著しく上昇するといった変化になるはずだ。でも彼女はどちらというと記憶が欠如したように見える」
「それはな……」
式夜がそこまで言った時。
「とうちん、鋭いねー」
少し楽しそうに舞がオレに視線を移す。
「とうちんの言う通りだよ。今言ってくれたもの全部、高度なレベルで持ってるよ」
語尾に音符記号でもつきそうな話し方。
「知能指数とかってことか?」
オレは舞の方を見つつ聞く。
「うんうん、そーそー。まあー、平たく言えばさ、他の人よりも頭がいいってこと」
彼女が賢い思考と推察力を持っているのは薄々感じていたが、やはりそうだったのか。
異能演算ほぼすべてが人間の思考能力として拡張されたのなら、とんでもない直観的思考力と論理的思考力が手に入ると想定される。
感覚や表象の内容を分析、統一して概念を作り、判断する能力。それらが高水準だということ。
「でもさ、副作用というか、脳の過剰稼働?……っていうのかな? そういう感じでよく記憶が飛ぶんだよねー」
彼女は適当な口調で、いつもおちゃらけたような態度で話しているが、会話内容は異常に的確で趣旨を上手く伝えている。ふざけているようで、常に会話の過渡状況を理解している。
まるで彼女には未来が見えているかのようだ。
「つまり、脳の使い過ぎで記憶が飛ぶことがあると?」
そんなことがあるなんて話は生物医学的には聞いたこともないが、異能科学という視点から見れば、別に珍しい話でもないか。
それか彼女が別の………何かとんでもないほどに脳内思考容量を埋め、脳をオーバーユーズする……そんな、脳に多大な負荷を与え、記憶が欠落するだけの異能でも使用するのか。
そんな可能性を考慮した。
1%でも脳内情報処理能力に異能演算の処理域がある限り、異能は使用可能だ。おそらく異能力レベルが高い第一級、第二級は不可能だろうが、第三級異能とよばれる通称「第六感」、「超感覚」といった異能領域なら可能だろう。
「そーそー。さっすが、とうちん! 理解が早いねー」
「だからこいつ、いつも飴を舐めているんだ。そうしないと舞の脳内へ送られる糖分量が不足するからだ」
オレは式夜のその説明で納得がいった。
なるほど、だから彼女は常時棒付きの飴を舐めているのか。今だってオレンジ色の飴を舐めているしな。
現代医学では人間の脳が適切に機能するためには、1日に約120gのブドウ糖が必要とされている。つまり1時間あたり、約5gのブドウ糖が消費されていることになる。
99%分の異能演算にまで本来の思考能力を拡張してしまい、異常なまでに脳を稼働させてしまう彼女は、それ以上のブドウ糖を必要とする可能性があるということだ。
*
異界術部で4時間目を終えたオレは再び第十三演習場という演習室にやってきていた。李翠蘭と組手決闘をするためだ。
オレが登校する月、水、金の夜は二人で会って、組手を行うと約束した。
十年間オレの相手をしてくれるというが、彼女に彼氏でも出来ればそんな話は反故になるだろう。彼女ほどの美人ならばすぐに彼氏もできるだろうしな。
オレはそんなことを考えながら、演習室へ入った。
*
一昨日にも体感したような高揚感がオレの胸に残りつつも、オレと翠蘭は全ての組手を終えた。
今日は18試合行ったうち、オレが10本で彼女が2本。残りは引き分けだった。
「相変わらずの三次元速度です。目がついていっても身体がその速度に追いつきませんよ」
翠蘭が自分のタオルで妖艶な首元の汗を拭きながらオレに話しかけてくる。
今日の彼女の服装もチャイナドレスだが昨日とは異なり黒に近い赤色だった。それはまるで雷電一族の瞳のような色……凛の瞳のような色だった。
「いずれ慣れるさ。それに、翠蘭のあの英槍の『破』はやばい。完全な防御が不可能な上にどのタイミングで狙ってくるか分からないんじゃ対策の立てようがない」
オレがそう言うと。
「ふふっ……。嬉しいです。統也さんとこんな会話ができることが、物凄く楽しくて……」
「何言ってるんだ。オレ達はこれから10年間、これをやるんだろ?」
オレは微笑みつつ冗談を言う。言いながらオレはマフラーを首に巻く。
「はい、そうですね」
美しく笑う彼女。
深緑に輝くエメラルドのような翡翠の瞳。喜怒哀楽の内の「喜」が実直な性格の彼女らしく、その目に映っていた。
表情も喜びを噛みしめているように見えた。
「関係ないことを聞くが、翠蘭は異能決闘の順位は何位ぐらいなんだ?」
オレはすぐにでも問いただしたかった内容、我慢してきた内容をここで口にする。
「え、私ですか?」
これだけ強ければ1位も夢じゃないだろ? と言いたいが、彼女に詮索しているという態度を読み取られるのは得策ではない。
「ああ、参考までに聞いてるだけだ。別に答えたくないなら答えなくていい」
異能決闘の順位は、異学側が大々的に公表しているわけではないため、自己申告のように自分からその順位を語ることで周知されるらしい。
「いえ、別にいいですよ。私の順位は6位です」
思ったよりもあっさりとその情報をオレに教えてくれる。
「6位か、かなり上位だな」
「いえ、そんなこともありません。統也さんがお気付きの通り、私は容易に1位を取ることが出来ます」
(ん……?)
オレは彼女のセリフの意味を消化、理解するのに数秒を要した。
「それはどういう……」
「統也さん、本当は異能を持っているのでしょう? 格闘の組手ですら私より強いのですから、異能も併用した戦闘では私の倍、いえそれ以上に強いでしょうね。ならば私の力量にも勘づいているはず……」
ここまで言われてしまえば、もう手遅れ。オレは何も言い返せないし誤魔化せない。
「いつから気付いていた?」
もうこう聞くしかない。
「どうでしょう。割と初めから気付いていましたよ。だってあのプライドの高い功刀舞花さんが目を付けるほどのブラック生徒ですから、相当でしょう。彼女は異能副作用による妖精眼で人の外部マナを視認することが可能です。その彼女が統也さんを見て、決闘を申請するほど、ということなのでしょう? ……違ったらごめんなさいね。実はただの推測だったんです。私自身は異能を持っているか持っていないか判断する術はありません。ただ、直に戦闘しても分かりましたよ。あなたは異次元的に強い」
「そこまで知っていたのか。懲罰委員長だと生徒の異能情報まで手に入れることが可能なのか?」
「ホワイト生徒の異能情報は私たち懲罰委員会がきちんと管理しています。暴走したり異能犯罪行為を犯した際は制裁、懲罰を与えなくてはいけませんからね。功刀舞花さんが妖精眼という特殊副作用、SEを保持していることも知っていました。ただし、ブラック生徒のことはほとんど何も知らないので、統也さんが異能を持っているかも、ということは本当に私の推測の域を越えませんでしたよ」
「なるほどな、じゃあ、オレがなんで順位を聞いたのかも凡そは理解しているんだな?」
「ええ、大体は……ですけど」
「翠蘭ほどの実力があれば、異能決闘でも1位は難くないだろう。だが実際は6位なんだろ? その事実をどう考えてもオレは納得できなかった。が、あえて6位で留めているという認識でいいのか?」
「そうですね。そう思ってもらって差し支えないでしょう」
「そうか……まあ、いい。それは分かった。しかし、なぜそんなことをする?」
「では聞きますが、統也さんこそ何故異能を隠しているのです?」
責めているというより、単純な疑問といった口調。
「正直に話せば、オレの異能は攻撃面では対象を『殺すこと』に特化している。残念だが、異能士学校で扱える領域じゃないんだ」
「そうだったんですね。教えてくれてありがとうございます」
オレが想像していたよりも翠蘭は簡単に納得してくれた。オレの言葉を信用してくれているらしい。
「ですが、本当は知られたくないことだったはずですよね?」
「ああ、まあな」
「ではどうして教えてくれたんです?」
「オレが、実力を隠し6位でキープしているという翠蘭の秘密を知っている以上、君も今更オレを脅したりなんかできないし、学校や他人に口外しないだろうと判断した。第一に……というか、こっちが本音なんだが、翠蘭はそんなことをする人じゃないとオレは知っているからな。……君は優しくてとても素敵な人だ。オレの秘密を知ったとしてもそれを乱用したり、悪事を働いたりする人間じゃないだろ」
オレがそう言うと、なぜか両頬を両手で押し込む仕草をする彼女。
以前にもデパートで命が同じような動作をしていたのを思い出した。
「ここ最近で、私のことをそんな風にしっかりと捉えてくれた異性は統也さんが初めてです」
本心で喜んでいるのが伝わってくる。
微笑み、彼女はオレに一歩近づいた。
「温情のある氏、その心行きを見る」
「ん?」
「優しい人ならば自分の心を見抜いてくれるかもしれない、という私の師の言葉ですよ」
「なるほど」
なぜだろう。
オレは彼女の秘密を知り、彼女はオレの秘密を知っている。
それでもオレ達は何も変わらない気がした。
オレと彼女の考え方は少し似ている。
彼女はオレの秘密を他言しないし、オレも彼女の秘密を他言しない。
互いが必ず等価で対等。
しかしだ。オレのギアは里緒で良かった。そう思う。
オレは翠蘭をギアなどにはしたくない。おそらくそれは彼女も同感だろう。
漠然とした推測だが、彼女とオレの歯車が噛み合うことは永久にない。
翠蘭と互いに背を付け合うことはあれど、一緒に歩んでいくことはないだろう。
オレの異能力者としての勘ではなく、人間としての勘がそう告げていた。
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