翡翠の瞳を持つ少女【4】
*
その後、オレと翠蘭は心ゆくまで組手を行った。その回数はもはや覚えていないが、現在時刻は23時30分を回るほど。
オレは彼女と一緒に帰ることになり、並んで廊下を歩いていた。
懲罰委員長でありホワイトである彼女とブラックであるオレが一緒に歩いていたからか、ところどころホワイト生徒がオレ達に異質な眼差しを向けてきたが、オレと彼女は共にそんなことを気にしない性格。
屋外へ出れば光量が減り暗くなるため、バッジの色が目立たなくなるだろう。
オレは隣を歩くチャイナドレスの彼女に話しかける。
「今日は楽しかった。少し高揚感が抜け切れていないほどだ。翠蘭、凄く強いな」
組手ではオレのほぼ全力と張り合えるほどの強さだった。
はっきり言おう。彼女はオレと同等かそれ以上の武術家。
翠蘭の実力は驚くべきものだった。体術のみの戦闘ならばオレが本気で殺しにかかっても目的を達成できるか分からないほどに。
正直に告白するなら、物凄く楽しかった。久しぶりの戦闘感覚に、飽きないほどの彼女の闘志。文句のつけようがない。
加えて彼女は異能を持っているのだから驚かずにはいられない。
もちろん今回は異能を使用しない組手だったが。
「そうですか? ありがとうございます。私もとても楽しかったです。ですが、そういう統也さんこそ驚異的に強かったですよ。特にあの『速さ』……あれはしっかり見切るのに10年はかかりそうです」
微笑みながらそんなことを口にする。
彼女の言う『速さ』とはオレたちが瞬速と呼ぶもののことだろう。
異界術を使用しマナで局所的に筋力を強化し、結果的に人体的崩壊すれすれの速度を実現させるもの。杏姉や伏見旬さん、セシリア・ホワイトなども使用できる超高速移動を可能とする瞬間技。
だが、これは誰にでも使用できるものというわけではない。どんなに体術的才能、身体的素質を有している人だとしても、正しいマナの循環法を会得しなければ到底扱うことは出来ない。
「それまでオレの相手をしてくれるのか?」
冗談半分で言ってみる。
「え?」
キョトンとした顔をする翠蘭。
「10年」
オレはそれだけ言う。
「10年……? えっと何がです?」
「10年かかるんだろ? オレの速さを見切るのに。ならそれまでの間、オレの相手をしてくれないか?」
正直に言えば彼女の格闘能力は群を抜いている。こと体術においては、学内同年代では唯一オレと渡り合えるほどの実力者といっても過言ではない。
これからもオレの相手をしてくれるなら願ったり叶ったりだ。
身体の筋力メンテナンスや、いざという時の戦闘の勘を鈍らせずに済む。何よりオレ自身が楽しかった。
しばらく何かを思考したかのような仕草の後、彼女は喋る。
「10年、ですか?」
「あ、いや……」
さすがに10年間は長すぎたか。10年間相手にするのは、結婚してくれとも聞こえるような誤解を招く発言だった。
「いえ、いいですよ。むしろ私からお願いしたいくらいでした。……これからも私の組手のお相手お願いします」
軽く頭を下げ礼をしてくる。
「まじで言ってるのか?」
「ええ、真面目ですよ。きっとあなた以上に強い人はこの先の数年間、私の前には現れません」
そんな風にオレを称賛しつつ認めてくれる。
「本当にいいのか?」
「ええ、もちろん」
何故か嬉しそうに笑ってくれる。その向日葵のような笑顔は彼女の今日一番の笑顔だった。
最初から笑顔は見せていたが、どことなく感情が乗っていないというか、心は遠くへ置いてきたというような、そんな感じだったからな。
「なんか……ありがとな」
言いながらオレは自分の仕草癖でマフラーに触れる。
「いえ、こちらこそ。ですがきちんと10年間、私の相手をしてくださいよ? 確実に約束しましたからね?」
謎の念を押してくる翠蘭。
「ああ、いいだろう。……だが、それにしても10年か……。少し長いな」
なんとなくだが、オレはそんなに長生きできない気がした。
この感覚は勘よりも不確かで明確性がないもの。
以前そんな夢を見た気がする、というだけのもの。
そんなことを考えていた時、彼女は口を開いた。
「そうでしょうか。私にとっては刹那……」
そう言う彼女の表情には陰りが見られた。
「え?」
オレはその発言に驚く。
確かに時間の流れの感じ方や時の概念は人それぞれ。だが10年とは少なからず長い期間であるはず。
刹那とは極小の時間。極めて短い僅かな時間のことを示す言葉。
この二つの時間感覚はあまりにも相反的なもの。
オレは謎の違和感を感じた。
「いえ、忘れてください。気の迷いです」
「そうか」
この話には触れないでほしいと彼女の顔に書いてある気がしたので、仕方なくオレも以後、その話はしなかった。
そんな中、オレは彼女から発せられる甘い匂いを嗅ぎ、考える。
女性とは不思議なものだ。
彼女はたった今、オレとの格闘で運動した後だ。当然汗をかいているはず。だがその身体からは臭い臭いがするどころか、甘いような香りがする。
これは、オレと命が発する匂いに近い気もするが勘違いだろう。
*
24時頃。
オレは翠蘭と駅で別れ、そのまま帰宅。名瀬家の資金で借りている一人暮らしのマンションに帰り、玄関に入る。
すぐさまオレが住むマンション一室を丸々囲い込むように防音や結界を兼ねる、透明の「檻」を仕掛け、そのままシャワーに直行する。
数分後シャワーを浴び終わり、服を部屋着に着替えそのままベッドを潜り込む。
異能士学校では夜休みという夜休憩、いわゆる夜ご飯、夕ご飯を食すための時間が用意されていたが、その存在のことを全く知らなかったオレは夕食を用意しておらず食べ損ねてしまった。
結果、オレは今日夕食抜きとなったが疲れていて今から食べる気にもなれなかった。
オレはうなじのチューニレイダーを起動し茜の声が脳内に流れるのを待つ。
痛みのような音と共に、彼女の声が聞こえてくる。
『はい、もしもし。こちら「K」』
「ああ、オレだ」
『ええまあ、私が同調通信するのはあなたしかいないからね』
「すまん……疲れているようだ」
『うん、みたいね。……それはいいけど、用事は何? 定期報告?』
同調定期報告。
週に四回ほど、定期的に自分の状態、変化を報告、説明することが義務付けられている制度。
以前その報告を遅延させていたために、冷静でクールな茜が怒っていたのが印象的だった。
「いや、ただ茜と話したかったからだ」
オレは防音を施したプライベート空間では彼女のことを茜という本名で呼んでいる。
彼女は三つほど年上だが、過去に彼女がため口でいいと許可してくれた。以来オレも彼女も敬語を使わない打ち解けた関係となった。
人間という生き物は時折、面と面で向かったことがない人と会話する方が、互いの精神的な距離を縮めることができるらしい。人間の心理とは面白いものだ。
『はい?』
「いや、すまん。本当に大分疲れているらしい」
『ええ、大分疲労が溜まっているようね。大丈夫?』
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
『で、何か私に調べてほしいことがあったのでは? 時間帯的に長時間同調も可能だろうし、そのまま調査内容を伝達していくけど』
実は本当に特に用事があったわけではない。なんとなく彼女と会話したくなっただけだが、彼女の脳内辞書に「なんとなく」などという言葉は存在せず、受諾されないらしい。
仕方ないので、翠蘭のことについて聞くことにした。
彼女は中国出身でおそらくは武術・太極拳を習っていた武女子。あれは相当に太極拳という道を究めた者の動きだった。
英槍流派という異界術混合武術も会得していた。
率直に言えば、あれを体得するのは無理だろう。
懲罰委員会の厳しい実技試験を突破しただけあってか、彼女の体術の実力は本物だ。あれに異能力も混ざるとなればとんでもなく化ける。
どんな異能を持つのかは知らないが最低でも学校内ではトップレベルだろう。異能士学校だけなら国士無双もあり得るか。
「じゃあ、李・翠蘭の異能を調べてもらえるか?」
『リー、スイラン……? 中国の方? しかも名前からして、また女子?』
言いながらタイピング音が聞こえてくる。早速調べてくれているようだ。
「ああ、そうだ。翡翠の『翠』に胡蝶蘭の『蘭』で翠蘭。オレが今日から通うことになった異能士学校の懲罰委員会を務めている人だ」
『ふーん』
通常通りの感情のない声。
「かなりの実力者だ。正直言うと里緒なんかよりずっと強いかもしれない」
『里緒さんって、確かその学校の決闘でほとんど負けたことがないっていう主席の、統也のギアの子でしょ?』
「ああ、だが……」
オレはそこまで言っていた途中、暗闇の底なし沼に落ちているような錯覚に陥る。
待てよ。おかしい。
李翠蘭……彼女はオレと本気で張り合える実力者。少なくとも体術では。
オレも久しぶりに見つけた自分に近しい実力を持つ人に会えて嬉しかった。そのくらい彼女の技量やレベルは高水準だった。
でもなぜだ。彼女の異能が極端に弱いのか。いやそんなはずは……。
『その中国の方、里緒さんより強いなら今はその子が学内決闘で一位なんでしょうね』
ああ、そうでなくてはおかしい。そう……どう考えてもおかしい。
異能士学校内の事情に詳しくない茜でさえ気付いたことにオレは今まで気付かなかった。
翠蘭が上位でないはずがない。
だが実際はどうだ。今年入学のリンネという人物が一位で、功刀舞花という舞の双子の姉が二位。さらに異能演習用立体体育館で最後に聞いたことだが、進藤樹が三位だという。
つまり彼女は四位? いや、そんなはずはない。オレの見立てでは、彼女は学内トップの実力……少なくとも上位二位以内でなければ納得がいかない。
彼女は……何かを隠しているのか。
『待って……どういうこと?』
そんなことを考えていると茜が唐突にそう発言する。珍しく多少動揺したような声が脳内に流れてくる。
「ん? どうかしたのか」
オレはベッドから起き上がり座る体勢に変更する。なんとなく体が目を覚ましてしまった。
『待って、そんな……』
「ん?」
『嘘でしょ』
本当に珍しいな。感情こそ荒げていないが、信じられないといった口調だ。
『ごめん。もう一回調べてみる』
「あ、ああ」
何か問題でもあったのだろうか。
彼女の声はそれから10秒ほど後に聞こえてきた。
『ごめん……もう一回調べていい?』
「え? それ、本気で言ってるのか? 一回調べたならその結果を教えてくれればいい。別に厳密な内容でなければ困るってほどの情報でもない」
翠蘭の使用する異能さえ軽く知れればいい。
そう思ったが――――――。
『……でない…』
ポツリと言う彼女。
「彼女の異能が分からないのか……?」
『そうじゃなくて、どんなに詳細情報を探っても彼女の名前が出ない。私の持つ補佐指揮官特別アーカイブ閲覧権限を以ってしても一致する人物が見つからない』
「そんな馬鹿な。嘘だろ?」
オレの所属する機関では現在日本社会全ての人物の情報を控えている。特に異能力を持つ者は全員、特別な個別保管情報システム「ダイヤデータ(英称、Diamond-deta)」で把握され異能犯罪などを起こした際に大いに役立たれている。要は、ダイヤデータと照合すれば確実にその人物の異能内容などが網羅できる、はずだった。
『本当よ。私がこんな嘘つくわけないでしょ』
「データが消された?」
自分で言っていてあり得ないな、と思う。
『最高機密である統也の異能情報ですら記載されているデータシステムだよ? 消去できるなら旬さんがとっくにやってる』
なるほど。だから茜は以前にオレの戦闘能力の詳細を知っている口振りだったのか。
「でもそれなら鈴音さんの詳細情報はなぜダイヤデータに載っていない? 彼女の情報も確か載ってないって言ってなかったか?」
『それは彼女がそもそも偽名を使ってるからでしょ。雷電という姓が分かっただけじゃダイヤデータとは照合できないからね。元来より雷電一族は稀有な一族で確かに人数が少ないけど、私はその子の顔を見てないし照合するのは無理だよ』
「まあオレは、なんとなく鈴音という名前が本名な気がするがな」
半分独り言のように、思ったことをなんのフェイルターも通さずに発言する。本音、というやつだ。
『何故でしょうね。私もそう思ってしまう。けれどそれは非論理的で理屈的説明ができない。第一に、雷電鈴音という個人名はもう何度も調べた。結果一度も同一認証が得られた情報は無かった。その中国の方、李翠蘭と同様にね』
「どういうことなんだ?」
雷電鈴音の方は一旦その名が偽名だと仮定して、ダイヤデータに一致する情報が無いのは分かる。
だが翠蘭の方は不自然だ。やはり、どう考慮してもおかしい。
元々、一種異様な女子生徒ではあったが、これはそういうレベルの話ではない。
明確な「異常さ」だった。
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