翡翠の瞳を持つ少女
*
同日22時25分。異能士学校内にはまだ一定数学生が残っており、学内を歩き回っていた。比較的夜遅い時間帯ではあるが、ここは異能士協会管轄制の訓練学校であり、普通の文部科学省教育委員会制度の中高とは異なる。おそらく問題はないのだろう。
夜更けとまではいかないが、空は暗くなり学内にある道沿い街灯の明かりと校舎からの漏れる明かりのみが光。
初夏六月とは言え、まだまだひんやりとした空気がオレに吹きつける。その風で周りに植えてある木々が揺れる。
風や空気がなんとなく居心地がいいが、そろそろ行かなくては。
オレは翠蘭さんに指定された第十三個別演習場という場所へ向かうため歩きはじめる。その演習場はホワイト校舎にあるためオレは校舎の中へ入る。
翠蘭さんが言った通り、玄関の横の隅っこに彼女が用意してくれたスニーカーが三足ほどあった。校内に入るには上靴が必要なため彼女が置いといてくれたものだ。
オレの靴サイズは教えたのだが、±0.5cmずつの上靴をそれぞれ用意してくれたみたいだ。
本当に律儀な人だな。
オレは中に入るがホワイト校舎内にも少人数生徒が残っているため、廊下を歩くオレに対し当然のように軽蔑に近い眼差しを向けてくる。もちろんホワイト生徒が。
居残りするのはほとんどが女子生徒なのか、男子生徒はあまり見当たらない。
「ねえ……あの人、黒いバッジ付けてなかった?」
通り過ぎたはずの背後からそんな女子のひそひそ声。
「そんなわけないでしょ? ここホワイト校舎よ」
そう返す別の女子。
「でも今、確かに黒いバッジが……」
「あんな無能達がこんなとこに来る理由なんてないでしょ~」
「そ、それもそうか……」
そんな会話。
ブラックとホワイト。当たり前のように受ける差別。
だがオレはこんな言葉に何か心が侵食されていくような感覚も、劣等感もない。
それはオレが本当は異能を使用できるからでも、御三家である名門の名瀬だからでもない。
かつて昔、オレは本物の無能力者だった。それはそれは『異能』も『――』も使えない落ちこぼれだった。
電気を扱う凛や、ディアナ、杏姉、妹の白愛。彼女らが本気で羨ましかった。男だから異能すら使えないのかと、そう思っていた。それはそれは劣等感と嫉妬の塊だった。
だがオレは旬さんと、凛とディアナと……そして沢山の人達とそれを乗り越え、今ここにいる。
だからこそ、かつてのオレの様子である「無能」という言葉はオレに響いた。だがそれがオレの精神に干渉してくることはない。
そんなことで心が削り取られている場合ではない。
オレは彼らのために、やらなければいけないことがある。例えそれがこの世の影人をすべて消すことだったとしても。
成し遂げなければならない。
必ず世界を守ると、オレは彼らに誓った―――――。
*
オレは第十三個別演習場という高校中学で言う多目的室ほどの大きさの教室の前に来る。
第十三ということはそれなりの数があるのだろうと想定していたが、想像よりもその数は多く、廊下に並び縦一列に第一~第何個別演習室と書かれた札がかかっている。その様子から二階や三階にもこの演習室は展開しているようだ。
オレはその場でドアを四回ノックすると、向こう側で誰かが動いたような雰囲気が伝わってくる。
「はい、どうぞ」
透き通るような声が聞こえてくる。李・翠蘭のものでまず間違いないだろう。数時間前の夕方に聞いた彼女の声そのままだ。
オレはゆっくり扉を開きつつ、室内を観察。ツインお団子の彼女を見つける。
だが。
「オレと李さんだけ?」
他にも人がいると思っていたが、どうやらオレと彼女以外の人物は室内にはいないようだ。いわゆる貸し切り状態。この部屋は個別演習場という名の通り個別に貸し出しているらしい。
演習室というだけあってその内部は道場のような正方形の内装。障害物は無く開けた構造で小規模な戦闘や決闘くらいならここでも行えるかもしれない、そんなことを考えた。
「え、はい……。二人きりでは駄目でしたか?」
股を床にぺったりつけ柔軟ストレッチをしていた彼女は立ち上がり、オレに話しかけてくる。
やはり女性にしてはかなりの高身長だ。170cmジャストくらいだろうか。
夕方同様に紺のチャイナドレスを着用していたため腰部分にまで伸びるスリットからは白くて綺麗な脚が姿を見せていた。
脚全体の美しいラインを強調しつつ派手でないその脚骨格。まるで彼女の清い品格をそのまま体現したかのような麗しい脚線美。
「いや、それはいいんだがお礼として何かを手伝わせてくれるんだろ?」
「ええ、是非お願いしたいです」
「えっと、それで。オレは何をすればいい?」
「では、私の組手の相手を」
「分かっ……ん?」
オレは彼女の口から出た突然のパワーワードに耳を疑う。危うく分かったと言いそうになる。
あまりのインパクトに驚きつつ、オレは聞き返す。
「組手?」
「はい。最近は相手がいなかったので鈍ってしまっていると思いますが」
「ええと、それはどういう意味だ? 李さんと戦えってことか?」
「ええ、簡単に言えばそうなりますね。あと、私のことは翠蘭と…そう呼んでください」
「ああ、それは分かった翠蘭。だが、ブラックとホワイトの決闘は規則違反なんじゃ?」
「いえ、それは異能を使用した異能決闘のみです。今私が望んでいるのは異能を使用しない素手同士の組手。異界術のみを使用した決闘は学校規則に反しません」
真剣な表情でそう述べる。
(彼女の顔が真面目だ。この子……本気で言ってるのか)
「かもしれないが、それは学校側が判断できるのか?」
オレは半分分かりきっていたことを尋ねる。
「……と、いいますと?」
「オレと李さんがした決闘で確実に異能を使用してないとオレ達は学校側に証明できるのか? もし証明できないなら、いくらでも不正が成立してしまうが」
「ここ個別演習室のシステムは優秀なのですよ。この白桜バッジとその黒蕾バッジに内臓されている特殊チップにより生徒情報認証システムで照合され、この場に誰が入ったのかを認識。さらにはこの室内にあるマナ検知装置でどのような異能が何時に使用されたかが装置履歴に残ります。つまり不正決闘などもできませんのでご安心ください」
なるほど、つまり李さんさえ異能を使用しなければ、ブラックであるオレとホワイトの彼女が戦闘するのは全く問題ないということか。
「そうとは言え、劣等生であるブラックのオレと優等生であるホワイトの君が組手勝負すれば君の品位を落としかねない。違うか? そもそもブラックがホワイトに勝てるとでも?」
「さあどうでしょう。ですが私は、品位や他人の評価はあまり気にしませんよ? それに異界術しか使用できないブラックの生徒は、言い換えれば異界術のみを極めた生徒とも言えます。半端に異能と異界術を鍛えているホワイトよりは格闘組手で優勢になる可能性があります」
オレは黙ってそのセリフ、言葉の羅列を聞きながら考えていた。
李・翠蘭。この子はとんでもなく賢い生徒だ。オレがどういう言い訳をするのかほとんど理解している。
出会った最初から掴みどころのない人物だとは思っていたが、まさかここまでとは。
「オレがブラックでも気にせず会話してくれたのは、君自身そういうことをあまり気にしないからか?」
オレは聞いてみる。
「ええ。そもそも私はブラックやホワイトといった区分に興味はありません……だからですかね。ですが、そう言う成瀬さんもそうでしょう? 白だとか黒だとかそういったクラス分け内容に興味がないように見えます」
よく分かったな。
「ああ、確かにオレはブラックやホワイトには興味がない」
「同じですね」
「同じ?」
「ええ、あなたと同じ価値観だと知れたことが少し嬉しいです」
ああ、そういうことか。
続けて彼女が口を開く。
「じゃあ、時間もありませんし組手の相手をしてもらえますか?」
言いながら、彼女は演習室の壁に設置されている平らな装置を操作しに行く。
「ああ分かった。だがその前に一つ聞いていいか?」
オレは装置を操作中の彼女の背中に声をかける。
「はい、なんでしょう?」
操作しつつ会話してくれる。
「どうして、オレなんだ?」
「……折角お礼がしたいと言ってくださったので、久しぶりに組手の相手をしていただこうと思いまして。鈍ってきていた私の体術メンテナンスのようなものです」
「そうじゃなくて……オレが言いたいのはオレ自身が異界術もろくに使えない、体術の技量もない鼠輩だとは思わなかったのか?」
まるで初めからオレには体術の能力があると断定しているような前提で話を進めているが、オレと彼女は初対面であり戦ったことなどももちろんない。
その状況からすれば、オレが彼女と組手を成立させられるほどの体術戦闘能力を持っていると判断された理由が分からない。
「はい、思いませんでしたよ。出会った時からあなたに武の心得があることは察知していました。他人との間合いの取り方、人体への視点、動いた時の身体の重心軸。……言うのは恥ずかしいですが、その……成瀬くんの筋肉のつき方とか」
最後の方はよく聞き取れないほど小さな声だったが、オレは初めて彼女の恥じらいを見た。少しだけ赤面しているようにも見える。
「なるほどな。一応は納得した」
オレはそんなに筋肉ムキムキに見えるのか? どいつもこいつも筋肉でオレの技量に気付きやがって。
そんな冗談を考えた。もちろんムキムキではないが。
彼女はオレの方に向き直り、演習場の中央に立つ。
「では、よろしくお願いします」
微笑みつつ抱拳礼のポーズを取る。
やはり中国人らしい。彼女がやると様になるな。
彼女がしている「抱拳礼」とは右手を拳に、左手を掌にして胸の前で合わせるポーズのこと。
中国武術の中では、武道への忠節、敬意、謙虚さを示す基本的な挨拶として有名で絶対作法の一つだ。右手が武力(戦闘力)で左手が文化(知識)を表している「武と文」や「陽と陰」といったものを意味するとされている。
オレはそんな李 翠蘭の正面に立つ。彼女との距離は二メートルほど。
「ああ、よろしく」
「ブザーが鳴ってから、まずは二分間お相手お願いします」
どうやら彼女の背面にある、オレの目線の奥に位置する装置はバスケブザーのようなタイマー式の機械で時間を知らせてくれるらしい。
さっき彼女があの装置を操作していたが、この準備をしてくれたようだな。
オレは軽く身構える。
ビーーーー!
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