一人目【2】
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オレは男子トイレの一番奥の個室に入るとマフラーと襟の下に隠されているチューニレイダーの電源を入れる。
一定の操作を完了しランプが赤く光ると、痛みのような音が脳内に流れてくる。直後、茜の声が聞こえてくる。
『もしもし、こちら「K」。何か異常でも?』
「いや、今回は功刀一族のサイドエフェクトについて調べてほしい」
『ほんとにいつも急ね。この間だって、いきなりチューニングが切断されたし。内耳神経同調率、副交感神経稼働率ともに正常で、魔素特定信号も安定していた……けれど、突然接続が切れた』
「ああ、あの時のことはオレもよく分からない。Kも一応、あの後調べたんだろ?」
『ええ、けど何も分からなかった。チューニレイダーにも異常はなかったよ。雪子博士に直接見せたから間違いないと思う』
瑠璃との戦闘後、無断接続を謝るのも兼ねてあの時起こったことを全て茜に話していた。
オレが瑠璃という伏見旬の娘に会ったこと。その人と戦闘したこと。その際、謎の共鳴現象に巻き込まれたこと。オレ自身の過去の記憶を見たこと。命が何かしらの重要人物であること。瑠璃が影人の秘密を何か知っているような口振りだったこと。
全て話した。こんなにこの世界の真理に迫るような内容を話せるのは彼女しかいないと思ったからだ。
『その共鳴とかリンクとかいう現象もこっちで調べてみたけどダメだった』
ダメだった、とは情報が掴めなかったということらしい。
「そうか……。Kで分からないなら仕方ないな。下手したら共鳴と命のことは異能世界のトップシークレット1、2かもな」
異能のトップシークレットとは世界に存在する一部の政府、異能士協会のメンバーしか知らされていないこの世の秘密のこと。
オレが知っているのは少なくともトップシークレット3、4の内容のみ。
トップシークレット4は雷電一族のことだがオレも詳しくは知らない。
トップシークレット3はIWに生存する影人の存在とその情報そのもの。これは異能士やその関係者ならば当然のごとく知っている内容ではあるが、命や栞、香といった一般人からすれば、とても隠蔽性が高い秘匿事項なことは明らか。
『あり得るね』
「ああ」
10秒ほどの沈黙の後、茜が口を開いた。
『ねえ……私も一つ秘密を教えるからあなたも一つ、私に秘密を教えてくれない?』
そんなとても理解しがたい、訳の分からないことを言われる。
文章の意味が理解できなかったのではない。なんの脈絡もない話を始めたから理解が追い付かなかったのだ。その会話前後の齟齬はまるで時間が飛んだと錯覚するほど。
「は? それはどういう意味だ?」
『ごめん、いきなりすぎたね』
「ああ、いきなりすぎるし意味が分からない」
『簡単に言えば、私だって保身のための切り札ってものがある。統也にはそれを知っておいてほしいの』
「やっぱり意味が分からないな。保身のための切り札をどうしてオレに伝える? 伝えればその秘密は切り札じゃなくなる。もしオレと二度と会うことがないから大丈夫と考えているなら、それはやめておいた方がいい」
『え、違うけど? そもそも私は統也と将来的にいつか会うつもり。絶対にね』
いつもの感情のない口調とは異なり随分強い意志を感じる声。
「K、それはつまり青の……」
オレがそこまで言うと。
『わからない。けどあなたが望むなら、私はいつでも駆けつける』
「K……お前…」
『私はあなたを補佐する役割の人間』
「だがあんたほど優秀な人間がなぜオレにそんなことをする?」
『さあね、それはその時が来たら教えるかもね』
何か含みがある言い方だな。
「まあその話はいい。戻すが、オレが一つの秘密を教えればいいのか」
『いいの?』
「ああ、構わないさ。今頃オレが秘密を隠したところで利点も不利点もない」
『うん……』
「そうだな、オレの秘密はなんだろうな……オレの師が旬さんであることとかか?」
これは旬さんとオレ、オレの父と姉、それから凛とディアナのみが知る事実だが。
『残念』
そう言われる。
(やはり知っていたか……)
『それは知ってたの』
静かにそう口にする。
「だろうな。以前オレが旬さんの話をしたとき、あんたは異常にその話から遠ざけようとした。基本オレのことは詮索気味のKが、あのときの内容を避けるのは不自然だった。さらに言えば、旬の名を聞いた時、Kは伏見旬を誰か知らないような口振りだったが、それはそれで違和感があった。あれだけ有名な旬さんを知らないはずがないからな。……K、本当は伏見旬と個人的な繋がりでもあるんだろ? どういうわけかそれを隠せと旬さんから言われてるのか?」
つまり茜は「オレの師が旬さんである」という事実を旬さん自身から直接聞いたという可能性が濃厚だ。
『統也さ……どう生活して生きてきたらそんなに考察能力が高くなるの?』
「Kも人のことは言えない。今だってそうやって話を逸らそうとしている」
『……別にそらそうとしてないよ』
「そうか?」
『うん………。暴露すれば、私は旬さんに育ててもらったの』
「な、なに……?」
オレはこの時、一年で一番驚いたという自信がある。
度肝を抜かれたなんてレベルじゃない。内臓全てを抜かれた気分だ。
『私は孤児のようなものだったからね』
「いや、だからってなんで旬さんに育ててもらうことになる?」
『……秘密、かな。そこから先が知りたいなら、統也からさらに追加で秘密情報を貰うことになるけど?』
この子……オレを試しているのか。
天霧茜、君は一体何者なんだ?
やたらと雷電一族というワードに敏感になる部分や、ところどころ雷電凛に似た雰囲気を持つときがある彼女。
一体どれだけのことを隠している。
「いや、それは勘弁する」
『そう、残念。私はもっと統也の事知りたかったのに』
「冗談じゃない……」
『そんなことより、功刀一族の異能副作用を調べた。まず、功刀家の異能は「重力制御」通称、慣性リミット。名前の通り重力加速度を調整、制御可能な異能力』
すでに氷のような冷たい口調に、いつもの調子に戻っていた。
「ああ、それは知っている。功刀は万有引力をいじくるのが得意だからな。物体間引力まで制御できる。正確には重力値などの重力ポテンシャル、力学的エネルギー変換を主とする第二級異能であるはずだ」
『さすがだね。言ってること全部あってる』
「で、サイドエフェクトは?」
『基本はどの代も眼に副作用をきたしている。それぞれ効果や能力は違うようだけど、統也の浄眼に近しい能力がほとんどかな。魔眼みたいに攻撃したりといった他作用が強い影響因子は含んでいないみたい。あとは、どれも共通して妖精眼と名付けられ、マナを視認する能力が多いってことくらいかな?』
「そうか……」
オレはしばらく考え込んだ後、彼女に言う。
「調べてくれてありがとう」
『どういたしまして。それじゃあ……』
「あ、待ってくれ」
オレはチューニング接続を切りそうな彼女を制止する。
『ん?』
「前に話した鈴音という人物がいただろ?」
『あーうん。春のときね』
「ああ、その鈴音が使用していた防御型の異能について、仲立ち人を利用してもいいから凛に聞いてほしいと頼んでおいたが、あの件はどうなった?」
『旬さん経由で聞いてみたけど、秘匿するって言われたって』
「は? 秘匿?」
『うん。雷電一族最後の生き残りとして、雷電の異能技はあまり他言したくないって』
「あいつ、そんなことを……」
『あ、それで思い出した。そう言えば、ディアナ・ホワイトが大変なことになっているの』
凛の話題でディアナのことを思い出したようだ。凛とディアナはセットみたいなものだ。オレと凛、ディアナは幼少期を共にした幼馴染。全員旬さんと繋がりのある人物だからな。茜と旬さんに繋がりがあるのなら、間接的に彼女らの話も耳に入るか。
「大変なこと?」
『話によると、正体不明の凄まじいエネルギーが体内から検出されて、精神に異常をきたしたそうよ。人格まで変動して暴走したとか。痛みに叫んだ瞬間、一帯の空間安定値を乱数へ。まるで空間そのものを書き換えたようなエネルギー反応だったと、オリジン本部の戦闘員が話していた。その様子はまるでこの世の痛みに耐えているかのような苦痛と叫びを体現していたと……』
「はぁ………いよいよか……」
オレは自分の心拍数が上がるのを感じる。
凛、お願いだ。ディアナを頼んだぞ。オレはそっちに行けない。
オレは心から凛にお願いした。
『統也?』
茜が不思議そうな口調でオレの名を呼ぶ。
「ん?」
『どうして驚かないの? 統也にとってその話は寝耳に水であるはず……』
「さあ、どうしてだろう。……秘密を持っているのはKだけじゃないってことかもな」
『……やっぱりあなたには敵わない』
読み合いで、ということだろうか。
「そんなことはないさ。オレのためにわざわざ規約違反の内容を教えてくれたんだ。ありがとな」
「そういうことを言うから……。統也には敵わないよ、やっぱり」
今度は違う意味で言っている気がした。
◇◇◇
とある病棟の一室。開けられた窓からは暖かな風が吹き、日差しが心地よい。風が白いカーテンを揺らす。
「ごめんね、りん……あたし……また……」
金髪に白い瞳の少女。白く輝く真珠のような目をゆっくりと開く。
「いいのよ、ディアナ……あなたが悪いわけじゃない。それよりも無理しないで」
純白のベッドに寝そべったディアナ・ホワイトの手を取り強く握る雷電凛。
「むりしてないよ、だいじょうぶ、だから」
力なく話す。
「無理してるじゃない」
凛の目に涙が浮かぶ。
「あは……や、やっぱりごまかせないか……ばれちゃった……」
今にも果てそうな息遣い。
今の彼女は憔悴しているだけで死ぬことはないけど、次に暴走すればどうなるか……。
凛はその先のことを考えると怖くなり、一度強く目を瞑った。
「ええ、バレバレよ」
「いまごろ、とうや、なにしてるかな」
「統也?」
さっきまで凛が頭の中で思考していた人物の名を唐突に言われ、ドキリとする。
「う…ん」
「彼は……彼にしかできないことをしている。きっと頑張っているはず。……でも心配はいらないわ。統也は誰よりも強い意志と力を持っている。それは私やディアナの知っている通りでしょ?」
凛は緩やかに微笑む。
「うん……そうだね」
ディアナは言いながら真紅色である凛の瞳と目を合わせる。
その瞳の赤さは幼いころから何も変わっていない、とディアナは思った。
「……私たちさ……またみんなで三人で、いっしょに笑いあえる日は、くるかな」
「……来るわよ。彼なら必ずやり遂げる。例えどんな困難、苦境に立たされようとも屈しない。彼は……統也はそういう人。だから、必ずまた三人で笑って過ごせる日が来る」
「だといいなぁ」
ディアナは真珠のような目を細める。
「大丈夫よ。彼が今までどれだけのことをしてきたと思っているの。彼は一度世界を救っている最強の親友よ」
「そうだね……」
「ええ」
凛は強く頷く。
数秒間沈黙の後、ディアナが重そうに口を開いた。
「ねぇ、りん、つぎにあたしが暴走したら……あたしのこと、まよわず切ってね」
「なっ……何を言っているの? そんなことできるわけないでしょ?」
「だってあたし……りんかとうや以外の人に殺されたくない」
「そんな心配はしなくていいわ。そもそも二度と暴走させない。ホワイト一族の聖封印を上手く利用して雪子博士がなんとかしてくれるから」
「えー……せっちゃん、が?」
そう言いながらディアナが再び目を瞑りそのまま深い呼吸へ移行する。眠りについたようだった。
「いよいよ、ディアナの中の『空間の称号者』が動き出したのね。まだ詳しい意味は分からないけど、九神の一柱目が……」
雷電凛はその手がかりを追うため、かつて雷電一族の本家があった岩手県の廃墟に向かうことを決意した。




