出会い
*
「んっ……狭すぎだろ」
ゴミや捨てられた空き瓶などが散らかっている狭く暗い中道……といえるほど広くはない窮屈なビル同士の間からオレは街へ出る。
辺りを見渡すと栄えている街並みとたくさんの人がごった返していることが確認できる。スーツを着ているこれから帰宅すると思われるサラリーマン、飲み会に出席しようとしているスーツ姿の団体、派手な私服を来た若い男女、制服を着た中高生。
学生にとって今は春休み中なため制服を着ている人達は部活動の帰りだろう。
今も雨は降り続けているため、目の前を流星のごとく通っていく人々のほとんどが傘を差している。
オレは仙台代駅に向かっている途中、普通に街並みを見ながら徒歩していただけだが体中を寒気が走るのを強く感じた。
そもそもオレは極度の冷え性であり、年がら年中マフラーを着用しているが、どうしても寒気は抑えられないという異常な体質の持ち主だ。
ただでさえそんな体質なのにも関わらず、こんな夜に雨で髪を濡らしていたら体が冷えるのは至極当然といえる。
ちょうど仙台代駅に着いたところだったが、こんなに髪を濡らした状態で入るのも変に目立つような気がしたため、駅の近くの少し暗がりの脇道に入り、高架下で雨宿りすることにした。
もちろんただの雨宿りではない。というか、ただの雨宿りならば駅の中ですればいい。
人の目は気になるが、トイレの個室などで待機する手もある。わざわざ高架下で行う必要はないだろう。
つまり、雨宿りが本当の目的ではないということ。
オレは静かに異能を展開する。
展開時に一瞬フラッシュのように大きく青に光るが、駅の脇道であるここなら、見られる心配はほとんどないだろう。
オレは展開した青い異能を素早くマフラーに付与させる。
そのマフラーの端からオレの体感で30センチほどの長さのところを右手で掴み、しっかり固定する。
そうして右手を軽く回すとその勢いのまま速く、より速くマフラーが回転し、固定された右手を軸に扇風機のように回り始める。
少しシュールではあるが、髪を乾かすドライヤーとしてオレのマフラーを活用できるようになった。
「これでしばらくすれば乾くか」
オレがこの異能を使用しているとき、マフラーはあたかも自分の体の一部であるかのように自由自在に扱えるため、このような操作も可能だ。
もちろん周りの一般人や管轄内の奴らにバレないように消費されるマナは最小限に抑えている。
数分もの間、マフラーで作った扇風機により髪を乾かしていた。
その時、異変は起きた。
(………ん?)
オレは近くに誰かの気配を感じ取る。
その気配が徐々に近づいてくる感覚から、あまりいい予感はしないため、早急にここから離れることにした。
通称マフラー扇風機のおかげで、濡れた髪もある程度乾かせたので問題はないだろうと考えながらこの場を後にしようとしたところ、目の前に水色の傘を差した一人の少女が近づいてくるのが見えた。
ツインテール?
彼女はセーラー服を着ていて中高生だと思われるが、身長がおよそ150センチ強であるため中学生か高校生かの判断は付かない。
ふさふさである彼女の黒髪はツインテール状に水色のリボンで結ばれていて、顔はかなり整っていると思われる。
柔らかそうな肌は白く、前髪は目線ほどまで伸び、もみあげは耳を覆い隠すほど長く、そして若干つり目だろうか。
表情や体格などに幼さがあるその外観からは想像できないほどの気迫を持った少女、というのがオレの率直な感想になる。
そんな彼女が、どうやらオレが先ほどから感じていた気配の正体らしい。
予想通り彼女はオレの目の前、およそ3メートルにまで近づいてきたところで止まる。
この場は駅の近くの高架下で、あまり人は通らないどころか皆無。現に今、オレと目の前の彼女以外に人は見当たらない。
周りに人がいないとなると、この状況から明らかに彼女はオレに用があるのが分かるが、色々思考した末にオレはこの子の相手をしないことにした。
正直なことを言ってしまえば、オレはまだ赤子も同然。
おそらくこの意味を正しく解釈できる人間はこの世では――――Kさん……天霧さん以外には存在しないだろう。
難しいことを言ったが、要は面倒なことにはなるべく手を付けず、穏便に済ませたいという願望がある、ということだ。
オレは彼女をやり過ごすために、ほどかれた状態で掴んでいたマフラーを再び首に巻き直し、目の前の彼女に目を合わせないようにしつつ、気づかない振りをして彼女の横を通り抜け高架下から出ようとする。
高架下から出ると同時に、オレは彼女とちょうどすれ違う形になる。
すれ違いざまに彼女に意識を軽く向けてみると、謎のいい匂いこそしたが、視線などはこちらを向いていなかった。
オレはそのまま雨の降っている道路に出ようと彼女に背を向けるが、彼女はオレの背中に声をかけてきた。
「傘がないと濡れますよ」
その声色から、優しく微笑みながら話していることが想像できた。
彼女は静かで落ち着いており、聞いていてとても安心するような喋り方だった。
立ち止まる。
高架下からすでにはみ出ているため雨水を受けるはずだが、オレの頭に雨が当たる感覚はない。
決して雨が止んだわけではない。
彼女が傘を差してくれたからだ。
振り返り彼女と目を合わせた。
オレたちにある身長差から、そんな彼女を見下ろす形になる。
身長がお世辞にも高くない彼女は、172センチあるオレの頭の上に傘を差さなければいけないため、傘を持つ右腕を棒のように精一杯伸ばしていた。
「……えーっと、これはどういう?」
「傘がない状態で今外へ行くと濡れて風邪ひきますよ」
彼女は言いながら首をわずかに右に傾ける。
これはおそらく彼女の癖なのだろう。
「それはそうかもしれませんが、どうしてオレに?」
オレはこの少女とは初対面だし、傘を差してもらうような義理も恩もないはずだろう。
ましてやこんな人のいないような暗い場所で女子中高生がうろつくのは、褒められたことじゃない。
「……どうしてでしょう。正直自分でもわかりません……。でも強いて言うなら、そうしなければいけない気がしたから……ですかね?」
彼女はオレから目をそらし、初めて見せた少し困った顔をする。
率直なことを白状すれば、目の前の可愛い女の子にこんなことを言われると少々困惑してしまうのは男の性だろう。
彼女は再びオレと目を合わせる。
目が合った瞬間、少しだけ彼女の頬が赤くなったように見えた。
彼女にこのまま傘を差させるわけにもいかないので、オレは高架下へと戻る。
彼女もオレに合わせて差していた傘を閉じ、そのままオレのもとへと来る。
そして彼女は、はっと何かに気づいたようなそぶりを見せる。
「あれ……? もしかして雷電さん、じゃないんですか?」
「雷電さん? って、オレのこと……?」
彼女は軽く頷くような仕草をする。
「オレは成瀬って言います。少なくとも雷電さん……?ではないですね。おそらく人違いでしょう」
「そうですか……」
オレの返答を聞くと彼女は少し気を落としたようにして再び目を背ける。
しかし雷電? 凛のことか……。いや、まさかな。
だがあいつの一族は凛が最後の生き残りのはず。
「君はその雷電さんを探してこんな人の少ないところに来た、と?」
「えっと……鈴音です」
「ん?」
「私の名前。鈴音です」
オレが彼女を「君」と呼んだのが気に食わなかったのか、それとも単にオレが成瀬であると名乗っているから、自分も名乗ったのかは定かではないが、彼女は鈴音という綺麗な名前であることが判明した。
「わかった。じゃあ鈴音さんは雷電さんを探してここに?」
「あ、えっと……。まあ、そんな感じではあったんですけど、今は正直違うことを考えなきゃいけなくなりました」
少し苦笑いしながらそんなことを言う。
「違うこと?」
「気にしないでください。こっちの話なので」
そう言いながら彼女は左腕に装着していた腕時計で時間を確認した後、何かを考えこんでいる様子だった。
なるほど。オレがお取込み中だったように、彼女もまた何かをしようとしていたということか。
「あの。とりあえず、自分はもう行きますね。オレ冷え性なので寒くて」
こんな風に、判断を鈍らせると同時に、焦らせるような誘導をすれば、人は勝手にうろたえ始める。
彼女はオレの全身を軽く一瞥した後、納得したようなそぶりを見せた。
おそらく、この春の季節にオレがマフラーをしていることなどに納得がいったのだろう。
春でも冷えているときにマフラーをすることはそんなに珍しいことではないが、今の気温は普通の人からしたら暖かい方かもしれないからな。
そのままオレは移動しようとするが。
「あっ。えっと」
オレを引き留めるように彼女は何か言いたそうにする。
歩き始めていたその足を止め、振り返る。
「まだ何か?」
「いえ、何でもないんですけど……」
オレを見上げるように見ていた彼女は俯き、少し残念そうな、それでいてどこか諦めたような複雑な表情をしていた。
あーもう。わかった。わかったから。そんなに可愛い顔してもなんもしてやれないぞ。
本人は可愛い顔をしているつもりはないだろう。だが、その複雑な表情は儚く、可愛いと思ってしまった自分がいた。
「じゃあ一緒に雷電さん、探しましょうか?」
気づいた時にはこんなことを口走っていた。
こんなことを言う自分にも驚きだが、もう後戻りは出来ないだろう。
「えっ?」
彼女は最初、自分が何を聞いたのか理解できていないような顔をしていたが、徐々に驚きの表情へと変化していく。
「探してるんでしょう? 雷電さんを」
見つからなかったとしたら、それはそれでいい。
おそらく彼女の探し人である雷電と呼ばれている人は本物の雷電ではない。なぜなら、雷電という苗字は雷電一族のことだろうが、今その異能一族は最後の生き残りの少女以外、存在しないはずの一族だ。
そしてその最後の生き残りはオレの良く知る人物であり、この辺りにいるはずもない。
その事実を彼女に伝えるかどうかは後に考えるとしよう。
「ホントにいいんですか。一緒に探してもらっても」
「まあ……。今日はこの辺のホテルで止まる予定だったので、今日の夜、明日の昼ぐらいなら一緒に探すのは構いませんよ」
そう言うと、彼女はまるで太陽のように明るく笑ってくれた。
「ありがとうございます。あなたは雷電さんじゃなかったけど、ここで出会ったのがあなたみたいな優しい人で良かったです」
「いや、そんなことはないよ……」
「あっでも私、今日はこれから用事があるのでもう帰らなくてはいけないんです」
彼女はどこか残念そうにそう語る。
「わかりました。じゃあ今日はやめて明日にしましょう」
「……ごめんなさい。わざわざ探してもらう立場なのに……」
そう言いながら彼女は腕時計を見た。
実は彼女が最初に腕時計を見た時から、これで三回以上は時間を確認している。
もしかしたらこの後の用事というのはもうすぐで、時間がないのかもしれない。
「大丈夫ですよ。どうせ今日は夜遅いんだから、女性が歩くのは良くないだろうし」
「……やっぱり優しいですね」
彼女はもう一度時計を確認しながら口を開く。
「明日この場所で待ち合わせするってことでいいですか? 時間は………えーっと、何時がいいですか? 私はいつでもいいんですけど」
先ほどなどと比べると話す口調も少し早くなってきている。やはり急いでいるのだろう。
「じゃあ明日の午前10時にここで待ち合わせしよう」
そのくらいの時間なら何の問題もないだろうと思い、その時間に設定した。
「わかりました。ありがとうございます」
やはりな。かなり早口になっている。
急いでいるというより、焦っているように見えるのはオレの考えすぎだろうか。
「それじゃあ、また明日ここで待ってます。少し早いけど、おやすみなさい………それと、これ……」
そう言いながら彼女はオレに素早く折り畳み傘を差し出した。
やはり二つ傘を持っていたのか。
「あっ、ありがとう」
オレが感謝の言葉を述べながら折り畳み傘を受け取っていた頃には、彼女……鈴音さんは水色の傘を差し、向こうの道路へとすでに走り出していた。
オレの予想通り彼女は相当急いでいるのだろう。
オレはその彼女の後姿を見送りながら、大きなため息をついた。
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