正体【2】
「ん……?」
オレは隣に並ぶ彼女に疑問の眼差しを向ける。
「命ちゃんのアイドル事務所は私と同じスタースタイルなのよ。三年前に彼女がスカウトされたとき、彼女は何かに異常に怯えていた。その後、たった一人の肉親である父も精神病にかかり、精神病院に入った。だから独り身になった彼女の保護と生活の保障はその時以来私がしています。一緒に同じ家で生活しているし、基本どこへ行くときでも本人に気付かれないよう護衛を付けています。学校で襲われない理由は知りませんが何か不都合や弊害でもあるんでしょう。少なくとも学校以外では私と行動を共にするか、伏見家の護衛がいるので、ほとんど隙はないはずですよ。しかも瑠璃姉さんは私と会うことを極端に嫌がるので、その間は命ちゃんを狙わなかった。そういうことでしょう? 姉さん……」
「………」
瑠璃がこちらを睨みつけたまま沈黙する。
唯一隙があるとすれば地下鉄での通学時だが、確かに地下鉄での陽動は難しい。今回のように仮に爆弾を使用すれば地下鉄道が崩壊、地上道路が崩落するか。
煙幕ガスという手もあるが、視界が塞がり麻酔銃での確保は難しくなるか。
学校では不都合か弊害があると玲奈は言っていたが、それもそのはずだ。
学校には伏見分家「二ノ沢家」の二ノ沢楓先生がいるからな。
彼女はああ見えてもオレの姉、杏子に勝ったことがあるほどの実力者。空間制御方式という厄介な能力類も持っているしな。
かといって、それ以外の私生活では玲奈がそばについているか護衛があったのか。どうりでセイゼリアのときや登校時、謎の視線を感じたわけだ。あれは護衛のものだったか。
しかもアイドルへのスカウトは三年前だという。どおりでこの三年間、命が無事だったわけだ。まさかバックに伏見家の護衛があったなんてな。
だがどういうことだ? 今回の命とのデートの最中は護衛がいなかったのか。なぜ今回だけ護衛がいなかった?
いや……それを振りほどくための爆発か。辺り一帯を炎の海にして視野を遮り護衛の視界を阻む。これが今回の爆発の目的。
たかが一人の少女を確保するのにそこまでするのか。
そこまでされる命は一体何者なんだ。
瑠璃は、概念が異なるとか、人間と神ほどの差があるとか言っていたが……。
「何度か怪しい事件も起こっているので、命ちゃんが何者かに狙われていることは以前から知っていました。でもまさか、それが姉さんだったなんて……。しかもそれだけのためにこんな大きな爆発を起こしたんですか? 大勢を巻き込んで。どうしてそこまでして命ちゃんの捕獲にこだわるんですか?」
最後の方の口調はとても鋭く、その目は意志が強かった。まるで瑠璃のような表情だ。
さすが姉妹だな、と思った。
そんなときだった。
(ん? これは……)
オレはあることに気付くが、どうやら正面の瑠璃も気付いたようだった。
「時間を使いすぎたか」
瑠璃はそう言いながら胸ポケットあたりから野球ボールサイズの白い玉を床に投げつける。瞬間、辺り一面に白いガスが噴射される。
「まずい、姉さん逃げる気!」
ああ、そんなことは分かっている。
「待て! 動くな」
オレは玲奈が瑠璃を追いかけるのを手で制し、マフラーで瑠璃がいたはずの正面を思いっきり切り裂く。空間ごと切り取られたガス煙は上下に分離する。
切り裂いた部分のガスは消え、正面の視界が晴れるがその先に瑠璃はいない。
オレはさらに両目にマナを溜めて浄眼を発動、そのまま周囲を見渡すが瑠璃の姿はどこにも見当たらない。
「撤退したか………」
オレが呟いた直後。
「痛っ!」
ズキンと目に激痛が走る。その猛烈な痛みにオレは片膝をつく。
どうやら浄眼を使ったため眼が痛んだらしい。
しばらくは使用を控えたほうがいいだろう。
内臓損傷と脳震盪を治す際、眼が痛む前の身体状態にまでさかのぼり再構築した体だが……意味なかったか。
「大丈夫です?」
ポーカーフェイスながら心配そうに玲奈が近くに寄って来る。手を膝につき、オレを覗き込む際に美しい金髪が揺れる。ショートヘアに近い髪型だが、戦闘のためか程よい長さにカットされている。
「ああ、大丈夫だ……それよりあんたの姉さんは撤退した。もうこの近くにはいないだろう」
「そう、ですか……」
しばらくの沈黙の後、もう一度発言する。
「……あなた、随分と良い眼を持っているようですね」
そう言われ一瞬ドキンとする。浄眼の展開は切っているため、瞳は青くなっていないはず。
オレの発言とちょっとしたマナの変化だけで言っているのだろう。
だとすれば玲奈も瑠璃と同様にとんでもなく鋭い観察眼、洞察力の持ち主だ。
「両目とも視力1.5だが」
オレは真顔で答えながらマフラーを首に巻く。
「いや、そうではなくて………まぁいいです」
軽く呆れたようにそう言いつつ、再び口を開く。
「でも……あのまま姉さん追えば間に合ったかもでは?」
冷静な口調でそう問いかけてくる。
「あのガスを噴射する煙玉、あれは三宮家の異能科学班が開発したものだろう。あれを攻撃や陽動のためにじゃなく、撤退のために使用したんだ。逃げる策やルートは初めから用意してあるさ。加えて探しても追いつける位置いるとは限らない」
現にオレの眼で透視して付近を捜索したが瑠璃らしき人物は見当たらなかった。
「この付近を包囲すればまだ間に合う……」
思いつめたような表情でそんな独り言を言う。
「それで一般人を巻き込むのか?」
オレは強めの口調で発言する。
「っ……」
はっとしたようにこちらを向く。
「この付近を包囲、調査なんてしたら街中大混乱になる。あんたは伏見家の当主だろ? あんたの姉みたいに大勢の人間を巻き込んでどうする?」
「……そうですね。確かにあなたの言う通りかもしれません。少し軽率な発言だったことを認めます」
「家族のことだからな。熱くなるのも無理はないし盲目的になるのも分からなくはない。だが玲奈さん、あんたは異能士だ。影人や異能の脅威から人々を守るのが本分。それを忘れるな」
「はい……」
玲奈はオレの言葉に感化され強く決意した………ように見えたが。
「というか、あなた誰ですか?」
その雰囲気を壊すかのように白けた顔で問いかけてくる。
「おい」
オレは思わず突っ込む。
「あなたがさっき見せた『檻』の異能からして名瀬の方とお見受けしますが………というか……初めから思ってたけど……あなた……すごく不思議な匂い……」
玲奈は両目を瞑り、オレの胸部に顔を近づけて匂いを嗅いでくる。それはまるでキス顔のようだ。
無意識だろうが距離も物凄く近い。彼女が着ている白い上着の肩出し部分から肌が露出している。
思春期の男子にはかなり難儀な状況だ。
「匂い?」
オレは急すぎる玲奈の謎行動に少々困惑する。
「ええ。甘い香りがするのは命ちゃんだけだと思っていたんですが………って、あ! ごめんなさい! 私、何を……」
発言してる途中に目を開け、意外にも至近距離にあったオレの身体を見て驚いたのだろう。それほど顔を近づけていたことにたった今気づいたようだ。
急いでオレから距離を取る玲奈。
これで伏見家当主と歌手をやっているというのだから驚かざるを得ない。
「いや、いいんだが……」
でもそうか。伏見一族の異能副作用は嗅覚異常だったな。
そう言えばオレの師である旬さんも匂いを嗅いだだけで、敵の方向や殺意を感じ取れる感覚「超嗅覚」を持っていた。
彼曰く、伏見一族にとって異能力者はとんでもなく強烈な刺激臭がするそうだ。
今思い返すと瑠璃も最初の方、オレが扱う青い檻と匂わない体臭を珍しいと言っていた。
「というかあなた、そもそもなぜ姉さんと戦っていたんですか?」
玲奈が言うあなたという調子が、なぜか貴君に聞こえてくる。これも姉妹効果だろうか。
「命と出かけていた途中に奴らの襲撃に遭ったからだ。そのまま瑠璃と戦闘の流れになった」
「なるほど……。一応聞きますが命ちゃんは無事なんですよね?」
「ああ、無事だ。今頃楓さんが保護してるところだ」
「楓さん……? 二ノ沢中将の娘の二ノ沢楓さん?」
おお、さすが伏見の当主ともなると顔が広いな。楓さんは伏見の分家でもあるしな。
「ああ、そうだ。今頃オレのギア、里緒も……」
オレがそこまで言ったとき、後ろの非常螺旋階段から聞きなれた声が聞こえてくる。
「はぁ……はぁ……急いできたけど……はぁ…さすがに四駅も離れてるとなると結構時間かかったよ……って、あれ? 玲奈さん? どうしてここに?」
息切れした里緒がここへ来る。
瑠璃が撤退した最大の理由は仲間のスコーピオンとかいう奴から里緒の接近を確認したからだろう。
瑠璃でもさすがに攻撃型異能三人相手は厳しいと感じたのだろう。
もしくは別の…………いや。
「里緒こそ、なぜここに? まさかあなたが呼んだんですか?」
途中からオレの方を向き聞いてくる玲奈。
「ああ。命を警察官に渡した後すぐに、瑠璃と戦闘になる前、里緒と楓さんの二人に連絡を入れておいたんだ。楓さんには警察の事情聴取終了後の命の保護を、里緒にはオレがプレゼントしたヘアピンに刻印してある呪詛のマナを頼りにオレを追うように、と」
「このヘアピンにあたしと名瀬のマナを繋ぐ命綱の冥護、こんな呪詛いつの間に仕掛けたの?」
里緒が、自分の右耳の少し上で髪を留めているヘアピンに手で触れながら聞いてくる。
命綱の冥護。または命綱の御守。
特定の二人のマナを一時的繋ぐことで互いの居場所を交信できる優れた呪詛で、使用回数は精々4、5回と限られている。通常は緊急事態に使用することから命綱と命名されている。
まさかオレの方から使うことになるとは思っていなかったが。
「いつから? 強いて言うなら最初からだな。そのピンについてる霞色の蝶の中に埋め込まれている宝石が水晶の役割を担っている」
そもそも蝶々は伏見家の家紋。伏見本家に憧れている分家の里緒は、本家を象徴する蝶が好きだと楓さんから聞いていたからな。
「初めから冥護を刻印していたのに、秘密にしていて悪かったな。気分を害したか?」
「いや別に? 今更名瀬が何してようと驚かないよ。それにどうせ、あたしを守るためにしてくれたんでしょ?」
「ああ。まあ、そんなところだ」
「ならいいよ」
いい意味で里緒は本当に変わったな。オレと出会う前の彼女ならば、おそらくこんなこと言わなかっただろう。
「それよりも、名瀬の言う通りだった。あのストーカーしてきた陸斗って男子、あの人、サソリを名乗る人から学生には余るような金銭を受け取って、森嶋さんをデートに誘うように頼まれてたみたい」
「やはりか……」
「え? それはどういう……」
玲奈が不思議そうな顔をする。至極当然の反応だろう。
「あー説明しますね。実は……」
里緒が玲奈に事の内容を説明してくれる。
事の内容はこう。
まず、オレはずっと疑問に思っていたことがあった。
それは陸斗の命に対するデートの誘いが唐突すぎたこと。いくらオレのことが気に食わなかったからといって、急にオレと勝負し、その勝敗の結果で命とデートするという提案はおかしかった。不自然過ぎたのだ。
オレがこのことに本格的に怪しみ始めたのは、デート中のデパートで爆発が起こり、その数分後の炎の中で麻酔銃の注射が命へ向けられた時だった。
麻酔銃から高速射出するこの注射針を回避できたのは、オレがそれを可能とするだけの反射神経と動体視力を持っていたから。
もし陸斗が命とデートに来ていればこの麻酔銃はおろか、爆弾だってかわせなかっただろう。オレが来て正解だったと思った時、何かが引っかかった。
そもそもなぜあんなに唐突に命をデートに誘ったのだろうと。それはもしかしたら今回の爆発に関係しているのでは無いかと。
結果はその通りだったらしい。
そもそもこのデートプランは木下栞が立てたもの。そのデートで命とオレがどこへ行くのかと、陸斗は執拗に聞いてきたらしい。
あまりにもしつこかったので行先のデパートだけ伝えたという。
彼女が思うには、もし陸斗がそのデパートに行ったとしても、とても広い場所だし、オレたちと遭遇することはないだろうと考えたらしい。
問題はその後の話。
陸斗はサソリという人物から金銭を貰っていたらしいが、おそらくは瑠璃のバディであるスコーピオンのことだろう。
サソリの英称がスコーピオンのため間違いない。
要は奴らと陸斗は繋がっていたということ。
もしオレがあのバスケの試合に負け、陸斗と命がデートに行くことになっていたとしたら、事は余計厄介な展開を迎えていただろう。
陸斗のデートプランと称して奴らの罠に入り込むようなものだ。
「……ということです」
里緒が玲奈に説明し終える。
そう言えばオレがバスケで陸斗と勝負するといった際、命が異常にオレを信用している節があった。
オレなら勝ってくれると。その絶対的な信頼はもはや強い信条のようにも見えるほど。
今気づいたが、あれは三年前の拉致監禁した六人を倒したオレの運動能力を見ていたからではないかと。
あのとき彼女の目隠しは多少緩んでいたようだし、隙間からオレの戦闘風景を見ていてもおかしくはない。
言われてみれば、警察署に命を届けるまでの間にそのような会話をした気がしてきたが……なんせ三年前の話。ほとんど会話の内容すら記憶にない。
そんなことを考えていると。
「そう言えば、名瀬さんにまだ礼を言ってませんでしたよね。姉さんの蒼蝶による蝶乱舞から防いでくれてありがとございます。あのとき、あなたの咄嗟の判断で私の周囲に檻を展開……それで私を守ってくれたんですよね?」
相変わらず真顔である玲奈にそう言われる。
「いや、突然のことであまり覚えてないな」
その言葉を聞くと玲奈はほんの少し眉間にしわを寄せる。
「またそんなことを……。姉がした攻撃の威力なども的確に推定して二重に檻を展開した。違いますか?」
「さあな……手元が狂えば間違って二重に発動することもあるからな。檻の操作は難しいんだ」
「とぼけるのが上手な人」
胡散臭そうにオレを見る。
「そんなことよりも、オレのことだって助けてくれただろ?」
「ん……炎霊掌・青鱗を弾いたとき?」
少し考えた仕草を見せた後オレに聞いてくる。
「ああ、正直あの時はやばかったからな。感謝してる。ありがとな。命の恩人とまでは言わないが……何かお礼をさせてくれないか?」
「……お礼? 何かを返したいというのなら、さっき私を守ってくれたことがお礼でいいです」
「そうか。あんたがそう言うならそれでいいが」
「相手は、名瀬がそんなにやばい状況になるほど強い異能力者だったの?」
里緒がオレと玲奈に近付きつつ会話に入ってくる。
「ああ、まあな」
オレは玲奈のことも考え、あえてその人物が誰かは口にしなかったが。
「私の姉だった……」
玲奈が無表情のまま答える。だが目の奥には残念な気持ちのような色が見て取れる。
「え? 姉って……瑠璃さん?」
どうやら伏見家の補佐、護衛を担当する分家「霞流」の里緒も瑠璃とは面識があったようだ。青の境界が設立される前の話だろう。
「伏見を抜ける前から瑠璃さんが強いのは知っていたけど……流石に名瀬でも苦戦したんだ」
「私にはそうは見えなかったけど」
玲奈が突然そんなことを言い始める。その目には少し悪戯を含んでいた。




