共鳴【2】
そのときだった。
「ぐうぅ……」
唐突に周りがぐらつくような感覚に陥る。激しくめまいがする。
オレはその場で片膝をつき、しゃがみ込む。
オレの頭の中に目まぐるしいほどの記憶と沢山の声、それから漠然とした無数の印象がオレの脳内に飛び込んでくる。いや、過ぎ去っていくと言った方がいいか。
――――「でもそれは、あなたにしか出来ないことなんでしょう? ならするべきよ。もしそれが世界からの批判、憎悪の対象になる罪だと言うなら、その罪は私があなたと一緒に背負うわ」
これは凛の声か。
雷電凛。オレの初恋の相手であり幼馴染でもある。
黒くて長い艶やかな髪。その記憶が鮮明に蘇る。
「私はただ、ディアナを守りたいだけなの!」
また凛の声だ。少し昔の記憶だな。
「ごめんなさい……。あなたとは付き合えないわ」
これは―――オレが振られたときか。
想いを凛に告白したが拒絶された。彼女がオレを拒絶したときの呼吸が重くなるような感覚を思い出す。
次々と断片的に、そして不規則に彼女の声が聞こえる。
――――「あははは! 君、面白いね! なんていう名前なの?」
次はヴィオラか……? 一体なんなんだ、これは? 記憶がパラパラマンガのように流れてくる……。
ヴィオラ・ソルヴィノ。オレと同い年のイタリア人女子で世界的歌手。
追加で彼女の流暢な日本語が聞こえてくる。
「私のこと、絶対に忘れないでね」
何かしらの複雑な感情を抱いているであろう切ない表情。これは最近の記憶だ。
「私の歌はすべての人のためにある。君も例外ではないよ。『すべて』ってことはその中に君もいる。そうでしょ?」
なんだ? なんなんでヴィオラの声が……。
――――「本日付でOrigin軍部諜報課少尉・名瀬統也の担当補佐指揮官を務めさせていただく天霧茜という者です。位は中尉、得意技術はアナライズとサーチです。会うことはない音声会話だけでの関係ですが、これから長い間よろしくお願いします」
今度は茜か。もう何がなんだか分からない。
――――「ねぇ、お願いだからどこへも行かないで。また私を置いていかないで。そばにいて! 私のそばにいて欲しいの!」
これは……命? しかもつい先ほどのやり取りだ。デパートの外でオレが彼女を花壇に座らせたときの会話。
今思えば、彼女は三年前のオレのことを覚えていたのかもしれない。「また置いてかないで」という発言から察するに、オレが以前警察署で彼女を置いていったことを根に持っているようだ。
「私……あなたにそばにいてほしい」
三年前の夏祭りのときだ。
警察署内で命にそう言われた。当時の憔悴したオレを救ってくれた言葉だ。
涙を浮かべながらの満面笑みを見せる彼女。これはオレの心を埋めた笑顔。
当時彼女の髪は肩よりも短い。こう見ると随分よく伸びたな。今は肩を超えるほど長いのにな。
……待てよ。もしやあの場に居た杏姉の長い髪を真似たのか?
いやそれは考えすぎか。
そして、綿飴でも林檎飴でもなかった謎の甘い匂い。こんなものまで記憶として流れてくる。
だが―――――。
途端にノイズのように画像記憶が切れ切れになる。聞こえてくる声も断片的になり始める。
「……い…だ……ね? だから私の命…あなた…ものと言っても過言じゃない。私のために頑張ってくれ…ありがとう。ずっと……あ…してるよ、統也」
涙ながらに語る命。だがその表情は決して悲しそうではない。むしろ今まで見たことがないほどの笑顔だ。
しかしこの記憶はなんだ――――? こんな情景は知らない。
一体オレの身に何が起こっている?
この声は間違いなく命のものだ。聞き間違えるはずもない。だが何故だ。オレはこのセリフも場面も一切知らない。彼女の口からは聞いたこともない言葉の羅列。
第一、彼女はオレのことを君付けで呼んでいて、統也なんて呼び捨てにされたことは一度もない。
そんな精神世界での情景の渦巻く中、その膨大な情報量に取り込まれていたオレに外から声が聞こえてくる。これは記憶ではなくオレの耳で直接捉えた声だ。
「理由は分からないが貴君の青い檻が弱まった。これなら……」
白いフードの女の声。
そうだった。オレは奴を倒さなければ……。
「ぐはっ! ぐはっ……! なんだあの記憶は……あんた、オレに何をした?」
オレは咳込み、両手を床につく。
現実の世界に引き戻される。まるでいくつもの世界を通り抜けてきたような異次元的で、どこか現実味のない不思議な感覚。
すると両手をつき、駐車場の床を見ていたはずのオレの視界に何かが一瞬映る。かと思うと、その視界が瞬く間に回転。天井、そして背後にあったはずの車へと変化する。
その後強く後頭部を床に打ち付ける。
「ぁ……!」
衝撃と打ち付けた激しい痛みで声を漏らす。
オレはその場で仰向けに横たわる形になる。視界には天井。立体駐車場の天井に設置された蛍光灯が並んでいるのが見える。
「今……なにが、おこった?」
そのまま状況を理解出来ないでいると、横たわったオレの視界に白いフードを被った女が現れる。オレを覗き込む形で。
おそらくオッドカラーであるだろう紺色の瞳で鋭く睨まれる。
「貴君の顔面を蹴った。顔が丁度蹴りやすい位置にあったものでな」
物凄い勢いで視界が回転したのはそういうことか。しかしこの女、檻を破ったのか。
オレが展開したはずの空中に固定されていた檻は消えていて、現在発動中の感覚もない。
どうやら訳の分からない記憶の渦を見ているときにオレの異能の力が弱まったらしい。その際、檻の弱点でもある異能「衣」を使い、脱出したようだ。
確かに空間に檻を保てている感じがしなかった。
しかも最悪なことに、未だに体が動かない。後頭部を強く打ち付けたからか脳震盪を起こしている。
右手にマフラーを握っているが指先すら動かせない。体の自由が利かない。
そんなオレに続けて話しかけてくる。
「だがこれは予想外だった。森嶋命の確保を邪魔したゴミだと思っていたが。貴君、なかなかどうして見込みがある。まさか共鳴出来るとはな」
(……予想外? 見込み? こいつは本当に意味の分からないことを言う奴だな)
「貴君、先ほど青の境界という言葉に反応し、誰かと共鳴したな? 一体誰とリンクした?」
(共鳴……? リンク……?)
「なんの話だ?」
オレはひんやりとした冷たいコンクリートの感触を背中に感じながら、そのままオレの顔を覗き込むこいつと会話する。
「誰かとの思い出やその記憶、それに関連する事柄が見えたのではないのか?」
「あんたがやったんじゃないのか?」
「私が? それはあり得ない。私は血だけで言えば伏見。つまり衣以外の異能は使えない。他の誰かに記憶を見せるなどという幻惑系統の異能も使えない」
(じゃあ、あの記憶はなんだったんだ? 一体オレに何が起こった?)
「だが……貴君がそう答えるということは、やはり誰かの記憶を見たのだな? 誰の記憶を見た?」
「教えると思うか?」
「答えろ」
冷酷な眼差しが向けられ、オレの腹部に片足を乗せてくる。
「教えるわけないだろ」
挑発するようにオレがそう言った瞬間、腹部、へその辺りに置かれた彼女の片足に体重が乗せられる。かなり強烈な力を込めてくる。同時にオレの内臓が押し潰される感覚。
「ぐっ……! あぁぁっ! うっ…………はは」
オレは痛みに声を漏らしながらも嘲笑的な笑みを浮かべる。
「……何が可笑しい?」
「あんた、女性の割には結構重いな」
馬鹿にするようにそう言うと、さらに足に力を入れてくる。
「ぐぁぁー!」
オレはその苦痛で叫ぶ。駐車場内の広く静かな空間がオレの叫び声を響かせ、反響させる。
今気づいたことだが、茜との聴覚同調が切れている。チューニレイダーは稼働を止め、電源が切れているだろうと想定できる。
何故だ?
ただでさえ混乱している脳内。だがチューニング接続が切れているというこの状況はそんなオレをさらに混乱、困惑させた。
通常、チューニレイダーの接続は普通の通話などとは大きく異なり、同調を切断するには一定の特殊操作をするか強制コネクトアウトするかしかない。
そして強制コネクトアウトの際は神経に激痛が走ると言われているが、そんな感覚はなかった。
つまり強制的に接続が切られたわけではないと考えられる。だがオレは接続を切る操作もしていない。
ならば何故チューニングが切断された?
そんなことを考えていたが、突然踏み付ける片足の力を弱めた彼女は口を開く。
「待て……今気付いたが、仮にも共鳴には対象が必要になるはずだ」
「はぁはぁ……」
力が弱められたとはいえ傷付けられた内臓が治ることはない。ジンジンと火傷のような痛みに、激しい圧迫感。内臓からの出血多量もあり得る。
そろそろ……内臓を……いや、まだこいつに付き合ってやるか。
「貴君、私に何か隠しているな? 何も無しに共鳴やマナ同調といったリンクが起こるはずはない」
(ん? ……マナ同調だと? なるほどそういうことか)
どうしてチューニレイダーの接続が切れたのかと思っていたが、これで理解した。どうやらチューニレイダーはその訳の分からない共鳴とやらの器になったらしい。一時的なものではあるだろうがチューニレイダーの同調力によって、記憶に出てきた彼女らと共鳴してしまったようだ。その際に同調対象が形式上「茜」から「彼女ら」に入れ替わり、そのまま接続が切れた。
原理は全く分からないが、今はそれでもいいだろう。
もういい。もう十分だ。この女もこれ以上の情報は開示しないだろう。
正直、命に関する情報はもう少し欲しかったところだがな。
「一つ言っていいか?」
オレは横たわったまま、覗き込む彼女に聞く。
「……」
彼女は返事をしない。
「あんたにずっと言いたかったことがあるんだ」
「……なんだ?」
彼女は静かに聞いてくる―――――。
オレはその瞬間、目にもとまらぬ速さでバク転しながら、伸ばした足で彼女の顔面を蹴り上げる。
「なに?」
彼女が目を見開き驚く声を上げる。
それは電光石火の早蹴り。かわせるはずもない。オレの蹴りは彼女の顎にもろに直撃する。
「あんた……貴君って言い過ぎだろ」
オレはそう言いながら地面に足を付ける。
彼女はオレの蹴りを受けて大きく後ろに吹き飛ぶが、その後素早く体勢を整える。
倒れすらしないか。彼女が強いのは分かっていたが、ここまでとはな。
生身だとしても耐久力があり、機動力もある。加えて奴の使用する異能は「衣」。こう考えると結構面倒な相手だ。
「さすがだな。もろに当てたつもりなんだが」
「貴君……なぜ動ける? 脳震盪と合わせて内臓も潰した。出血多量にダメージが蓄積した体。そんな体でなぜ立てる? なぜ動ける?」
「さあ、どうしてだろうな」
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