笑顔のいのち
「あんたら一体何者なんだ?」
なぜ命を狙う? どんな意味がある?
奴は未練を残したようにこちらを見た後、再び吹き抜けの柵からおり、去ってゆく。
また逃げるか。奴は何がしたいんだ。
まあ今はいい。深追いするときではない。オレも命を抱えたままでは何も出来ないしな。
オレは急いでその場を離れる。
周りの倒壊や灼熱の炎。正直これ以上店内にいるのはまずい。ここから早く離れて外へ出ないとな。
「統也くん……誰かいたの?」
「心配しなくていい。命は目瞑ってて」
「う、うん……」
*
お姫様抱っこされている命を見ながら、3年前の夏祭りを思い出す。彼女と初めて出会ったあの日を。
なぜオレが今になってこんなことを思い出すのか、とても理解しかねる。だが、オレの脳内にはかつての甘い匂いと彼女の短い髪がちらつく。
それは3年前のあの夏の夜。出会って数時間後のこと。
オレと手が触れるほどの至近距離で歩く命。
杏姉の権限で特別に指定された警察署に命の身柄を預けるためしばらく夜道を歩いていた。
そんな時、彼女がオレにあることを聞いてくる。
「あの……どうしてあんなに強いんですか? あなたの格闘技、少しだけ見てたんだ。……ほんとに凄かった。私はそんなに体術や護身術に詳しくないけど、あなたがまるで一騎当千……ものすごく強いのは分かった。どうしてあそこまで強いんですか?」
時折敬語が混じっているのは、それだけオレの印象に関して揺らぐ何かがあるということだろうか。
「えっ? いや………オレは空手を習ってるんだよ」
咄嗟にそうは答えたが、数時間前に倉庫で格闘した相手は全てが戦闘のプロだった。そんな相手に異界術を使用しほぼ単発の攻撃で仕留め、気絶させたという事実は口が裂けても言えなかった。
苦し紛れの嘘で、空手を習っているなどと言ったが焦って誤った返答をしてしまったな。
「へ、へぇ……空手であんなに強くなれるもんなのかな……」
首を傾げながら独り言のように語るが、どうやらオレの嘘を信じてくれたらしい。
さらに隣で歩く杏姉がくすくすと笑っている。空手で倒したというオレの発言がおかしかったらしい。
「何がおかしいんだよ、杏姉」
「いいえ、なんでもないわ」
笑いながら視線を前へ逸らす。
彼女の目線の先には警察署。北海道札幌方面中央警察署という場所らしい。命が誘拐された現場……中島公園(湖があるほどの大型の公園)の夏祭りに1番近場の警察署だという。
オレたちはその署の中へと入っていく。
中は一般的な警察署内部といった印象を受ける。とは言っても、やはりこの程度の技術レベルか。
オレは周りの警備や監視カメラ、セキリティレベルを見て納得する。
すぐに「専門の」男性警部補がオレたちの前に訪れる。いわゆる異能士に通じる警察だ。
オレはその場で薄い上着のフードを被り、顔を隠す。
「閃光、わざわざお越しいただきありがとうございます。早速本題ですが、この子で間違いないですか?」
命を見ながら閃光と呼ばれた杏子に尋ねているようだ。この子、というのは誘拐された子という意味だろう。
「ええ、この少女であってるわ。両親にはまだ連絡してないからそこはよろしく。それと、しばらくの遠隔保護を頼みに来たのだけれど」
「はぁ……分かりました。これまた随分と難儀な警護方法を選択になりましたね。仕方ないので上には上手く誤魔化しておきましょう」
「ええ、頼めるかしら」
(どういうことだ?)
オレはひどく混乱する。オレが驚いたのは遠隔保護のことでは無い。遠隔保護とは、簡単に言えば表面上は何もしないが、裏では護衛するという形式。だがオレはそんなことを気にしているのではない。
突発的な影の襲撃により青の境界が設立されて間もない現在。境界設立が2018年の1月で、今はは2018年の6月。まだ半年しか経過していない。なのになぜ、杏姉はIWで警部補のコネを持っているんだ?
オレがそんな疑問を持っているときだった。
視界の端から一人の警官が小走りに近づいてくる。その走る先には警部補。どうやら彼に用事がある様子だった。
警部補が近寄って来る警官に向け口を開く。
「ん、どうかしたかね?」
「警部補、緊急です。中島公園付近の南口倉庫で謎の爆発。爆破の原因はプラッチック爆弾だと思われ、目的は不明です。どうしますか?」
「南口倉庫……」
それは命が監禁されていた倉庫だ。
「これは思った以上に……。私の考えが甘かったようね。とうくん、行ける?」
現場へ迎えるか、という意味らしい。
「姉さんは悪くないだろ」
そう言いながらオレは爆破現場に向かうため、警察署の出口へ歩き出すと。
「どこに行くの?」
命の声。
オレは振り返って見るが、命がとても不安そうな表情をしていた。まるで世界が終わるかのような表情だった。
「ちょっと、オレは行かなくちゃいけないんだ」
「私……あなたに行ってほしくない」
オレの本名は教えられないため、彼女に名を聞かれた時も秘密だと言って通したが、「あなた」と呼ばれるのはなんだか新鮮だ。
「でも行かなきゃ」
「私……あなたにそばにいてほしい」
藁にもすがるような目でオレを見る。
この時、オレの乾いていた心が急速に、そしてじわじわと温かさに包まれる。
こんな感覚は初めてだ。
オレは彼女の言葉に感動……したのか?
ただそばにいてほしいと言われただけだ。ありふれた言葉じゃないか。何ら不思議な言葉ではない。
でも……じゃあオレは……どうしてこんなにも心が満たされていく?
命が、色んなものを抱えすぎていたオレを呪縛から、責任から解き放ってくれた気がした。
このころのオレは沢山のことを抱えていた。本当に沢山のことを。
知らず知らずのうちに、オレの精神は酷く憔悴し疲れ切っていたらしい。
「そんなこと言われたの初めてだよ。ありがとう」
オレは感謝を述べながら彼女に背を向ける。
彼女のためにも現場に行かなくてはならない。
「そんなお礼はいらない。そんなことは望んでませんっ! お願いだから、私の近くにいて……」
「悪いけどね、命ちゃん、とうくんには大事な仕事があるの。彼にしか出来ないことよ」
杏姉が優しく語りかける。
「どうしてっ……」
「ほら、この時間だけは、とうくんはあなたの騎士よ。笑って送ってあげて」
「大丈夫だよ、命ちゃん。またすぐに会えるさ」
オレが振り返ると、涙目の命が満面の笑みでオレに手を振っていた。
国宝級の笑顔、どうもありがとう。
君の笑顔はもっとたくさんの人へ向けられるべきだ。そしてたくさんの人の心を埋めていくといい。
君のその笑顔はこの歪んだ不完全な世界に光をもたらすと、そう信じている。
オレは青の境界が嫌いだが、あれがなければ彼女とは出会えなかっただろう。気に食わないが今回だけは青の境界の存在をありがたく感じた。それほどに彼女の笑顔は見る価値がある。
*
2021年5月29日(日) 午後6時41分。
オレは命をお姫様抱っこしたまま無事、空が暗くなった外へ出るが、いくつかの疑問を持っていた。
一つ目。店内の天井に設備されているスプリンクラーがなぜか作動しなかったこと。
二つ目。はじめから命の捕獲だけが狙いならば、なぜこんな大それたことをしたのかということ。そもそも彼女の身柄を確保したいだけなら、アイドル練習の帰り道など、隙がある時間いつでも良かった。登校中や下校時間、いくらでも隙はあったはずだ。
「軽傷の方はこちらで待機してください」
「こちらの指示があるまで……」
警察などのスピーカー勧告などが聞こえてくる。
周りに大量の警察、消防士、救急隊。
それぞれパトカー、消防車、救急車が赤色灯を回していた。
さすがにこんな場所で麻酔銃を発砲することはないだろう。
「オレにしっかり掴まって、離れるなよ」
「うん……」
オレは警察隊員や忙しなく動き回る救急隊員をかき分け、すぐ近くにあるサイドの花壇ブロックにお姫様抱っこしていた命を座らせる。
(流石にここまで来れば大丈夫だろう。ああ見えてアイツらはかなり賢い。凄腕のブレインがいるのか、それとも相当に頭が切れる大将がバックについているのか……どっちかは知らないが、いずれにせよ、奴らはこんな人目のつく場所には姿を現さない。そこまで単純で愚かな選択はしないだろう)
オレはその花壇の前で立ったままだったが動き出し、そこから離れようとする。
しかし命はオレの首に強くしがみつき、オレが離れるのを拒む。
そんな首にくっつく彼女の姿を見て純粋にとても可愛いな、そう思う。けど今はそれどころじゃないんだ。
まだやらなきゃいけないことがある。
奴らをこのまま逃がすわけにはいかない。
彼女はオレがどこかへ行くと直観的に察知したのか、
「統也くん、行かないで」
甘えてくるような表情の命がオレの胸元に抱きついてくる。
オレはそんな命の頭に手を置き、優しく撫でる。サラサラな髪の感触が手に伝わってくる。
「大丈夫だ」
「お願い……行かないで。私を……置いていかないで」
縋るようにそう言われるが、オレは止まるわけにはいかない。
「駄目だ。オレは行かなきゃいけないんだ」
「どうして……どこへ、どんな目的で行く必要があるの!? それは私より大事なのことなの?」
「どうしてそうなる? そうじゃない。そうじゃないんだ。この世には暗い闇というものがある。オレにしか処理出来ないこともあるんだ。命にも命にしか出来ないこと……誰かを元気づける笑顔、才力、可愛さがあるようにな。……君はこれからみんなの憧れのアイドルとして沢山の人の心の穴を埋めていくだろう。でもそのためには君が生きていなきゃいけない。君が生きてアイドルにならなきゃいけない。誰かが君を……守らなきゃいけない」
「……わ、私を、守る……?」
「ああ」
オレは力強く頷く。
「どうしてっ!」
いつも落ち着いて穏やか、おっとりとした雰囲気の彼女がいつになく感情を乱した様子。目には涙が浮かんでいる。
「どうして統也くんが私にそこまでする必要があるの! ……そんなことする義理があるの!?」
確かにそこまでする義理はないかもしれない。それでもいいんだ。
オレは口を開く。
「命が、オレにとって大切な人だからだ」
「……!」
命は目を見張る。大きく目を開く。両目にいっぱいの涙を浮かべて。
「あのときのオレは、君の存在に、君の言葉に、君の笑顔に救われた。……って言っても覚えてないだろうな。あの時とはいつなのか。その言葉とはなんだったのか」
オレはそのまま首に巻かれた命の両手によるホールドを解き、マフラーを整える。
「だ、ダメ……行かないで。私を守ってくれるっていうなら、私のそばにいて!」
オレが歩き出し前進しようとすると命がオレのパーカーの端を掴み、それを止める。
彼女は花壇に座ったまま何か戦場に向かう騎士でも見つめるような目でオレを見る。
(どうやら命の足はまだ動かないみたいだな。今回ばかりは挫いててもらって助かった)
「いや、そういうわけにはいかない」
オレはパーカーの端を掴んでいる手を力を入れず外す。
「ねぇ、お願いだからどこへも行かないで。また私を置いていかないで。そばにいて! 私のそばにいて欲しいの!」
「大丈夫、またすぐに会えるさ」
オレは後ろで座っている命に対し、体は前を向いたまま顔だけ振り向き、微笑みかける。
*
「大丈夫、またすぐに会えるさ」
彼はそう言いながら振り返り私に優しく笑いかけてくる。
立ち上がり彼を止めようとするが、足が硬直し動かせない。
どうして。どうしてこうなるの。
ただ、私は……。
私はその場で脱力する。
はあ、彼はいつもそう。こうやって一人でなんでもしようとする。
彼は私に背を向け大型デパートの方へと走り出す。
(……どうしてデパートの方に行くの? そっちは火事や爆発で危ない場所なのに……)
彼は人混みの中、颯爽とデパートの方へと走っていく。
次々に救急車やパトカーを避けていき、離れていく。
私はただひたすら、彼のその背中を見送る事しかできない。
どんどん彼の背中が遠のいていく。
またなの。
またこれなの?
私はただ、そばにいてほしいだけなのに。
統也くんに寄り添ってほしいだけなのに。
またこれ。
彼は以前も大丈夫また会えると私にそう言った。けれど私とその後、会えたのはいつ?
ねぇいつなの、答えてよ。
私はまた彼を失う? いや、もともと彼は私の恋人ではない。そうだった。私が勝手に好きになって勝手に……。
――――――――――「命がオレにとって大切な人だからだ」。
唐突に脳内で彼の声が再生される。
私はうなじに手で触れ、彼が近くに居るような感覚になる。
ううん。彼は……統也は必ず帰って来る。
彼が帰ってきたら、もう「くん付け」はしない。




