デート開始
*
5月29日(日) 午後5時正時。
「ごめんっ! もしかして待った?」
タクシーから降りこちらに向かってくる森嶋命のモデルのような姿がオレの視界に入る。
彼女の服装は、白の長袖シャツに黒いスカートという質素だが彼女によく似合うものだった。
そんなに目立つ格好というわけではない。
だがそれでも、ただタクシーから降りただけのなのに、その瞬間に周囲から数多くの視線が集まる。
そのほとんどが男性からのものだった。
だが、命がすごいのは男性からの目線のことだけではない。
というのは、一般人女性の目にも留まっているということだ。
これはアイドル界では珍しいこと。
少なくともオレが住んでいた環境ではそうだった。
「いや、待ってない。オレも今来たところだ」
半分嘘で半分本当だった。
オレは適当に名瀬家にあつらえてもらったデニムのパンツに黒いパーカーという私服で来ていた。
「そっか。ならよかった……。でも、ごめんね。歌の仕事関係で、今日のこの時間しか空いてなくて。せっかく日曜日なのに……」
「それはいいんだよ。そんなこと気にするな。それより随分と大変なんだな。歌の仕事……」
「うん、まあね。……頑張ってはいるんだけどね」
「お疲れ様。今日もギリギリまで練習してたんだろ?」
「……っ。ありがとう。すごく元気が出る。そう言ってもらえると」
少し静かにそう言いながら、彼女は大きなビル状の建物の最上階に掲示されている看板を見る。
オレもその看板を見てみる。
『伏見玲奈 ソロシングルCD「ドリーミングファイア」50万突破!!』の文字。
ああ、そうか。そう言えば、旬さんの娘、歌手だったな。
それも旧日本ではかなりの有名人。
元々、青の境界が築かれるよりずっと以前から日本では、ヴィオラと玲奈が女性歌手の売り上げをほぼ独占していた。
ヴィオラ・ソルヴィノ。
イタリア人女性の世界的歌手で特例安全指定国(特定安全国)である日本に一時的に移住していた人物。誰でも知る有名人。
その世界に誇る綺麗な歌声と彼女の美貌が人々を惹きつけた。
驚くべきことは彼女がオレと同い年であること。
しかし、アウターリストに記載されたことにより死去とニュースで語られる。
それ以降、彼女の輝かしい歴史は幕を閉じた。
青の境界とは、北緯40度に引かれた青色の境界線。
日本で言えば秋田県と岩手県の北部を横切る。
特定安全国に指定されている日本に居れば、必ずしもIWに避難できるとは限らない。
理屈で言えば、旬さんもその一人ということなのだろう。
そして、伏見玲奈。
異能士家系で歴代最年少の当主でありながらその素性を上手く隠しつつ、歌手としても成功を収める、旬さんの二人娘のうちの一人。
こんなところか。
「命は伏見玲奈のファンなのか?」
オレは目の前にいる彼女に聞いてみる。
「え……? うん……ファンというか、憧れというか。尊敬する人……かな。私の目標だよ」
「……なるほど。でも、あれを目指すなら命もこれから大変になるぞ、きっとな」
「うん。わかってる。だけど私はずっと歌手になろうと……アイドルになろうと決めてたから。その気持ちは今でも変わらない」
横目に彼女を見るが、彼女の表情には一点の曇りもなかった。
決意は固いようだな。
オレたち周りの人間はそれを支えてあげるだけでいい。
彼女が大きなものを目指したってそれは変わらない。
そばにいる者達が命を支えてくれる。
何もそれはオレだけじゃない。
香や栞だって、君の助けになってくれるだろう。
*
気まずそうに少し目線を下げる命をオレは見る。
命はオレの隣で静かに繁華街を歩いていた。
男子の隣にいることで緊張しているのだろうか。
多少萎縮しているのが分かる。
(やはりオレがリードしなきゃダメか……)
オレは数日前の栞との会話を思い出す。
「ダメダメダメ! そんな考えじゃダメ!! ミコはろくにデートもしたことないんだから! ……とーやがリードしてくれなきゃデートは何も進まないよ?」
「そう言われてもな……」
オレにだってデートの経験なんかない。
あるとすれば妹の白愛と数度出かけたくらいだが、あれはデートとは言わないだろう。
だが、むしろそれしか記憶にない。
「大丈夫、このうちが、デートコースを考えておいてあげるから! 感謝しなさいよ!」
そう言いながら眼鏡のブリッジを人差し指でクイッっと上げる。
栞のその自慢げな顔を見ているとなんとなく大丈夫な気がしてきた。
そんなやりとりをした。
今日はオレにとっても命にとっても初デートの日ということになる。
気張って進めるか。
栞が考えてくれたデートプランもあるしな。
「命」
オレは呼びかける。
「えっ…あ、はい!」
驚かせるつもりはなったけど、急に呼ばれてびっくりしたというような反応だな。
「まずは食事にしようと思うんだが、どこか行きたいところはあるか?」
「えーと、どうしようかな。統也くんは甘い物が好きなんだよね」
「ああ、だが時間的に夕食になるだろうからな。甘いものは良くないんじゃないか?」
「え?」
「いや、よくは知らないがカロリー制限とかあるんだろ?」
「ん……そんなものないよ?」
あれ?
歌手とかってカロリー制限があるものだとばかり思っていたが……。
「太らないように気を付けてはいるけどね。えっと……多分、そういう意味だよね?」
無邪気に笑いながらそう聞いてくる。
命はただ質問しているだけなのに、その様子が可愛い。
もし彼女が歌手ないしはアイドルになれば、そんなに可愛い笑顔をファンたちに振りまくのか。
立派な殺戮兵器だな。
これから数多くの男の心臓を射止めていくことだろう。
そんなことを冗談交じりに考えがらもオレは彼女の笑顔を目に焼き付ける。
「安心しろ。命は太らないよ。そんなに痩せてたらな」
「えー。もっと、スタイルいいとかって言ってよ。なんか痩せてるって言い方は嫌だなー」
「じゃあ、スタイルいい」
「めっちゃ言わされてる感!」
「言わされたようなもんだろ」
「えー、ひどーい!」
「っふ」
オレは軽く微笑む。
「あ! 統也くん今、笑った!」
「なんだよ。笑ったら駄目なのか?」
オレは優しめの口調で聞いてみる。
「ううん。統也くんが笑ってる顔、初めて見れたなーって思って」
命が後ろで手を組みオレの顔を伺うような仕草をする。
(……いちいち可愛い動作をするなよ)
「オレだって人間だからな。笑うことはあるさ」
「はははっ。何それっ……」
目を細め思いっ切りに笑ってくれる。
(何か笑うようなこと言ったか?)
「統也くん、おもしろすぎる! っははは」
笑い方まで可愛いと来た。
これは末期だな。
彼女が笑い終わるのを待っていたオレは、口を開く。
「満足したか?」
「……うん。ごめんね。統也くんが面白くって」
相当面白かったのだろう。
彼女は笑い過ぎて出ていた涙を拭き取る。
「いや、いいよ。良いものが見れたからな」
「……良いもの? なに?……良いものって?」
疑問符を体現したかのような表情で聞いてくる。
まあ、彼女にはオレが何を言っているか分からないだろうな。
あんたの笑顔の話だよ。
なんて言えるわけないしな。
*
「命、それで夕食はどうするんだ? もし良ければオレのお勧めの店に行かないか?」
彼のクールな平静とした喋り方でそう話しかけてくる。
統也くんのお勧め……? 普通に行きたいんだけど。
「え、行く! ちょうどお腹すいてたし連れてって」
「ああ、わかった。そこで夕食でいいか?」
「うん、もちろん!」
そんな風に言っているけれど、私の内心では全く落ち着いていなかった。
私はキュウとなっていた胸元に両手を当て必死に誤魔化す。
やばい、やばい、やばい。
これから私は、統也くんと、一緒に、お食事を、する……。
統也くんと……。
あーーーーーやばい。
だめ、落ち着かないと。
私の心が躍る。
まるで私の体のすべてが喜んでいるかのよう。
おかしい。
彼の隣を歩いているだけなのに、私の心音が激しく脈打つのが聞こえてくる。
落ち着け、私の心臓。
そして改めて気づく。
私はこんなにも彼を……。
「命? どうかしたのか?」
「えええぇ! ……どうもしてない、です」
心臓が飛び出るかと思ったよ! もう……。
あーびっくりした……。
「なんで敬語なんだ?」
「な、なんでもないよ?」
「そうなのか? 何か考え事をしているようだったが」
す、鋭いなー。
そうだった。統也くんはとんでもなく鋭い観察眼を持っているんだった。
忘れていたわけではないけれど、それでもやっぱり彼はすごい。
あの時の少年。
三年前のあの時の。
私は隣でゆっくり歩いている彼とかつてのマフラーの少年を重ねる。
うん、間違いない。
彼は、あの少年だ。
身長が随分と大きくなっているし声が全然違うから、最初はすぐにわからなかった。
おそらく急速な身長の成長と声変わりが原因。確かにちょうどそのくらいの歳だった。
それでも、間違えるはずもない。
彼は、あのとき私を助けてくれたマフラーの少年。
今、彼が私の歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれているのが分かる。
それだけでかつての彼だと確信することが出来る。
やっぱり好きだよ、統也くん。
こんなのずるいよ。
私は体中が熱くなるのを感じながら、隣を歩く統也くんに少しだけ近づいた。
*
「スコーピオン、あれからターゲットの様子は?」
フードを被った若い女性が近くの黒マスクの男に尋ねる。
どうやら黒マスクの男はスコーピオンと呼ばれているらしい。
会話している二人とも黒い装束を纏っており、緊迫した雰囲気が漂う。
「異常はありません、ですが……」
スコーピオンと呼ばれた男が歯切れ悪くなる。
「ん……? どうかした?」
「いいえ。ただ、ターゲットに絶えず纏わりついている男がいます」
「……男? 年齢はどのくらい?」
「おそらく高校生くらいかと想定されますが……」
「なら問題ない……。私が処理ろう。だが、その人、普通の高校生ではないのだろ?」
「はい。俺が仕掛けたマナ水晶に反応があったので、おそらく一般人ということはないでしょう。ただ……」
またしても男の歯切れが悪くなる。
「まだ何か?」
「その青年はマフラーをしています」
この言葉に少しだけ若い女性が反応する。
「ほう……本当にいたのか。名瀬の隠し子。……ただ、なんにしろ関係ない。ターゲットは今日、必ず確保する」
「ええ、分かっています。任せてください。そのために必要な準備は大方整いました。ターゲット……森嶋命を今日中に拘束、確保します」




