勝負の行方
*
同日の昼休み時間。
学食に来ていたオレと香は、昼食を平らげていた。
オレはカレー。香はラーメンだ。
「いや~、結構食ったな。このあとの昼授業で体育とかキツすぎだろー」
香がお腹をおさえながらそう言う。
ラーメン大盛りなんか食べるからだ。
「そんなに食ったらそりゃきつくなるだろ」
「逆に聞くけどよ、お前はそんなに少なくていいのか?」
そう聞いてくる香。
少ない? これが、か。
オレは自分の目の前にあるカレーライスを見る。
カレーの中盛りサイズとはいえ、カレーはカレーだ。そんなに内容量を少なくできる食べ物でもないだろう。
「いや、さらに逆に聞くが、香はなんでそんなに食えるんだ?」
オレは疑問をそのまま口に出した。
「んー、あー。もしかしたら一年のときに部活やってたからかもなー。胃が大きくなってんだろーな」
「部活? やってたのか?」
結構長い間、彼と共に学校生活を過ごしているが、部活をやっていたなんて話は聞いたことがない。
「ん、ああ、まあな。ほんの少しだけだよ。去年の冬頃にやめちまったけどな」
「そうか。だから意外とガタイがいいというか、体がしっかりと出来ているのか」
「ん……そうか? そんなことないと思うんだけどよ。なんか統也に言ってもらえると嬉しいな」
少し冗談交じりに語る。
その表情がなんとなく少し寂しく見えたのはオレだけだろうか。
「なんでだよ」
「……ん? 何が?」
「いや、なんでオレから言ってもらえると嬉しいんだ? 単純にそこが疑問なんだが」
「んん……実はよ。統也の体が仕上がってることは知ってるんだ」
そんなことを言い始める。
「どういう意味だ?」
「とぼけるなよ。俺はこれでも元選手コースだったんだ。自分で言うのもあれだけど、スポーツ面からの体格などにはかなり詳しい。統也が転校してきて教室に入ってきたときから、お前の全身骨格が他の人より強靭なことも、足腰が強力なバネになっていることも………いいや、そもそも統也の筋肉は高校生のものとは思えないほどに発達している。俺以外の人が見ても細マッチョくらいにしか思わないんだろうけどな。いつも長袖のブレザーを着てたり、体育の時も長袖長ズボンで隠してたつもりなんだろうけどよ。おまけにマフラーまでしてたからな。今日はつけてないみたいだけど」
なるほど。香も油断ならん奴だ。
直接オレの体を見せつけたわけでもないのに、こうも安々と分かってしまうものなのか。
別にバレてまずいというほどの事じゃないが、オレの体を見られないように体育の際のジャージ着替えの時など、隅っこでひっそりと着替えていたんだがな。
「筋トレが趣味だった時期があったんだ。今はもうやめたけどな」
嘘はついていない。
「ふーん。筋トレね~。にしては体幹が……」
やはり鋭いな。
ことスポーツ体格に関しての内容だけならオレよりも詳しいかもしれない。
通常の筋トレで増やせるのは持久的な筋肉のみ。運動に必要な瞬間的な筋力じゃない。
結論から言えば、筋肉さえあれば運動もスポーツもできるということにはならない。
「そんなことより元選手コースって言ってたよな。香は何の選手コースに入ってたんだ?」
オレは話を逸らすことにした。
「あ? ん? ああ。それは……あんまり、俺にとって楽しい話じゃないけど……」
「話したくないなら別に話さなくていい。ただ、部活も同じだったんじゃないかと思ってな」
「ふっ。いいよ。統也には教えてもいい」
少し自嘲気味に笑う。
こんな香は少し珍しい気もする。
そんなときだった。
「おうおう。これはこれは、東川じゃねえか」
オレたちの背後からそんな声が聞こえてくる。
東川とは言わずもがな香のことだ。
さらに、この嫌味ったらしい言い方と口調はどっかで聞いたことがある。しかも今朝。
「なんだよ、陸斗。今更俺に何を言いに来た。お前の言う通り、部活だって止めてやっただろう」
オレの隣に座っていた香が振り向きながら陸斗を睨みつける。
そう。声をかけてきた人物とは陸斗だった。
オレもゆっくりと振り向く。
陸斗の隣にもう一人、取り巻きの男がいた。
「東川、今から数十分後に始まる合同体育で俺はそこのそいつとバスケで勝負する」
そこのそいつ、というのはオレの事らしい。
「はっ!? なんでだよ!」
香が驚いたような怒ったような表情で陸斗を見る。
彼のこめかみに一筋の汗が垂れる。
「森嶋もいいと言ってくれた。俺が勝ったら俺とデートするとも約束してくれたしな」
陸斗がそう楽しそうに語る。
「なに!? 統也、それは本当か?」
「ああ、残念だが本当のことだ。オレは午後の体育の時、この男とミニバスケで勝負する。勝った方が命とデートするという約束だ」
オレがここまで言うと、香の顔の血の気が引いていくのが分かる。
そんな香とは対照的に陸斗は余裕の表情のままその場から去っていく。
「んじゃ、俺はこれで失礼させてもらうよ」
そう言いながら。
オレは彼がそのまま離れていくのを確認すると、口を開く。
「オレたちもそろそろ行かないと体育に遅れるぞ」
だが、返ってきた言葉は、このオレのセリフに対する返答としては不適切なものだった。
「無理だ……」
(ん……? 無理?)
「何が無理なんだ?」
「陸斗には勝てない。統也でも無理だ」
香が絶望したような雰囲気でそう言い切る。
「やらなければ分からない」
「いいや、やらなくても分かる。あいつに勝てるわけがない。選手コースに入れるくらいバスケが上手かった俺でも一回も勝てなかった。命の賭けの時だって、俺は……勝つことが出来なかった。もっとやれたはずなのに……くそっ!」
悔しそうにそう語るが。
なるほど。香のやめた部活とはバスケだったようだ。
「そうか。栞が二の舞になると言っていたのはこのことか」
一度香が賭けに負けていた。
どんな賭けをしたのかは知らないが、部活をやめたとか話してたからな。
もしかしたらそれが関係しているかもしれない。
これですべてに合点がいった。
命の「オレなら勝てる」というセリフも。
かつて香が負けてしまったけれどオレなら、という意味だろう。
栞が「よりによってバスケ」と言っていたのも。
色々あったんだろう。
オレは酷く落ち込む香を無理やり連れて、食堂を出た。
*
すでに5時間目のバスケの小テストは終わり、6時間目のミニゲームの説明がなされていた。
「……といった感じになる。基本ルールは普通のバスケと変わらないから、何か分からないことがあれば、バスケ部に聞くように」
体育の顧問の先生がそう言うと、生徒一同一斉に散らばる。
「さすがに4クラスとなると相当の人数になるんだな。改めて実感した」
オレは隣にいる栞に話しかける。
「五時間目も同じだったでしょ」
いつもより冷たい反応をされる。
「まあ、そうなんだが」
「うん」
栞はそう言いながら、眼鏡を外し、レンズを綺麗にしていた。
「やっぱり、怒ってるのか」
オレは横目に見ながら栞に問いかける。
「うん、それはね。だってとーやがバスケで勝負するっていう陸斗に乗るから……」
「それは悪かった」
「もういいよ。だって仕方ないし」
「許してくれるのか。優しいな」
「別に優しくないよ。命のこと守るのもすっごい大変だけど、自分の気持ち隠すのも大変なんだ。ただそれだけ」
「何の話だ?」
オレは明るい場所から真っ暗な闇へ落ちていくような感覚になる。
急に話が見えなくなった。
「さあね。なんの話だろうね。鈍感なとーやには多分一生分かんないよ」
「………」
「面倒だから、うちが貰っちゃおうかな」
オレが黙り込んでいると栞はそんなことを言い始める。
「何を貰うんだ?」
「この世界で最も鈍感な王子を、よ」
もっと意味が分からなくなった。
「すまない。何を言ってるのかさっぱり分からない」
「でしょうね。………そんなことより、もうすぐとーやの班の出番よ。陸斗との勝負、そろそろ始まるね。緊張してないの?」
「緊張? 生まれてこの方しかことがないな」
事実だった。
小さな緊迫感くらいなら感じたことがあるかもしれないが、緊張しすぎて…なんてことは一度もない。
「えっ……。さすがにそれは……すごいね。うちなんか大会前すぐに緊張しちゃうよ」
「大会前に緊張したら香の顔でも思い出せばいいんじゃないか?」
一応心理学的には、常に共にいる人、いわゆる仲のいい人や家族を想起することはヒーリング効果をもたらし、ストレスの軽減につながると考えられている。
結果、緊張が和らぐことがある。
「えぇ、なんで香なの? 確かに、それだと一周回って緊張しなさそうだけどさ」
そういう意図じゃないんだがな。
「香がダメなら、命やオレでもいい」
「それなら、とーやにする」
「うん?」
「みこはいつもうちと一緒にいるから今更って感じだしさ。とーやなら新鮮だしいいかなって」
「まあ、好きにしたらいい」
オレがそう言ったタイミングで係りの生徒がオレの班を呼ぶ。
相手である陸斗の班も同じタイミングで呼ばれる。
どうやら勝負の時らしい。
「好きなだけ負けてきな。ぼろ負けするだろうけど、うちが慰めてあげるから」
栞はいつもは見せないような母性的な目付きでオレを見送った。
「ああ、ありがとう」
オレは自分の班員と共にコートの内へ入った。
*
「おい見ろよ相手のチーム、ぼろ負けだぜ。かわいそうによ。はははははっ!」
「あのマフラーの転校生、少しクールだからっていつも命さんとか栞さんと仲良くしてるけどよ。あんなかっこ悪い所見せたらなんて言われるかな! いい気味だぜ」
「おい、陸斗すげえな、さすがだぜ」
「ああ、レべチだな」
「りくとーがんばれ~」
「きゃー! 陸斗くん、かっこいい」
周りから陸斗の声援ばかりが聞こえてくる。
まあ、そんなことは大した問題ではない。
今は「0対11」。
もうすでにかなりの点差が開いてしまったと言える。
「名瀬っ。もう諦めろ。俺が勝つ。お前のような雑魚には何もできやしねーよ」
オレの前方でドリブルしながら陸斗がそう話しかけてくる。
(今、話しかけないでほしいんだけどな)
構造式、立式―――――――。
軌道式、立式―――――――。
物理式、立式―――――――。
物理系運動量、測定完了。
全観測、終了。
(やっと終わった。このまま浄眼に映す。……それより随分と時間がかかった。バスケットボールくらいすぐに終わると思ってたけどな。その間に11点も取られたか……)
ダンッ―――――。
(いや、これで13点差か)
たった今ゴールにボールが入っていく。
距離的にスリーポイントではないが。
(時間的にまだ余裕もある。おそらく問題ないな)
オレは周りを見る。
オレの班員はすでに戦意喪失している者ばかりだった。
無理もないだろう。
陸斗は見るからに本当にバスケが得意なようだ。
ほとんど一人で得点している。圧倒している。
だが――――――。
すまない。
オレは心の中で陸斗に謝る。
「おい名瀬、無視するなよ。今朝は、三大美女を誘惑してハーレム気取ってたクソ野郎だったくせによ。おい、聞いてんのか? はあ……ほらよ、ボール一回だけやるから。これで元気でも出せよ」
にやけた彼がオレにボールを手渡しに来る。
一回でもシュートしてみろ、ということらしい。
随分となめられたものだ。
実際今の彼の表情はなめ腐っている。
だが、オレの準備はもう完了した。
「ありがとう」
オレはそう言いながらバスケットボールを受け取り、そのままその場でボールをシュートする。
「なにっ!?」
周りが驚くのも無理はない。
オレのいるこの場はゴールとは反対側のハーフラインを越えていた。
つまり距離的にはスリーポイントどころの話ではない。
「おまっ! あんなでたらめなシュートが入るわけがないだろ!」
目の前の陸斗が吠える。
「残念だが、あれは入る」
オレのこの言葉と同時に「シュパッ」とシュートしたボールがゴールインする。
周りがどよめき始める。
「うそだろ!」
「あの距離だぞ!」
班員、敵班の人たち共に騒ぎ立てる。
さらにオレは素早く取られたボールを奪い、そのままシュートを入れる。
さっきのスリーポイントと重ねるので「+3点+2点=+5点」になる。
「お前! どいうことだ!」
陸斗が物凄い目付きでそう叫んでくる。
周りは歓声で良く聞こえない。
「どういうことも、こういうこともない」
オレはさらに次々とボールを奪いシュートしていく。
ゴール率、いわゆるシュートの成功率はほぼ100%で。
「くそっ! また抜けられた! そいつをマークしろ!」
陸斗が班員に向かって怒鳴る。
陸斗。さっきと違って随分と焦っているようだな。
オレは別にバスケの選手になりたいわけじゃないし、シュートが上手いわけではない。
だが、オレがいた中学の平均運動水準から考えれば、陸斗は決して勝てない人物ではなかった。
(周りは歓声でうるさいな)
「おい、そこの奴、何やってる! 名瀬を通すな!」
陸斗が、オレのドリブルで抜かれた男子生徒にそう強くあたる。
オレは目の前に来た陸斗をも簡単に抜き、シュートを入れる。
「ピー! はい終了です」
係りの生徒が笛の音を鳴らしそう宣告する。
「ちっ! クソッ!」
陸斗が地団駄を踏む。
点数掲示板には21対15。
オレの班が21点。
陸斗の班が15点。
つまり、オレの勝ちだ。
これは実力差ではなく、基盤となる前提の差で勝てた。
この意味が分かる人間は茜くらいしかいないだろうな。
そんなことを考えながらジャージの上着を脱ぐ。
さすがにオレでも運動すれば汗はかく。
中央に集まり、敵同士で礼をする。
オレの向かいに陸斗が来る。
「どういうことだ。お前、一体何者なんだ」
「だから、どういうことも、なにもない。オレは別にバスケが苦手なんて一言も言ってないしな」
「ちっ! ゴミが……。良かったな。まぐれのシュートがいっぱい入って。まあ……次は必ず潰す」
憎しみがこもった目で睨みつけられる。
「好きにしろ」
お前ではオレを潰せない。
オレはコートから出る。
他の班で試合をしていたであろう香を含め命、栞が近寄ってくる。
「すごいよ、すごいよ統也くん! さすがだよ! すごすぎる!」
命が嬉しそうな無邪気な笑顔でそう言ってくる。
かなり興奮した様子だ。
正直、随分可愛らしい。
「そうか? まあ、こんなこともある」
そう言っておいた。
「で、でもこれで私とデートしなくちゃいけなくなったよ?」
「ああ、予定が空いてるなら今週末にしようか」
元々は香にデート権を譲るつもりだったが、そんなことを軽々しく言える雰囲気でもないしな。
それに……。
なんとなく、オレがそのデートの場にいたほうがいい気がする。
「……本当にいいの?」
心配そうな表情で命が聞いてくる。
「いいもなにも約束だろ?」
「う、うん……。そうだけど」
「いいから行ってこいって。楽しんで来いよ」
見かねた香が命に言ってくれる。
本当は自分が好きである女子に、他の男とのデートになんて行ってほしくないだろうにな。
「それよりお前、バスケ強かったのかよ! 俺が来たのは最後の方であんまり試合見てなかったんだけどよ」
香はオレの肩に腕を回す。
「いや、たまたまだ。今回はたまたま上手くいった」
「は? たまたま? んなわけないだろ~」
こんな風におちゃらけた香や興奮気味の命とは異なり、栞の様子は少し妙だった。
「とーや……」
何故か栞だけは浮かない顔をしていた。
*
数分前、とーやの試合を見て思ったことを率直に述べるなら、それは「正確すぎる」だった。
うち……木下栞はかなりバスケに詳しいし経験もある。
香も同じようなものだろうけど、彼は自分自身の試合に出てたからほとんどとーやと陸斗の試合を見ていなかっただろう。
彼がとーやたちの試合を見に来たのは終わる寸前だった。
うちはそんな香とは違い最初から彼らの試合を見ていた。
だからか、わかった。
とーやが陸斗を圧倒したのはバスケットの上手さじゃなくて、もっと別のものだと。
とーやの精密なシュート、圧倒的な瞬発力、素早い動き、遠くからボールを投げられる腕の筋力。
それらすべてが陸斗を上回っていた。
すごい、と興奮しながら冷静にとーやを観察した。
とーやのかっこいいところをまた見つけてしまったという想いと、命に申し訳ないという想いと、でもこれで命とクズの陸斗をデートに行かせなくていいという安堵とで精神はぐちゃぐちゃ。
けど。
落ち着いて彼の動きを見なきゃ、そうも思った。
試合開始直後とーやはやたらとバスケットボールを見ていた。
そのときの彼はほとんどその場から動かなかった。
まるで何かの準備をしているように……。
そして彼の目が一瞬青く光ったような気がした。
いや、何を考えているんだ、うちは……。
そんなわけない。
人の目が光るわけがない。
うちは首を左右に振る。
はっきり言う。うちはとーやが好きだ。異性として。男性として。
かっこいいとも思うし、守られたいと本能的に思ってしまう。そういうきらいがある。
だからどうこう思いたくはない。
けれど、彼が見せた精度の高いシュート。あれは正確すぎる。
あんなにシュートが入るならバスケのプロを目指した方が……。
いや、それは言い過ぎかな。
でもとにかく、あれは異常な気がする。
うちと同じくとーやのことが好きすぎて盲目な命にさっき聞いてみたけど、目が青くなんてなってないと言うし、やっぱりうちの勘違いだったみたいだ。
「どうかしたのか?」
とーやがうちに向かって話しかけてくる。
うちがボーっとしていたからだろう。
「え? あ、大丈夫」
うちは咄嗟にそう答える。
なにが大丈夫なんだか。
とーやに話しかけられて心臓がドキンとしたくせに。
* 風邪が治らない……。




