意向
*
同日。
陸斗という嫌味な男子とひと悶着あったものの、あの後の命と栞は随分と落ち着いたようだった。
栞が物凄い憤りを表していたのは言うまでもないが、命もオレと栞を馬鹿にされたことに相当腹が立っていたらしい。
陸斗と会話した先ほどは平静を保っていた様子だったが、校内へ入ると少し不満そうに文句を述べていた。
オレは自分の教室であるCクラスに着く。
教室のみんながオレを見ると決まって、「マフラーはどうしたのか?」という旨のことを聞いてくる。
今のオレがマフラーをしていないからだろう。
そしてオレの方は毎回「失くした」と説明する。これの繰り返しだ。
「名瀬がマフラー巻いてないなんて珍しいよな」
クラスメイトはどうやらオレをマフラーを必ず着けている男、と認識しているらしい。
いや………間違ってはないが。
オレが自分の机に教科書や参考書などを入れ、授業の準備をしていると香が走って教室に入ってきた。
かなり息を切らしている様子を見ると、余程急いで走ってきたらしい。
彼が登校してきたということは、もうすぐ八時半か。
「キーンコーンカーンコーン」
いつも通りの学校のチャイムの音が鳴る。
これではまるでオレが預言者みたいだな。
予言のタネは香が登校してきたから、とな。
預言者と言えば、数か月前、鈴音さんからそう言われたのを思い出す。
成瀬さんは預言者ですね―――――――と。
彼女は今頃何をしているのだろうか。
雷電一族である彼女ほどの異能力があればすぐに名前が挙がってくるかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
いや。もしかしたら彼女は今…………。
「あっぶねぇ。ギリギリセーフ!」
香がセーフポーズをしながら教卓の前にいると、担任の二ノ沢楓が教室内に入ってくる。
「東川くん、そこで何してるのかしら?」
「香は今、大事な審判をしているんですよ」
ケラケラ笑いながら、坊主頭の野球部が冗談を言う。
このジョークは幾分か分かりずらいな。
おそらくセーフを意味するセーフポーズ。右手と左手を左右真横に、手の先をそれぞれ伸ばすこのポーズは本来、野球の審判ジャスチャーが元になっている。
「野球の審判をするのもいいけど、早く席についてもらえる?」
どうやら楓さん、もとい二ノ沢先生にはこの冗談が理解できたらしい。
「は~い」
香は元気よくそう返事する。
それが合図だったかのように先生はホームルームを始めた。
*
「………ということで、今日の一時間目の古文は自習にするわ。各自古文のワークを進めておくこと。もしも終わらなかったら、その分を今日の課題にするから」
二ノ沢がそう伝達すると、クラスの生徒たちは「えー」と声を上げた。
自習は嬉しいんだろうが、最後の方に伝えられた「課題にする」という部分に心が折れたのだろう。
オレにとっては正直そんなことはどうでもいい。
そもそもオレの学力レベルは「理系大学卒業」可能な程度。入学ではなく卒業。
結果、今のオレからすれば普段から行われている授業はあまりにも容易なものだった。
(茜はそれより上、つまり博士号クラスの水準になるのか。あっちで大学となるとそういうことだろうな)
というか根本的に、オレは勉学が目的でこの学校へ訪れたわけではない。
このクラスに居るある人物の監視とその人物の情報的な捕捉。これが真の目的であり、オレがここにいる理由だった。
だがどうやら、一番後ろの席にいるその人物はオレが思っていたほど危険人物というわけではないらしい。
そろそろホームルームが終わり、授業が始まる頃。
「名瀬くん。ちょっと来てくれる?」
そう呼びかけられる。
統也という名前ではなく名瀬という苗字で呼んできたことに違和感を感じつつ、オレは席から立ち上がり先生のところへ行こうとする。
「お前、なんかやらかしたのか?」
後ろの席の香が少しだけ心配そうに聞いてくる。
何もやらかしてないはず……。
強いて挙げるとするならば、今日の朝に陸斗と色々あったくらいだが、あれはオレたちの問題だし先生が介入してくる筋合いはない。
「いや、なんもしてないと思うが」
オレはそう言いながら、歩いて教室を出ていく二ノ沢先生の跡についていった。
*
「二ノ沢先生、このままだと授業時間が始まりますが?」
オレと彼女は職員室へと続く廊下を歩いていた。
「統也くん、そんなに自習がしたいの?」
どうやら授業の時間を削り、何かをする場を設けたいらしい。
「いえ、別にそういうわけでは……ただ、これでろくでもない用事だったら怒りますよ」
オレはチラッと彼女を見る。
彼女は余裕のある表情を浮かべているだけだった。
「大丈夫よ。もう分かってると思うけど、ただの呼び出しじゃないわ」
そんなことは知っている。
「でしょうね。でも一時間目を自習にしてまですることですかね。そもそも、これ以上何をしろっていうんです? 報告とか諸々終わったと思いますが」
もし授業を丸々一時間潰してまで話さなければならないことがあるとすれば、三日前の金曜日に遭遇したCSSの事だろうが。
ただ異能士関係の話であることはなんとなく察することが出来た。
「まぁ話せばわかるわ」
彼女は職員室の隣にある対話室のドアを開ける。
(話せば、ということは会話が目的か)
ドアを開けた向こうには部屋があるだけだと思ったが。
どうやらそういうわけではないらしい。
「名瀬、おはよ」
室内で透き通ったような声が凛と響く。
「ああ、おはよう。里緒もここに来てたのか」
「うん。まあね」
正面のソファに座る彼女を見ると、オレが贈ったヘアピンを今日も付けてくれているのが分かった。
いつも通り、オレから見た左側の耳だけが髪から出ている。ヘアピンで留められた髪が彼女の右耳にかけられているからだ。
里緒の黒髪セミロング、ストレートヘアはいつ見ても綺麗だな。
オレはストレートロングの女性が好みなので自然とそう思う。
制服ともよく合っているので、とても美景だ。
彼女の制服姿はすでに何度か見ているが、私服とはまた違った雰囲気を見せる。
「ええ、里緒のいるBクラスの担任には話しておいたから、一時間目は出席しなくても大丈夫なようにしてあるわ」
どんなことをすれば授業に出席しなくて良くなるのか知りたかったが、ここではそれを口にしない。
オレは対話室のドアを閉めながら、対話室全体を囲むように「避役の檻」を展開する。
檻の蒼い表面を不可視化し光学迷彩へと変換するとともに、空間振動を完全に断ち切ることで内外との音波伝播を完全に遮断する。
これが「避役の檻」の効果。
元々檻は空間を制御するためのもの。音波が伝わる振動波を断絶すればいい。
急に檻を展開したのにもかかわらず、里緒が少しも驚かないところを見ると、伏見家か霞流家で防音と迷彩を兼ね備えた結界術をすでに目にしているのかもしれない。
「これでいいですか?」
オレは二ノ沢に向かって結界術の確認をする。
「いいわ、ありがとう。私も同じように隠密結界を建てるつもりだったからむしろ手間が省けたわ。……でも、別家の里緒のいる前でその檻を見せて良かったの?」
「はい、構いませんよ。オレは別に名瀬家のことを味方だとは思っていませんし、それに……オレは里緒を信頼しているので」
里緒が微かにオレから顔をそらしたのが視界の端で見えた。
「あなたたち、本当に付き合ってないの?」
ニヤニヤしながら二ノ沢がそう言いだす。
前にも付き合っていないと言ったはずだが。
「もし付き合っていたら、まずいんですか?」
「―――――えっ」
オレの言葉を聞き、驚いたような声を上げたのは二ノ沢ではなく里緒だった。
(あ、この聞き方は良くなかったか。捉え方にもよるが、告白ととれなくもない。単純に仮定のことを聞きたかっただけなんだが……)
「いいえ。まずくないわよ。ギア同士の男女が結婚するなんて話も結構ざらにあるしね」
呆れたようにそう言う彼女を見ると、どうやら同期のギア数組はめでたく結婚したらしい。
「というか、こんな話してていいんですか? オレたちの授業を潰してまで取った時間なのに」
「……そうね………本題に入りましょうか」
さっきまでの悪ノリしていたふざけた雰囲気とは異なり真面目なオーラを発する。
彼女の目はもう真剣そのものだった。




