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ギア

  


「なあ、影……。オレと取引しないか?」

 オレは数メートル先にいるであろうA級影の赤い()を見つめながら、言い放つ。


「えっ、ちょっと、は?……何言ってるの?」

 少し小さめの声量で彼女が言う。

 また、身体が痛むためか辛そうにしている。


 辛そうなのとは関係ないが、この里緒の反応は当然と言える。

 影は人間との意思疎通はできないとされているからだ。

 影相手に話かけるというオレの行動は不可解でしかないだろう。

 極端な話をすれば昆虫のアリに向かって真面目に話しかけているのと同じようなもの。

 普通の異能士ならそう考える。


 体中を痛そうにしている里緒に対して、オレは「あること」をした。

 ……これでもう大丈夫だろう。元々この程度の出血で即死はないが、それでもこの処置はしておいた方がいい。


「あれ……体が軽くなってる……。痛みまで引いていく……これは……名瀬、何をしたの?」


「心配するな。それはオレの特殊な異界術(いかいじゅつ)による効果だ」

 異界術(いかいじゅつ)とは、マナを利用し筋力強化や、人間の非力(ひりき)な防御力を向上させてくれる技のことだが、その異界術の中には、人間の自己回復能力を飛躍的に上昇させるものもある。


「そんなものまで……名瀬、あんたは……」

 そう言いながら、里緒は体を起こす。


「座るくらいなら問題ないかもしれないが、立ち上がるのはまだ止めておいた方がいい」


「うん、わかった」

 任務が始まる前の調子とは異なり、控えめにそう言う。


 オレは里緒に忠告したあと、再び影に向き直る。

「やっぱりな。お前、オレの言葉が分かるんだろ? もし分かんないならオレと里緒が会話している最中にオレに攻撃を仕掛けて来る。普通の影ならそうするはずだ」


「名瀬、何してるの? あいつは影よ? 言葉なんか理解できるわけ……」

 里緒はまだこの状況が()()めていないらしい。


「ああ、分かっている」


「分かってるって……。分かってないでしょ、どう見ても。影に話しかけるなんて」


 オレはそう話す里緒を無視し重ねて影に話しかける。


「影……。オレはやろうと思えば、今すぐにお前を殺せる。だから大人しく引き下がってくれないか?」


「…………」

 影からの返事や回答はない。


 オレはさらに追い打ちをかける。


「オレの話している意味が分かるなら引いてくれ。オレが今のあんたを殺せないのは、里緒を檻で防御している分、そっちに脳のリソースを回さなければいけないからだ。異能演算の関係上オレは檻を二つ以上展開することが出来ない。なのにもかかわらず、里緒のために一つ檻を使用してしまっている。この状態では瞬速(しゅんそく)も使えない。でも仮にオレが里緒のガードを()めればオレはお前を殺せるだろう」


「待って、名瀬……それは取引にすらなってない」


「いや、なってるんだよ。オレの見立(みた)てでは……な」


 今の里緒は軽く治療したとはいえ怪我人であり、足手(あしで)まとい。その里緒の檻を取り除いて戦闘すれば確実に影は里緒を狙う。

 つまり、普通に考えればオレのほうが不利な状況からの交渉となる。

 一般的に交渉や取引は始めから対等の状況からスタートするのがマストであり、重要な要素にもなる。

 だがそれは一般的な状況下での話。


 もう一度口を開こうかと思った次の瞬間、オレはとんでもないものを目撃する。


「影が……笑った……? そんな……」

 どうやら里緒も見えたようだ。

 里緒が激しく動揺しているのが分かる。

 影のその上がった口角(こうかく)は夜の闇の中でもひと際目立つような口元だった。


 しかしこれで確定した。こいつ等……影人には何かしらの意思(いし)がある、と。

 人間の社会性や感情面までも理解しているととれる。

 一部の影だけがこうなのか、それともすべての影がこうなのかは知らない。だがこれは異能士世界での大きな進歩と言える。


 オレも右側の口角を少し上げる。


「おそらくオレの速度なら、里緒の檻を()いた瞬間にお前を()り殺せる。だがオレにもリスクはある。万が一、オレがお前を()りそびれた場合、里緒が()られる」


「あっ…。それであたしが殺されたときに、その(すき)を狙えば統也があの瞬速(しゅんそく)を使って影を殺せる……」

 どうやら里緒も気付いたらしい。


 結論から言えば、最終的にはオレは影を()れるということになる。そのかわりこちら側は里緒が殺される可能性がある。

 このまま戦えばどちらにせよ影は死ぬのだから、奴に利点はない。

 これはオレの瞬速(しゅんそく)(じか)に感じたこの影に対して取引するから成立するもの。


「…………」

 相変わらず影は喋らなかったが、こちらを向きながら後ろ歩きで離れていく。

 そのあと何回か跳ね上がることで廃墟の家の屋根上にあがり、その上を走り去っていった。


「取引成立、のようだな」


 どうやら、日本語がしっかり通じたようだ。

 そしてA級影人なだけはある。他の影とは経験が違うのかもしれない。

 こいつが少しでも物分(ものわ)かりの悪い影だった場合、未来は変わっていただろう。

 

 取引が上手くいって良かった。

 正直に言うとオレは奴を殺せた。だが、里緒が殺される可能性が残るようでは意味がない。

 里緒はオレのギアになる人物。彼女が死ぬのは困るからな。


 ………いや、そんなことじゃないな。

 きっとそんな理屈がなくても、オレは彼女を死なせられない。


「影が……取引に応じた? もう(なに)(なん)だか分からないっ」

 里緒は訳が分からないというように、頭を抱える。


 そんな里緒に、彼女の周りの檻を解除しながらオレは伝える。

「里緒、これからオレのギアとして一緒に活動してくれるか?」


 道路に未だ座り込んだままの彼女は右側に垂れた髪を耳にかける動作をしながら、立っているオレのほうを向く。


「あたし、あなたがこんなに強いなんて知らなかった。失礼なこともいっぱい言った。ごめん……。あなたの忠告を聞いていれば、あたしはこんなにならずに済んだ。あたし、自分勝手で最低だよ。それでも……あたしでいいの?」


「ああ、いいんだ。オレだって悪いことをした。すぐに助けに来てやれなかったしな」

 言いながらオレは無地紺色のマフラーを首に巻き直す。


「……あたし名瀬ほど強くないし、一緒にやっていけないかもよ?」


「徐々に強くなればいい」


「……きっと、さっきみたいに足手(あしで)まといになるよ」


「かもしれないな……。けど、これで、足手(あしで)まといになる人間の気持ちが理解できたか?」


「は?……え?」

 里緒は困惑した様子だ。


足手(あしで)まといだとあんたが切り捨ててきた人間の気持ちが分かったか、って言ったんだ。足手(あしで)まといになる側の人間だって精一杯やってる場合がある。中には懸命にやらない奴もいたかもしれない。だがな……初めから足手まといになる人と足を引っ張られる人の間にある(みぞ)()まることはない。だからこそ片方が追いつくために頑張ってみる。だがあんたはそんな人たちを(こば)んできたんじゃないのか?」


「全部が全部じゃないけど、名瀬の言ってくることは正しい。みんな役に立たないって、そう思ってた」


 オレは頷く。


「異能士の人口は少ない。だからこそギア同士のレベルが一致することの方が珍しいだろう。結果的に片方が苦労する。足を引っ張ってしまっている人からすれば、追いつかない壁があるから苦悩する。今の里緒になら理解できるんじゃないのか」


 かつてのオレがそうだったからな。オレにもよく理解できるものだ。


 彼女はオレに檻の異能演算リソースを()かせただけだった自分を足手(あしで)まといと感じていることだろう。


「ふっ……」

 何かが吹っ切れたように笑いだす。

 彼女はオレに初めての笑顔を見せる。


 なんだ。こんな顔もできるんじゃないか。


「何がおかしいんだ?」

 オレも意識的に柔らかい表情を作る。


「いや……なんでもない。ただ、あなたはすごいなって、そう思って……。でも、あたしそれでも足手(あしで)まといになる。今回の件でそれを強く感じ取った」


 まだそんなことを言っているのか。


「それは違うと思うぞ」


 そう―――――。

 それは違う。

 ギアとは、そういうものではない。


「違う? なにがかな?」

 憔悴(しょうすい)した顔で里緒はよくわからないとでも言うように聞き返してくる。


「里緒、ギアという言葉の由来を知っているか?」


「……ギア? 異能士が組むツーマンセルのことなのは知ってるけど、由来は知らない」


「ギアの本来の意味は英語のgear(ギア)、つまり歯車(はぐるま)を示している。歯車(はぐるま)は、一つだけでは回らない。だが()()った二つの歯車が存在すれば、確実に回転する。歯車(はぐるま同士が噛み合っていなかった場合上手く回転しないのは言うまでもないだろう。これは異能士同士でも同じことがいえる」


 里緒はこくりと小さく頷く。


「うん。今までのあたし………だね」 


「だから、噛み合わせればいい。噛み合いさえしていれば、片方の歯車(はぐるま)を動かすことで、もう片方の歯車(はぐるま)を動かすことが出来る。もしくは二つの歯車(はぐるま)を利用して大きな動力を伝達することまで可能になる」


「なるほど……だからギアって呼ばれてるのね」


「ああ。そして、オレたちも同じだ。初めは難しいかもしれない。それでもオレたちは互いに噛み合うまで進むしかない」

 オレは彼女に手を差し伸べる。

 暗闇の中、(わず)かな街灯の明かりに照らされていた彼女はオレの右手をじっと見つめる。

 

 彼女は今、色んなことを考えているだろう。

 里緒が今まで足手まといと感じていた存在、それが今日彼女自身になった。

 どこか心に残る複雑な気持ちがありながらも、オレの語っていることが間違っていないことは認識できるはずだ。

 自分は最強だと、誰よりも強いのだと、そう勘違いするのは勝手だ。

 だがその思想から勝手に他人を足手まとい、雑魚扱いするのは違う。


 楓さんから聞いた。里緒は異能の強さがすべてだと考えているらしい。

 異能が強いなら異能士も強いと――――。

 異能さえ強ければ、それでいいと。


 どうしてそんな偏った考え方になったのかは知らないが、その思想は間違いだ。

 現に影を利用し里緒を襲わせた三宮(さんぐう)(なにがし)。三宮家でどんな立場にある人間かは知らないが、あいつの使用する異能『糸』自体はとても強力なものだったはず。

 だが、精度、練度、展開速度、マナの使い方、異能の応用法。すべてにおいて()るに()らない低水準なものだった。

 


「わかった。そんなにあたしとギアを組みたいなら……組ませてあげてもいいよ」

 里緒は微笑(ほほえ)みながらオレの手を取り、立ち上がる。


 オレと里緒は街灯の明かりの(もと)で互いをギアとして認めた。



 こうしてゴールデンウィーク初日は幕を下ろした。




ギア(gear)

……伏見旬が考案した異能士の最低限活動単位で、二人一組(ツーマンセル)。基本この単位で影人討伐の依頼を受ける。


(おまけ。この先出てくるもの。ネタバレなし)


第三級異能(エメラルド級)

……知覚や第六感などの感覚系異能。数秒先の予知能力や感情を色として捉えられる能力、嘘を見抜く能力などがある。(例、名瀬統也・浄眼)


第二級異能(ルビー級)

……この世の物理現象や化学変化などを利用する、科学的に実証できる事象を変換する異能。炎や氷を攻撃用途に変化させる能力などがある。(例、霞流里緒・波動振(パルスブレイク)  雷電凛・(イカズチ))


第一級異能(ダイアモンド級)

……異能体(いのうたい)というこの世ならざるモノを操る異能。IW国内では檻、衣、糸、結界、呪いなどがあるとされている。しかしながら正確なことは何も分かっていない。(例、伏見玲奈・衣)

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