取引
*
何もない底なしの暗闇の中、あたしの周りに人が現れる。
「自分勝手な行動は慎んでくれ! これはお前だけの任務じゃないんだぞっ!」
初めて組まされたギアの相手があたしにそう怒鳴りつける。
「じ、次元が違い過ぎる……」
楓さんに頼んで変更してもらった二回目のギアの相手だった。
「ふ、ふざけるな!! 100%、お前のせいで僕は怪我したんだぞ!」
三回目のギアの相手だ。
彼の名は三宮拓海………三宮家当主・三宮拓真さんの弟だと聞いていたから割かし期待していた。だけど実態は酷いものだった。
あたしより5つも年上だというのに、あたしを巻き込み、あたしに任務失態の責任を押し付けてきた。
「里緒ほど強い人と一緒にやっていくなんて無理だ。俺はまだ死にたくないんだ」
四回目のギアの相手。
彼は、私の戦闘ペースにはついてこれないと言う。
「そのお誘いは嬉しいし、とても光栄なことだとも思います。それでも私は里緒ちゃんと一緒にやっていける自信はありません。実力面ではなく連携面で、です。里緒ちゃんとギアを組めたら楽しいでしょうね……。だとしても私はあなたとは組みません」
異能士学校主席のあたしでも唯一決闘で勝てなかった人物。
リンネ……。あなたまであたしを拒絶した。
あたしはずっとリンネに勝つためにやってきた……リンネを超えたくて。なのに……。
「君が助けてほしいと思ったときに、ちゃんとオレに言ってくれるか?」
まだ名前も知らない彼。
皮肉だな……彼だけがあたしにそう言ってくれた。
あたしのことを大して知りもしないはずの彼。
異能士階級がない彼。
五回目の見習いギアの相手。
そう。これは夢だ。
あたしは少しずつ意識を取り戻し始める。
微かに、そして不明瞭な視界が広がる。
道路に広がる大量の血………。
あたしを飲み込みそうな真っ暗な夜空………。
あたしは道路に横たわっているようだ。
……そうだ。思い出した―――――。
脇腹の痛みで立ち上がれなくなったあたしは最後、力を振り絞り、有りっ丈のマナを消費することで波動振を道路に叩きつけ、強力な衝撃波を発生させたんだった。
あたしを中心にして道路や建物に波形状の損傷があるのは、そのためだろう。
どうやら、その衝撃波で変形手を持つ影を吹き飛ばすのには成功したようだ。
だがすぐにまたあたしを殺しに来るだろう。
現にあたしのことを囲むかのように二体の影がいる。……が、様子がおかしい。一切動く様子がなく、まるで銅像のよう立ち尽くしているだけだ。
「立たなきゃ……」
そう思うが、体中から強烈な痛みが生じることで手足が震える。そのせいで立ち上がることは出来なさそうだ。
このままではあたしは出血多量で死んでしまう。
そう考えているとき、あたしの視界に入る方の影が突如カクンと動き出す。反対側にいる影も動き始めた気配を感じ取る。
やばいな……このままでは………。
もう一度地面に波動振をぶつける? いや、波動を展開している時間がないし、そもそもそんなマナはもうあたしの体の中には残っていない。
ギアに頼る? いや……もうあたしは十分に待った。あれから随分と時間が経過しているはずだけれど、彼はあたしを助けには来ない。
つまり階級のない彼には、影に立ち向かう勇気なんてなかった。それだけのこと。
影は走って、弱っているあたし目掛けて向かってくる。
彼ら――――影たちの瞳がいつもよりも赤く光っているように見えた。
あたしは、このまま殺されるわけにはいかない。
僅かな時間で波動を道路にぶつけるしかない。マナ残量もなければ、異能の発動調整の時間も足りない。
それでも、あたしに出来ることはもうそれしかない。
「脱死してでもあんたらを吹き飛ばす!」
(*脱死……マナ欠になり死亡すること。またその死因)
分かっている。分かっているのよ。
ここで影を吹き飛ばしても、それは吹き飛ばしただけにすぎない。
彼らを討伐できるわけじゃない。
分かっている。そんなことはもう分かっている。
ごめんなさい。お母さん、玲奈さん、リンネ………。
「違う。君が今すべきことは、影を吹き飛ばし脱死することじゃない。ただ一言、オレに助けてと……そう言うだけで良かった」
名も知らぬ「彼」の声が、どこからともなく聞こえてきた。
*
「違う。君が今すべきことは、影を吹き飛ばし脱死することじゃない。ただ一言、オレに助けてと……そう言うだけで良かった」
オレはそう語りながら、里緒の周りに半球状の青い檻を展開し、囲む。
なにも檻は正方形型、もしくは水平の壁状にしなければならないというものではない。
実際には、檻に使用する「面」が少なければ少ないほど展開終了までの時間が短くなる。
六面の立方体である檻よりも面が一つしか存在しない球形の檻の方が展開速度が大きい。
オレの檻により間一髪、里緒目掛けて攻撃していた二体の影から彼女を防御することに成功する。
「あなた、どうして……? あたしがこんなに血だらけになっても知らん振りしてたくせに……。なんで今さら……」
「すまない……」
本当は三宮家の介入があったこと。それを止めに行っていたことなど、彼女に早急に加勢できなかった理由は存在する。だがオレはそれを彼女に言うつもりはない。
大体にして、この任務を拾ってしまったのはオレだ。オレが無理やりにでもこの依頼を断っていれば、こんなことにはなっていない。
楓さんの口車に乗せられたオレの責任だ。
「しかも、この異能……まさかあなた……いや。そんなわけない……」
オレの檻を見て何か思うところがあったのだろう。
異能士の世界で檻というのは名瀬一族特有の異能だとよく知られている。だが、実際にその異能を目にしたことのある人間は少ないだろう。
オレは影たちに近づいていく。
「来ちゃダメ! お世辞にもこの影は弱くないっ……。階級のないあなたじゃ、倒せるはずがない……」
彼女は横たわりながら、オレが展開した半球状の檻の中でそう一生懸命に言ってくれる。
「アメリカやイギリスのネイティブスピーカーは英検を持っていない。……でも英語は話せる」
「……えっ……は…? 何言ってるの」
オレはマフラーの大きな一振りで二体の影を一線し、二体ごとまとめて空間的に切除する。
一帯に空間が切れ込んだ圧力がかかる。
その圧力が、勢いをつけた風になり辺りを吹き飛ばす。
オレは白いシャツの上に黒いパーカーという恰好の私服を着用していたが、そのパーカーも、オレの斬り込みによる風力を受けてなびく。
「………っえ!? どういうこと……」
里緒は動揺を露わにする。
無理もないだろう。階級なしの異能使いがB級の影を秒で両断するのだから。
オレは真っ二つになっている影の切断面をよく観察することで、核を発見する。
「そこか……」
(三宮の奴……糸操術の被術体である影に細工していたか。二体の影が持つ核の位置をずらしやがったな……。どうりで一回目に里緒が攻撃した際、不意打ちでも殺せなかったわけだ)
オレは檻を付与させたマフラーを鞭のようにしならせて、その先っぽを槍のようにし、右側にいる影の……本来とは違う位置にある核に突き刺す。
奴の核に突き刺さった際、紫色の火花が散乱する。
途端に右にいた影の体がプラチナダストとして蒸発、いや……消失していく。
消失し終わったかと思うと、紫紺石が地面に落下する。
それと同時に左にいた影がこちらを向き、オレの元まで走って殴りかかってくる。
オレは左手を前に出し、左にいる影に向かって手のひらを広げる。
「消えろ……影」
オレは他の人には聞こえないような声でそう言いながら、檻で作った圧縮空気弾をぶつける。
グサッ……。
空気弾が影の体を新幹線のような速度で貫通する。
その速度が原因で衝撃波が発生し再びオレのパーカーがなびく。
その後に核が割れる破壊音が鳴る。
パキッ……パキンッ。
同様に、この影も紫紺石を残し消失していく。
その一連の流れを見ていただろう里緒は静かめに呟く。
「これが……階級なし? あなた……一体何者なの?」
「……そういえば、まだオレの名前を教えていなかったな。オレの名前は、名瀬統也だ」
「な、名瀬……? 御三家の、あの?」
「ああ、そうだが」
「じゃあやっぱり、このあたしの周りにあるドーム状の、これは……檻?」
自分を球状に囲む檻を見ながら里緒がそう訊いてくるが、オレは彼女の方を向かない。
「その話の続きは後にしていいか? こいつはさっきみたいに瞬殺ってわけにはいかない」
「え? それは……どういう?」
彼女にとってはオレの言っている意味が分からないだろう。
こいつの殺気を捉えるにはそれなりの場数を踏む必要がある。
元々、オレが三宮の糸操術に気付いたのは、影のレベルレートを知った後だった。
先ほどオレが倒した影は二体ともB級より少し弱いくらい……言うなればC+級……だった。
そして残りの一体……こいつは特別だ。
こいつはっきり言って化け物。レベルレート的には正真正銘のA級だろう。
つまり、楓さんは見習いギアであるオレたちに、A級の影を討伐するような依頼を受けさせたということになる。
だから言わせてもらうが、彼女は頭がおかしいし狂っている。
オレが杏子の弟という理由だけで勝手にオレの強さを過信し、何の問題ないとそう思っているのだろう。
先程からオレにとてつもない殺気を向けていたA級影人が、オレの見つめる先から、真っ直ぐ爆速で攻撃してくる。
ビュン。
物凄い速度により、空気が切られるような音が鳴る。
オレはマフラーを使い、奴の変形手の剣を流す。マフラーと奴の剣の表面にあるマナが衝突したため、白く発光する。
その攻撃を受け流した後、オレは素早く奴から距離を取る。
「こいつ。変形手まで持っていたのか……」
オレは奴のいる座標に合わせて、檻を迅速に展開してみる。が―――――。
「そんなにうまくいかないよな……」
あっけなく檻の囲いがある場所から距離を取られた。
オレがその檻を解除している最中に奴がもう一度攻撃を仕掛けて来る。
オレはそれをかわし、カウンターとしてマフラーを縦に振り下ろすが、奴もその攻撃を剣で受け止める。
オレが後退し距離を取ろうとすると、奴が腹部目掛けて強烈な前蹴りを入れてくる。
慌てて正面に檻を展開し、それを防ぐ。
檻と奴の前蹴りが衝突することで爆風が生じる。
おそらく膨大な撃力により相対的に衝撃波が発生したのだろう。
(こいつ……バケモノ級に強いな……)
この影が規格外に強いということは分かっていた。
……だがここまでとはな。
他の影とはまるでレベルが違う。
そんなことを考えているオレに向かって、奴は再び攻撃を仕掛けて来る。
オレが先程視認していた奴の位置から一瞬でオレの目の前までくる。
(っ……速いな…)
オレは檻を素早く正面に展開する。
檻の壁と影の攻撃が衝突した瞬間、互いのマナが発光する。奴は変形手の、オレは檻の青いマナが接触し火花が煌めく。
そのどさくさに紛れてオレは奴の左側に移動しマフラーをスライドさせ、横一線に斬りかかる。
奴は屈み体勢を低くすることでオレのその一撃を避ける。
(ほぼ不意打ちだったのに……駄目か)
オレと奴、共に後退し互いに距離を取る。
こうして奴と戦い、なんとなく思ったことだが、オレと奴は似たような戦闘スタイルを持っている気がする。
これはただのフィーリングに過ぎないが、多分間違ってはいないだろう。
オレの瞬速と言われた姉譲りの速度……これについてこれるだけの俊敏さもそうだが、連続攻撃が向かず、武器の有効距離と互いの間合いをうまく利用して戦闘しているその様子は、まるで自分と戦っているかのように錯覚するほどだ。
オレと奴の戦闘スタイルが似ているのなら、奴の弱点はオレの弱点と同じ連続攻撃ということになる。
オレは連続攻撃を試してみることにした。
素早く奴との間合いを詰め、左斜め上からマフラーで一斬りする。
「はっ!」
奴はその攻撃を右手で受けた…………途端にオレは体幹を軸にマフラーを右、上、右斜め下、左斜め上、と短時間で複数の攻撃を入れていく。
里緒からすれば、たった一つの攻撃動作さえも視認できないだろう。
オレの攻撃の一つ一つはそれほどまでに速かった―――――――が………。
(……こいつ。本物の化け物だ……)
オレの攻撃に合わせ、変形手の剣でマフラーを次々といなしていく。
複数の衝撃と、沢山の火花が飛び散る。
「なんて速度……。速すぎて、正直何も見えない……。一体どうなってるの?」
オレに質問してきたというよりかは、独り言のようなものだろう。
そんな動揺と困惑の入り混じった里緒の声が聞こえてくる。
ちょうどそのタイミングで、奴がオレに左フックを入れてくる。
オレは攻撃していたマフラーをその防御に使う。
奴の左フックの威力を完全に殺すことは出来ず、互いに反動と力の反作用で地面を引きずりながら後ろへ下がる。
「名瀬っ、大丈夫……?」
どうやら勢いよく吹き飛んだオレを心配してくれたようだ。
オレは振り返り、里緒に頷きかける。
……そんなことよりも、このような戦闘を繰り返しているのでは決着がつかない。オレも奴も決定打に欠ける。
オレは奴のいる正面に向き直る。
このまま続ければ、ただの消耗戦になるのは明白だった。
そこでオレは身構えたまま、影に一つやってみたかったことを試してみることにした。
効果があるかは分からない。だが……。
Kから影の情報を貰った際か、はたまた絶影災害(*)が起きたときか。
詳しくは覚えていないが、オレは一つ、以前から感じていたことがあった。
それは……影は本当に、喋れないのか。感情がないのか。ということだった。
人類と同じ形、姿をしているのにも関わらず、発声が出来ないというのは客観的に考えて筋が通らない。
人間の形をしているのであれば、人間と同じ機能が使えるはずだ。
「なあ、影……。オレと取引しないか?」
オレは数メートル先にいる影のギラリと赤く光る眼光を見つめながら、そう言い放った。
(*絶影災害……影人が人々を襲撃してきたことによる世界的災害。夜に起こった。青の境界を築かなければいけなくなった元凶。別名・呪夜ともいう)




