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無重力の恋【4】



 *



「おまえこんな時間まで何やってたんだ?」

「うーん、色々?」

「いいから早く風呂行ってこいよ」

「はいはい」


 リカにせき立てられ、私は女性寮の大浴場に向かう。

 そうしてざぶんと湯船につかった。


 お湯の中で、なんとなくお腹の肉を触り、そして二の腕をさする。

 私のお腹と二の腕は筋肉でかちかちに硬い。鍛えているのだから仕方がない。

 腹筋は理緒とほとんど変わらないからクリアな気がする。

 けれど、二の腕のほうは標準より少し――いや、だいぶ太い気がする。


 そして私は、ふわりとしたマシュマロのような柔らかい二の腕に憧れている。

 でもこんな風に自分のコンプレックスを目の当たりにしても、今の私は全然平気。無敵状態だ。

 体と同じくらい気持ちもポカポカしている。


 河原での会話が、統也のクールな声が、別れ際に彼が言ってくれた言葉が、まだ耳の奥に残っている気がする。

 その響きを思い出すとゾクゾクとした気持ち良さが全身に広がる。

 顔がニヤけてくるのが自分でも分かる。

 なんかアブないなあ私は、と思いつつ、思わず「とうや」、と小さく口に出してしまう。

 その名前は浴場に甘く反響し、やがて湯気に溶ける。

 なんか盛りだくさんの一日だったなーと、幸せに思い返す。


 統也はバイクを押して、二人で歩いて帰っていると、しばらくして雨が降り始めた。

 この季節で雪じゃないんかい!とツッコミたくなる気持ちを抑え、でも確かに今日は比較的暖かかったかなと思い直した。


「雪華、早く乗れ」


 統也は慌てて、私を後部座席に乗せ、バイクを走らせて家路を急いだ。

 雨にぐっしょりと濡れている統也の背中は、以前より少しだけ近くに感じられた。

 矛星の女性寮は彼の帰り道の途中にあり、一緒になった時はいつもそうするように、私たちは女性寮の門の前で別れた。


「雪華」


 と別れ際に黒いヘルメットのバイザーを上げながら彼は言った。

 雨はますます勢いを増していて、女性寮から微かに届く黄色い光がほんのりと彼の濡れた体を照らしていた。

 貼りついた上着越しに見える彼の体の線……筋肉の隆起にドキドキする。

 私の体も同じように……その事実にもドキドキした。


「今日はすまない、ずぶ濡れにさせてしまった」

「別にいいよ。統也のせいじゃないじゃない。私が勝手に行ったんだし、天候は制御できない」

「でも話せて良かった。また明日な。風邪ひかないようにだけ気をつけてくれ。おやすみ雪華」

「うん。おやすみ統也」


 おやすみ統也、と浴槽の中で私は小さく呟く。

 ――そのとき。


 ガラガラッ。


 湿気にわずかに軋む音を立てて、大浴場のガラスの引き戸が強めに開け放たれた。

 まっすぐ伸びた黒髪、引き締まったシルエット。

 豊満な胸、憎いくらいの美脚、妖艶なくびれ……完璧なスタイル。

 ああ、間違いない――湯気の奥から現れたのは茜だった。

 この時間は誰もいないと思ったのか、バスタオルを無造作に肩にかけ、堂々とした足取りで中に入ってくる。

 その足が一瞬だけ止まる。


「…………」


 彼女の赤い瞳が浴槽につかる私を見つけたから――ではないと、無意識にそう感じた。

 私の唇から漏れた、一人の名前が耳に届いていたのかもしれない、と。


「……統也、ね」


 茜は言いながらバスタオルを体に巻き付け、綺麗な身体を包んだ。

 私と茜の視線は交差した。

 湯気と沈黙の中で、しばし時が止まったかのように。


「……茜さん、今日は遅かったんだね」

「ええ。思ったより仕事が長引いたから」


 茜は表情を崩さず、湯けむりの中に足を踏み入れる。

 湯船の中に、波紋が二重に揺れた。


 あーあ、と心の中で思う。

 今はせっかく無敵状態になっていたのに、茜の絶世のスタイルを見せつけられ、半ば絶望させられたからだ。



 *

 

 

 大浴場では茜と他愛もない女子トークを話してから部屋に戻り、水色の髪を乾かしパジャマに着替えて、寝支度を済ませた。

 私はそのまま寮の備え付けベッドにばふっと横たわる。

 寮は二人部屋だけれど、私のペア・佐上アイは去年退寮したから実質一人部屋だ。


 また、統也との今日の出来事が頭をよぎる。

 途端に胸の奥がじんわりと熱くなる。

 声のトーン、視線の角度、話しているときのちょっとした表情・仕草まで、頭の中でくるくる再生される。

 思い出すだけで、心臓がばくばくして、胸がきゅうっとなった。

 気が付いたら私は、指で上半身の一部を弄っていた。

 

「……んっ」


 耐えきれなかった声が、吐息と共に零れ出る。

 私は何をしているんだろう。

 ……でも。仕方ない、かな。

 Cカップの胸を左手で持ち上げるように揉むと、興奮で下腹部が痺れ、濡れた部分がますます濡れる。

 太ももを擦り寄せれば、下半身が疼いた。

 自らを焦らすために下半身に触れず、しつこく胸だけを触る。先端の突起がこれ以上ないほどに硬くなり、指先で少し触れるだけで強い刺激になった。


「ああっ」


 今度は大きな声が出てしまう。

 声はたぶん布団が吸収してくれるけど、寮の壁は薄いのが懸念点。

 隣は翠蘭と舞花の部屋。もし聞かれたりなんかしたら。

 だけど、その恐怖さえも今は興奮に変わってしまう。


「いつの間に私、こんな変態になったんだろう……」


 キスされることのない(したこともない)唇が寂しくて、歯で噛みしめる。

 快感に浸る私の心の中はずっと、一人の男子に独占されていた。


「ふ……んんんっ」


 硬くなった胸の先を指先で摘まんではこねる。

 つねったり引っ張ったりすると被虐的な気持ちになり、それがまた興奮を呼んだ。

 太ももを擦り合わせることでごまかすのも限界で、私はとうとう脚の間へと手を伸ばした。

 焦らされ過ぎた秘部が歓喜して、私の指先を受け入れる。


 私の手先は自分の足の間に入れられていて、静かな肩や腕とは別の生き物のように小刻みに震えていた。

 指を押して弱点を刺激するだけでなく中にも甘美な振動を伝えると、自然と吐息が漏れる。

 こうなったら最後、私は雌犬になってしまう。ただ一人を思い発情してしまう。

 頭の中で何度も犯されながら、喘ぎながら、何度も何度も何度も絶頂を繰り返す。

 

「統也っ!」


 失神しそうになりながら叫んで、頭の中が真っ白になってしまった。

 いつの間にかベッドシーツがびしょびしょになっていたことに気付く。


「あーあ。またやっちゃった……」



 *



 ―――その晩、私は夢を見た。


 異能を初めて発動した時の夢だった。

 しかし夢の中での私は子どもではなく、今の十八歳の私だった。


 私は異能を中断して、神秘的な明るさに満ちている砂浜を歩き始めた。

 空を見上げるとしかしそこに太陽はなく、眩しいくらいの満天の星空だった。


 赤や緑や黄色、色とりどりの恒星が瞬き、全天を巨大な柱のような眩しい銀河が大地を貫いている。

 夜空に広がるオーロラは、まるで流れる光の川のように、紫と緑の色彩が静かに舞いながら幻想的に輝いていた。


 こんな場所があったかな、と私は不思議に思う。

 ふと、ずっと遠くを誰かが歩いていることに気づく。


 マフラーがなびいている。

 その王様のような人影を、私はよく知っているような気がする。


 これからの私にとって、あの人はとても大切な存在になるに違いないと、いつのまにか子どもの姿になっている私は思う。

 かつての私にとって、あの人はとても大切な存在だったと、いつのまにか母と同じ年になっている私は思う。


 でも、どうして―――。


 名前が、思い出せない。


 目が覚めた時、私は夢の内容を忘れていた。




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