来訪者
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「――シュー、聞いた?」
テーブルに着いた理緒は、食事を始めてすぐのタイミングで同じテーブルを囲む詩羽々にそう問い掛けた。
詩羽々と理緒は現在二人暮らし。札幌市白石区の実家を離れて、統也が暮らす北区にアパートを借りている。二人は今、協力して夕食の準備を終わらせたところだった。
「『USA対エネミー組織』のこと?」
詩羽々の反問に、理緒は頷く代わりに答える。
「連中、また密入国したって」
「ええ、アリスから聞いたわ。理緒は誰から聞いたの?」
「あたしはシュカから」
シュカ。――コードネーム[шка]。聖境教会「十二柱」序列第九位「夢」の刻印と銘を持つ改造人間。
邦光が過去の実験によって作り出した超聖体。隠密行動を得意としている、元々邦光の護衛候補だった手練れで、気ままな性格と奇異な容姿で知られている。
シュカは遺伝子工学とコア移植によって特定の遺伝子を組み込まれ、その結果、先天的に異常な俊敏さと卓越した五感を備えていた。
「軍の相手は私たちの仕事じゃないけれど……やっぱり《《そういうこと》》なのかしら」
詩羽々が赤髪のツインテを揺らし、独り言のように呟いた。
それを聞いた理緒が冷静に顔を顰める。
思い出すは、以前アリスから受けた依頼。
そのターゲットはアメリカ陸軍のメイソン少佐、アッシャー少尉、そしてオリジン小企業のエージェント、ユウキ・ミカエラ。
すべて――アメリカ国籍の諜報潜入官。
やはり偶然ではなかった。
USAから軍関係者が密入国――正確には偽装入国したのは、理緒たちが知るだけで五回目だ。
実際にはもっと多いだろう。詩羽々が口にしたように、入国者の監視は彼女らのミッションではない。五回というのは、敵対的な異能士の流入を洗い出す過程で、偶然発見した回数に過ぎない。
ただ、余りにも頻繁で、その規模が無視できないため、「スリッド」の空いている手を使って目的を調査させていた。橋渡しとして、アリスとシュカが彼女らに伝達した経緯だ。
しかし、まだ成果は上がっていない。調べ始めてから一ヶ月未満だが、彼女らの感覚で言えば何週間も経っているのに、依然として敵の明確な目的が掴めていないのだ。
理緒が苛立つのも無理はなかった。詩羽々も現状には不満を覚えている。
「今のところ、勢力ラインを広げているみたいだけど……それが最終目的とは思えないしさ」
「そうね。でも私たちの印象だけで、これ以上『スリッド』の人員を割くことはできないわよ」
苛立ちを隠せない声で言う理緒に、詩羽々はため息交じりの口調で応える。
聖境教会暗部「スリッド」に所属する理緒と詩羽々は、比較的自由に行動することを許さている。単純に二人が優秀なのもそうだが、その方が彼女らの能力を引き出せるという邦光の提案もある。
だが、それでも「スリッド」の人員に余裕があるわけではない。
「スリッド」の、邦光が求めるレベルを満たせる人材はそもそも希少だ。少数精鋭でやっているのは、裏を返せば育成が追い付いていないという現実がある。
人員の割り当てに優先順位を付けなければならないのは、聖境教会暗部も世間の事業体と同じだ。
「残念だけど、この件は当面、聖境特別委員に任せるしかないわ」
言い聞かせるように――理緒に対してだけでなく、自分にも――言う詩羽々に、理緒は「当てになるの?」という目を向ける。
それでも理緒は、詩羽々の判断に異議を唱えなかった。
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一か月前の西暦二〇二二年十月二十日、世界に衝撃が走った。
否、《《一人の》》異能者が世界を震撼させたのだ。
その特級異能者は、個人で中国の核攻撃に対抗し実力を提示した上で、全世界の権力者に向けて声明を発信した。
『――ここにて告げる。自分は異能士とも、魔法士とも、因子体とも、また、そうでない者とも平和的な共存を望む。だが、自己防衛のために武力行使が要される場合は、決して躊躇わない』
この『ナセ・インパクト』を受け、二〇二二年十月後半、境界内アメリカ政府は緊急最高幹部会議を開いた。
ニューヨーク市の地下会議室に集まった幹部たちは、強大な権勢を誇る「支配者」としての威厳とは程遠く、動揺し、狼狽し、それを虚勢で取り繕おうと必死だった。だが、明らかに恐れていた。
議題となるのは突如出現した圧倒的な存在。
世界の権力構造を単独で覆しかねないジョーカー。
社会に寄生しなければ支配できない彼らとは異なり、「彼」は本物の力を有していた。
五年前、伏見旬とエミリア・ホワイトは世界を震撼させた。
わずか二人で数々の国々――それも小国ではなく、大陸の半数に及ぶ国家を掌握し、抑止力として安寧へ導いた彼らは「伝説の黒と白」と称され、畏れられた。
同時に、彼らは青の境界設立後の領土や資源を巡る争いを、境界内で引き起こさないための平和の礎ともなった「漆黒の英雄」と「純白の英雄」だった。
だが、今回の状況は違う。「彼」は圧倒的すぎた。
自分たちに敵意がなくとも、何が「彼」の逆鱗に触れるか分からない。
いわば伏見旬の抑止力よりもはるかに危険で、質の悪い脅しだ。
たとえ「彼」にそのつもりがなくとも、少なくとも陰の権力者たちは都合よく解釈しない。
結論は最初から決まっていた。
そう、「彼」は排除しなければならない。
軍事力――すなわち「表」の暴力で排除できないのであれば、「裏」の暴力で抹殺するしかない。
幸いにも、アメリカの異能軍事力は「裏」にこそ本領がある。
幹部会は境界内の規律を無視し、アメリカの異能組織に「裏」の暴力を行使させる決定を下した。
――その力をもって「彼」、名瀬統也をデリート=暗殺する、と。
この決定により動員されることとなったのは、USA異能士協会の主要実行部隊『USA対エネミー組織』(USA Enemy Countermeasure Organization=UECO)。
この組織は元UAU(日本で言う「日輪」)と、代行者組織ガイアを母体とする連合体であり、その配下には「諜報潜入官」も含まれていた。
彼ら「諜報潜入官」は一見すると単なる非凡な異能者だが、実際にはUECOの命令で動くわけではなく、目的が一致しているため、便宜上その支援を受け入れているだけだった。
北日本国の「諜報潜入官」たち同様、自らの正体と使命は隠している。
アメリカだけではない。
イギリスや中国にも「諜報潜入官」は存在している。
国外、計六名。
彼らが指示を受けた個人や団体、議論の大筋は異なるものの結論は同じ。
名瀬統也の暗殺。
「彼」が『三次元爆散』で中国臨海部異能軍基地「インアンドヤン」の核ミサイルを無効化したことで、中国の異能軍事力は大きく衰退した。しかし、中国人「諜報潜入官」は健在であり、母国の軍事基地を爆散された雪辱を果たす機会を狙っている。
ただし、相手が相手だ。
この任務――いや、暗殺計画には徹底した準備が求められる。
かくして二〇二二年、十一月上旬。
アメリカ、イギリス、中国の「諜報潜入官」とその属する組織が名瀬統也暗殺のミッションを開始した。




