「傷」
*
マフラー整え、落ち着いて少ししてから、「ある人物」をここに呼びつける。その人物は15分ほど前に、陰からオレと玲奈の対話をうかがっていた女性だ。
先ほど玲奈が座っていた位置に、その人物は座り、緊張気味な様子で控えめに頭を下げた。
「こんにちは……」
「来てくれてありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……」
「さっそくで悪いんですが、少し歩きませんか。この後も人から呼ばれているもので」
彼女は割石雪乃。芽衣子の姉であり、かつて大学総合病院のナースをしていたローポニーの女性だ。
年齢は20前半といったところか。
「……忙しいんですね、名瀬さんは」
「割石さんも忙しいみたいですね」
オレはそう言って少し睨むように彼女を見る。
彼女に悪意がないことや、彼女が極悪人じゃないのは承知の上。
「大変なんですか? ――スパイ活動」
オレは更に目付きを強め、彼女の悪事を暴き、突きつける。
雪乃は初め戸惑ったように目線を泳がせたが、すぐに観念したのか口紅がついた唇を動かす。
「気付いていたんですね、やっぱり……。いや確かに、あなたにはすぐに気付かれるだろうと、司祭様からも警告は受けてましたけど……。でも気にせず諜報を続けろって命令されてましたし……」
まだ親玉が割れていない段階でその名を口にするあたり、やはり素人なのだろうな。諜報活動の経験などない、正真正銘の初心者だ。
――オレと違って。
「そもそも、当主としての職務で多忙な玲奈さんはともかく、大輝さんの訓練・研究施設に、唯一《《私だけ》》が行かせてもらえませんでした。どうして?と隊長の紅葉さんに聞いたら『よく分かんないが、統也にそう指示しろと言われた』って」
そう、オレは何よりもまず紅葉の隊である他の五人、風間蓮、功刀舞花、黒羽大輝、割石雪乃、三宮希咲の職務経歴書に目を通した。
その時にすぐに、雪乃が聖境教会の元信徒であることは分かった。
真っ先に考えたのは秀成高校に編入したシュペンサー・火花・クルスと同じで、何らかの目的をもってこの隊に潜入している可能性。しかし蓋を開けてみると、雪乃の行動はどれも怪しすぎて、諜報活動と呼べる水準には達していなかった。あからさま過ぎたのだ。
雪乃の異変に気づいたのは茜と翠蘭だけ(どちらもオレにのみ通達済み)だったが、これらがあの訓練施設の名簿から雪乃を除外していた理由だ。
柳沢邦光の手下であるスパイに、みすみす成果を晒すわけにはいかないからな。
「大輝さんを旭川に隠す作戦のときも、私は任務に参加できなかった……」
そう言って、若干無念そうに俯く雪乃。
「そうだな。それもオレが指示しておいた」
恐る恐るこちらの表情をうかがい、こう語る。
「でも私、裏切るつもりとかは全くないんです。ほんとなんです。ほんとに皆の役に立ちたいと思っています。このままだと私、何の役にも立てない……」
「悪いが信じられないな」
雪乃は嘘を吐いていない。が、あえて突き放すようなセリフを投げる。これには意味がある。
彼女はおそらく何か弱みを握られているか、見過ごせない交換条件を持ち込まれているか、その程度でこちらの情報を柳沢邦光に流している。
言い換えれば、仕方なく情報を漏らしている……雪乃さんの認識はこうなはず。
それらを踏まえると彼女は本当に裏切るつもりなんかなく、仕方なく情報を漏洩している。
だが、それは意識の問題だけだ。
「確かに、あんたは裏切ってるつもりなんかないかもしれない」
一呼吸を置き、続ける。
「だが、オレ達が旭川地方に逃げ込むなんてのは敵からしたら分かるはずもない情報だ。なのにも関わらず、旭川市の至る所に代行者の布陣が敷かれていた。初めは的確に策略を当ててくる優秀な参謀がいるのかと思ったが、そうじゃなかった」
雪乃は心当たりがあるのか再度俯く。今度はさっきよりも、深く。
「割石さんが漏らした、そうなんだろ?」
「すみま、せん……」
「謝られても困る。そのせいでこっちは一人死んでるんだ。その自覚はあるか?」
「……すみ、ま……せん……。本当に、ごめんなさい……」
「謝っても五十嵐寧々は還ってこない。死んだ人間は生き返らない」
何故かは分からないがこのセリフを言ったときだけ、雪乃の全身が異常に委縮したのをオレは見逃さなかった。
だが、罪悪感からくる反応だと思いスルーする。
「死んだ人間は……確かに……普通は、生き返りません……」
「『普通は』? いいか、はっきり言う。寧々が死んだのは、あんたのせいだ」
「っ……!」
「あんたは仕方なく仲間の情報を売っているのかもしれないが、あんたの漏らした情報がなければ旭川市に代行者の包囲網はなかった。それなら寧々は絶対に死んでない」
これは半分不確定な要素で断定はできない。正直、代行者の包囲網が無かったからと言って寧々が生きて帰れた保証はどこにもない。
だが、自分の行動と自分が漏らした情報の重さ、そのせいで人が亡くなるかもしれないという事実、罪の意識。雪乃にはそれらをきちんと認識してもらう必要がある。
オレはスローペースで立ち上がる。
「立て」
そう命令口調を突きつける。
「はい……」
彼女は呟いて、廊下を進むオレの後についてくる。
軍施設の廊下だが、今日は人が少ない。人っ子一人見当たらない。
「あの……ものすごく反省してます……。申し訳なかったなと……」
「そうか」
「……私はこのあと、処罰を受けるんですよね……」
左隣で縮こまりながら控えめに聞いてくる。
「処罰? そんなものは受けない」
「えっ……? いやでも……今から、私のした背任行為を紅葉隊長に報告するんですよね?」
「いやしない」
オレは即答する。
迷うことは何もない。紅葉に報告? 初めからそんな不毛なやり取りをするためにこの女を呼んだわけじゃない。
「どっどういうことですか……? どうして報告しないんです?」
「どうしても何も、反省してるんだろ?」
「はいそれはもちろん……! でも……」
何かを言いたそうにして、しかし閉ざされる口。
「オレは別にあんたを責めたいわけじゃない。あんたが望むなら見逃してもいい」
「えっ」
「ただし条件がある」
間髪入れずに、無機質に告げた。
「条件、ですか?」
「ああ」
その条件とはなんなのか、雪乃は気が気じゃないはずだ。
少しの間、雪乃はそれについて思考を巡らせ、しかし答えが出せず頭の中を余計に混乱させているだろう。
「オレとあんたが初めて会った日のこと、覚えてるか?」
病院の廊下で、「あなたがオレの好みだから、連絡先を交換したい」と伝えた、あの日のことだ。
もちろん、好みでもなければ好意的なやり取りを望んだわけでもない。
あくまで、それは先を見据えた上での布石に過ぎなかった。
「……もしかして……カラダ、ですか?」
だが雪乃はオレの真意を探れず、誤解する。まあ、そういう風に誘導してるんだが。
怯えているというより、正答が欲しいといった口調だ。
「それも悪くないかもな」
「ってことは、違うんですね……」
少しがっかりしたように見えたので、気になり聞いてみる。
「その方が良かったのか?」
「いえ、そういうわけではないですが……こういう場合、体を許す方がよっぽどマシだというのは、往々にしてよくある話なので」
「残念だが、その典型例になるかもな」
何か言ってくるかと思ったが、五十嵐寧々を死なせてしまったという絶対的な負い目が重くのしかかっているようで、諦めたようにその場で深呼吸をした。
「まず聞いておきたいんだが、あんたは元々邦光の配下なのか。それとも紅葉に影人騒乱のライブ会場で拾われて、それから奴の手下として動くようになったのか。どっちだ?」
「……元々最高司祭様からは数々の命令を受けていました。さっきも言っていた、私と名瀬さんが初めて会った日……あの日も命さんと大輝さんの動向を監視、また、他勢力と思われる接触があれば報告するようにと」
「なるほど、そういうことか。なら、ライブ会場で大勢が死んだあの現場にいたのも偶然ではないと?」
「ええ。そういう指示、だったので……」
ライブ会場の事後現場。医務テントの中、雪乃さんが自らの固有能力『細胞再生加速術式』によって、怪我人を修復している最中に紅葉に拾われるまでの流れは、仕組まれた、必然的なものだったというわけか。
まあ、雪乃の能力は損傷修復系の異能にしてはレベルが高い。もとのレベルが高いのもあるが、「術式」として扱えている側面が大きいだろう。
最近では「ここに在ってはならない技術」――術式も、徐々にではあるが普及し始めている。
元々拓真や雹理といった諜報潜入官、舞悠(鎌足なる男)や邦光のようなイレギュラーが、仲間や下位の者にそれらを授けていたようだしな。その伝染は避けられない。現に雪乃や舞花は、術式を思わず知らず扱っている。
もちろんオリジン軍規違反だし、それ以前にこの世界の禁忌を冒しているが、彼らの知ったことではない、か。
話しは逸れたが、そもそも紅葉には、浄眼のような相手の術式を見たり調べりといった術はない。
雪乃の能力を見て、十分使える人材と判断するのほぼ確定的だ。その流れを仕込むのは難しくない。
「鋭いですね、名瀬さん。戦闘だけじゃなく、探偵みたいなこともできるなんて……」
「そんなことはない。偶然だろ」
「……たぶん普通じゃないですよね?」
「ん? 普通じゃないとは?」
「いえ……大きな、それも計り知れないような陰謀を持つ……何かの特殊工作員なのかな、と……」
オレはその先を言わせまいと、鋭く睨みつける。殺気にも似た、無意識に刻み込む拒絶の意志。
「……――!」
人間は本能的に、楽しい場所か、つまらない場所か、危険な場所かを雰囲気で察知する力を持っている。それは、無数の情報を無意識下で処理しているからだ。そして、この"殺気"もまた、鍛え上げた者なら嗅ぎ分けることができる。
「すみません。そうではなくて、最高司祭様が気にかけるほどの人物。それだけで凄いことなんです……。たぶん普通の人ではないなって……そういう意味です……詮索してごめんなさい……」
オレの秘密に踏み込んでしまったことへの謝罪を受け入れる代わりに、彼女から目を離す。
しかし、これらの会話を通じて雪乃という人柄を知り、その心理的特性を把握した。
――この女は使える。
「さっき言った見逃す条件だが、こちらにも……いや、オレにもあっちの情報を回せ。そうすればあんたのした背任的な裏切り行為を見過ごしてやってもいい」
「名瀬さんに、私が知り得ている、もしくは知り得た聖境教会関連の情報を漏らせ、ということですか?」
オレは静かに頷く。
「でもたぶん、私は……その……」
今、彼女の歯切れが悪い理由も分かっている。そこまで読んだ上での、この条件だ。
「ああ、このままこちらの情報を向こうに流してもいい」
雪乃はびっくりしたように一度立ち止まる。
オレの方は止まることなく進み、突き当りまで来ると振り返り相対する。
彼女は目を点にしてこちらを見ていた。
「その代わり、流した情報をオレにメール等で報告しろ。こちらのどんな情報をどこまで邦光にバラしたのか、しっかりと説明することだ」
「要するに、私が聖境教会から得た情報を名瀬さんにメールなどで教えて、最高司祭様に流した情報はその詳しい内容を名瀬さんに報告すればいい、と?」
「要領がいいな。そういうことだ」
雪乃は何か言おうとしたが、直後開かれた口を閉じた。
「話は以上だ。もう帰っていいぞ」
このまま突き当りを右に、雪乃さんは左であるため、別れようと動き出すと、
「あの……!」
呼び止められたオレは立ち止まり、右手でマフラーに触れる。
「お願いします……」
声が少し遠く感じることから、頭を下げているようだった。
マフラーから手を離す。
「芽衣子の仇を取りたいのは、ほんとなんです……」
雪乃は切なる願いをオレの背中に告げた。
詳しく調べてないから分からないが、芽衣子が自殺をするような人間じゃないことくらいはオレにも分かる。
それもその他大勢を巻き込む、飛び込み自殺。
家族が電車に飛び込み自殺をした場合、遺された家族の悲しみやショックは計り知れない。その遺族の悲しみに追い打ちをかけるのが、損害賠償責任だ。
現に今も雪乃は借金返済に追われているとか。
そんな方法を芽衣子が選ぶとは思えない。十中八九、奴の仕業だ。
敵討ち。それもあって、雪乃は紅葉の隊に入ることを決意したのかもしれない。
この先何十年と、兄弟を亡くした傷が癒えることはないだろう。
それはオレにも分かる。
それだけは、同じ痛みを味わい、苦しむことができる。
「安心しろ。雹理は必ず、オレが葬ってやる」
杏子の最期の笑顔がふと、頭に浮かんだ。




