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「不信」



 *



 一か月後――。

 紅葉もみじや玲奈が巧みに異能士協会全体と世論を誘導し、さらに聖境教会幹部たちの後押しもあって、名瀬隊員や二条隊員への疑惑、そして大輝への不信感は完全に払拭された。それだけではない。オレたちが下した代行者への裁きも、「異能間正当防衛」として正式に認められ、裁判沙汰は免れた。


 こうしてオレたちは、名実ともに自由の身となった。

 すべてが収まり、一件落着――そう言いたいところだが、現実はそう甘くない。

 未解決のまま進めることには慣れている。だがそれでも、胸の奥に引っかかるものは残る。


 大輝が報告した特別紫紺石の謎。

 杏子が遺体という形で遺した奇妙な手がかり。

 そして、影人を操ったオレの王の能力――。

 全てが霧の中だ。


「ふぅー、寒いな」


 相変わらず、朝なのに夜のような景色が広がっている。

 極夜現象による太陽光のカットと地表の寒冷化が重なり、北海道の冬はさらに厳しさを増している。

 冷え切った手を擦り合わせ、白く曇る息を吐く。街灯の光が薄く反射し、闇に溶け込んでいった。

 オレの異能副作用サイドエフェクト……極度の冷え性のせいで、マフラーは常に手放せない。冬になれば、さらに黒の無地の指空き手袋も加わる。

 このマフラー(黒地に白のチェック柄)はギア成立の祝いに理緒から贈られたもの。手袋はクリスマスにみことから渡されたものだった。

 改めて考えると、オレが今身に着けている防寒具は、すべて女子からの贈り物ということになるな。

 そんなことを思いながら、高校の教室へ向かう。窓際、一番前の自席へ。


「今日はオレが日直か……」


 普段なら真後ろの席の香か、右隣の芽衣子が他愛もない返事をくれるはずだった。

 だが、今日は違う。

 ただの独り言で終わった。

 どちらも欠席――ではなく、机上には静かに花が手向けられていた。

 葬儀はとうに終わっている。


 11月21日 日直(名瀬 藍野) 


 黒板の右下に書かれたその文字をぼんやりと眺めながら、ホームルームを迎えた。


「えー、悲しいことや影人の件……極夜現象……色々あったけど、高校生活も残すところ僅か三ヶ月よ。明日には期末試験一日目もあるし、ほとんどの人は受験も控えていると思うわ。それから――」


 二条和葉先生の眠気を誘うような声が、徐々に遠のく。

 意識的に聞くのをやめたからだ。

 秀成高校は北海道一の進学校。先生の言う通り、大半の生徒が大学進学を目指している。だが……。


「先生! 俺、異能士になりたいっす!」


 後方の席で、野球部の町田がふざけたように手を挙げた。

 異能士は今や世間一般に公認された職業。

 特に、厳格な軍隊形式で育成される部隊組織「矛星ステラ」は、世界的な影人対策の要となっている。

 一般人の間では、矛星への憧れは強い。


 ――もちろん、この場にいるオレがその矛星に所属する異能士であることは、和葉先生以外誰も知らない。


 その和葉先生が一瞬表情を曇らせたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「異能士になるには、まず二年間の異能士学校に通わなければならない。それに当然、『異能者であること』がその学校入学への絶対条件よ」


 スルーするかと思ったが、意外にも真面目に返答した。


「お前じゃ無理だってよ。残念だったな」

「そーそ。でも憧れるよな、影人を討伐する闇の組織って感じでさー」


 野球部の仲間たちが茶々を入れる。


「ひでぇ! 俺だってなれる! それに……最近、右手が痛いんだよなぁ」


 町田が深刻そうに右手首を押さえ、禍々しい(わけがないが)右の手のひらを凝視する。


「もしかして……異能発現の兆候だったりして!」


 オレの記憶では町田はピッチャーだったはず。単なる投球の影響だろう。

 そう思っていると、


「それは中二病」


 教室の前方から、女子生徒の声が飛ぶ。

 藍野仁奈(にな)

 彼女のその一言で、教室に笑いが広がった。

 オレは何気なくその様子を観察していたのだが――不意に、藍野と目が合う。


「ん……?」


 明らかに気のせいではなかったが、今日の日直同士という意識から偶々目が合ったのだと無理やり解釈した。



 *

 


 最後の授業終了後、オレと藍野仁奈が一緒に黒板を消しているときだった。


「あのさ、名瀬くん……」


 黒板消しは黒板に押し付けたまま、珍しく歯切れが悪い様子で声を掛けてくる。 


「ん、どうかしたか」

「えっと……その、急なんだけど……連絡先交換したいな、なんて……」

「本当に急だな。正直驚いた」

「驚いてる? ようには見えないけどね……」

「顔に出にくいだけだ」


 これはこれは、珍しいこともあるものだ。クラス内カースト上位の藍野は、可愛いげのある容姿とズバズバした物言いで男子に人気の女子。

 おさげの髪型をした、少し垂れ目、とも付け加えようか。


「オレと連絡先を交換しても、生憎と何もないぞ」

「んん? それはよく分からないけど、違うんだ」

「違う? 何がだ」

「私さ、名瀬くんに少し聞きたいことがあって……」


 残念なことに(?)、これが好意とかそういう類のアプローチではないのは明らかだ。

 理由は明白で、藍野には以前から好きな人がいると噂されていた。

 それにオレと藍野に目立った接点はない。話したのも今日が初めてだ。

 

「ほんとはすぐにでも聞きたかったんだけど、名瀬くん極夜現象が始まった日から欠席続きだったし……」


 表情から何か重要なことのようだ。連絡先を交換したところで何かが擦り減るわけでもないしな。


「分かった、交換しよう。放課後でいいか」

「うん、ありが――」


 そこまで言った瞬間、大きなブザーが校外のスピーカーから一回。


「……っ!」


 藍野は小さく息を漏らし、突然のことで体をビクッと震わせる。


『緊急地域放送です。札幌国立秀成高等学校の敷地内にてA級、B級レートの影人が数体出現』

『付近に居る異能士は、戦闘態勢を組織し、直ちに現場に急行してください』

『外出中の一般市民は速やかに帰宅し――……』


 街の各所にあるスピーカーで物騒な放送が続く。

 一斉に騒がしくなる生徒。クラス内も、廊下も、すべてが混乱する。


「ま、まじなのか……! この学校!?」

「ヤバいだろこれ!!」

「私達どうなるのッ!!」


 誰もが騒然とし、恐慌状態に陥った。

 隣の藍野も同様に緊張した雰囲気で、不安がめいっぱい表情に現れていた。


「名瀬くん、これって……!」

「ああ、影人がこの学校で出現したようだな」

「どうしてそんなに落ち着いていられるの……」

 

 そのタイミングと合わせたかのように、バシっと教室の前扉が開かれる。

 見るとそこには切迫した様子の和葉先生が。


「先生! これはどういう状況ですか……?」


 藍野が心配顔で声を掛ける中、和葉先生は迷わずオレに視線を合わせてきた。


「統也、今すぐに現場に向かって」


 名前が呼ばれた瞬間、一斉に視線を浴び注目を集める。


「というと?」

「現場に今すぐ出動してほしいのよ。情報統制は一時的に私が解除するわ。装備させる時間はないけど……あなたなら大丈夫よね」


 マフラーが主な武器だから、という意味か、それともオレの実力であれば色々な効果が付与された隊服や煙玉などを必要としない、という意味か。

 どちらとも判断はつかない。もしかしたら両方かもしれない。


「私は近くの生徒を保護するため誘導する。A級もいるらしいから、あなたにしか頼めない」

「了解しました」


 オレは雑念を抱かず、機械的に返答する。


「皆、ここで聞いたすべての情報には守秘義務が課せられる。他言はしないように」


 和葉先生はクラスに向け釘を刺す。


「しゅひ、ぎむ……?」


 震えたように、そう呟いたのは藍野。


「……ごめんね、ここで言ったらこうなるなんて分かってたことなのに……」

「構いませんよ。仕方のないことですから」


 オレは和葉先生に相槌を打ち、現場へ向かうことを決めた。

 クラスメイトからの視線を一身に浴びているなど些細なことだ。


「それと、上に伝えておいてください。増援や結界は必要ありません、オレがすべて処理しますので――と」

「わ、分かったわ……」

「あとついでに異界術士数名を呼んで、後始末の現場指揮に当たらせてください」

「えっ? でもそれは討伐し終わってからの話よね……」

「今から呼んでください。どうせ『作業』は数分で終わりますので」

 

 今度こそ和葉先生は頷くだけで何も言わず、生徒の誘導へ急行した。

 オレも向かおうと一歩踏み出すが、藍野に制服の裾をクイッと掴まれる。


「……どういうこと? 名瀬くん」

「そのままの意味だ。オレは現場に向かう。詳しくは話せないが」


 藍野を振り切り、教室を出ようとするも、


「おいちょっと待てよ!」


 一度も話したことがない町田が、何故かオレに声を掛けてくる。


「おまえ……異能士だったのか……」


 確認する口調というより、半分独り言だ。

 オレが何かを隠してることは、鋭い生徒なら薄々気付いていただろう。

 そもそも持病で年中マフラーを着用している、は土台無理な言い訳だったしな。


「葬儀のとき、クラスメイトの誰かが名瀬に聞いたよな。割石さんとこうがどうして亡くなったか知らないか?って」

「ああ、聞いたな」

 

 そんなこともあった。

 割石とは芽衣子のことだ。


「おまえは言った。知らないって」

「ああ、確かに言った」

「どうしておまえに聞いたと思う?」

「さあ、皆目見当もつかないな」


 本当は分かっているが。


「おまえと仲が良かったからだ! 割石さんも香も、おまえとよく話してた!」

「そうだな。確かに仲が良かった。それは認める。だがそれが、二人が亡くなった原因を知っている特別な理由にはならないな」

とぼけるな! おまえは何か知ってるはずだ! 言えよ名瀬!!」


 早くこの場を切り抜けて現場に向かいたいところだ。

 無視してこの場を去ることは簡単だが、のちに波紋を呼ぶだろう。


「俺たちだって知ってるんだぞ。割石さんと香は……同じ日に死んでる。おまえが異能士だと分かったなら答えは一つだ。居たんだろ、あの影人騒乱が起こったライブ会場に!!」


 まるで名探偵のように有り合わせの情報から推理し詰問してくる。


「だっておかしいだろ! 香だけじゃなくA組の木下さんと森嶋さん、C組の霞流さんと宮野。全員同じ場所でほぼ同時に亡くなってるんだぞ? どういうことなんだ! なあ答えろよ名瀬! おまえなら知ってることもあるんじゃないのか!!」


 栞もみことも、そして理緒も陸斗も、不可解な死を遂げたと話す。

 この大声を耳に収め、藍野がオレに聞きたいことがあると言っていたのはこのことかもしれないなと思い至った。


「今起こってる『極夜』ってなんなんだ! おまえ異能士なら影人を調査してるんだろ!? なら原因とかわかるんじゃないのか!」


 大輝が教室にいれば少しは楽にこの状況を乗り切れたかもしれないが、彼は現在基地にて訓練をしているためここには居ない。

 後々面倒だがやはり無視するしかないな。今は時間が惜しい。被害拡大の前に収めなければ。

 オレは町田や藍野、またクラスメイト誰一人とも目を合わせず、窓をガラガラと開け、窓枠に片足をかけ、そのまま躊躇なく飛んだ。


「おい待てっ!」

「はぁ!? あいつヤバ!!」

「ここ三階だよな!? 三階だよな!??」


 などと教室内から聞こえた。


「この学校はもう駄目かもな」


 浄眼を使い、現場への最短ルートを瞬時に計算して走り出す。


 ――オレの正体を知った生徒が多すぎる。


 走りながら、深めのため息を吐いた。





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