霞流 里緒
*
それからゴールデンウィークが始まった。
名瀬家本家が北海道の東地方にあるので、札幌との距離がある。そこから通学するのは不可能に近い。よって自分はマンションの一室を借りている。
言う必要もない事だが、そこで一人暮らしという形態を取っている。
今日オレはとある人と会う約束をしており、その人との初対面となる。
その人物もオレと同じ成秀高校に通っているらしいが学校で会ったことは一度もないと思われる。
また、その人とオレの関係的にこれからはその人と異能士として行動を共にすることが多くなるかもしれない。
オレはそんなことを考えながら、自分が住むマンションの玄関から出てドアに鍵をかける。
ゴールデンウィーク初日の午後2時頃。外へ出て、街に来てみると他日と比べ人口が多いなと感じた。
空は晴れており暖かい太陽が照りつける。
オレはマフラーの巻を緩める。
ゴールデンウィークが始まっているので人が多いのは理解出来るが、オレはあまり人混みが好きではないため、人を避けながら、目的の場所まで辿り着く。
待ち合わせ場所は札幌駅のオブジェの前と約束してあったため、その場所でしばらく待つことにした。
オレ以外にも多数の人間が同じ場所で誰かを待っている様子。
この場所は札幌では有名な待ち合わせ場所なのかもしれない。
そんなことを考えながら当たりを観察しつつ、約束の相手が来るのを待つことにした。
*
約束は2時半のはずだったが、その時間を20分過ぎた2時50分になっても、目的の人物が現れる様子はなかった。
流石に遅すぎる、と素直にそう感じた。最初の10分くらいは待っていようと考えていたが、20分も経てばもはや問題だろう。
もしかしたらなにか手違いがあったかもしれない。
この場所を指定したのこそ約束をしている本人だが、日時を決めたのは二ノ沢楓だ。
オレとその人物とを管轄し、任務を課すのが二ノ沢楓の仕事となっているため、まだ会ったことのないオレたちの媒人としての役割を担っていた。
呼び方に先生を付けていないのは、今ここで言う彼女は学校の先生としての彼女ではなく、異能士としての彼女だからだ。
いくらなんでも20分待って来ないのはおかしいので、オレは二ノ沢楓に電話をかけて色々確認することにした。
右耳の辺りでスマホが着信音を奏でる。
今、右手に握られているスマホはこの間札幌の専門店で購入したものだ。
数秒して二ノ沢楓が電話に出る。
『……もしもし? 統也くん、どうかしたの?』
「あ、二ノ沢さん? 少し聞きたいことがあったので連絡しました」
『楓でいいわよ』
通話して突然そんなことを言ってくる。
「……え?」
『みんなからは楓さんと呼ばれているから、統也くんもそう呼んで構わないと言っているのよ』
「あー。なるほど?」
オレは少しの間沈黙せざるを得ない。急に楓と呼べと言ったり、この人のことは相変わらずよく分からない。
だがみんながそう呼んでいると言うなら遠慮する必要はないだろう。
学校では先生と呼ぶだろうが、個人的な付き合いでは楓さんと呼ぶことになるだろう。
『で……? 何か話があるんでしょ?』
楓さんは今急いでいるのか、話をさり気なく元に戻し本題に入る。
学校の古文の時間やホームルームの時間でオレが知っている楓さんは余計な話ばかりしているイメージがある。それなのにも関わらず、今はすぐに本題へと話を戻している。
おそらく何か別に用事があるとしか考えられない。
「ええ、そうです。あの……今日会う予定だった霞流里緒さんのことなんですけど……」
『あー、あの子ね。うん……そういえば会うのは今日だったわね』
「はい。でも、まだ彼女が来てないんですけど」
『うん……』
いや、うんって言われてもな。オレにはどうしよもないんだが?
「オレ日程間違えましたか?」
『いえ? 間違えてないわよ』
しれっとした声で、私は何も悪くないとでも言うかのような口調でそう言う。
「ですよね……。でも霞流さん来ませんでしたよ。流石にもうすぐ3時になるので何か理由があるんですよね? 用事があって来れなくなったとか。もしそうなら事前に……」
『違うわ』
楓さんはオレの言葉を遮り、はっきりとそう述べる。
違う……?
『用事なんてないと思うわ。普通に来なかったのよ。要はすっぽかしたってこと』
彼女はまるで初めから来ないことが分かりきっていたかのような言い草をする。
『里緒……やっぱり来なかったんだ』
楓さんは独り言のように小声でそんなことを言う。
「やっぱりって、彼女が来ないことを知ってたんですか?」
『いやまさか……。来る可能性もあったわよ。……本当よ? じゃないと統也くんにだけ約束させる訳ないでしょ』
だが、来ない可能性もあったわけか。
実際、何故かは知らないが彼女はここへ来なかった。
「そうかもしれませんが、来ない場合もあるなら教えておいて欲しかったです。かなりの時間を無駄にしたので」
『……そうよね。ごめん。里緒には言っておくわ』
「はい……」
だとしても、里緒さんが今日ここに来なかった理由が見当たらない。オレと会いたくないということなら理解出来るが、会ったこともないまま嫌われたということだろうか。
まあ、そんなわけはないだろう。
やはり理由が理解出来ない。オレにとってはどうでもいいことではあるが、彼女にとっては大事なことであるはずだ。
今日も直接会ってそのことについて話し合う予定だった。
実はオレと霞流里緒は「見習いギア」を組むことになっている。担当異能士は二ノ沢楓に設定する予定だ。
担当異能士とは簡単に説明すれば、初心者揃いの見習いギアの先生のようなもの。指導や責任、引率を委任されていると言っていい。言うなれば、オレたちは徒弟そのものというわけだ。
ギアとは異能士として活動し影を討伐するために組まされる2人1組のツーマンセルのこと。
1人で影を討伐することの難易度や異能の多様性の観点から、このギアという仕組みが取り入れられるようになった。
まず、前提として影を単独で複数討伐しようとするのは蛮勇という言葉の通りだろう。不可能に近いと言ってもいい。
オレが1人で6体の影を倒したことや、鈴音が3体討伐したということは、一般的に見れば偉業で、とんでもない事だとされている。
真実ではないが、影を6体も討伐した進藤は伝説のような男になってしまう、ということでもある。進藤ではなく神童ってな。
まあ、それは冗談だが。
こういう視点からも鈴音さんの強さが規格外だったということがよく分かるだろう。
また、異能の多様性というのは、簡単に言えば役割分担のようなものだ。
極端に言えば、索敵に特化した異能力を持っている人はそんなに強い攻撃力は見込めない。逆に攻撃に特化した異能力は索敵や状況判断能力が劣る場合が多い。
全員が全員、戦闘に長けている異能を操れるとは限らない。
これらを踏まえ、互いに異能を使用し補い合うのがギア。
正直言ってインナーワールドでの異能士の歴史は浅い。青の境界が設立され、たかだか3年という月日しか経っていない。
その少ない年月の中で、影を効率的に討伐するために先人達が作り上げた最低限の仕組みの内の1つが「ギア」だということ。
『統也くん、今日彼女がなんで来なかったのかって思ってるわよね』
オレが思考しながら黙っていると、彼女がオレに話かけてきた。
「まあ、そりゃ。思わないと言ったら嘘になりますね」
『そりゃそうよね……。これで5回目なのよ』
呆れたような、何かを諦めたような口調で話す。
「はい……? 5回目? 何がですか?」
『ギアを組み直すのが……よ』
一瞬楓さんが言っている意味が分からなかったが数秒後にストンとオレの頭がその言葉の意味を処理した。
「ギアを……? だけどギアを組むのはそんなに簡単なことではないですよね? ましてやホイホイ相手を変えるなんてこと出来ないはずですが」
『もちろんよ。たくさんの手続きが必要なの』
「そりゃそうでしょうよ」
参考までに言っておくが、ギアはその組んだ相手とセットアップや一式のツーマンセル単位の攻防などを一生をかけて訓練する。そんなにスマホケースみたいにホイホイ変更するものじゃない。
『でも。それでも5回目なのよ……。里緒は異能士学校で常に首席、決闘でもとある人以外には負けたことがない。飛び級して即卒業、その後すぐにC級異能士に昇格。はっきり言って天才なのよ。彼女の異能に対する考え方が凄く偏っていることを除けば、この辺りの地域ではかなり優秀な異能士として活動出来るわ』
「なんかどこかで聞いたことのある話ですね」
考えるよりも先にそんな冗談がオレの口から飛び出していた。
『ん? 聞いた事ある話?』
楓さんは少し考えた様な雰囲気になったあとすぐに理解しただろう。
オレが何を言っているのか、ということに。
『なるほど………全くよ。統也くんがそれをどこで知ったのか知らないけど、私も異能士学校で首席、決闘ではほぼ負け知らず、飛び級して即卒業したわ。快挙と言われていたのよ』
「随分と霞流さんと似た境遇なんですね」
話だけ聞く限り、二ノ沢楓と霞流里緒はとても似た者同士ということになる。
『似ているなんてものじゃないわ。そのままよ。全く同じ。異能士学校ではトップなのに、決闘で唯一1人にだけは勝てないの。どんなに足掻いてもね。そんなところまで私と同じなんだから……。昔の頃の自分を見ている気分よ』
「一人には勝てない? というと?」
『里緒は異能士学内ではトップなのよ? 当然、実戦形式で異能を使用しながら戦闘する模擬訓練の組手……決闘でも、他の誰かに負けることはないのよ。トップの実力があるのだから当然のことよね。でもそれは、ただ一人を除いての話よ。里緒は入学してから一度たりとも次席である「彼女」に勝利したことがない。里緒本人にとってその「彼女」がライバルになってしまうのも無理はないわね。まあ、もっとも、私は一度だけ、どうしても勝てなったライバルの杏子に勝ったことがあるんだけどね。だから全てが里緒と同じってわけじゃないけど』
なんだか少し楽しそうにそう語る。
だが、今の発言でオレの中にあった一つの謎は解消した。
やはり、杏姉が以前話していた決闘で一回負けたことがある空間制御方式を操る異能力者とは、楓さんのことだったか。
「へえ、姉が……。オレは家以外での姉を詳しくは知りません。いつも物静かで冷静、何事にもスムーズな解決と解消をもたらす。そんなオレの姉さんがかつて学生時代、楓さんとどんな会話をしていたのか。正直想像もつきませんよ」
『私にとって杏子はライバルであり目標だった。宿敵とも呼んでいいわ。私自身、その優秀さと実力から異能士学校では敵なしと言われていた。同時に杏子も同じように言われていたわね。だから敵なしの二人が勝負すればどちらが勝つのかって、校内では話題になってた』
「矛盾と同じ理論ですね」
『ええ。でも杏子は変わったわ。今は世界を動かせるだけの影響力を異能士として手にしている。親友が随分遠くへ行ってしまった気分よ』
楓さんがオレの姉とそこまで仲いいことは全く知らなかった。親友と呼べるほどのものとも。
ちなみに、姉は昔からとんでもなく強かった。「何千年に一度の才女」そういわれていた。
彼女が異能士として活動を始めるとすぐに、その敏捷さと影を駆逐する速度から「碧い閃光」という異名が瞬く間に北日本国から他国にまで伝わった。
「碧い」という字が「青い」ではない理由は、名瀬杏子の異能『檻』のその色にあるだろう。
彼女の檻は碧色。いわゆる碧色と呼ばれている翡翠のような緑色だ。
檻や衣、糸といった異能はその使用者で異能の発光色が変化するらしい。
オレの檻が「青」ということは説明の必要もないだろう。
『里緒があのビリビリ少女と仲がいいのかは知らないけどね。少なくともライバルだとは思っているでしょうね』
「ビリビリ少女?」
『ん? 何でもないわ。統也くんも夏から通う異能士学校で出会うことになるわ。そのビリビリ少女こそが、私にとっての杏子と同じ。里緒にとっては最大の宿敵よ』
ビリビリ少女というのが引っかかるが、ビリビリ破けるか。
そんなふざけてたことを考えているときだった。
『え、何……? 今通話中なんだけど? 見れば分かるでしょう』
どうやら、オレにではなく電話の向こう側にいる人と楓さんが会話しているようだ。
『え? 緊急招集? 無理よ、そんなの。今、優秀な異能士はほとんど北に遠征してるのよ。まだ一人も帰還していないわ。そろそろ帰ってくるとは報告されてるけど……え? 札幌駅の近く? 尚更無理よ。そんなこと……』
オレは状況こそ知らないが、あまり愉快な雰囲気じゃないな。
『だから、無理だって言ってるでしょ? 何回言えばわかるの? 名瀬家か伏見家にそのまま伝言を伝えて。もう夕方よ。早くしないと夜になっちゃうでしょ!』
楓さんがかなり慌てている様子が分かる。
「あのー? 楓さん……?」
話しかけづらい雰囲気だったが、このままいつまでも通話しているわけにもいかないだろう。楓さんの邪魔もしたくはない。
と、思ったのだが。オレがここで声をかけた時、明らかに楓さんの死んでいた雰囲気が生き返るのが通話越しでも伝わってくる。
『あ……そうか! その仕事、やっぱり私に任せてくれない? いいから、いいから』
この楓さんの発言を通話越しに聞いて嫌な予感がした。
急にその仕事を引き受けると言い出し始めた。
「あの……? 楓さん?」
オレは恐る恐る話しかける。
『統也くん。今日の夜、18時頃って暇? 暇よね? ねえ、暇よね? 暇じゃないなら開けて』
いや、それもう強制だから。暇を押し付けているのは、もう暇とは言わないから。
「その時間なら特に用事は何もなかったと……」
そこまで言ったところで楓さんが勝手にオレの言葉を遮る。
『オッケー。じゃあ決定ね。今日17時頃に改めて指示を出す電話するからからよろしく』
———————プツン。
おい。あの人、通話切りやがったぞ。あれだけ最後暴走しといて。
「っはあー」
オレは大きなため息を吐きながらマフラーを触り、歩き出した。
住んでいるマンションに一旦帰ることにするか。
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