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鬼人化



 ***



「――さて、我が花嫁たちよ。いかにして散りゆくのか、存分に魅せてくれよ」


 鎌足は、奥の第二地下空間へと続く入口――天井付近の足場で、こちらを観察している。高みの見物を決め込むようだ。

 上へ向かえば、即時『神紡』か『重力制御グラビティ・リミット』で迎撃されるだろう。総員はそう考えた。


 その間にも、漆黒の海のように無数の影人が進軍する。

 それはまるで生きた闇そのもので、黒い濃霧のように集結し、次第に規則正しいフォーメーションを描きながら、茜や翠蘭、そして他のメンバーらへ迫る。

 遠くから不協和音のような金属音が響く。その足音は確実に、そして容赦なく地面を這う影人たちの接近を告げる。


「こいつらは私が! みんな下がって!!」


 雪華は右足に冷気を乗せて、全力で踏みつける。


「『霧氷領域アイシー・ゾーン』!」


 過冷却状態の水分に衝撃を与え、大規模な『氷瀑』を発動。空気が一瞬で氷点下へと急降下し、辺りは凍てつく静寂に包まれた。

 瞬時に氷柱が奔流となり、影人の先陣をほぼ完全に凍結させる。


「グラァァーーーーーーー!!」


 しかし、その背後に控えていた影人たちは怯まない。凍結した仲間をものともせず、飛び越え、次の波が一斉に襲いかかる。

 漆黒の波が雪上を疾駆し、歪な変形手を振るいながら殺到する。


「正面は私が! 希咲さん、後ろをお願いします!!」


 雪華は意外と冷静だった。

 彼女が第二波として放った『氷瀑』が轟音とともに戦場を白に覆い尽くす。凍てつく氷結晶が影人の軍勢を飲み込み、無数の黒い兵たちが瞬く間に氷塊へと変わっていく。冷気が辺りを満たし、正面の二陣も一瞬にして氷結した。

 一方、希咲が後ろの影人に応戦。


「さあ、お掃除の時間です。……ああ、間違えました。ゴキブリ駆除の――!」


 希咲の指先から深緑の光が溢れる。それは次の瞬間、無数の「糸」となって宙を伸びる。

 希咲が軽く指を振り操作すると、細く鋭利な『棘糸』が縦横無尽に影人たちを貫いた。『光子切断フォトン・ブレード』によって、影人たちは断ち切られるように消えていく。


「まだまだです」


 希咲は掌を前に突き出した。すると一本の「糸」に収束され、螺旋を描いて輝きを増す。


 ――『棘糸神紡』!!


「散りなさい!」


 光子体の「糸」が一本のビームと化し、一直線に走る。

 その軌道上にいた影人たちは一瞬にして貫かれ、爆ぜるように霧散。同時に大量の紫紺石を落とす。


「もう一度……!」


 その光の余韻が消える頃には、希咲の目の前に影人の姿はなかった。


「ふぅ……このくらいで済むなら、楽なものですが……」


 希咲は軽く髪をかき上げながら、次の影人を見据えた。

 その隙に、茜が翠蘭へとあからさまな視線を向ける。翠蘭もそれに気付いて小さく頷いた。


「翠蘭さん、少し聞きたいことがある。あの鎌足とかいう男……どういう人間なの?」


 途端に翠蘭の表情が険しくなる。拳を強く握りしめ、低く呟いた。


「人間……? 違います。……あれは人じゃありません。ただの化け物ですよ」


 そう言う翠蘭の目には憎悪が燃えていた。


「あの男は、自分の探究心や欲望のためならどんな手段も過程も厭わない。たとえ何者を犠牲にしても、何を壊しても、それを一切気にしたりはしない。非情とか冷酷とか、そのような生易しい言葉では足りません……」


 翠蘭は唇を噛みしめる。


「茜さんも……覚えてますよね? ライブ会場の上空、雲を切り裂きながら落ちてきた、淡い赤色の光線……まるでミサイルのような光の束。統也さんが『青玉』で相殺した――『星光神紡《ロンギヌスの槍》』、またの名を『糸槍』」


 誰もが忘れてはいない。あの日、八月下旬――大空の彼方から弧を描き、『万里ノ碧』の頂点を狙って放たれた一撃を。「光の核ミサイル」と揶揄されるほどの、極大射程を誇る投擲技。有効射程は優に二千キロを超える、三宮一族の秘奥義。

 ですが――と、翠蘭は低く続ける。


「……あれは本来、現代の三宮一族には発動できない代物です」

「え? けれど、風の噂で聞いたことがある。三宮家の伝承に"光の線が降ってきた"という逸話があるって……違うの?」


 茜の問いかけに、翠蘭はゆっくりと頷く。


「確かに、それは『糸槍』に違いありません。ただし――鎌足本人が飛鳥時代に残したエピソードです」


 そのセリフに、茜を纏う空気がわずかに張り詰める。


「巨大光子体を生成する最終工程が最難関で、それが実現の壁になっています。どれほど卓越した『糸』の技術を持っていようと、現代の三宮一族では、あれを完成させることはできません。可能なのは――鎌足くらいです」


 そして翠蘭は眉を上げ、静かに言い放つ。


「――だから、あのときです。あのときから、三宮拓真は"拓真"ではなく、"鎌足"だったんです」


 その翡翠の瞳が、天井付近の男を鋭く射抜いた。


「そう……他には?」

「伏見風玲(ふうれい)――それも、奴がかつて名乗っていたものです。女の姿でしたが……」


 茜は息を呑む。

 その名に聞き覚えがあった。異能界隈では語り継がれる、凄惨な昔話。

 江戸時代初期、浄眼持ちを謀殺するついでに御三家の人間をほぼ皆殺しにし、それぞれの一族を滅亡の危機へと追いやった女。伏見風玲――その名で行った所業だけでも、『史上最凶の異能者』として異能界の歴史に悪名を刻んでいる。

 翠蘭は一通りの説明を、感情を押し殺しながら早口で終える。そして最後に吐き捨てるように言った。


「私にとって……彼こそが、《《全ての元凶》》です」


 その声には、怒りと苦痛が滲んでいた。「カオスだってあんなに優しい子だったのに……」と呟いたが、茜の耳には届かなかった。

 茜は静かに翠蘭から目をはずし、短く頷いた。それは納得の相槌ではなく、形式上のもの――会話に終止符を打つための動作に過ぎなかった。


 問い詰めたいことは山ほどある。だが、ここで追及したところで何も変わらない。

 茜は思考を切り替えた。翠蘭が鎌足の能力について言及しなかったということは、少なくとも茜が知る以上の情報は持たないのだろう。

 茜は、『氷瀑』第四波を放ち終え息を切らす雪華のもとへ移動し、耳打ちする。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「雪華さん、ここへ来たときのこと覚えてる?」


 雪華は一瞬、戸惑ったように瞬きをする。


「……覚えてる、けど……」



 ***



 遡ること四十分程。第一地下空間通路の入口にて、茜の透き通る声が響いた。


「あいや。ちょっと待ってくれる? その前に、皆に伝えておきたいことがある」


 その一言で、隊の全員の視線が茜へと集中する。


「この隊の『生死』に関わる、重要なこと――」


 翠蘭は「勝敗」ではなく「生死」という言葉を選んだ茜に、得体の知れない不安を覚えた。


「仮に私が戦闘不能、もしくはそれに準ずる状況になったら――」


 茜の視線が鋭さを増す。


「隊の指揮は、雪華に任せる」


 言葉を聞いた瞬間、雪華の目が大きく見開かれた。


「え? は? え? ……ちょっと待って! なんで私!?」


 混乱した様子で周囲を見渡す。


「希咲さんでも翠蘭でも、私より冷静で、的確な判断ができる人はいるよね? リーダーなんて……無理。なんで私なのかな」

「そうだね。一番雑で、感情的で、判断が鈍い――それが私の知る雪華さん」

「……じゃあ! じゃあどうして!!」

「だから、でしょうね」


 茜の声は淡々としていたが、その眼差しは揺るぎなかった。


「人は時として、どんな優秀な人よりも、信じたい人についていくものだから」


 雪華の呼吸が詰まる。

 茜はさらに一歩踏み込むように言った。


「私の判断を、信じて」

「……っ」


 雪華は言葉を失い、沈黙する。


「それとも、まだ私を信用できない?」

「いや、そうじゃないけど……」


 その様子を見守っていた翠蘭、希咲、舞花、リカもまた、否定の言葉を口にすることはなかった。彼女たちは雪華を見つめ、それぞれ何かを考えているようだったが、誰も異を唱えない。

 雪華は戸惑いながらも、震える声で応じた。


「……わかった。でも私は……優れた指揮も、賢明な作戦も……」


 自分の可能性を閉じる言葉を言おうとするが、それを塞ぐように茜は、静かに、しかし確信を持って頷いた。


「それでいい」



 ***



「それじゃあ、任せたよ」


 茜は振り向くこともなく言い捨てると、驚くべき特大ジャンプで影人の軍勢を飛び越え、その先で着地する。


紅鬼化ルビア・第二霹靂―――『鳴神』」


 瞬間、茜の身体が紅い閃光に包まれた。弾けるような放電音が響き、周囲の空気がビリビリと震える。

 肌を走るのは灼熱の電流。雷をその身に宿したかのように、全身から紅い光が散り、足元の地面が焦げ付く。

 額から艶やかな二本のツノが伸びる。それはまるで、生まれつきそこにあったかのように馴染み、異様な存在感を放つ。犬歯は鋭く伸び、牙のごとき凶暴さを帯びた。

 その変貌に、真っ先にリカが声を上げた。


「……なんじゃありゃ!!」


 瞠目するリカの背後で、雪華も戸惑いの声を漏らす。


「ツ、ツノ!?」

「うそ……あれはなんですの……?」


 舞花は息を呑み、翠蘭ですら一瞬言葉を失った。


「茜さん……それは……」


 戸惑いと驚きが隊の中を駆け巡る。しかし、それだけではない。誰もが圧倒的な異形に恐れを抱く一方で、言いようのない興奮を覚えていた。

 鬼気迫るその姿――それは畏怖と同時に、胸の奥底に眠る戦闘本能を刺激する何かを孕んでいた。

 茜の紅蓮の瞳が、周囲を見渡す。その一瞥だけで、誰もが背筋を震わせた。

 影人たちでさえ、一目見て後ずさりしていく。


「ふーん。影人も恐怖を感じるのね」


 茜がゆっくりと視線を上げる。


「……さぁ、下りてきて。鎌足」


 低く囁かれたその声に、リカは思わず喉を鳴らす。


「あかねっち……ヤベェ……」


 その言葉は歓喜か、それとも恐怖か――誰にも分からなかった。

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