彼らとの最初の一ページ目
一方そのころ。同日同時。
「はっくしょん!」
オレは大きなくしゃみをする。
「あー寒いな。なんだこの気温は……。本当に春なのか? もうゴールデンウィークが始まるっていうのに。北海道は寒いな」
オレは春なのにもかかわらず低いこの気温に文句を言う。
「もしかしたら君のことを噂してる人がいるのかも?」
眼鏡のブリッジを押して整えながら栞がいたずらっぽく笑い、そんなことを言う。
噂されればくしゃみってか? そんな馬鹿な。
栞はオレの右に並んで歩いていた。
「そんなことはないと思うんだけどよー。こいつマフラーしてるから寒くはないだろうし、噂されるほど有名人でもないだろ。つまり、なぜくしゃみしたか謎だろ」
香が笑いながら横から口をはさむ。栞のさらに奥に並んで歩いている。
なぜも何もただの生理現象だろう。
「風邪でも引いたんじゃ? 大丈夫?」
命が控えめな声でオレにそういう。初めてきちんとオレに声を掛けてくれた瞬間だった気がした。
この四人での集まりは少々特殊な事情があって出来上がったものだ。
まず、先日オレの前で泣いてしまったことを、命本人は迷惑をかけたと思っているらしく、迷惑をかけた分、みんなに夕食を奢るというのだ。
命は随分斬新なことをするなと思った。
オレは交友関係なども広めるチャンスになると思い、断る理由もなく香についてきた、というわけだ。
オレたち全員四人とも制服を着たままなのでオレは少しだけ嬉しい気持ちになった。
自分にとって制服のままで、どこかに出かけるという経験は今までになかった。だからこそ、今こうやって友達(命と栞は友達の友達)と制服を着用したままどこかへ出かけることは、青春をしているという気分になる。
関係ない話だが、元からオレを除く三人は面識があり、仲が良かったようで、香と仲のいいオレはこの食事会にも呼んでもらうことが出来た。
話を聞く限り、どうやら三人は高校一年の時に同じクラスだったらしい。今こそ、栞と命はAクラス。香はCクラスと離れ離れだが、それでもなんだかんだで遊ぶメンツは変わらないらしい。おそらく香が命に恋心を持っていることも関係しているだろう。
オレたちは雑談をしながら学校帰りに外を歩きセイゼリヤへと向かった。
セイゼリヤとはイタリヤ料理が主に主食の簡易レストランである。
オレたちが歩きながらセイゼリヤに向かっていると、辺りの空が赤く染まってくるのが分かった。
オレたちは一緒に店内に入る。
無関係なことかもしれないがオレは店の中に入って内装を見て驚く。オレが知っているファストフード店とはかなり異なる。
まあ当たり前のことかもしれない。
そんなことを考えながらオレはセイゼリヤを進んでいき適当に席につく。二つのソファが向かい合い、テーブルを挟んでいる構造の席につく。
自然にオレと香、命と栞がそれぞれ一つのソファに座る形になる。
これでオレの向かいには命、オレの隣には香がいるという状況になった。
「ちゃんと自己紹介が必要だよな」
店に着いて、隣にいる香がオレの方を向きながらいきなりそんなことを言い始める。
ああ、そうか。確かにオレはまだ栞や命にどんな存在か教えていなかった。
「オレの名前は名瀬統也だ。統也でいい。一応オレは春から転校してきた。だから分からないこととかもあるかもしれない。えっと、好きなものは甘い物で、趣味は……そうだな。読書……かな」
こういう自己紹介はさっぱり終わらせることが肝だ。長ったらしくしても良い印象は受けないだろう。
「よろしくね。私は森嶋命。名瀬くんは甘い物が好きなんだね?」
「へー、とうやっていうんだ。よろしくー。あー、うちの名前は栞ね、木下栞。もちろん栞って呼んでもいいよー。……それとあの、ずっと言いたかったんだけど……始業式のときはありがとね、うちのこと支えてくれて……」
「ああ、あれか。あれはいいんだ」
正直あれは、かわしたオレが悪いのだから、感謝されるいわれはないのだ。
「そういやお前、栞とは面識ある的なこと言ってたな。王子がなんちゃらとか……それはそのことだったんだな」
まずい。今、王子と言われれば…………また甘い匂いが……。
あれ?
香が王子という言葉を発した瞬間、オレは体から甘い匂いが発生するのではないかと身構えていたが、どうやらその気配はない。
オレは少し混乱する。
どういうことだ? なぜ匂いが発生しなかった?
そもそもこれはなんなんだ。王子と呼ばれれば発生する匂いなのか? そんな話は異能士の世界でも聞いたことがない。初めはSEの一種かと考えていたが、果たして本当にそうだろうか。
「それは忘れろ!まじで!」
栞がオレを王子と呼んだときの話だろう。
栞は可愛らしく頭を抱えながら困った顔をする。
そんな表情を見て、そういえば栞も校内三大美女の内の一人だったことを思いだす。
一般的に眼鏡がここまで似合う女子はあまり見たことがない、という正直な感想もあるが胸の奥にしまっておくことにした。
「忘れるわけないだろー」
香が笑い転げながらそう言う。
「マジで殺すよ?」
半分笑った顔で栞が言い返す。
ずっとこんなやり取りをしているのだろう。この間もこんな感じだったのを思い出す。
「てか、俺思ったんだけどよ。なんで統也が王子なんだよ? どんな経緯があれば王子になるんだよ」
「それはオレが聞きたい」
するとずっと静かに会話を見守っていた命が口を開く。
「栞曰く、部活の朝練に遅れそうになってて、急いでた栞は前方不注意で名瀬くんとぶつかりそうになったのね? そしたら、その時に栞がバランスを崩して転びそうになったんだけど統也くんがかっこよく栞を支えたらしいよ? それが王子様に見えたんじゃないかな?」
正直に告白すれば随分美化されていると感じたが……。
「ち、違うんだって! なんか説明できないけど咄嗟にそう思ったの。なんか……彼は王様になる気がして……って何言ってるんだろ……」
うん。本当に何言ってるんだ?
「それって恋じゃね?」
香が何食わぬ顔でとんでもないことを言う。
そんなわけあるか。誰が、ぶつかりそうになったくらいで人を好きになるものか。どこの少女漫画のヒロインだよ。
オレは心の中で香に突っ込みを入れる。
「ち、違うと思う……」
栞は顔を赤らめながら下を向く。
おい、違うだろ。絶対ちがうって。違うと思うじゃなくって、100パーセント違う。
そんなことを考えている最中だった。
「ちょ、栞来て!」
命は急に席を立ったかと思えば、栞の手を取りセイゼリヤのトイレへと急ぎ足で向かった。
「なんじゃありゃ」
香が訳分らんとでもいうような表情でそう言い放つ。
「さあ、なんだろうな。オレも女子が考えてることはさっぱり分からんわ」
透視を使えばトイレで何をしているかくらいは見れるだろうな、などとくだらないことを考えた自分に少しだけ安心した自分がいた。
オレはメニューにゆっくりと目を通した。
*
数分後、二人はトイレから同時に帰ってきた。
「ちょ、ちょっと色々話してたー」
少し気まずそうに栞がそうオレたちに話しかける。
「遅くなってごめんねー。メニュー決まった?」
命も続けざまに発言する。
「ああ、もう注文し終わった。それにしても、こんなに豪華なもの奢ってもらうなんて本当にいいのか?」
オレは命に向かって言う。
「いいのいいの。私結構バイトで稼いでる方だから」
彼女は頬を赤らめ、少し恥じらいながら楽しそうに笑ってくれた。
それにしても高校生でバイトをしているのはかなり大変なんじゃないだろうか。
勉強もしなければならない点などを考慮するとかなりハードスケジュールになるはずだ。
全く関係ないはずの栞が何故かうんうんと頭を縦に振りながらオーバーアクションを取っている。
「おまえ。どうした?」
不審そうな顔で香が栞に訊く。
「だってミコがバイトしてるんだよ? 香たちはミコがなんのバイトしてるか気にならないの?」
ミコとはどうやら命の愛称のようだ。
「た、たしかに。す、少しは気になるな……」
香は知的欲求を隠しきれておらず、知りたいのがバレバレだった。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいから言わないでよ」
命が栞に言ってほしくないと語るが、顔を見ている限り心の底からそう思っているようには見えない。つまり彼女は何のバイトをしているのか本当は話したいようだ。
「えーなんでさー。言ってもいいでしょ?」
栞はしつこく命に許可を求める。
「そーだー。言っちゃえ言っちゃえー」
香もその調子に乗りかかり、バイトの内容を言う様に催促する。
「えーー。どーしよっかなー。なんか香には教えたくないなー」
なぜか栞はかなり勿体付ける。
「はーなんでだよ。教えろよな」
笑ってニヤけている栞とは違い、香はかなり真面目な顔だ。さすが命に恋している男子なだけはある。真面目に何のバイトをしているか知りたいんだろうな。
彼にとっては死活問題なのだろう。
という冗談は置いといて、オレも命がどんなバイトをしているのか簡単に予想してみようと思う。
まず最初に、彼女は学校一のマドンナとして知られている有名人である。
ここから、考えるに…………。
うん、なんも思いつかん。降参降参。無理無理。
オレは思考する前に速攻降参した。こういうのは柄じゃないな。
そうこうしている間に、待ちきれなくなった栞が口を開く。
「アイドルの卵だよ」
何故か栞は威張るように、自慢げにそう語る。
アイドル……?
アイドルってあの女の子とかのグループ作ったりする? テレビに出たり、歌ったりするやつか?
当然オレの頭の中は、はてなマークで埋め尽くされた。
流石のオレも驚かずにはいられない。
というかアイドル活動はもはやバイトとは呼べない。
学校一美人と称されるマドンナである彼女がしているバイトだと聞いた時から普通の……例えばコンビニの店員などといったものでないことは分かっていたし想定していた。だが、まさか……。まさかアイドルをやっていたとは。
「ふふーん。すごいでしょー」
やはり何故か栞は誰よりも1番自慢げだ。
「ねー。恥ずかしいって言ってるじゃん。それに、まだアイドルでは無いんだってば!」
当の本人である命は栞の言葉を聞き、非常に照れた表情を作り顔を赤らめていた。
「は……? ア、アイドル? アイドルってあのアイドル? は? え? ど、どゆこと?」
香はというと、栞から告げられた事実にあまりにも驚きすぎて上手く反応出来ていない様子だった。
戸惑うのも無理ないだろう。いくら命が可愛いと知っていても、アイドルをやっているなどと想像できる人間はいないだろう。
「すごいな、つまりはステージとかで歌ってるって認識でいいのか?」
オレも驚いていたので、そのまま今の思っていたことを聞いてみる。
「うーん、まだそんなに表立って出たりとかはしてないかな。でもそろそろステージにあがらせて貰えると思う。振り付けは完璧だから、あとは歌を完璧にするだけかな」
サラッとすごいことを言っている。
この間香から聞いたことだが、彼女はある種の完全主義者だと云う。
何事も完璧にこなそうとする彼女の意識や性格は、仕事の面でも現れていたらしい。
そんなことを考えている中、オレは命がバイトで歌っているという事柄を聞き、驚くよりも先にアイドルというワードからある人物を思い出していた。
オレは定員を呼び、追加でコーヒーを注文する。
香が命のバイトの件で驚いてから落ち着きを取り戻してきた頃、特に意味もないがオレはかつて有名だった歌のイントロのメロディを口ずさんでみる。
この歌はアイドルと聞き、先程オレが想起した人物が歌姫として世界に名を轟かせた時の曲だ。
いや轟かせている曲……が正しい表現かもしれない。
「お! 有名な曲だよなー。ヴィオラ・ソルヴィノの『Thought』だろ? 統也、あの曲が好きなのか?」
香がハイテンション気味でそう尋ねてくる。
そうか。やはりか。
元気でハイテンションな香とは異なり、落ち着いているオレは1人、心の中で呟く。
あの曲は……、あんたは……、ちゃんとこの世界で残るのか。
それならいいんだ。なんの問題もない。
オレは心の底からホッとする。
「ああ、そうだ。香もあの歌が好きなのか?」
オレは香に聞いてみることにした。
「ん? そりゃもちろん大好きだよ。いい歌だよな、ほんとに。俺はマジであの歌好きなんだよ。イントロも好きだし、サビも好きなんだよな。あの地味なサビが長く続く感じも嫌いじゃないしよ。あんないい曲を歌えるのは世界的歌姫だったヴィオラ・ソルヴィノだけだよな」
世界的歌姫だったか……。
無理もないし納得せざるを得ないが、やはりそうなるか。
「でも残念だったよね。あんまりこういうことは言いたくないけど……」
栞は言いずらそうに口を開いた。
あまりに言いたくないとは、ヴィオラの死去のことだろうか。
「……そうだね。よりにもよってあんなに素敵な歌手である彼女が影人にやられるなんて……。正直あの日、境界の内側に逃げられなかった人が載るアウターリストにヴィオラさんが載ってるニュースを見た時、とってもショックを受けたのを覚えてる。私もすごいファンだったから……」
悲しそうな声と雰囲気から命もかなりガッカリしているのがわかる。
彼女が今アイドルとしての小活動をしていることなどを考慮すると相当なヴィオラファンだったのだろうと想定できる。
ヴィオラ・ソルヴィノが現在、青の境界の内側つまりIWで生存していないということは、すなわち彼女の死を意味する。
OWで影が縦横無尽に徘徊しているとすれば、境界の外で生きていける人など存在しない。
例え世界ランク順位表に記載されている最高レベルの異能士であるオレの実の姉、名瀬杏子がその状況に置かれたとしても、為す術がないほどだろう。
だが、ヴィオラが話した最後の言葉を思い出す。
「私が居なくなった世界でも私の歌が多くの人の心に残り続け、たくさんの人に伝わり続けること、たくさんの人に共感して貰えることを心から願ってる。でもそれは、君の技量にかかってるからね?」
そう笑いながら語る笑顔と、悪戯っぽいウインクを今でも昨日の事のように思い出すことが出来る。
オレの技量なんかに依存しなくとも、あんたの歌はここでたくさんの人々の心に残り続けているよ。
それは紛れもなく、あんた自身の影響力と歌唱力によるもの。
そうだろ? ヴィオラ。
届くはずもないのに、オレは心の中であいつに語りかけていた。




