真紅の反撃【2】
***
月光の淡き帳が京の夜を覆い、風は桜の香を運んでいた。
刹那と、かぐや。二人は飛鳥時代初頭より共に暮らし、戯れ、競い合い、研鑽を積んできた。武道に魅せられ、剣を交わすことこそが、二人にとっての語らいであり、友情の証であった。
「其方の刃は、ますます冴え渡るのう」
刹那は微笑み、銀糸のごとき淡い青髪を払う。その碧眼はまるで水晶のように澄み、かぐやを映していた。
「其方こそ、見事な足運びだ。まるで風のように舞う」
かぐやは、黒髪を風に靡かせながら応じた。翡翠の瞳が楽しげに揺れる。
「へへへ、蝶のように舞う其方に言われるか。謙るでないぞ」
二人は剣を構え、夜の庭に響くは鍔競り合う音ばかり。
しかし、異変はふいに訪れた。
刃を交わすうち、かぐやの刃が刹那の肩を裂いた。浅き傷とはいえ、鮮やかな朱が刹那の白衣を濡らしていく。
「……っ」
かぐやは息を呑んだ。だが、刹那は何事もないように優しい笑みを浮かべる。
「――そちの剣は見事であった」
その声は変わらぬ穏やかさを宿していたが、表情は翳りを帯びていた。
その日を境に、何かが変わった。
刹那はかぐやと確かに距離を置くようになった。言葉は交わすが、かつてのような無邪気な笑みは見せなかった。かぐやが寄れば、刹那はさりげなく離れる。まるで、刃を交えた日が夢であったかのように。
(何故、そなたは……?)
かぐやは切ない胸を押さえ、苦しんだ。確かに己の剣が刹那を傷付けた。だが、それは武の道において避け得ぬことではなかったか。共に修練を重ねてきた者として、刹那もまた、それを理解していたはず。
―――けれど、刹那はかぐやのもとを去った。
月日は流れ、二人は再び対峙した。
「……久しいの」
刹那の声は、どこか遠かった。
「そなたを傷付けたこと……私は悔いている」
かぐやは翡翠の瞳を伏せた。
「そちは何も悪くはない。武の道とは、そういうものじゃ」
刹那は微笑んだ。けれど、それは寂しげな微笑だった。
「されど……妾は、そちの剣が恐ろしいのじゃ」
その言葉はかぐやの胸を刺した。己の剣を、己の在り方を、刹那は怖れたのだと。それは、溢れかけた茶碗に落ちた最後の一滴のように、静かに、しかし決定的に溢れた。
「私は……、私は……」
去っていく背中に言葉を紡ごうとしたが、何も出てこなかった。
かぐやはその日より誓った。もう、誰も傷付けないと。
友人でさえ傷付けてしまう武道とはもはや武道ではなない。暴力である。
この時より人へ、全力を、全身全霊を振るうことをやめようと―――。
それは、己を縛る契りとなった。
桜の花弁が、ひとひら。月光の下、儚く舞い散るばかりであった。
「月影に、交わした契り、夢と散る。袖に残れる、君が面影」
(月の光の下で交わした約束も、儚く夢のように散ってしまった)
(それでも、袖には君の面影が今もなお残っている……)
***
何故、今更こんなことを思い出すのか。
大昔のことだ。とうに過ぎ去ったはずの記憶。
それなのに――何故、今更……。
翠蘭は、朦朧とする意識の中で幻影を見る。
そこにいたのは、儚く散った愛する友。
世間では「雪女」として語り継がれ、あるいは「白夜一族の祖」とも称される、美しき女性――。
その白き面影は、今もなお、かぐやの心を縛り続けていた。
だがそれでも、世は時は刻み続ける。
赫水晶の天井を裂いてゆく苺色の閃光。鎌足の放つレーザーが、星屑のごとき輝きを散らしながら茜へと奔る。空気は焼け焦げ、灼熱の風が荒れ狂う。茜は紅蓮の電撃を纏い、疾風のごとく駆ける。雷鳴のごとき衝撃が何度も地を裂き、空気を震わせる。
そんな取り留めのない、漠然とした情景として捉えられてしまう程、天霧茜と三宮鎌足の激突は、もはや人の域を超えていた。異能の応酬、駆け引き、近接格闘、そのすべてが常軌を逸し、目で追うことすら叶わない。
一言で言えば――格が違う。違い過ぎる。
誰もがそう悟っていた。
雪華は下手に手出しできず、希咲でさえ援護射撃の機を見出せない。彼らの戦いに割って入ることは、もはや無謀を通り越して無意味だった。
一見すれば拮抗しているかのように思えた戦局。しかし、静かに、そして確実に流れは鎌足へと傾いていた。
今、この瞬間、彼の『神紡』が『雷電乖離』を打ち破ったからだ。
そんな不安と無念の中、一人の佳人が立ち上がる。
「狼藉者が……。よくも、私をここまで吹き飛ばしてくれましたね……」
黄金と翡翠を纏い、まるで天翔るオウゴンテングアゲハのごとき振る舞い。一挙手一投足、揚羽蝶の如し。
燦然たる光を宿し、その身から立ち昇る『衣』エネルギーは、まさに燃え盛る魂の証。
「委員長、まだ動くなって!」
「翠蘭……動いても大丈夫なの!? って、いうか……金の『衣』!?」
復活を遂げた彼女の姿は、眩い輝きを放つ。
抑え込まれていた力が解き放たれ、今や彼女の身体は純然たる輝きそのものとなる。
意志と共に解放された「定格超過出力」は、周囲に金の鱗粉を撒き散らしながら、宙へと舞う。煌めく流星のように――。
***
『神紡』にて放たれる光子体は魔力子を介して間接的に電気量を持つ故に、『雷電乖離』で弾けるはずだった。
だが確かに頬に流れる鮮血。読みがはずれたのか。否、そうではない。
茜は『赫眼』を凝らすと破られた原因を探す。
「なるほど」
原因はすぐに見つかった。
鎌足の流した光子体は《《空中でマギオンを失っていた》》。残滓さえ在りはしない。
射出の際と加圧時、それから誘導放出による光増幅放射にのみ利用し、あとは光子だけで指向性と収束性を持たせたのか。
明らかに一般的な『神紡』ではない。
火薬を用いずに銃弾を発砲するのと、何ら変わらない異常な技術。
硝煙反応や発射残渣(ここでいうマギオン残滓)を残さないということは、そういうことだ。
(この至近距離で打ち合うのはまずい)
「あらま。私の計略を見破った。……というより、本能的にヤバいって気取ったようだね。戦闘の勘というやつか。私はそういう酷く曖昧な根拠が嫌いでね」
(せめて溜めの時間がつくれればいいんだけれど)
『陽電子加速砲』を放つための隙が欲しいが目の前の男はそんな時間をくれるほど甘くはない。
「初っ端は『神紡』を防げるのか半信半疑だった……経験がなかったから。でも途中、『神紡』を防御出来るのを自然に確かめさせ、『マギオンに伴って、光子体は帯電している』という根拠を、私の中で作らせる。納得と理解の上、自分で作った根拠ほど信用できる判断材料はない。それが罠になった」
「ブラボー」
鎌足はそう言ってパチパチと手を叩く。
鎌足は初めから「叩きつける能力」を分岐点として策略を巡らせていた。茜がその照準を防げた場合と防げなかった場合。マギオンを弾けるか弾けないかの線引き。
「だけど、『神紡』を無電荷状態で放つなんて神業……」
出来ない、と言いかけたが被せるように否定する。
「できるとも。私を誰と心得る? 藤原一族並びに三宮一族の祖……名を三宮鎌足。この術式の開発者だぞ、あまり舐めないでもらいたい」
何も、わざわざ相手の土俵、流れで戦うことはない。
「ところで、はぐらかされたが名前を聞こうか。名も知らぬ美女よ」
「『名も知らぬ』が苗字で、『美女』が名前よ。覚えておいて」
ぶっきらぼうに言い、茜は相手の隙をついて後ろに後退する。
雪華と希咲、舞花の援護を待ったが、おそらく雪華はこの戦闘レベルに合わせる援護技術を持たない。
希咲は影人を押さえるので手一杯か、もしくは『神紡』が雪華やリカに向かった際の迎撃準備といったところか。賢明だ。
舞花は……。
彼女は一応『重力制御』での援護は――している。
が、先程と同様効果がないことはその悔いる表情を見れば察することが出来た。
そして、翠蘭。
「え……」
(……『衣』? あれは……何?)
茜でさえ僅かに目を見開く。黄金のマナエネルギーを纏う翠蘭は、復活の余韻すら許さぬまま戦場へと舞い戻った。
「それは―――ふはははっ、素晴らしいなその輝き! 見間違えるはずもないぞ、アーサー・ホワイト! 残していたのか、『金鱗』の衣粒子を!」
謎発言を、鎌足は興奮気味にまくしたてる。
翠蘭は助太刀に入るや否や、その瞳に映るのはただ一人、三宮鎌足。余計な間合いなど不要と言わんばかりに大股一歩で距離を詰める。
次の瞬間、閃光の如き一撃――凄まじい速度の前蹴りが彼を襲う。その衝撃が大気を裂き、黄金の軌跡が閃いた。
しかし。
――その瞬間、彼女の目の前にいた鎌足が掻き消えた。
「なんですッ!?」
翠蘭の動揺も一瞬、即座に意識を周りに向ける。
「後ろか……!」
翠蘭が振り返ると、目の前には寸前の位置まで《《硬質化した手刀》》……まるで剣が迫っていた。
翠蘭はそれをバク転をしながらぎりぎり回避する。切り裂かれた前髪の一部が、認識が遅ければ己がそうなっていたのだと強く実感させた。
「それは……皮膚細胞の結晶化……。貴様はどこまで人を弄べば気が済む」
翠蘭は一瞬「刹那」を思い浮かべたがすぐに顎を引き、悠然とたたずむ鎌足を睨む。
「まさか、他にも持ってるの? だとすると……いよいよ笑えない」
そう言う茜は翠蘭と目を合わせた後、近くの数百キロはあるであろう赫水晶の瓦礫へ視線を送る。翠蘭は頷くとそれを両手で持ち上げ、大きく振りかぶる。
「ふっ!!」
それは超高速で鎌足へと迫る。
しかし、鎌足の硬質化した手刀で一閃するとあっけなく両断され後方に飛んで行った。
だが、茜の狙いはそこではない。
瓦礫で一瞬視界が塞がれた瞬間、翠蘭は彼の前方に、茜は彼の背後に移動する。
「はやっ―――」
それに気づいた鎌足が翠蘭を地面に叩きつけながら、振り返るが、もう遅い。
茜は、両腕を交差させてガードしようとする彼を全力で蹴り上げる。
その威力は絶大で、鎌足は高く吹き飛び天井に食い込む。
「すぅ」
茜は大きく息を吸うと掌に電弧を纏い始める。
空気が揺れ、周囲の瓦礫がカタカタと振動する。
天井から落下してくる鎌足はそれを脅威と判断したのか、剣に力を込めて迎え討とうとする。「叩きつける」あの能力を使わないということは、おそらく効果範囲が狭いからだろう。
陽電子を収束し終わり、上の男を見据える。
彼も相当力を剣に込めているようだが関係ない。
茜は腕を伸ばし構える。
『陽電子加速砲』
――極超音速型。
直後、轟音と赤い閃光を帯びるビームが放たれた。
その一撃は鎌足の剣とせめぎ合うことなく狙い違わずに鎌足の心臓部を直撃する。
音速衝突による衝撃波が起こり、砂塵が舞う。
「やったか!」
雪華がタブーなセリフを吐くと、リカが緊迫した表情で叫ぶ。
「それは言っちゃだめだ!!」
「え、なんで??」
「強烈な生存フラグ! 言われた対象はだいたい生きている!」
「なにそれ意味わかんないかな!」
「そういうもんなの!」
そのジンクスのお陰か(違う)、ぼこぼこと何やら不穏な音が降下する。
「ほらぁーーー!!」
「えぇ、私のせいなのこれ!?」
砂塵が晴れると、そこには右腕を再生させる鎌足の姿があった。
虚数術式、その治癒だろう。
しかし、熟達者でもこの速度で肉体を元通り再生するのは容易ではない。相当高度なレベルに達していて、更に「i×i=-1」による逆転効果にも利用していると茜は納得した。
「二人の美しい女性から求愛されるなんて、なんだか照れくさいなぁ」
鎌足は余裕の笑みを浮かべながら、わずかに肩をすくめてみせる。
その言葉の裏には、遠回しな嘲弄が滲んでいた。この程度の攻撃は愛の囁きに等しく、痛みなど微塵も感じていない。それどころか、自分を楽しませるための戯れに過ぎないとでも言いたげな口ぶり。
そして、軽やかに言葉を継ぐ。
「私はね、意外とタフなんだ。どうだい見知らぬ美女、私の妻になるか?」
その声は飄々としていたが、底には確かな自信と、敵すらも魅了せんとする傲慢な色が混ざっていた。
「第二ラウンド開始って? ほんと、笑えない」
茜は不敵に笑い、軽口を言うように呟くが蟀谷には隠し切れない汗が流れていた。
・マギオンの補足
マギオンの漢字表記が「魔素」になったり「魔子」になっり、また「魔力子」になったりしてますが特に深い意味はありません。そもそも正式には「魔力素子」なので、どれも同じ単語です。ほら社会や理科の教科書に括弧書きで二重表記あったと思いますあれです。なぜマナと分けているかは、まだ明かせません~
・『衣』の補足
通常「青鱗」や「橙鱗」、今回の「金鱗」のように、「マナ+鱗粉粒子(鎌足がレコードと言っていたもの)」によってマナエネルギーとして顕現するんですよ。少し分かりにくいかもしれないですが、これも「素粒子」と「発生する外場」の一種で、のちの「名瀬統也暗殺計画編」にでてくるセシリア・ホワイトの章でちょこっと噛み砕きます。




