矛盾
*
三宮邸第一地下空間、手前。
ロングスリーパー+早寝の葵は今頃布団にもぐり目覚ましを五時にセットしている頃か、などと関係ないことが脳をよぎった。
「この先は?」
「まず、大きな地下空間が一つあって、その奥にも更に大きい空間があります」
希咲のそのセリフに、地面の赫水晶を見ながら私は質問する。
「内装がこの結晶によって変わっている可能性は?」
「確かに私の知っている状態とは異なりますが、この結晶は結界の役割を担っているだけではないかと思います。この先の地下空間はおそらく皆さんが想像するものより規模が大きいので、安々と内部構造を変えられるわけではありません」
「なるほど、わかった。他にわかっていることは?」
ええと、と少し考えこむ仕草をする希咲。
「第一地下空間は影人を生きたまま保存する保管庫のような実験場で、多少マニアックな機器などが静置されていた記憶があります。第二地下空間は少し前までマナを溜めるための大きな水晶玉があった礼拝堂のような場所です」
「えっ待って……今から行く場所には影人がいるかもしれない、ってこと?」
希咲の説明を受け、最初に反応したのは雪華だった。
「まあ、そういうことです……」
希咲はそぞろな風に左腕を右手でさすりながら俯いた。
「あかねっち、どうするんだ?」
「そうだね……」
奇襲のため残りの煙玉を中に放り込む予定だったけど、影人との戦闘になるなら視界の妨げはむしろ不利になる。
影人は自身の超音波脳波によるエコロケーションや人間の脳波を感じ取り、より多い方に引き寄せられる習性がある。
つまり向こうは煙中、対象をロックできるのに、こちらは視界が妨げられているってこと。
「奇襲の予定だったけど、そのまま入る」
そう告げると今度は舞花さんが口を開く。
「敵の罠という可能性はないんですの?」
「というと?」
面白い着眼点、と思いながらも気づかないフリをする。
「第一地下空間が影人を保管している場所という情報は、元三宮家の警務部隊だった希咲さんなら知っていて当然。相手もそれを承知してるはず。それを逆手に取られるという可能性ですわ」
んん? わけがわからなくなってきた、と雪華が漏らした。
「もしそうだったとしても私たちにそれの対応策を考えている暇はない」
私は続ける。
「迎え撃つ姿勢は整っているのに、向こうから仕掛けてこない態勢から一つわかったことがある。相手はかなり――時間稼ぎに躍起になっている」
*
突入後、すぐに視認できたのは赤い空間の壁際にびっしりと並び立つ影人。しかし呪詛による封印が施され、銅像のように微動だにしない。
三十三間堂で整然と並ぶ千体千手観音立像のよう。その数ざっと100。
「ほう。みんなお出ましか」
そう堂々と隠れる気もなく姿を見せる白夜雹理は、かなり上の円形ステージのような踊り場にいた。
白夜雹理。私が最後に見たのは四年前、彼が諜報潜入官として派遣される前、オリジン社内で雪子博士と口論してた時。
みんな、久しぶりだね――。彼の飄々とした性格なら、こんな感じの同窓会で旧友と再会した時のようなセリフを吐くと思っていたけど。
「へぇ……君があの天霧茜だね? 雷電凛のクローンの。会えて光栄だよ」
突然そう言い出す。
あの、とはどのか分からないけれど、発言がぶっ飛んでいる。
「クローン……?」
リカは怪訝そうに独り言ちる。
「だったら何。こっちは少しも光栄じゃないけれど」
「いやぁ、あの都市伝説だった赤鬼に会えるのだから、今この瞬間、この出会いに感謝しないとね。そう思っただけだよ」
「赤鬼……? どういうこと?」
誰にでもなく不安げに問う雪華。
一方雹理は強制的に自分のペースを持ち出し、語り始める。
「伏見旬は君に霧神家直系の戸籍を与えたそうだね。確かに血は嘘をつけない。そうすることで異能界の上層部も君に手は出せなくなった。ホワイト家と霧神家には頭が上がらないからね。更に言えば軍に入り尽力する代わりに君の詳細を追及しないことを飲ませ、それを条件に君は自由の権利を得た。考えたね、彼も」
彼、と親し気に言っているけど、実際旬と雹理は異能学校以来の同期でもある。
「おかげで君は縛られることなく、比較的自由気ままに動けたんじゃないだろうか」
「あなたがそう想像するのは勝手だけれど」
すると雪華が「これ……なんの話をしてるの……?」と漏らす。
内容は愚か、霧神家というワードさえも砕けないだろう。
雹理は娘の独言ごとき気にしていないようで続ける。
「けど、限度というものがある」
私はそれにも無言を貫く。
「旬が君に与えた自由はこんな馬鹿げた行為を許すためじゃない。君はその限度を……いや禁忌を破った。そう、文字通りデッドラインを越えてしまった」
一線を越えてしまった、そう言いたげで雹理は自分のくだらないギャグに笑った。
「今頃裏では君を処罰する方向で話が進んでいるよ。もちろん審判の余地などない、秘匿死刑だ」
雹理は諜報潜入官であるため、その情報を補佐指揮官を仲介して知ることができる。
「私にはその死刑実行の権限が一部委任されている」
「ふーん。そう」
「動揺していないようだね」
今更動揺するようなことじゃない。第六補佐指揮官・二ノ宮呉羽からのその情報を二条紅葉を通じ聞いていたため、やっぱりか、という程度。
そもそも論、私はそうなることを知っていたし犯罪者の烙印を押される覚悟を持って統也の元へ向かった。ここへ来た。葵にだけ分かるように餞別も残した。
死刑の話を紅葉から聞かされた後も一切後悔はなかった。
「ああ、そうか。分かっていたのか。まあそうだよね。軍でも敏腕家だった君がその程度の覚悟でこんな暴挙に出るわけがない」
おそらく、ここからは推測だけれど彼は私を動揺させてこの隊の士気を下げさせると共に、精神的に弱体化させる意図があったのではないか。
「やはりだめか。君を動揺させられたのなら、少しは時間を稼げると思ったのに」
雹理は不気味に笑うと、今度はなぜか私以外に視線を向けた。
が、すぐに私の方を見る。
「茜。雪子は――元気にしていたかい?」
「えっ」
これに素早く反応したのは私ではなく雪華。
そうきたか。私はすぐに彼が私以外を一瞥した訳を理解した。
私が無理なら他から、というわけね。
「元気にしてるといいんだけど。心配で心配でしょうがない。上手くやれてるのか、とかねえ」
「せっちゃん……? どういうことかな。どうして今彼女の名前が出てくるの?」
雪華の声向きから察するに私の背中に尋ねている様子。
「天霧さん、何か知ってるの?」
「まず、誰ですの?」
「白夜雪子……せっちゃんって呼ばれてる私の二歳下の、腹違いの妹……。だからあいつの娘でもある。だけど……」
雪華が口籠った発言の続きは読める。
続きを口にしようとした瞬間希咲が喋り出す。
「聞いたことがあります。インパクトファクターの高いとある学術雑誌に白夜家の異能士が名を連ねていたので不思議に思いまして……よく覚えています。研究領域は確か……他者との五感の共有――感覚同調学」
「うん……そう、その子。……だけど……せっちゃんはもうこの世にいない。数年前の影人災害『呪いのバレンタイン』で他界してる」
私は隣の希咲を横目に見ていたけれど視線を上に戻す。雹理を見る。
ニヤリと含みのある笑みを見せ、さあどうする?と無言で語り掛けてくる。
雹理は今この状況を楽しんでいる。
この無意味な時間稼ぎに付き合う必要はないと思っていたけれど、強制的に付き合うしかないシチュエーションになってしまったのもまた事実。実際雪華はこの話題に気が向き、戦意を一時的だけど喪失している。
「はぁ……」
雹理は、結局私はこの問いに対し惚けるかはぐらかすと想定しているだろうから、まずはそれを打ち砕く。
「ええ、元気にしてたけど。それがどうかした」
「あ?」
雹理の表情筋は一時だが停止。拍子抜け、といった雰囲気。
また雪華も慌ててこちらを見た気配が背後からした。
「ふっ、君……思ってたより面白いね。……今この場で興に乗ずるのも悪くない。そう思えるよ」
「私はその茶番に付き合う気はない。時間が惜しい」
混乱する雪華は「なに? なになに……どういうことっ」とストレス気味に呟く。
これに対しリカは「今はあんなヤツに惑わされてる場合じゃないだろ」と発破をかけた。
が、台本を進めるかのごとく雹理は次の問いへ。
「椎名カリンはどうだった? 元気してたかい?」
「はぁ!?」
デジャブかのように誰よりも早く反応したのは、今度は椎名リカ。
「私にとってはどうでもいい人間ではあるが、気になる人もいるだろうからねぇ」
「さあ知らない。職業柄、私とは無縁の人だしね。一応あの無能な総理の付き人をやってたけれど」
「っは、そうかい」
さっきと似たような私の返しに二回目はつまらなかったのか、雹理は退屈そうに鼻で笑った。
「は、え? なんだ……? どういう意味だ、あかねっち……」
私はそれに応じない。応じる意味がないから。
「カリン? 今度は何方ですの?」
「分かりません。ですが姓から察するにリカさんの家族では?」
「リカの家族……? そうなのかなリカ」
振り向くと、翠蘭以外が交わす憶測の中リカは雪華の時と異なり放心したように、魂が抜けたようになっていた。
「リカさん、大丈夫ですの?」
「リカ……?」
こうなっても翠蘭だけは雹理を見据え、一瞬の隙さえ生まないよう心構えを取っているように見えた。
あえて油断してほしいのだけど、こちらの腹積もりまで汲み取れるわけではないので仕方ない。
「姉貴……だ」
しばらくしてリカはぽつりと呟く。
「カリンは、あたいの姉貴だ。……実の姉だ」
「え?」
驚く声を上げた雪華に、目が泳ぐリカ。
「だが……雪華の妹とおんなじだ。関西方面に出張に行ってた姉貴は逃げ遅れて、四年前影人に殺されてる」
「え、じゃあなんで――!」
私は親指の爪を噛んだ。表情を取り繕うのが面倒ですぐさま表を向いた。
「白夜雪子さんとあたいの姉貴……この二人には共通してることがある。両方死人だ。しかも同じ原因で死んだ人物。なのに、まるで………まるで……あかねっちの言い方だと……まるで……。どういうことなんだ、あかねっち。なあ……! どういう意味だ!!」
明らかに私に向けられた言葉。しかし私はこれに返答したくない。
かといって誤魔化して、雹理に聞いてみれば? なんて言った日には雹理は正直に全て話すだろう。
今自発的に全てを説明しないのは仮にも特務官の守秘義務があるから。
「…………」
実は私は返答に窮しているわけではない。
この疑問をスルーして蟠りを残せば、個人のパフォーマンスを存分に発揮できなくなるかも?
いや、そもその程度の人間なら仕方がない。そう切り捨て――
「ふっ、ウケる。意外とおっちょこちょいなんだね、あ・か・ね」
雹理は相変わらず見下ろす形。
「気持ち悪い。馴れ馴れしく呼び捨てにしないでもらえる」
「君がリーダーとしてすべきことは沈黙を決め込むのではなく、みんなの心の中に残った解消されないであろう不信や疑念、不満、疑惑といった嫌な感情を払拭することだ」
分かってはいた。和の攪乱、時間稼ぎ、彼の目的はそこにあるのだから。
だけどどうせそれらの感情を一掃しようとしても無駄だろうと判断した。
「伏見翆については?」
そう新たに言い出す雹理。
ほら、私の思った通り。その最中に追加で混乱する要素を投げ込めばいい。
この男の考えそうなこと。
「知らない、わかんない」
私はそう応じた。ノーアイデアの方ではなく、どうでもいいの意。伏見翆ぐらい異能史に学があれば分かる人はいる。
「伏見翆? 誰だ?」
リカは異能界の歴史に興味がなさそうだったから解釈一致ではある。
尻目に見ると、雪華は人差し指を立て口を開く。
「ほら、あれじゃない。百年ほど前に伝説になった伏見一族の。確か緑色の『衣』を使う人で……でも……あれっ?? 『衣』って固有のマナ出力だから色が被ることはないんじゃなかったっけ?」
「はい、その通りです」
御三家の情報には自負があったのか希咲は自信をもって頷くが、すぐに失言だったと気づいたような面持ちをした。
なるほど、この態度……三宮拓真から聞かされて翠蘭の長寿を知っていたのね。
「あれだよね……『発光スペクトル』で決まる? 違ったかな」
雪華はそれに詳しいであろう《《ある人物》》の方を向き聞いた。
一般的に物質は光を吸収すると基底状態から励起状態に変換する。安定なエネルギー、基底状態に戻ろうとするとき大抵は光を放射する。
この放射する光の強度を示すものが「発光スペクトル」というのだけど……。
『衣』、マナエネルギーはこれと密接な関係にあるため、雪華のこの発言は異能科学的に何一つ間違っていない。
「今まで気にしなかったけど、おかしいんじゃない? 矛盾するよ――。だって緑色の『衣』は――」
でもだからこそ、不快感を覚えている者がこの場に。
その、ある人物が――。
「チッ」
珍しく舌を鳴らす。
「ええっ、翠蘭が舌打ち!?」
雪華は普段のイメージとの乖離からか驚きを露わにした。リカも予想外と顔に書いてある。
目を逸らす翠蘭は本当に珍しく、不服そうな、また苛立ったような表情を浮かべ、余計な事を――という顔をしていた。




