衝撃
*
オレ達はその後、手短に三宮希咲、李翠蘭、生田宗次、山城連貴を回収。緊急で態勢の整理、小規模の会議、休息を目的としてビルの合間の暗がりに結界を張った。防音効果と避役効果(不可視効果)が付与された結界を希咲と茜が合同で組み上げ、展開。
女子陣が栄養価の高い物を優先し買ってきたコンビニ飯を全員で食す中、希咲だけは連絡係の代行者(男性一名)から敵の布陣などを尋問していた。
「俺は吐かない! 絶対にな!!」
「いいから、話しなさい」
「裏切りもんが!!」
「この腕がまだついてるうちに」
ドSと化した希咲は固有能力『棘糸』で相手の両手足を強く縛りあげ、更には釣るし、あと少しすれば千切れるのではないかというほど強烈に引っ張る。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!」
食事中のオレ達を配慮し、こちらからは見えない死角の範囲での作業だが、遠くから耳に届く声でも快いものではない。オレは浄眼を切り、通常視界に戻した。
彼の「裏切り者」という発言から三宮出身の代行者か。三宮の糸電話を用いた連絡係といったところだろう。情報をかなり把握している人材、という翠蘭や希咲の読みはおそらく的中した。
「あれだけ人を殺して、しかも尋問しながら、よく普通にご飯食べられるよね」
雪華は排気口が集まったビルの壁にもたれながら、隣で屈むオレに話しかけてくる。その目線は他の者に向けられている。
「――――」
茜や舞花が代行者を数人殺めた事実は先に報告を受けていたので知っていたが、オレも風間を殺している。なので、それに偉そうなことを意見する口は安全圏には存在しなかった。
それに、オレ自身あの尋問を受ける三宮の代行者が敵の配置と総数、三宮家敷地にある地下施設への異能系トラップの詳細を明かさない限り、生身でマグマの海へダイブするより生存確率が低い進行と考えていたので、早く吐けよ、と思っていた口だ。
「あー、食べれない」
雪華は朝から摂取していないはずの食事だが、あまり進まないようだ。
「雪華みたいなのが標準かもな」
にゃーと可愛らしく鳴く野良猫と戯れながら、食後のオレは応じた。幸せを感じつつその猫を撫でまわしていると、
「統也って猫が好きなの? すっごい意外かな」
「ああ。飼いたいんだが中々機会がない。家にいる時間が少ないのと、単に忙しいのもある」
「『矛星』の寮はペット厳禁だしね」
オレは相槌として頷く。
「猫は世界で一番可愛い」
漏らすと一拍子開けて、
「天霧さんより?」
ふと、脈絡もなく訊いてきた。少し遠くで舞花、リカと何かを話していた茜に聞こえない程度の音量で。
オレは流し目に隣の雪華を見やる。
「部類が違うだろ」
「じゃあ部類を合わせて。彼女、ものすごく可愛いと思わない?」
「論点をずらすな。オレは猫に可愛いと言ったんだ」
元より作戦や担当は決まっているので、更には希咲が三宮の邸宅構造を熟知している関係から、あとは尋問で具体的な布陣の情報を吐かせるだけ。よって自然に雑談が流れるのはいい。だが雪華は相変わらずやたらと茜を意識していて、しまいには話題に出てきた。任務に関連する人間関係だけじゃなく、他の。
「私って、可愛いよね?」
確かに雪華は雪子に顔のパーツが似ていて、他人には負けず劣らずの美貌を持っている。その事実は認める。つまり先の疑問形に対し肯定の言葉を送ることは容易い。しかし、雪華が求めているのは別だ。さっきのも「茜よりも」という条件付きでの発言だろう。
「可愛い、はずなんだけど……。やっぱり、こういうのってぶりっ子って思うかな」
「いや、別に。自覚はあるというだけの話だろ。実際に可愛いからな」
「なっ――そ、そんな取って付けましたみたいな言われ方しても、ち……ちっとも嬉しくない」
などと言い、元はショートヘアだったが現在ボブより長くなっている水色の髪を揺らしながら、目を最大限泳がせ、頬を紅潮させ、そっぽを向く。
分かりやすいな。
「雪華。その髪、邪魔じゃないのか?」
「うん邪魔」
かなりの速度で言い切る。
「ならなぜ伸ばしている? カットする時間がないのなら今、オレがマフラーで――」
「はぁ……これだから男は嫌いなの。人の気持ちをぜんっぜんわかってくんない」
途端に深い溜息を吐く。
「いや、今は気持ちがどうのこうのという話ではなかった気がするが。その長さなら戦闘の邪魔になるかもしれない」
「なら、天霧さんはなんでロングヘアなのかな」
呆れるように、少し怒ったように目線をオレと交えた雪華。
「どういう意味だ?」
「理緒ちゃんは初め、ボブヘアより少し長いくらいだった。けど伸ばした。命さんも元々はそうだったって「SAY ME」のサイトで紹介されてた。つまり何が言いたいか分かるかな」
ここまで丁寧に解説されれば彼女の言いたいことが見えてくる。流石にこれを聞き理解できないほど男として鈍感を極めているわけではない。
「女子ってさ、彼氏とかから髪をこうしてほしいって要望を言われたくらいで簡単に髪型を変えたり、ましてや髪の長さを変更するほど自分の容姿に対しての意識は軽くないの。それでも『彼女ら』は恐ろしいくらいに髪を伸ばす。最初は私もそんな馬鹿なことしないって思ってた。こんなの、脳内電気信号のバグ、気の迷いだって。でも、そう思い続けてふと気付いたら、何ヶ月も髪を切ってなかった」
彼女が深層心理でどういう感情を抱き髪を伸ばしているかはオレには分からない。だが、その苦労を想像できないわけではない。
長い髪を洗うのは勿論、手入れするのも相当面倒のはずだ。長さに比例して増大してゆくだろう。いや、もしかしたら乗数的に増大するのかもしれない。そして何より髪の毛は邪魔だったり、案外重かったりする。
戦闘を仕事にする異能士の彼女にとってそれはとてもマイナスな要素だ。理緒や茜。そして雪華もそれを承知しているし、理解できないほど人間として馬鹿じゃない。
「びっくりだよねホント。自分が一番驚いてるかな」
それでも雪華は髪を伸ばし続けている。
そんな無意味なことはやめろ、なんて言う資格はオレにはない。
曲がりなりにもオレのために髪を伸ばしてくれている。オレの、ロングが好き、という評価に値しないくだらない好みに当てはまるために。
その告白紛いの好意を受け、オレは――、
「ショートより似合ってるとは思う。そして――」
気付いた時にはそう口走っていた。
「一度しか言わないが……ありがとうな」
猫は気まぐれ。もう飽きたのか、オレの傍からてくてくと離れてゆく。
オレは立ち上がり、雪華と向き合う。彼女にしては珍しくはにかみ、もじもじして落ち着かない様子。
「ね、統也……私の水色髪、長い方が似合ってる?」
雪華は自分の髪先を人差し指でくるくる回しながら、やっとしっかりと、照れた表情をオレに示した。
「ああ」
「そ」
「だが、すまない」
オレはさらに深い呪いを、彼女に重ね掛けしてしまった気分だった。その自責から来る謝罪。
「……私の選択肢は、髪を伸ばすしかなくなっちゃった」
恥じらいは消えたのか、テヘと言い出しそうな雰囲気でそう言って、でもなぜか悲し気な微笑を浮かべた。
「このまま伸ばし続けてみる」
「伸ばし過ぎて童話のラプンツェルみたいになっても知らないぞ」
「はははっ、なにそれ。わけわかんないかな」
久しぶりに彼女が心から笑ったような、そんな姿を目に収めた。
*
私は舞花さんからの質問「小坂鈴音さんの『雷の加護』をどうして使っているのか」を、要約すれば「知らない」の一言で終え、足早に統也のもとへ向かったけど……。
統也は雪華さんと、とっても楽しそうにトークを弾ませていた。
それを見て私の胸は分かりやすく窮屈にしめつけられる。
私は精神的な苦痛に強い耐性があるが、これに関してはまるで耐性がない。
そして、なぜか先日リカとした会話を思い出していた。
*
「あ――? 『統也のハートを射止める方法』?」
「そんな言い方はしてないけど……うん」
甘い匂いがダイニングに広がる矛星女子寮の二人部屋のダイニングにて、丸い木製テーブル越しに私はリカと対面し、頷いていた。
『赫眼』酷使の影響で単純視力が低下しているので、現在かけているメガネでその近視を補っている。
私はそのブリッジを中指でくいっと上げた。銀縁の丸メガネで、昔、私が凛と入れ替わっていたとき統也が似合ってると言ってくれたもの。
テーブルには私が用意したホット・カフェモカとクランペットが置かれている。
「あたいがそんなの知るわけー。でも、なんかおもろそうだな」
にひひ、とリカは悪戯顔をする。
「真面目に相談してるのに、ひどい」
「いや、この間までは『曖昧な恋という感情を提示したくない』みたいなこと言ってたじゃんか」
「勿論それは本心。リカの第六感でもそれは確認できてるでしょ」
「ああ、まぁ」
リカは首を捻り、「確かに、矛盾するな」と独り言を口にした。
統也に恋を提示してはいけない、そう抱きつつも統也へアプローチしたいと思うこの気持ち。この、私にある心の支離滅裂。それをリカも感じ取っている。
「あかねっちは、好きすぎて、とか言うタイプじゃないしな……」
リカは私が作ったカフェモカを半分ほど飲んだあとそれをテーブルに置き、私のばつが悪そうな表情を見てか方程式が解けた時のような顔をする。
「は? あかねっち、お前もしかして……好きすぎて我慢できなくなったのか? マジで?」
真顔で平然と、そう訊いてくる。
そして、勘が鋭すぎる。その直観力はどこからくるのか。おそらく『虚実の識』で嘘だとバレるのを避けたくて無返答だったせいで、逆にバレた。
「……正解」
羞恥心から私は微かに俯いていた。どうしてか顔が熱い。
「うわーかわい」
「うるさい、です」
「なんで敬語」
「癖で……!」
「違うだろ~? 統也が好きすぎて、だろ~? 珍しく辻褄合わないこと言ってんなーと思ったら、そうか、好きすぎて我慢の限界だったのかー。そりゃあーしゃーないわなー、うんうん」
好き放題揶揄われる。
「ねぇ!」
周囲から冷徹、冷酷と言われる私にも当然恥じらいはある。思わず立ち上がり声を大にした。
しかしリカは腹筋崩壊とばかりにお腹を抱え、笑いこける。
「きゃははっ、お腹痛い」
リカはその爆笑からしばらくして落ち着いたのち、涙を右手で拭き、また、私が座り直した頃に顎に手を当て、考え込んでいるかのような仕草を取り、
「でも……そうだな、統也は猫が好きだって理緒から聞いたことがある。例えば語尾にニャンってつけて、可愛く猫のポーズとれば意外とイケるかも」
両手の親指と人差し指を使い大き目のフレームを作ると、私をその枠の中に何度か収める仕草を見せた後、破顔する。
「男なんて単純な生き物だ。猫好きの統也なら落ちるかもな。ははっ」
手元でグッドマークを作るリカ。かなり適当なアドバイスだし、そして何より、
「猫のポーズをとるなんて、私にはできない。そのくらいあなたにも分かるでしょう?」
冷静さを取り戻しつつ、カフェモカの甘い香りをよそにマグカップに口を付けたとき、
「へぇ~、じゃああかねっち……なんで今嘘ついてんだ?」
「んはっ」
私は飲んでいたカップ内液を零しそうになる。
「にひ。お前、やろうとしてんだろ」
リカを見ると、悪戯心が覗くような童顔で口角を最大まで上げていた。
「その第六感、本当にいや」
*
オレと雪華が会話していたそのとき、右サイドから茜が神妙な面持ちでやってくると、そのままオレの前に到着し、小声で「ついてきて」と耳打ちしてきた。
「ん?」
若干不機嫌気味か。オレは訳も分からず彼女についていく。
茜は他の隊員から見えない位置で足を止めた。オレも停止する。恐らくは雪華らに知られてはいけない大事なことを喋り出すだろうと無意識に思いながら、茜の閉ざされた口が開かれるのを待った。
「――統也、私じゃだめなの?」
しかし彼女の口から出た言葉は、容易にオレの脳内をはてなマークで埋め尽くした。
透き通る猫撫で声で、上目遣いし甘えた感じで小首を傾げる茜。
「いや、悪いが――」
すると突然、自信なさげに招き猫を模したポーズをとり、肘を曲げた状態から腕を上げ、両手の指をグーのように丸め顔近くに構えた。
「浮気は許さないにゃん」
「は?」
オレは茜のその言動を理解、情報処理するのに数秒を要した。普段のイメージからはかけ離れている。
一瞬の間で猫に豹変した茜だったが我に返り恥じらいを覚えたのか、頬が微かに紅潮し始める。
「あの……ごめん、違くて。ただの間違い……。なんでもないから、本当に……。本当に気にしないで」
急に目線を逸らし、途中からまるで何もなかったかのようにすぐさま能面にリセット。平時のクールで優雅な立ち振る舞いを取り戻す。
「あ、ああ……」
このときオレには、正体不明の守ってあげたい衝動と、私じゃだめなのかという茜の問いに「いや悪いが、茜じゃなきゃ駄目なんだ」と言おうとしていたが寸前で遮られてしまった後悔が襲った。
「大輝が死ぬかもって時に、何やってんだか私……」
茜は懺悔のような様相で、呆れ顔を作った。
*
一分ほどの静寂をオレは待った。
まあ、今までのこれはただの余談だ。
「急な話題転換で悪いが、大輝について。殺されるというより何かのツールにされる、というのがオレの見解だ」
言うと、補佐指揮官モードの茜に切り替わり自然と表情が引き締まる。さっきの猫になった事実は抹消したようだ。
「うん、私もそうだと思う。八雲も虚数の『焔』で特別紫紺石をシトリンに昇華させるとか言ってた。そのための熱処理道具にされるって」
「シトリン? 黄水晶のことか」
シトリン特有の黄色やオレンジ色は、クォーツの結晶構造に含まれる、ごく少量の鉄分によるものだ。
「紫水晶を450度から500度で加熱し、アメジスト内部の鉄イオンが変化させ、それまで反射していた紫色を逆に吸収しやすくする。その結果、紫色の補色である黄色を反射しやすくなり、黄色に見える。一般的な原理はこんなものだが、異能を絡めるとどうなるかはさっぱりだ」
「単に継承者の異能を強化できるとかじゃないの? コラボライブのときに見た糸影、女影は正直異能を巧みに操れているとは言い難かった。そういったことを踏まえての強化が必須なのかも」
「かもな」
ただでさえ魔力回路のようなデータ機構はブラックボックスが多い。そこは推測しても正しい結論が出るわけじゃない。机上の空論というやつだ。
少しして、互いの意見のすり合わせは終わった雰囲気になり、彼女は元に戻ろうとする。そこで、
「茜、少しいいか」
まじめな話を、という意味だった。その場から去ろうとした彼女に追って話しかける形。
茜はゆっくりと振り返りオレの顔を見た。賢い茜ならオレのピリついた顔付きだけで、さっきの軽い推論の掛け合いなどとは異なり真剣な内容を話すと察しただろう。
「ん?」
「これを教えたくて、どっちみち君を呼び止める予定だった。手短に結論から言う。――おそらく雹理らとは全く関係ない、海外の諜報潜入官がオレ達を狙っている。いや、もしくはオレ個人かもしれない」
「え? ……でも、どうしてそんなことが分かるの?」
「浄眼だ。青の境界内、オレの動向を監視している衛星が四つほどあると確認した」
オレはそう言って上空を指差す。
「……四つも?」
これはもう自意識過剰、で済まされる数ではない。ここからは完全な予想だがアメリカ、西欧が主だろう。
「オレも気付いたのは風間を倒した直後だ。気付くのがあと少し遅れていれば状況はさらに複雑化したかもしれない」
「けれど、それが諜報潜入官による監視だとは限らないんじゃ?」
「その通りだ。IWの人工衛星管理権は例外なく記憶改ざんを受けていない人物。だが、アドバンサーだと断定できるわけではない。確かにそれはそうだ。が、うち三つの衛星内部の機械構造に同調装置を改造したような痕跡を発見した」
「情報体信号は『檻』を透過する。その特性を利用して外に情報を流してる、ってこと?」
「多分な。……だが一つの衛星だけ、なぜか不可視化がかかっていて内部を視ることが叶わなかった。まあそのお陰で他の監視衛星にも気付けたんだが」
情報収集衛星ごときに「反情報」と「不可視化」を付与し構える陣営は普通じゃない。おそらく、相当こちらを警戒しているか、こちらの脅威度をよく理解しているか、のいずれか。また、単に代行者などに知られるとまずい違法衛星なのだろう。
オレに気付かれたのは現在の浄眼の性能を見誤っていたから――と言いたいが、恐らくそれはない。つまり、この一つのモニター衛星だけはオレがこれらに気付くよう誘導するための鍵だ。
遠回しなやり方だが、こんな意味不明なことをする人間をオレは一人しか知らない。
「ちなみに、中国の諜報潜入官はもう動き出したっぽいぞ」
「もう? 嘘でしょ?」
オレを始末したいなら、注意が逸れる関係上、現状のような何かと対立して戦場に身を置いている段階で決行するだろうからな。割と常識の範疇だが、茜はその展開の速さに目を丸くした。
「核ミサイルを構えてらっしゃるようだ」
「核爆弾? どうしてそんな事まで分かるの?」
訊かれる少し前から、オレはメール本文のスマホ画面で茜の眼前を遮った。
「さっき、柳沢から秘匿回線でメールが来た。オリジンコードの暗号文を使用しているが、内容は今言ったとおりだ」
「珍しい……それを信じるの?」
「こんな虚偽を述べても聖境教会に利点はない」
「教会に利点が無くても、邦光本人にはある。自分の主題研究を潰され、台無しにされた過去の報復を果たせる」
それは、茜とオレが初めて出会った日の出来事らしい。中国の空軍によってマギオン放出式の爆撃が投下され、更には遅延性のサイバー攻撃を受けた事件。柳沢邦光のORIGIN計画の研究を頓挫させたその事件。
「その側面もあるにはあるだろうな。まぁ、実際の真偽は茜に調べてほしい」
「ここの通常PCで衛星に繋ぐ手段は知らないけど……分かった調べておく。けれど……調べて事実だったらどうするの?」
茜は顎を引いた状態で、真摯な紅い瞳を向ける。
少しの間があった。それはオレが口を開くまでの間。されどオレの覚悟を示す間。
「事実だった場合、核ミサイルの発射や、攻撃を開始する兆候を全国の衛星にわざと映させてから――」
「中国のミサイル発射場を潰すの?」
茜は遮り、オレが告げるべきセリフを確認した。まるでオレの罪を肩代わりするかのように。
通常は不可能に思える日本から中国への攻撃。しかし、オレには不可能ではなかった。
「ああ。オレを暗殺する目的のためだけに、北海道の一部を獄炎と放射線の海に変えるような連中に、オレは躊躇しない。あと数分で離脱し攻撃準備に入る。雪華らには別件を済ませてくると伝えておいてくれ」
「私も行くから一緒に言い訳を考えればいいけど……ミサイルはもうじき発射されるの?」
茜の懸念していることは分かる。大輝の生死についてだ。
彼を救出する前に済ませておかなければ間に合わないのか、という類の疑問。
しかし、逆だ。大輝のことを考えているからこそ、中国アドバンサーの余計な介入によって損失を増やしたくはない。
「予定では一時間二分後だ。……できるだけ大輝奪還に集中したい。野暮用は済ませておきたいんだ」
「成程……うん、そういうことなら分かった。弾道ミサイル発射の真偽の調査以外に、私は何をすればいい?」
「とりあえず、こちらに爆撃される正真正銘の核ミサイルの処理をお願いしたい。茜の特級異能攻撃なら可能だろ。放射線の影響についても君の方が詳しいからな。着地点の計算や誤差補正が必要ならオレも手伝おう」
「分かった」
◇◇◇
二〇二二年、十月二十日。この日、世界に衝撃が走った。
否、一人の異能者が世界を震撼させたのだ。
「あ? なんか津波警報鳴ってるぞ? 地震か?」
統也と茜がいなくなってからはや一時間が経過した頃、そう言ってスマホ画面を凝視したのは椎名リカ。
「ほんとだ。えっと、正体不明の大爆発……? 青白い発光によって核ミサイル軍種が壊滅……中国の臨海部で、って。なに……これ……。一体、なにが起ったの……?」
ニュース画面をスマホで確認する雪華はスクロールしていきながら、不安からか眉を寄せ誰に言うでもなく整理を求めた。
「まさか……中国が北日本へ撃つ核ミサイルを準備していた? というか既に発射したって事ですの?」
「どうやってこの事実を。いや、それよりも……」
眉間に皺を寄せる舞花と希咲。互いの表情は俄に曇り出す。この場には正体も分からぬ緊張感だけが漂う。
「これは――」
翠蘭は「この場に居ない統也と茜」そしてこの「ニュースの情報」だけで何が起こったのかを完璧に推理することができてしまった。
その一人の異能者は個人で中国の軍事力に対抗しうる実力を実際に提示した上で、唯一全世界へ通じる改造された監視衛星インターネット回線をハッキングしてもらい、それこそ各国の権力者に宣言した。その英語メッセージは直訳で、
『――ここにて告げる。自分は異能士とも、魔法士とも、インナーとも、また、そうでない者とも平和的な共存を望む。だが自己防衛のために武力行使が要される場合は、決して躊躇わない』
世界にはその脅し紛いの言葉を笑止千万、荒唐無稽と笑い飛ばした者も大勢いた。何を馬鹿なことを。とんだ大口を。と。
だが事実を知っている実力者、関係者は彼が実際に一人で国家と戦い、勝利できることを知っていた。それだけの価値ある功績を持っていることも知っていた。
早急にあらゆる国で情報操作が行われ、専制国家では徹底した隠蔽、また、民主国家では戦果の矮小化。敵を取るに足らない存在であると印象操作することで、「彼」の力も大した脅威ではないと思わせようとした。
しかし――情報を操作したその当人たちは、また、それを命じた上層部や諜報潜入官は、彼の恐怖から逃れることができなかった。
一時は決して彼の逆鱗に触れない。それが彼によって呈された暗黙の了解。
伏見旬以来の世界的衝撃と、各国の均衡が崩れ始めるその瞬間が、今日――。
たった一人の異能者に、国家規模が恐怖する空前絶後の事件。
のちに、この事件は「彼」の姓から取って『ナセ・インパクト』と呼ばれることになる。




