再会【2】
俯いている彼女は涙目になっていて今にも泣きそうな表情をしていた。
「え?」
さすがのオレもこれには驚く。
「え、えっと、大丈夫か……?」
オレは命に語りかけながら、様子を見る。
「あ、はい。大丈夫です。私……どうしてこんな……。変……よね?」
最後の変よね、はどうやらオレらにではなく、心配そうに彼女を見ている隣にいた栞に対して言ったのだろう。
「い、いいから拭きなよ! これ使って」
いつの間にか香の頬をつねるのを止めていた栞はハンカチをブレザーのポッケから取り出し命に手渡す。
「ありがとね……栞」
「全然いいけど、大丈夫なの……? どうかした? 何かあったなら話してくれれば聞くよ?」
栞は不安そうな顔で命を伺う。なんの前触れもなく、いきなり友達が泣き出したら、それは不安にもなるだろう。
「え、おい、俺たちなんか悪いことしたかっ?」
香が心配そうな顔でオレに確認するように問いかけてくる。
もちろんオレたちは何もしていない。
「いや、オレたちが原因ではないだろう。目にゴミでも入ったんじゃないか?」
オレはそう冷徹な風に言いながら、食堂の方へと向かう。
「お、おい、統也、どこ行くんだよ!」
「どこって、食堂だが? もとよりオレらはご飯を食べに来たんだ。女子と話に来たわけじゃない」
「それは、そうだけどよ……。なんも思わないのか? お前にとっては今日会った初めましての人かもしれないけどよ。女の子が泣いてるんだぞ? ほっといていいのか? お前は冷静だからいいかもしれないけどよ。俺は別にクールでもなければ、お前みたいに落ち着いてる訳でもないからよ。俺にしか分かんないのかもしれないけど……」
香は多少反抗的になりながらオレにそう語る。
確かに香は決して冷静な方ではないだろう。それは認める。だが、だからといってここまで焦って感情を前出しする人間でもないはずだ。
オレは若干俯き、廊下の白い床を見る。
「香、それは違う……」
それは違うんだ。オレは別に命とは初めましてじゃない。
彼女はオレのことなんか覚えていないかもしれないが、オレはしっかりと彼女の甘い匂いも、黒く透き通ったような髪も覚えている。昔はロングヘアではなく、ボブ程度の短い髪だったことも。身長が今より数センチ程低かったことも。
全て覚えている。
彼女こそオレが見つけた特異物を持つ人物なのだから。
オレは彼女を通りすぎる間際、彼女のうなじにそれを確認する。
3年前のオレがこの人につけた呪印か。随分とお粗末なものだな。三年前のオレはどれだけ雑だったのやら。
そのおかけで呪いの匂いがわんさかと充満している。
この状態のままだと彼女は危険かもしれない。オレは彼女のマーキングの呪印を逐一確認するか彼女に付き添い行動する必要があるかもしれない、などと考えながら食堂に向かった。
香はよく分かっていないような顔をしながら、オレについてくる。
「食堂ってここだよな?」
オレは指さし食堂と思われる入口を指差す。
「ん、あー、そうだよ。ここが食堂だけどよ……」
香は命との事が気がかりなのか、歯切れが悪く、なにか考え事をしているような上の空といった様子だった。
「まだ気になるのか?」
仕方ないな。香が彼女のことを気にかけるのはどうしようもないことだろう。
オレは少し彼女の話をしてみることにした。
「命さんっていつもあんな風に泣いたりするのか?」
オレは食堂の入口の前で止まり、振り返って香に尋ねてみる。
「ん? いや、そんなわけないだろ。………そんなわけあるかよ。」
「だろうな………それはオレにも分かる。だが女性は基本的に情緒不安定な生き物だろ? 要は、いつも完璧ってわけにはいかないんだよ。きっとな。」
「ん、そうなのかもしれないな……」
「ああ」
オレは大きめに頷く。
だが香の表情は未だに曇ったままだ。
「だけどな。統也は知らないと思うから言うけど、彼女はな……彼女はいつだって完璧を目指してるんだ。そしてどんな時でも頑張っちゃうんだ。でも、いつだって完璧なんてある訳がないだろ?」
「それはそうだな」
その気持ちは少しだけオレにも分かる気がした。
いつも完璧で非の打ち所のない杏姉を追いかける過去の自分の姿を一瞬だけ想起する。
でも、オレが完璧に異能を使えるようになることはなかった。
「それでも、周りの人間にはいつも可憐で美しく見えるよう見栄をはるんだ。分かるか? それがどれだけ大変で疲れることか……。本当はもっと自由に過ごしたいはずなんだ。命はそんな人なんだよ」
そう熱く語る彼の目に宿る情を見ていると、かつてのオレを思い出す。
香はさっきまでのお調子者モードとは違い、かなり感情的になっていた。
まるで鏡でも見ているようだ。
この目をオレはよく知っている。
オレは香の目を見ながらかつての自分と重ねる。
この目をしている者はその女性にとらわれ、その人をただ純粋に想う。
「オレが言うことじゃないかもしれないけど、香は今彼女をそっとしておくべきなんじゃないのか? 彼女が他人に対してそういう振る舞いをしているのなら尚更だろう。今、香に必要なのは彼女を慰めることじゃない。彼女を見守ることだ。言い換えて静観でもいい。とにかく、香が出しゃばったところで彼女は泣き止んだりしない。違うか?」
少し言い過ぎたかもしれない……だが、オレは間違ったことは言っていない。
「それは……そうかもしれないけど」
「香と命たちは仲良いいんだろ? 彼女と恋仲も考えているなら、余計にそっとしておくべきなんじゃないか?」
「お、おま。恋仲って……俺は命が好きだなんて一度も言ってな……」
「言ってないな」
オレは香が話しているのを遮る。
「ど、どうしてわかった?」
真っ赤な顔をした香が気まずそうにそうオレに訊いてくる。
さあ、なぜだろう。
「そんなゆでだこのような顔して言われてもな」
「ん……!? お、俺、まさか顔赤いのか?」
「ああ、真っ赤だぞ。今すぐトイレの鏡で自分の顔の赤さを確認することを推奨する」
「おい、からかうなよ」
半分笑っていた香はオレを追い越し食堂の中へと入っていったので、オレもそれについて行く。
それにしても。
命が泣いた原因はなんだったのだろうか。
少なくとも、以前に会った時のことを覚えていて、何かしらが原因で泣いたという可能性は低いだろう。あの場所は暗かったし、オレの顔は覚えられるほど見られた記憶もない。
(さすがに結構前のあのことなんかもう覚えてないよな)
こんな具合に彼女においては不確定要素が多すぎるため、香は静観で良くても、オレは静観では足りないかもしれない。そんなことを考えていた。
オレは何気なく食堂の前に置いてあるアルコールを手に付けて消毒を行う。
少し付けすぎたと感じ軽く手の匂いを嗅ぐ。
すると。手から発していた匂いは期待していたエタノールのものではなく、とてつもない甘美な香りだった。
(なんだこれ……またか)
消臭効果をもつ万能のアルコールであるエタノールの香りに劣らない、と言うより追い越したこの甘々(あまあま)とした香りは、数日前の転校日の朝に王子と呼ばれた際に発生した匂いと同等のものだった。
オレは栞さんに王子呼ばわりされた影響でまた甘いような匂いを身体中から発していた。
そもそもこのような体内や体外の異常または変化は異能力者特有の影響であると有力視されているし、オレの冷え症もこれが原因だと考えられている。
(この甘い香りも冷え症と同様に、オレのサイドエフェクトなのか……? でも、じゃないと説明が付かない。人間の体から甘い匂いがするなんて話はあまり聞いたことがない)
この影響は異能士界隈ではSide Effect(SE)と呼ばれており、直訳は副作用。正式名称では異能副作用ともいわれている。
また、有している異能が強力であれば強力であるほど、SEは大きくなることが知られている。
このSEは伏見家の人間なら嗅覚異常を引き起こすことが多く、名瀬家の人間なら温度感覚異常を引き起こすことが多い。現にオレは冷え症という温度感覚に異常をきたしている。
ここまで聞けば理解されやすいが、SEは決して良い作用を持っていないのが一般的。
白夜家に至っては、視覚を失う可能性すらあると言われている。
もちろん雷電家にもその異常は存在するらしいが、凛は頑なにそれを語ろうとはしなかった。
「あっま!」
オレは謎の体臭を自ら嗅ぎ、その甘ったるさと気味の悪さで頭が痛くなりそうだった。




