真紅の断罪
***
二〇ニニ年、同日三時三四分。旭区東街にある、とある地区。長期間使われず、荒廃した敷地。周囲一帯は管理を続けるのも困難な様相で、建物、施設などが放置され、草木に覆われて廃墟化の過程が見られた。現在は使われていない施設なのは確実だった。
「はぁ……はぁ…………防がれた。いや、消し飛ばされた?」
そんな中、息切れする雪華。目の前には、不自然に抉られたような溶解の跡がある『氷瀑』。その巨大氷塊が根を張る。そして、不自然にこれを抉った存在が、別にいるのだ。
それが奥にいる一人の女性異能者。秋にしては少し早めと感じるロングコートを羽織っており、茶髪ロングで美形だが表情の奥に狂気を隠す、そんな若い女性だった。
女性は、正体不明の緑の鏡のような異能体を展開して、それにぶつかった雪華の『氷瀑』を途中から消滅させた。まるで原子そのものが熔解し、消失したように雪華には見えたが。
「ふふふふはは!」
高らかに嗤う相手。
「私達は……そこから先に向かわないといけないの。あなたが代行者のボスだかなんだか知らないけど、そこを通して。さもないと痛い目を見ることになるかな」
雪華は呪詛眼鏡のブリッジを中指でクイッと上げ、強気な眼差しで相手の女性に睨みつけた。
「ふふ」
「……何がおかしいのかな」
「馬鹿なの? 阿保なの? 脳ミソどこまでお花畑なの。痛い目を見るのは、そっちでしょう?」
しかしそれでも、相手の粘着的で舐めた態度は揺らがない。「やれるもんならやってみろ」と言わんばかりで、それに対し、リカと舞花は苦悶を浮かべた。
ここまでの経緯はすべて、人事不省から無事回復していた雪華、リカ、舞花の三人の独断行動だった。彼女らはあの場での気絶から意識を取り戻すと、すぐさま連れ去られた大輝の捜索を開始しようとした。
が、しかし――無論、茜は自分を監禁する『檻』を破壊してから、同行できる状態での作戦続行を推奨した。
異能士協会幹部の命令は「大輝暗殺」。しかし、名瀬の遠縁と思しき代行者らはその場で大輝を殺害せず、どこかへと連れ去った。
この事実が意味するのは、大輝を殺すこと自体が目的ではない可能性。つまり、統也の憶測どおり単に戦力増強のために『焔』特別紫紺石を欲しているわけではない、ということだった。
事態は一刻を争うが、それでも早急に状況を好転させ得る材料がない以上、焦ってちぐはぐな行動を取ってもこちらが壊滅するだけだ、と。だから茜も同行すべきで、そうしなければ先の二の舞になる、と。それらが茜の見解だった。
しかし、いかんせん茜は進行形で不落の監禁を受けていた。そして今もなお、「紅」次元の疑似『檻』で構成された煉監禁「封獄」は継続している。
要するに、そんな幽閉状態にある茜に彼女ら三人――具体的には盲目的に行動を始めた雪華とリカ――を留める手段などなく、彼女らが大輝を探しに行くと言い暴走してもそれをブレーキする方法もなかった。
茜は大きな溜息と共に、仕方なく制御させるため舞花を連れて行かせ、今に至る。
三人が住宅地を抜けて、大輝を攫った連中を追尾する道中、「一人の女性」が立ちはだかり通行止めにした。その一人の女性こそが、目の前で三人を足止めしている怪しげな代行者だった。
「ねぇねぇ……まさかさぁこれで終わりじゃあないよねぇ?」
女性は両掌に、蛍光グリーンや青といった色彩の電磁的な外観の何かを収束する。瞬間、三人には緊張が走る。
雪華ら三人は、彼女と一戦交えて、というより、一方的に虐められて悟っていた。
「この女、明らかに普通じゃないですわ」
「うん、強すぎる……」
そう言っている間にも、その光線は放出音と共にビームとして射出された。
「くっ……!」
舞花はそのビームを勘だけでかわしてみせたが、彼女自身、異界術の加速を使用し回避行動を取るのは苦手だ。
IWで通常、異界術の加速。それは基礎工程単一加速魔法の未完成形。曖昧なままの発動であり時間がかかるのは必然だった。要するに式に無駄が多すぎる、ということだ。
「危なかった……」
立ち込める煙の中、舞花は雪華、リカと合流し、
「次の攻撃は今みたいにまぐれでかわせる、なんてことは起こらないと思いますわ」
「うん、さすがにね。私も分かってるよ」
相手が異能者としての格が違うことに気付く総員。それは雪華や舞花が、統也、茜との決闘で対面した際に生じる隔絶感と似ていた。レベルというか、何か、技術の根底から水準が異なっている、というような感覚だった。
「さっさと来たら? どうせみんな、私にミンチにされて終わりなんだしさぁ」
女性は、容赦ない残虐な性格と口調も相まってその異質さを際立たせていた。
「早く行かないと大輝が……大輝が殺される」
「お願いだから落ち着いてリカ。きっとすぐには殺されませんわ」
一時正常な判断ができなくなっているリカを右手で制止しながら、舞花は溜息を堪えた。
「名瀬の従者ごときにやられたウジ虫が、なぁに息巻いてんの?」
その言葉に言い返せるだけの成果を、彼女らは果たして出しているのかと問われればノーだった。茜の指揮を失った途端、彼女らのずさんな行動系統は崩れ、簡単に敗れた。
苦汁を舐め、無言で苦虫を潰す三人の女子。
「それに、あんた達さ、黒羽大輝が殺されると思ってんだねぇ。はははっ、『シトリン』のことも知らないなんて、諜報潜入官が聞いて呆れるわ」
「シトリン? ……確か黄色いトパーズみたいな宝石じゃなかったっけ。……彼女は、何の話をしてるの……?」
相手の女性は雪華の自問を無視し、いったん掌のエネルギー構築をやめる。即時霧散する緑。弾ける青。
「なんにせよ、遅れてるねぇ、そっちの諜報潜入官。――それとも、リーダーが何も教えてくれないのかなぁ? 信用してもらえないなんて、可・哀・想・な・部・下」
舐めるような、見下すような、蔑むような目付きで嘲笑を繰り返す長身の女性に耐えがたい苦痛と憤慨を覚えるが、雪華はそれを堪えた。
名瀬隊で、リーダーにあたるのは名瀬統也と天霧茜の二人であると、暗黙の了解が構築され始めている。雪華はこの二人がコソコソ何かを話していることを知っていたし、皆も理解できないような分野での統也の発言、思想に理解を示す茜に嫉妬心を抱いていたと言わざるを得ない。
「アド、バンサー……? 何それ」
睨みを利かしたまま『氷霜術式』を組みかえ準備を開始しつつ、その謎の用語を尋ねることにした。
「そうやって訊けば答えてもらえると思ってる残念な脳ミソ、殺してからじっくりかっぽじってやろうかな」
かなり大人びた印象の顔立ちだが、その奥に隠れる狂気としか表せない気性の荒さが再三、滲み出ている。
「諜報潜入官が何か、って? そりゃ簡単に言うと、この世界をどうやって滅ぼそうか考えるスパイ、エージェントのことよ。あんた達、境界内人類を皆殺しにするって案も出始めてる頃だろうね。とっくの昔に」
「はい? 何を言って……。そんな馬鹿なこと――」
あるわけない、と言おうとした雪華。彼女にとって、境界内人類は最後の希望であり、生き残った人類。それの鏖殺など、もっての外。人類の滅亡は必至。しかしその考えは目の前の女性によってすぐに否定された。
「――あるの。『特級異能者』にはそれができる」
三人にはけして聞き覚えのないワードを口にする、女性。目力を強め、意図せず三人を委縮させる。
「特級……異能者? S級ではなく? ……さっきから、何の話を……」
雪華は先ほどから代表して口を開いているが、訳が分からなくなると同時に、内心かなり緊張していた。
「S級異能士ぃ? あぁーあれは戦闘力を基準に評価された値とステータスよ。その資格を持つ者はCSSレベルの影人との戦闘を許しますよ、ってね。……それとは別に、世界には核兵器のように戦争の抑止力として働く戦略的な能力者が、公式だけでも十二人いんの」
「核兵器が、十二人も……?」
リカが意外感と驚きの感情を不意に漏らす。そしてリカにはこれらの発言が嘘でないと、当然、十八番の第六感「虚実の識」にて分かっていた。
「特級指定された能力の適正を認められ、国威発揚の目的で運用されるその存在は、うち六人が特級異能者。こっちは伏見旬の権威によって、なんと全員が国内にいた。残りは特級魔法士って呼ばれてて、全て国外にいる」
初耳の内容より何より、「魔法士」――その言葉に異様な引っかかりを覚えたことを三人は自覚する。小さい頃よく遊んでいた、忘れていた幼馴染の名前を言い当てられたような、そんな記憶の違和感だった。
「世界の争いごとは、その応酬で、その存在を基準に動いていると言ってもいいわ。……ジャパニーズくんは、かつて半分の特級を所有するトンデモな最強国だったってわけ。でも現在は、名目上二人しかいないことになってる。さぁぁて、どうしてこんなことになったんだろうねぇ?」
莉珠は名瀬杏子と利害の一致のみで協力関係を得ているが、機密情報を交換するほどの義理はない。という事情ゆえに、莉珠は伏見旬という特級異能者が封印された事実を知り得ていない。
杏子は補佐指揮官経由で勿論把握していた。そういう作戦なことも惟司、雹理から聞いていたので当然だった。
しかしいち代行者幹部ごときにそれら情報は伝わらない。だから莉珠は、ヴィオラと旬をこの「名目上二人」だと思っている。日本の戦略関連の真実は、「特級ヴィオラのみ」という窮地なのに。
「答えを教えて、あ・げ・る。それは、そのほとんどがここにいるからよぉ」
莉珠の言うほとんど、とは正確には「名瀬統也」「セシリア・ホワイト」「二ノ沢紅葉」のことだが、先の「名目上二人」というセリフにも天霧茜は含んでいない。だから莉珠本人は茜を除く者のことしか知らない。
それは当然のことだった。茜は中でもトップレベルの秘匿案件を引き受ける、最上級国家機密指定の戦略級戦闘員だからだ。存在を明るみにすれば、柳沢邦光の実験で作製された「あの超聖体シリーズ」であると暴かれてしまうだけでなく、その才能をどう乱用、悪用されるかも分からない。旬が匿い、指導する様式は最適解だった。それほどに秘匿性の高い人物。
「……そんな話は聞いたことないかな。そもそも『魔法士』って何? 『魔法』? 異能とは別の? 馬鹿馬鹿しい。そんなものあるわけ――」
「んぁ? んなの当たり前でしょうが。あんた達は何も知らない。何も思い出せない」
莉珠はその呑気な発言に呆れ、苛立ちさえ覚える。知らないのは当たり前だ。忘れているのだから。問題はそれを問題視せず、そのまま呑気に疑問を口にする気構えだった。
「一昔前まで、一般人にとっても『異能? 何それあるわけないじゃん』ってなってたじゃない? 同じことよ。自分達だけ特別で全知を気取るだなんて、ひどく横柄でおこがましい。そう思わない?」
「っ……」
図星を突かれ雪華は口を噤んだ。
「愚かなあんた達にもう一つ教えてあげるぅ。奇しくもその『特級異能者』の一人は、あんた達と行動を共にしているわ」
「はっ、なんですって!?」
舞花が驚愕を喉に乗せた。今までは与太話として聞く耳を持っていた彼女だが、その台詞には妙な真実味があった。リカと雪華も同感を抱く。
否応でも、彼女ら三人の脳裏には、たった一人のマフラーの男子がよぎる。
自省的な性格の癖に、敵を作るのを躊躇わない彼の無鉄砲さ。大抵のことには狼狽えない高い精神力と、達観した視点。一部、果てしなく冷徹な一面をもあるが、格下を遠ざけたり被害を最小限に抑えようとしたり、そんな優しさも垣間見える。三人はその「彼」を想起した。
出会った当初、自身が御三家の人間であることさえ隠していた、謎が多い彼。
言うまでもない、世界最強の異能士。
そんなの――。
――名瀬統也。それ以外あり得ない。
声に出さずとも満場一致、三人は確信した。
「あんた達は無知でいいわね。とっっっても、羨ましいわよ。魔法と異能のいざこざなんて気にせずに、影人だけ殺してれば世界を救える、なんて妄信できるその楽観的思考」
リカは両眉を寄せつつ顔を顰めてゆく。
全て、真実だ。第六感でそう分かる。彼女は本当の苦言を言っているのだ。しかし、それだと不審点があるのもまた事実。
「でも……『魔法』なんて能力を扱ってる人間を、あたいは一度も目にしたことがない」
リカだけではない。雪華も舞花も、目撃したことがないだろう。それは不自然だ。世界の『魔法士』がえもいわれぬほど少ないなら考えようもある。しかし既に『特級魔法士』は六人いるという。それならばその話を知らないことも、魔法士に出くわさないこともあり得なくはないが、難しい。
「おチビちゃん、それはね、私を含めあんたも悪魔だから、根っからの魔法士を目にすることなんてないんだよ。まぁ……基礎工程の簡単な単一術式のものなら、皆も使ってるじゃない? 『異界術』――それが列記とした魔法なんだし」
「っ――? 異界術が魔法!? そんな、ただのマナ強化術でしょ!?」
雪華の疑問は至極当然のもの。一般的に魔法とは奇跡を呼ぶ能力として周知される。そう、異能者xが広範囲に展開してみせた絶対零度のように。
しかし異界術は一般異界術というマナの情報強化と、生体異界術という肉体的な強化が主だ。それらのどこが奇跡なのか、と雪華は考えている。
「情報体やコードがどうのこうの、一次可変環境、絶対二次式環境の話を長々するほど私は暇じゃない。もう少しイキりたかったけど、そろそろ薪が彼を狩り終わる頃だろうからねぇー」
「……あなた何者?」
雪華は問う。それに対し彼女はニヤリと獰猛な笑みを漏らす。
「私は八雲。八雲莉珠。最強の女。よろしくね~」
そう楽しそうに手を振り、ふざけた。対峙する三人に、その名の聞き覚えはなかった。
それも当然で、「原子系破壊者」と呼ばれるも裏社会に名を馳せた代行者幹部。風間薪のギア。闇に生きる者は通常、表には出ない。三人が知る由はない。
***
「でも、数度の攻撃であなたの能力はもう割れているかな。ビーム……もっと言えば光線状の砲撃。さらに――」
「待ってよ。皆まで言わないで」
薄い嘲笑を浮かべ、手をこちらへ差し出し、慌てて雪華の言葉を遮る莉珠。
「私も、素人相手にイキりたいお年頃なの」
「……?」
雪華はこの女性の発言に困惑を強いられた。発言そのものではなく発言のニュアンスに、だ。確かに雪華らは統也や翠蘭、茜なんかと比べれば異能士としては粗末な点も目立つ未熟者だろう。しかし有識者であると同時に、IWではかなりの実力を有する者達だ。雑魚や弱者という表現なら納得いくが、「素人」とは少し違うのではないかと雪華は思った。
「マギオンを基にしたエネルギー、魔力――じゃなくって、『マナ』だね? ふふふ、ごめんねぇ、あんた達には少し難しすぎたわ。私の異能『泡沫』はそのマギオンで滞留させる粒子機構を持つ」
魔子、魔素(マギオン、英名:Mgion)。情報次元に由来する非物質的な素粒子で、認識や思考の結果を記録可能な情報素子のこと。魔力というエネルギーに変換できる。
そして、これらの知識を、ここにいる三人は正しく知らない。厳密には知っていたのだが、という話になる。
三人は理解不能なワードと、耳新しい単語に戸惑いを隠せない。しかしそれでも、
「はっ、自分から能力の詳細を明かすとか馬鹿かよ!」
リカはその短躯で息巻くが、一方で舞花は以前ネメとダークテリトリー調査時に対峙した記憶を蘇らせていた。
あのとき、ネメは惜しむことなく自らの能力を開示した。異能『反転』について。
天霧茜もそうだった。技の詳細を隠すようなことはあまりしない。知られて不利にならないのなら、むしろ積極的に自身の能力を開示していこうとする姿勢。
誰よりも賢かった妹、舞も以前言っていた。「能力詳細を述べたり、技名をわざわざ大声で叫んだりするのって、本当に意味がないのかな~?」と。
舞花はそれらの思考と経験則に基づき、あることの理解を得る。
それは、自身の能力の暴露に何かしらの利点があるのでは、ということ。
「これだからシ・ロ・ウ・トは」
滾るような、恍惚とした目で、囃す莉珠は何かを知っているような口振りで両手から輝く蛍光色光線を構築、射出する。その速度は実に『神紡』に並ぶ。
「なにっ!?」
先刻より速い。両手の光線二本がそれぞれ一本ずつ左右に散り、直進。固まって分布していた雪華達のサイドへ広がった。しかしまるで狙いが自分達ではないように思えるその光線。照準をミスしたのか。
答えは否だった。
「はっ、まずいですわ!」
舞花はその意図に気付き、重力加重をその蛍光グリーンの煌めきに付与するが、直進をやめることはなかった。
「くっ! どうして!」
おそらく重力のような外部の力の影響を受けない、そのような現象を司っていると舞花は瞬時の思考の末、思い至る。
「これは……質量ゼロ! 間違いない! 光子ですわ!!」
「せいっかい!! 大当たりィィ!!」
量子力学の基本的な概念の一つに「波動粒子の二重性」がある。 これは、光子などがある観測では粒子の性質を、別の観測では波動の性質を示すという、一見矛盾する特質を併せ持つ現象。
名瀬家『檻』の防御・攻撃に転用される障壁「空間固定」は、その次元断裂理論を除く固定のみのメカニズムとして、空間に滞留する性質を持った異能体の展開だとされている。
では、その「滞留する性質」とは何か。
統也と茜など。名瀬一族と雷電一族の相性が抜群な道理を見れば、自ずと答えは知れる。
つまりは「電子」関連。
答えは、量子論を無視した「波動粒子の二重性」の不確定状態での固定。波動でも粒子でもない、どっちつかずの光子や電子の集合体。それが物理学上で観測できる『檻』の壁としての性質。
この世界においてn次元の物体を切断すると、断面はn-1次元になる。ケーキは三次元、その断面は二次元といように、三次元では二次元。二次元では一次元。
では、空間を切断するとどうなるか。それは三次元空間の断面を二次元に滞留させるということ。そのために必要なのが、この「どっちつかずの電子」の壁だと云われている。
莉珠の能力の真髄は、その原理の模倣。そして、その壁そのものを対象にぶつける。
異能『泡沫』、正式名称『亜境界粒泡』。能力は原子ごと対象を消滅させる、その一言に尽きる。
数代前の三宮家当主が『檻』の空間固定の手法に憧れを抱き、その次元理論や固定理論を模倣した結果、生み出された三宮家の異能。
これの反動を微々たるものとして扱えるのは、強化戦士として生まれ、暗部として生きることを天命に決められていた八雲莉珠ただ一人。
言うなれば、三宮家ながら名瀬家の異能理論を叩きこまれた人物。
準特級異能者とまで言われるその実力は底知れず。
雪華側から見て漢字の八の字に砲撃された光線は、雪華のラインに到達直後、それぞれ同角度で屈折し、ひし形を描くように最後尾に控えていたリカに向かう。
そして彼女に直撃と同時、光線が合流する。エネルギーの衝突により、一帯が魔力光と共に破裂すると、地面の無機物にぶつかり黒煙と爆炎が舞う。
「がぁっっ!!」
煙内部、リカは一般異界術で防御する暇もなく腹部を貫かれ、吐血すると間もなく前方に倒れ込む。腹からの赤く温かい液体は止めどなく流れる。明らかな致命傷。しかもかなり深い傷。今にも彼女の身体が真っ二つなりそうなほどだ。
「リカ!!」
気を失ったのと同時、莉珠は素早く光線の放流を停止し、再び照準を定めると、連射を試みるが「ちっ」と舌打ちしながら顔を顰め、それが出来なかったことに苛立っていた。
威力は凄まじいビーム。だが、一発ごとの反動も大きい。
照準を正確に合わせなければならないのは、その絶大な破壊力であるが故に一歩間違えれば自滅する可能性があるからだ。
彼女は再照準までの時間、間を持て余した。
「無知のあんた達に、特大サービス。もう一つ大事なことを教えてあげるわ。名瀬統也って男は周りに敵しかいないヤバイ奴よ。私の知る限り、世界中のアドバンサーを敵に回していると言っても過言じゃない。いぜれ海外からも刺客が訪れるだろうね。そんな奴に味方する無知な集団……それがあんた達よ」
「へぇ――あっそう!!」
その瞬間、雪華は白極の術式を解放する。
第一術式『星霜』!!
ピキピキと鳴らしながら、瞬時に凍結してゆく前方地面。平屋ほどの高さまで氷結晶が発達すると、まるで生き物のように莉珠に襲いかかる氷霜。『氷瀑』のように過冷却に対する衝撃の必要性はない。
しかし、
「無駄無駄」
莉珠は目の前に『檻』のようなどっちつかずの光子・電子の集合体障壁を円盤形で構築。それらの滞留する性質を用いて、ぶつかる氷塊――水分子を破壊、雲散霧消してゆく。何をしても消し飛ばされる。
その隙を狙わない手はない。舞花がすかさず莉珠の座標を強重力で押し潰す。
「墜ちろ!」
が――それもいとも簡単にかわされる。右への回避で済ませた。
莉珠は舞花の異能を予め知っている。既知か無知かは異能戦闘の勝敗に大きく反映される。『力場の魔眼』の特質についても、能力域まで詳しく、とまでは言えなくともよく知っていた。
「ふふふ」
嘲笑を浮かべて再び『泡沫』のビーム照準を開始した。狙いは舞花と雪華。
それぞれ左右の掌から光るそれを射出する。放出音の特徴は、先の戦闘にて茜が見せた『陽電子加速砲』の轟音振動に酷似していた。
「は――っ」
彼女らに『泡沫』を防御する術はない。急ぎ肉体強化を果たし、その足でよけるための動きを取る。舞花、雪華はそれぞれ左右に飛び、その緑の直線をかわした。
背後のリカは既に意識を失っていることを、雪華は回避先で流し目に確認する。
――申し訳ないけど、リカを介抱する暇や余裕さえない、そう雪華が思っていたそのとき、
「―――ッ!」
輝かしいまでの線状は、雪華でも舞花でもなく、地面に倒れるリカに向かっている事実に気付いた。
(まずいっ)
「死ねっ! はははっ!」
莉珠は狂気を浮かべ、悪魔のように嗤い、リカへ両手からの『泡沫』を精密射撃する。
刹那、固唾を飲む舞花と雪華。しかし雪華にその覚悟はあった。何の覚悟か。それは、
「雪華さん!! 何を!!?」
雪華はその舞花の戸惑う声を聞きながら、素早くリカの前に立ち、盾となった。
しかし絶え間なく「滞留する性質」を持つ電子塊は一般異界術という反情報強化をコーティングする雪華の胴体をものともせず、完璧に貫く。弾ける血飛沫。
「くはッッッ!!」
そして貫通し、後方のリカにも直撃。次の瞬間には周辺が爆発の煙で満たされる。雪華までもが倒れ、失神してしまう。
その様子を妖精眼で視て、舞花は本格的に焦り始める。ここで、死ぬのではない無いか、と。
「はぁーい、あとはあなたね、功刀舞花さん。これからあんたとお遊びするのも悪くはないけど、生憎と予定が立て込んでるの。だからごめんねぇ? ふふふ」
***
交戦時間にして約十分が経過した頃か。一般に、異能士間の戦闘において十分未満で決着のつくものは、圧倒的な実力差を露呈する。一般的にお互いの実力が拮抗すればするほどその時間は長くなると言われている。たとえば、旬と惟司が分かりやすいケースだろう。
――舞花、雪華、リカは成す術もなく八雲莉珠によって惨敗した。
「ふふふふ、はは。すっっごくよわよわで可愛らしかったわよ。それじゃあ――」
莉珠は、倒れて意識も持たない彼女らに対して語り掛けた。その目は果てしなく三人を見下す目。そうして最後には声のトーンを下げ、異常なまでの冷徹さを押し出した。顔には殺気の二文字しか映し出されていない、他人にはそう見えるだろう。
掌には『泡沫』の粒子滞留機構が収束されてゆく。
「――ばいばい」
これで、彼女らの命は終わるだろう。舞花と雪華、リカは、抵抗もなく殺される。統也はまだこの場に到着できないし、茜は未だ「封獄」の監禁を受けているかもしれない。玲奈や紅葉も、希咲や翠蘭も事情は同じ。
それが意味するのは、逃れられない詰み。変えられない結末。
瞬間、蛍光を発する『泡沫』の放射が莉珠の両手から放たれる――。
―――ことはなかった。
「――――!」
その代わり、一帯には凄まじい電磁波音と、赤い電撃の雨が降り落ちる。黒煙が舞い、周囲は電荷を持った粒子の集団にかき回され、プラズマ環境に置かれる。一方で地面がビリビリと電撃の余波を生じ続ける。
「これは……!」
莉珠は『泡沫』を放出する暇もなく、他のある処理に手を負わされた。もっと言えば「回避」に専念しなければいけない状況になったのだ。
素早い身のこなしで四時の方角へ高速バックしながら、それでも上空より追尾してくる電撃に対し上部に『泡沫』バリアを展開して防御を果たす。その雨が納まり次第彼女は周囲を警戒しながら口を開く。
「電気……? あんた……ナニモン?」
莉珠は煙の中に気配を感じ、その相手に素性を訊いた。電磁的なプラズマ波の拡散と同時に、霧消する黒煙。澄み渡るような透明声がした。
「あら? あなた、随分と私の部下を可愛がってくれたみたいね」
と、自分のペースを崩さずにそう発した佳人。一帯の煙が完全に晴れると、そこに――黒を基調としたダブルブレストの隊服とショートスカート。黒タイツ、白い手袋。風に舞う黒髪ロングヘアを莉珠は視認した。
「……天霧、さん…………?」
微かな意識回復と共に、痛々しいほど弱った声で雪華が「正答」を発する。
佇む位置から、茜を中心にジリジリと音を立てて赤い電弧が広がり、威圧とばかりに勢いを増す。
「天霧さん……この人は危険……。……あなたでも勝てるかどうか――」
「ふーん。やっぱりまだ私を信頼できない?」
「……そういうことじゃ、なくて……」
「悪いけど、この程度の人間に、私は止められない。だから、安心して。ここで私が彼女を終わらせる。……そうね、『雷鳴に誓って』」
茜は莉珠を横目にそう宣誓しながら流れるような動きで立膝し、虚数術式の治癒効果で、一番重傷のリカから致命傷の治療を開始。同様に雪華、舞花にもそれを施すと、体を反転。
「情報的にいずれ完治はするけど、全回復って意味じゃないから。しばらくは動かないでね」
その後すぐさま立ち上がり、ランウェイでのモデルウォークのような歩みで莉珠の方へ三歩前進。その場で立ち止まり、その紅い眼光をもって彼女を睨む。
「あなたが、あの有名な八雲?」
「ふふ、遅かったじゃない? 『封獄』の破壊に案外手間取ったみたいねぇ。重役出勤とはいいご身分。コードネーム[K]……噂に聞く残虐な人間には思えない。どんな恐ろしい魔女かと思えば、容姿端麗のお姉さんだったとはねぇ。あんたもそいつらと同じく、ぐちゃぐちゃにして躾けてあげるから。――ね?」
莉珠は茜の全身をくまなく観察した。レイピア以外に武器は備えているのか、また、ハイヒールでの戦闘などとても不可能に思えるという感想を抱いた。そして、
(さらさらな髪に、透き通るような肌。長いまつ毛に鋭い目付き。綺麗な輪郭、端正な顔立ちに凛とした猫顔。モデル顔負けのスタイルに、妖艶な体躯)
(この、他を寄せ付けることない圧倒的な美貌)
(あぁ……私がこの手で壊したいわぁ)
「にしてもあなた、ほんとにべっぴんさんねぇ。可愛いすぎて女の私でも惚れてしまいそうなほどに」
「そう? それはどうも」
莉珠にしては珍しく相手の容姿を褒めたが、当の茜はまるでどうでもいい、というように軽くあしらう。
「ただ一つ、その不気味な赤い瞳以外は、ね」
煽るつもりでの発言だったが、茜はこの種類の嫌味を嫌というほど聞き、慣れて耐性を得ていた。また、意図的に作られた彼女は、雷電一族としての誇りも責任も持っていない。
(この目は確か……「呪いのバレンタイン」以降迫害されその被害が激増した……)
(雷電一族……?)
莉珠は考える。どうしてこんなところに生き残りがいるのか、と。あまり詳しくないが彼女は雷電凛という名前にだけ心当たりがあった。当時テレビニュースでしつこく放送されていた少女。
その父、雷電晴馬が特例をもって国会議事堂で「雷電一族不可侵条約」を締結し、無事娘だけは奇跡的に助けることが叶った、と。
アリスから、コードネーム[K]という人間がいるから先に封じた方がいい、監禁をすべきとアドバイスを受けて、言われるままにしたのだが、よく考えれば色々妙な事ばかりだと今更ながらに気付いた莉珠。
しかしまあ、そこまで厄介な敵でも、速射の高火力を有する『泡沫』ビームですぐさま撃ち抜くまで。莉珠はそう考えた。そこには緊張感などなく、ただすぐに殺せると思っていた。それはいつもの無機質な作業と何ら変わりない。
「ふふ――!」
笑みと共に、茜を殺せると――。
そうして『泡沫』の光線は容赦なく茜へ直進する。
しかし何故か茜は防御態勢を取らない。また、回避しようとする姿勢の片鱗さえ見せず、ただ黙ってじっとしている。
そして攻撃されている状況など事も無げにゆっくりと目を瞑る。赤い瞳を閉じる。
直後、ズドン、と鳴り響く。衝突の気配。
そして、爆発的風圧と共にグレーな煙が立つ。爆散の後発。それを見て莉珠は勝利を確信した。これを防げる者などいない。『泡沫』を受けないためには、逃げるしか方法はないのだ。
「可愛い奴ばっっっかり。『この程度の人間に、私は止められない』だって? 笑わせないでよぉ」
回避をしなかった茜は当然『泡沫』のビームを食らい、死ぬ。そう考えるのが自然。
莉珠は茜/[K]の処理を終えたつもりで、他の三人も始末するため軽い足取りで一歩踏み出すと、瞬間、煙の中から――。
「かはっ、かはっ。……煙い」
あろうことか、澄んだ声が聞こえた。
「は――――?? ……どういう、こと?」
莉珠に沸き上がった感情。それは驚きというより、もはや恐怖だった。今までこれを防げた者はゼロ。おそらく『檻』でも完全防御は不可能な代物。それほどに火力が高く、貫通性も侮れないはずだ。
瞠目し、煙の中を凝視する莉珠に、ゆっくり応える茜。
「何が?」
煙が完全に晴れる。黒い隊服の茜が姿を見せる。怖いことに、当然のように、無傷。
莉珠は今までにないほど、脳内がぐらぐらする眩暈のような感覚を味わっていた。そして抑えようもない鳥肌が粟立つ。
「あんた……どうやって『泡沫』を……」
「ごめんね。あなたごときに私を傷つけることはできない。はっきり言って、不可能」
茜は久しぶりに冷酷な目付きで、見下ろすように微かに顎を突き出した。




