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紫の境界



  ◇



「ディアナ……しっかしりして。お願い、目を覚まして……」


 受ける潮風、甲板上、この「私」と対峙する二者の雑種のうち、そう弱々しく語る赤目が切実な眼差しで「私」を見ている。震えた声で、必死に。

 この肉体主の真名はそういうのか。塵ほどにどうでもいいが。


「あなたはディアナ……! 他の誰でもない。統也と旬と、私で暮らして育った。あなたの名前はディアナ・ホワイト!」

『……“ホワイト”? 成程、』


 無意識に流用していたが、この高踵靴(ハイヒール)……白い魔力(エネルギー)の権限……言われてみれば確かに。

 白……自然数の最大魔力……無限大……シンシアエネルギー……浄眼なしでは制御できない。この肉体も不遇極まりない。

 これがかぐやの「(ちから)」……当時姫として大きく振る舞っていた割には、なに、所詮この程度か。


「羽織ってるワイシャツとハイヒールはディアナの異能!! 返して!!」


 返すも何も、魔力回路に刻まれている術式だ。それ専用の演算領域も脳に備えられている。いち肉体性能としてこれらを顕現できるのは道理。


「くッ! お願いだから目を覚まして……! 戻って!! ディアナッ!!!」


 先から鬱陶しく叫ぶこの赤目の女……「起源」が混じっているな。

 武御雷……いや、権能と量子スピンのデータファイル半分で月詠と言ったところか。


 蒙昧な人間はすぐにその膨大な力を分化したがる。愚蒙、脆弱を表現した悪しき風習だ。

 恐らく陽電子側と、電子側でクォークなどの不均一な粒子を分けたか。量子論の運算を上手いことやったな、人類ごときで。


 仕方ない。

 殺そうと思ったが、やめた。


「起きてッ、ディアナぁぁぁ!!!」

『二度は言わない。――黙れ人間。至極不快だ』

「……くッ!」

『神の前では「服従」か「死」しかないと知れ。その不敬は人類の「悪」そのものだ』

「善悪云々の前に……駄目な時は、私があなたを斬ると約束した! だから――!!」


 恐怖に侵され、感覚が麻痺してきているようで、赤目の女は甲高く叫びながら抜刀、居合の準備をし、異能照準を私の位置に定める。

 その構えには見覚えがあった。


 ――ほう? 『雷刃(ライジン)』? 

 領域対象を定めて電気の推進力を借り、剪断力をも高める。砂利にしては中々の異能演算力。

 大方、本有的な素質に、師が優れているのだろうな。


「だから私は……!!」

「おい、それ以上やめろ凛! 冷静になれ! このままだと殺され――」


 眼鏡をした水色総髪の方は「刹那」の一族の末裔。差し詰め結晶体構築の異能者。

 そう瞬間的に理解し距離を詰めても問題ないと判断した私は、座標収束「蒼玉」の虚数滴下で瞬間移動を果たし、赤目の女の前へくると、か細い首を鷲掴みにして持ち上げる。


「はや――」

「んかッ!!」


 その比類ない私の握力に喉を潰され、咽る暇もない。刀を振る時間もない。


『ふっ、ふふふふふふ』


 脆弱惰弱の愚かな存在。ただただ滑稽で、矮小な存在。それを徐々に斜め上へと持ち上げる。


『ああ、しかも貴様、推古の遠い親戚か。だから瞳が赤いのか』

「ディ……ア……ナ」


 消えそうで女々しいその声を聞き、私は思わず顔をしかめる。


『ちっ。貴様はそればかりで詰まらない』


 今度は左方が動きを見せる。眼鏡をかけた水色総髪の女は、状況的に自分が太刀打ちしても敵わないと認識しているはずだ。しかしそれが何もしなくていい理由にはならないらしい。


「霜夜術式――『飛瀑(フォールズ)』!!」


 時を同じくして、甲板床から直立するように貫く氷の結晶体。逆さの懸氷として赤目と私がいた位置を下から狙い刺す。氷塊の結晶は、いつの間にか床面一杯に張り巡らされていた。


『ふん。それだけか人間?』


 雪女と恐れられた刹那、彼女の足元にも及ばない。薄まった遺伝子……千年近くでこれほどまで能力の質が暴落するとは失望を隠せない。嘲るように込み上げた笑いと共に、私はそれをかわし、少し後ろへ下がる。

 その拍子に赤目を甲板に落としたが別にどうでもいい。起源覚醒前の貴様には欠片も興味がない。

 月詠の力を間借りするのも悪くはないが覚醒前では話にならない。


「かはッ! かはッ! ……九神――称号者――自然法則の代弁者! なんでもいい! あなた達の目的はなに!!? 起源って何!? ディアナを返して!! お願いだから、返してぇぇッ!!」

『目的? それは、今からこの世界に蔓延る人類という人類全てを皆殺しにすることだ』

「「は―――!?」」


 愚鈍な二人はその含意を解釈できなかったようだ。


『この私自らが、千四百年待ち望んだ第二次起源の元凶になろうと言っているのだ』


 すると立ち尽くす水色髪はこちらを見据え、何かに気付いたように表情に緊張を走らせる。


「第二次起源……? 第一次起源が五年前の影人の大量発せ――……」

『それは私の仕業ではない』


 語気を強めてその台詞を否定する。

 2017年2月14日、第一次起源(カースナイト)。地球上で起こった初の影人大量発生。青の境界を北緯40度に展開せざるを得なくなった悲劇(きげき)

 それは、名瀬惟司が主犯で幕が上がったことだ。私と“因果”の制約を結び、私の力を一部大幅に借り入れて得た生得的な異能力、後天的に得た知識。果てに成せたインパクトだ。


 喜べかぐや、伊邪那美。シベリアに幾千万の影人を眠らせておいたのも、惟司という将来使えそうな奴を産んだのも、雷電一族に電源としてのトリガーを持たせ、そうして影人再起を目論んだのも私だ。私こそ全ての首魁だ。

 およそ千四百年前からその細工の序章は始まっていた。結局私の思惑通りに大芝居が進んでいる。

 

『――――』


 かぐや、お前は救いようのない戯けだ。幾星霜を経てなお生きているんだろう? 厩戸皇子(ちちうえ)にぞっこんだった貴様は知る由もないだろうな。この現状を。この悪夢(きぼう)の始まりを。

 これらはすべて私の計画の一節に過ぎないというのに。


「えッ……? これは――」

「…………」


 丁度その頃合い、増援と言わんばかりの軍艦が周囲の海面から押し寄せる。そうして大砲発射準備を整えてみせた。しかし増援というより、この軍艦に乗る船員をも巻き込む同士討ちだ。

 有害無益、笑止千万。私を潰すためだけに、味方をも殺すか。袖手傍観してればいいものを。


「これは、オリジン軍の増援? 私達を助けに来たの!?」

「いや……多分違うだろうな。……おそらくここらごと爆破する気だ。私らはもう、助かんないんだよ」


 赤目は瞬時の判断、戦闘センスに長け、水色髪の方は高い分析力、大局がよく見えているな。まあだからなんだという話でもないか。


『折角降りたが、貴様ら下等生物と同じ景色を眺めるのは癪でしかない』


 私はそう言って、人間の視覚で感じとる波長の中で最も長い光として知られる――空間発散『紅玉』(『青玉』は厩戸の発明した技術。これよりも出力そのものを抑え、精密化できるのが『紅玉』)の空間的な爆風を利用することで看板からの距離を取り飛翔する。

 その先の空中で足場として、オリジナルの境界「菫」を展開し荘厳に佇む。


『私の所有物『空間』という次元物にはそれぞれ「色」という魔力概念が存在する。かつての異能科学者ニュートン……だったか? 光というものに物理的意義を見出した人間は秀逸だったかもしれない』


 私が雄大に語る状況下、周囲から容赦なく振り撒かれる砲弾の雨。数秒後には音速規模の直撃と特大の爆破が予見できる。

 下に居る赤目と水色髪は、絶望を浮かべるかと思いきや意外と防御する方法を考案中かあたふたし始めた。

 一方で、境界「菫」を椅子状に模りそれに悠々と座る私は一縷の絶望感もない。威風堂々、両手を大きく広げ、伏見特有の金髪を靡かせ、蒼穹を仰ぐ。ゆっくりとその手を左右に拡げる。


『なに、この程度――』


 そして私のいる水平位置……海水面より約60メートル上空の座標上に真なる“虚空”を生み出した。その一列に拡がる京紫の亀裂は、砲弾らと私の間に大規模に発生したものだ。


「えっ、これは何!?」


 それを見て驚愕を露わにする赤目と水色髪。砲弾よりも空間の異変に目を奪われてる様子で、


「私にも分かんねぇよ!!」

「空間に罅が……?? 境界線……いえ、単に空間の亀裂じゃないの!?」

「そういうものだと思うが……周囲の光子反応を見るに光速度に空間の情報が追い付いている……!! あり得ない!! 超光速航法……じゃない……まさかワープゲートか!?」


 そうか、惟司(やつ)が言っていたな。人類の異能領域とやらでは私の『境界(のうりょく)』の真価、その名の通りの力は扱えないと。

 全方位から浴びせてくる砲弾がこの軍艦に当たる直前、私は虚数空間の“切り取り”を行う。


『そっくりそのまま還してくれよう』


 赤目と水色髪には信じられないか、大砲弾は、私が展開したワープゲートのような空間の狭間へと消えていき、


『人類。浴びせたはずの砲弾が己へ飛んでくる絶望。その身を持って味わうがいい』


 合図としてパチンと指を鳴らした瞬間、音波振動を原点とする魔力操作で一帯に再度亜空間を展開。その虚空(ゲート)から出現(ワープ)した先程の大量の砲弾は、方向を変え、凄まじい速度を維持したまま、ここを囲う駆逐艦、航空母艦を余さず襲う。

 衝突後、轟音と衝撃波の群れ。散らかる漆黒の破片。橙の炎が伊吹をもって爆散。淡い青の海面を穢してゆく。


 まるで塵のように――援助艦隊は全滅した。

 

 いいや、この私が、


『――ふふ、ふふふははははは』


 全滅させた。



  ◇



(アーク)


 この女王カオスの権能は、名瀬家の異能『境界』の神仕様版、もしくは完全版と言っていい。虚数空間という現実物理空間ではない領域を掌握し、空間の狭間を生み出す能力を持つ。異能と魔法の世界において、この現象を支配することは現実と虚構の境目を取り去り、全てを混沌と破滅へ引きずり込むことを意味する。


「ワープゲート……!? どういうこと!?」


 塵のごとく地獄の炎に洗い流された艦隊から目を離した凛が雪子に訊くと、


「簡単に言うと、座標系の空間変数を切り取って光速度で転移させてから、それを他の空間上に強制的に上書きして貼り付けてるんだ!! 多分、亜空間のように別の法則に従う空間と実際の空間を繋げることで実現してるんだと思うが……!」

「はい……??」

「いずれにせよ異能のような力で空間座標をカット……その後、魔法のような力で複写……信じらんねぇ。正真正銘の神なんだ、スケールが違い過ぎる……!!」


 空間を自在に切り取り、貼り付け、虚数空間から実数空間に強い干渉を残す。異能家名門・名瀬家の異能システム「空間切断」や「空間固定」「空間極限」も、このカオスの力を模倣したものにすぎない。

 この力により、「空の九神」は自由自在に空間断裂を発生させ、いかなる生命体からの抵抗も塵芥の如く無力にする。まさに神。


 ――しかしこのとき、その神の如き女王には微かな違和感が巡り続けていた。


(まただ。なぜ私の所有物である空間の主導権が私に委ねられない? 何か深刻な問題が発生している……?)


 そうして感知したとき、カオスは任意の位置で表れた起源の波長感覚と、現在有効な空間情報を掌握する超規模な『檻』の存在を悟った。

 加えて、正面奥側に存在する青い境界線を眺めた。

 

(青の境界……推し量るに父上ほどの力……「蒼の王」の再来)


 ――あの蒼き瞳、あの蒼き檻。

 憎悪溢れる追憶の苛立ちと共に、真珠の瞳でその蒼き光の壁を睥睨する。

 流石と言えるか、展開する檻の色合い、質、純度、精度、調整率……その全てがかつての「蒼の王」のものと不快なほど一致した。


 異能界で「蒼の王」と言えばそれは、常識的に厩戸皇子を意味する。

 御三家名瀬――檻を操る、いわゆる厩戸皇子の子孫家系。

 その中で、先祖である彼と同等の空間純度「青」に到達または超越した人物は、全歴史上でも名瀬統也とその父惟司のみなのだ。

 

(オリジン社員を買収し、コールドスリープ装置の管理者に内密に起源因子を多量吸収して私の意識として覚醒、その恩恵で表面上は起源因子が摘出されたかのように映る)

(……からの精神干渉を後ろ盾に人類との戦争を開始する。ここまでの計画は良かった)

(だが惟司、約束と唯一違えるのは「蒼の王」の生存)


 共に暮らした伏見旬や、その他実力者陣営でさえその違和感に気付いてはいなかったが、統也の「青の境界」とは違い、惟司の「紫の境界」はあくまで理論上の空間の最高値であり人間の演算で生成できる次元純度ではないのだ。

 簡単に言うと、テレビの画面(二次元)から立体物(三次元)が飛び出てくる事象があり得ないのと類似した道理である。

 つまり、惟司は実践的に到底あり得ないことを実行していたことになる。


(……胎児の貴様に、生まれつき神と等しい「紫の境界」の演算領域を分け与えてやった恩を忘れたか)


『名は確か名瀬統也……始末しておく手筈だが。自分の息子に情けをかけた?』


 自身の優位性を崩さず独言を語った瞬間――、


「誰に、情けをかけたって?」


 その勇敢な美声がカオスの耳に届いた時には既に、彼女は自身の右腕が切断されるのを明確に感じた。


『は?』


(恐ろしく速い……?)


 そうして弾けるように広がる鮮血を横目に、カオスは反射的な素早い身のこなしで数メートルバックし回避。同じく檻「菫」の足場を展開し、その方向を睨んだ。


「あのさ、私のお兄ちゃんに勝てるって、それ本気? 神だかなんだか知らないけど絶対無理。あの人、最強だから」


 私だって一度も勝ったことないし――勇ましくそう言ってみせる黒髪の少女。

 透明の檻を上り階段として展開して上って立ち向かってくる人間の女子に、神としての存在感を持つカオスは少なからず恐怖する。正確にはそれに近い何かだったが。


『……ッ』


 自分に立ち向かってくる虫けらほど、意味不明で理解に苦しむものはない。

 カオスはその全身に苛立ちが巡るのを自覚した。人間でいうところの蚊に刺されたときの鬱陶しさに近いかもしれない。

 その間カオスは、少女が先程見せた目にも留まらぬ速さの正体が、固有時間の領域構築を自らに強制するものだと推理する。


「うそッ! 白愛(はくあ)ちゃん!?」

「おまえ、どうやってここに?」


 慌てた様子を隠しきれず凛と雪子がそう尋ねると、生脚を露出するスカートと戦闘用パーカーを着こなす彼女はオリジン三式斬刀「空无(そらなし)」を納刀しつつ、また、正面の敵から目を離さず返答する。


「どうやってって……忘れたの? 私の『境界』は透明。ステルス状態でこの軍艦に侵入することは別に難しくないんだけど」

「先の混乱に乗じて、か……」


 雪子は納得の意思を表示しながら、敵対するカオスを見据えた。そこには微かな怒りを乗せたディアナの鋭い表情が。白愛を睨みつけていた。


『――図に、乗るな』


 神の名を語りし女王は魔力で威嚇しながら、虚数術式による四回転で、血液の赤い蒸気を発しながら切断を受けた腕を再生させてゆく。完治までの時間は僅か二秒にも満たない。


「その再生……虚数術式による治癒が使えるんだ?」

『――――』

「おかしいぃなぁー、異能術式って十八年前に伏見旬が考案したものなんじゃないのー? あなたのような旧時代の遺物が、どうしてその“術式(ぎじゅつ)”を知ってるのか、不思議でしょうがないんだけどぉ?」


 会話を継続、上空で足場に檻を展開、飛び回りながら「空无(そらなし)」を空振りし“見えない斬撃”を繰り出す白愛。


 カオスはそれを位相残像「星虹」と座標収束「蒼玉」を用いて天性の勘だけでかわしてゆく。その間にさり気なく、紫の境界をバリアとして展開し、その斬撃を防げるかの様子も見た。

 またそれに合わせ、肉体性能(ディアナ)の純白の『衣』で生成した数本の矛で、目標(はくあ)の周囲を貫通すると共に空間の核を爆散させ、広範囲ダメージを試みたが、

 

「あぶなっ!」


 白愛はそれを素早い檻の障壁展開と共に回避。すかさず白愛特有の不可視の斬撃を繰り出す。


『ちっ』


 カオスは無表情でパチンと指を鳴らし、白愛を含める空間を静止エリアとして拘禁する。

 これは、檻で閉じて空間を制御する異能『檻』の監禁術の上位互換である。音波の振動を媒介として空間魔力に干渉を及ぼし、檻で()()()()監禁を果たすのだ。故に「拘禁」といわれる。


「あらま。捕まっちゃたー。この空間……ダイラタンシー効果みたいな感じ? 素早い動作ができない」

『ふ、ふふふふふふ』


 空中のカオスは突如愉悦の笑みを浮かべるが、すぐに消失し、元の無の表情に返る。


「なーんてね!」


 白愛は自身に特殊な固有時間領域を発動し、その静止エリア一部を中和。その後「空无(そらなし)」で周囲の固定空間を切り刻み破壊。

 その「拘禁」を阻止された煩わしさからカオスは、


『驕るな!』


 手のひらサイズの紫光の「蒼玉」をすかさず生成し、後追いで魔力を込め、若干の出力を高めてから放出の構えを取る。これまた檻で閉じずに、空間の収縮反応のみを押し出す意図だった。


 檻「菫」


 ――星鳴り(ライラック)


『――死ね!』


 放出する直前まで手のひらサイズだったはずの「蒼玉」は、どういう訳か軍艦全幅を大きく上回る規模まで発達。紫が白愛の正面を遮る結果となった。


「でかすぎでしょ! でもお兄ちゃんのやつじゃんこの技!」


 不敵な笑みのまま白愛は、規模を合わせた特大の無色透明の檻を自らの正面に垂直展開して「蒼玉」の直進を防御してみせる。まるで巨大スクリーンのようであった。

 ばじんと激しく衝突したあと、散り行く紫の魔力の欠片を横目に、


『く……ッ』


 カオスにとってはこれまたストレスだった。


「収束式? あなたもそれ使えるんだ」

『逆だ。残り血を得た名瀬という人類が、勝手に私の奥義を真似ているだけだ』

「オリジナルはそっちなのね? ふーん……まぁだからって別に防御できない訳じゃないけど」


 通常、「蒼玉」の圧縮効果はその檻よりも純度が高い檻でしか防御が叶わない。つまりカオスの「菫」より次元純度が高いことが防御できる必須条件だが、それはこの宇宙ではあり得ない。

 空間の神を名乗りし王女が成す、究極にして至高の檻が「菫」次元だからだ。

 しかし白愛が相手の場合は「空間の純度」の問題ではないのだ。


 ――なぜだ? この小童、私より空間純度が高いはずはない。


『――――』


 ――いや……そうか……そういうことか?


『……貴様のその奇怪な技、四次元時空の代物』

「え……正解! 空間と時間が織りなす四次元。三次元の物理空間と一次元の時間。異能で三次元、魔法で一次元を補ってるの!」


 杏子の「碧」、統也の「蒼」、惟司の「菫」など可視光スペクトルに収まる空間が三次元。そこの準点である三次元を遥かに上回ることが可能な異能魔法が名瀬白愛の能力。

 彼女の展開する檻が他者から視認不可なのは、発する波長が可視光スペクトルにない「紫外線」の域に達しているからである。カオスの肉体はあくまでディアナ・ホワイトという人間であるため、紫外線領域のそれを視認識することは叶わない。

 この場でそれ成せるのは、水晶眼を持つ、また特殊な呪詛眼鏡をはずした白夜雪子ただ一人。


「なんてでけぇ檻の展開してんだよ白愛(アイツ)


 水色のポニテを揺らしながら丸眼鏡をかけ直し、独言を漏らす。


「私は見えないわよ……」

「ならあれだろ、斬撃の方も見えてないんだろ?」


 初見、カオスでさえ防げなかった不可視の斬撃。白愛が開幕に打ち込んだ不意打ちの正体は、『異能』と『魔法』を両方扱うことが可能な存在「超越演算者(アベレージオーバー)」が生んだ奇跡の攻撃『八芒星切断(ベツレヘムブレード)』。


『異能領域と魔法領域、脳内にそれぞれの演算領域を保持することで補完される、仮想の演算――超越演算。……私もぬかったか』


 通常異能者でも魔法がからっきしというわけではない。たとえば「魔法的強化」「基礎工程単一魔法」などは魔素(マギオン)や魔力の扱いさえ上達すれば、異能領域の予備部分での演算が可能な者は数多存在する。しかし情報の「改変魔法」や「属性魔法」と呼称される本質的な魔法にはその才が必要不可欠で、異能の才とは全くの別物である。


「私の攻撃はね、時間的に対象を切りつける能力で、不可視の斬撃で切った空間部分の僅か先の未来を切断できるの」


 空間方面の斬撃は『檻』の展開で十分防御可能だが、カオスは時間方面の斬撃を防御する術を持たなかった。


 白愛の異能魔法で四次元へ干渉する作法は、非属性・時間魔法術式の情報改変(一次元)と、異能『境界』の空間制御方式(三次元)による同時発動が成す四次元の改変に由来する。

 彼女の場合、先天的に異能と魔法の使い分けができず(そもそも使い分けは相当難しいため、統也は当時の理緒に魔法という技術そのものを教えなかった)、それらを無作為に同時発動してしまうため『境界』が魔法演算を異能領域に受け入れ、適応後、性質そのものが変化したと考えられている。


(びっくりだよほんと。案外早く私の技の事情を見抜かれた……)

(けどだからって何かが変わる訳でもないよね。どうせこの神様がその気になれば、私なんて瞬殺だろうし。まぁそれはこっちも同じだけど)

(瞬殺……しないってことは他に何か意図があるのかな……?)


『貴様、名は?』


 カオスは顎を突き出し、見下す姿勢は崩さずに統也の実妹に尋ねた。


「えっ……私?」

『いいから早く名乗れ。消されたいか?』


 白愛は、カオスの貫く目線から殺気や敵意が消えた事実に戸惑いながらも、


「まさか神様に真名を聞かれるとか思ってなかったけど……私の名前は、名瀬白愛」


 16歳。二級異能士(特例一級魔法士)。霞流理緒と同じ極稀な才能を持つ、超越演算者(アベレージオーバー)である彼女は言わずもがな名瀬統也の妹で、惟司の実娘である。どいうわけかそのことをカオスも知っている。


『白愛……また惟司の……。やつに直接的とはいえ力を与えたせいで、その後の異能遺伝子にここまでイレギュラーが発生するものか』

「神のくせに、天才の子は天才とかそういうふざけたことは言わないでよ? 少なくともお兄ちゃんはその評判のせいで苦しんだ。凛さんがいなかったら……」


 その兄への想いは空間の静けさに消えていく。ここで展開する話ではないとふいに思ったのだろう。


『ちなみに吐露するが、惟司は全く以って天才の部類ではない。事実“使える”やつだとは思っているが、一度でも“優れている”と思ったことはない』

「――――」

『逆に貴様だ。……分からないな。貴様なぜ今すぐに時空連続体由来の構築領域を使わない? 私が虚数空間そのものを領域としているからか?』


 この発言で白愛は「え、まじ???」と内心密かに委縮していた。


『四次元……時空間……それほどの力がありながら、それほどの潜在能力がありながら、なぜ向こうに足を踏み入れない?』

「向こう……? ああ、それは……」


 若干の俯きと共に彼女はその面に陰りを見せ、


「お兄ちゃんが世界の罪を被って、さらには自身が特級異能者だと広報して、私が派遣されるのを封じたから。いや……封じてくれたから」


 そう告げて再び正面を見据える。その心境を晒した白愛を前にカオスは何の返事もよこさない。


『――――』

「――――」


 さらには謎の沈黙が二人の間に生じる。不穏な空気を漂わせ、ついに白愛は正体不明のその「間」に困惑する。


「え、なに……? なんなの?」


 逆に気味が悪いんだけど、と白愛は心の中で思ったが決して口に出すことはない。

 その間のカオスはある種の期待を、心の内に抱いていた。そして自らの計画(プラン)の大幅な指針変更を企てるに至っていた。


 ――もし叶うなら名瀬統也。貴様に問いたい。貴様はどこまで想定していた?


『――――』


 すると何を思ったか、カオスは不気味にも口角を上げ、極上の愉悦をまぶたに浮かべ、


 ――こうなることを予見し? いいや……、


 絹糸のような肌を歪め、真珠のような瞳に邪悪を乗せ、ブロンドを潮風に靡かせた。


『そういうこと……やっとわかった』


 突然、上機嫌風味の顔で意味不明な納得を口にしたその姿は、先程の圧倒的邪悪を体現するかのような緊張感が張り詰めた、また怨念が籠った振る舞いとはまるで違った。


『ふふ、ふふふふ』


 不気味に、そして愉快に笑い、右手に蒼紫のオーラを収束させていき、黒蝶真珠のような光沢ある球体を生成する。周りには蕾のような形態のエネルギーが纏っている。

 「蒼玉」とも「青玉」とも「檻花」とも異なる、その非倫を絶する禍々しさを顕示してやまない蕾を掌で保持したまま、ゆっくりとその右手を天空へ差し出した。


『やってくれたな名瀬統也』

「え……?」


 無論この時のカオスの言動の真意を、白愛には一寸たりとも理解できない。それは当然だった。

 この世の誰にも彼女の魂胆を理解できないからだ。それは惟司でさえ把握していない事態だった。



香華(こうげ)


二藍(ふたあい)


(かさね)の色目”


 

 ただ、ここに居る全員が、この詠唱を含める神の言動と、大空へ打ち出した虚空が無意味で、何の影響も、何の効果もないものだとは微塵にも思わなかった。

 絶対的に、その一挙手一投足には意味があると。


「一体、何をする気ッ!?」


 上空の空間から生じる微々たる魔力の違和感と、異能照準の気配を素早く気取り、声を大にして叫ぶ白愛。


 だが、時は既に遅かった。


 時間に影響を及ぼせる白愛だが、奇しくも、統也のように時間を止めることは叶わないのだ。



  ◇



 丁度その折り、雪子と凛は遠くから上空の戦闘を観察していたゆえに、そのカオスの諸手から発する靄のような不穏な魔力の全体的挙動を、雰囲気を、直覚的に知覚できた。


「おい凛! アレはなんだ!?」


 雪子はそれを察知後、得体の知れない恐怖を感じざるを得なかった。それは科学者の本能と呼べたかもしれない。

 

「アレは……知ってる。一度見たことがある! 確か統也が青の境界を展開するときにも出現してた。多分……大規模な檻を展開する兆候で――」


 凛が台詞を紡ごうとした次の瞬間だった。



『――「菫」次元』



 世界全体に、到底信じられないことが起る。いや、この地球上に起ると言った方が正しいか。

 瞬く間、防ぐ暇などあるはずがない、紛う事なき一瞬の出来事。


 

 ――◆機構――



『凶星の雫』



「「なッ―――!!?」」

「これは!!!」


 ――カオスは地球全体を囲うような紫の天井を、上空に構築してゆく。


 降りる影法師が見る見るうちに拡がり、世界全体を闇で包んでゆく。

 九月の昼間だったはずの「現在」の状況は、たった今「夜間」の風景へと変貌した。


「太陽が!!」


 そうしてカオスは地球という星そのものを球殻に監禁したのだ。

 地上にいる人間は、まるで天井が展開されたと錯覚する。そして闇夜の訪れを体感できる。


 ――それは、青の境界を遥かに超えた規模を持つ、紫の境界。


 空間には三次元座標のグラフ的概念がつきものだが一番は相対位置と絶対位置の関係。もし仮に宇宙という空間の認識に絶対位置を用意し、そこに檻を展開しているのならば、地球の自転による位置変更で、地球上の系から見れば空間固定がずれてしまうことになる。

 だが名瀬家の異能はそうならない。故にそうではないと分かるだろう。

 檻はその座標系に合わせた空間を固定できる、ということである。現に「青の境界」もそういう原理で地球と自転公転を共にしている。


 よって同じく、地球を球体状に囲うように檻を展開することもできるのだ。


「次元が、規模が……桁違いだ」


 この場に居た白夜雪子は異能科学者として見地のもと、地球上の人類の中で一番早くこの状況を理学的に咀嚼したと言っても過言ではないだろう。

 焦燥の色を浮かべて泣きそうな雪子は口を開く。


「系の操作と、入射光の選別……観測や解析を単純化する用途で切り離された空間と見てまず間違いない。空の九神は、地球そのものを文字通り手中に収めた」

「は???」


 暗の中、灯りとして青い電気をばちばちと指先に収束させた凛は、その解説に動揺を隠せない。


「だから……そうだな……これより先のこの世界では、少なくともまともな日光が人間を照らすことは、もうないだろう」


 暗闇に包まれた漆黒の中、悔いるようにじいっと唇を噛み、顔を背ける雪子が青に反射した。


「なにを、いってるの……??」


 理解できず呆けている凛を見て、


「今の世界の状況を、砕いて説明してやったんだよ!!」

「意味が分からないわよ!!」

「うるせぇよ!! 私らに何かできる訳ないだろッ!! 相手は人間のレベルを遥かに超えた怪物だ!! 神だ!! 誰が、任意の点で幾何学的な超球面を実現する檻を展開できると思うんだよ!! 次元の呪いを克服するn次元ユークリッド空間からの、有限n個の実数空間の集積集合!! ふざけんな!!」


 雪子は怒った時、一般的な知識人も理解できないような難解かつ理論的な内容を口走る癖があった。


 本来ステレオ投影、立体射影の観点から、正の定曲率を持つ檻の障壁展開には異常なほど時間を要する異能原理が存在し、展開速度が異次元の統也や杏子でさえそれは同様。

 しかし、カオスのそれは例外だった。


 ――防ぐ暇などないほど速かったのだ。


 その苛立ちが、雪子と凛の心火を極大的に燃やす。不満を爆発させる。


『人類のいない時代を作る。この節を持って、その第一歩としよう』


「「「――――!!」」」


 ここにいる三人には、何もできなかった。手も足も出なかった。


 ――誰かが発見した事実。影人は基本夜に活動する。例外として昼に活動する個体がいたとしても、夜間ほどの速力はなく、またその底なしの腕力は損なわれている、と。

 ならばその闇夜を永続させれば、弱体の隙などなく影人は無尽蔵に人を襲い続け、また、増殖し続ける。

 果てに人類は滅亡するのでは、という理屈だが……カオスが現在最低限で目指すのは、影人が繁栄するための地球環境に過ぎなかった。


 なぜカオスが自らの手で世界を滅ぼさないのか――それは、その核心たる理由は、この世界では「今なお眠り続ける少女」だけが知っていた。


 雪子の危惧通り、その大空の彼方に蔓延る檻の実質的な効果は、地球上に降り注ぐ太陽光の大幅カット。故に継続される、


『永久の夜を享受するがいい。――今こそ、極夜の開幕だ』


 




いつもお読みいただきありがとうございます。 

次回、名瀬統也が出ます。茜も出ます。お楽しみに~。

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