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「命×笑顔」と「≠雷電凛」



  *(みこと)



 最強という名の夢だから、夢のように消えるのかな。

 その最強の運命(さだめ)を知りながらも、私はあなたを前へ押す。

 溢れる、この止まらない想いも、全て封じて――。


 愛さなくていいから、傍にいてほしかったの。

 ずっとずっと繋がってるんだよって、そう知っててほしかったの。

 分かってる。私は彼の最愛ではない。きっと私を思わせてはいけない。


「伊邪那美を授かった時点で分かってたのにね……」


 もっと泣けばよかった。もっと笑えばよかった――そういう後悔はある。

 

「全てが終わったら、かっこよく『馬鹿だな』って言ってよ? 『でも気にするな』って言ってよ……?」


 息を失くして倒れている統也の身体に触れた瞬間、溢れる涙が頬を伝う。

 どうして溢れるの。この涙。この想い。この気持ち。この愛。

 溢れて溢れて溢れた。


「もう、止まってよ、格好悪い」


 涙が、止まんない。どうして、止まんないの。

 ねえ、止まってよ。止まってよ。

 拭い拭い、そうしてやっと少し治まった。それでもこの想いが治まることは、決してない。


「初めてだよ。これまでの日々で、間違ってないと思えたのは」


 人生におけるこの「選択」は、この「行動」は絶対に間違ってないと、そう思える。絶対に絶対に。たとえ世界中の人がそれを否定しても。


 統也が私の笑顔を好きと言ってくれたこと。それが私の生きる道を照らしてくれた太陽だったこと。

 心の雨に傘をくれたのはあなた一人だったこと。

 愛されなくたっていいの。私はこれが欲しかっただけなの。あなたが傍にいてくれればよかったの。

 

 いつか生命の旅路が終了するその時も、私が憧れた「あなた」であることを。統也が統也であることを、祈ってる。

 そして私の笑顔を傍で……ううん、遠くで見守っててほしいの。

 だから、長生きしてね。


「あなたが好き」


 好き。好き、好き、好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き。


 ――好き。


 やっぱり、


 ――死にたくない。


「三年間、あなたにただ逢いたくて……そうやって、やっと見つけた私の最愛」


 もっと統也と笑えばよかった。

 もっと統也と泣けばよかった。

 もっと統也と抱き合えばよかった。

 もっと統也とキスしておけばよかった。


 でも、決めたことは曲げないから。

 大粒の涙が、そして最期を告げる涙が、再び落ちた――。


「さあ、起きて――私の王子様」



  *



 統也は終わりなき暗闇の中にいた。無際限の暗い闇に色彩という概念はなく、また意識という概念もない。


『私はあなたを好きになれたことが、幸せだった』


 光が見えた。それはターコイズブルー。


『最期に言いたいことがあるの。統也。私は統也に生きてほしくてこうするの。諦めてほしいわけでも、絶望してほしいわけでもない。だから約束。生きてね――』


『……異能の事はよく分からない。でも、命懸けて防いでくれたんだよね? だから私の(いのち)はあなたのものと言っても過言じゃない。……私のために頑張ってくれてありがとう。ずっと、ずっと愛してるよ――統也』


『それじゃあ。またね』



・・・・・・



(アーク)


黄泉の怒り(ラヴィータ)



  *



 どういう訳か目を覚ました。明確に覚醒し自由精神を自覚。いや、そんなはずはない。

 オレは保有マナを全て消費し、持てる技術を出し切って『糸槍』を破壊した、はず。


 そうか……オレは死んだ、のか……。

 ならここが……死後の世界?

 オレはそういう輪廻転生的な話は信じない主義なのだが。

 本当にあったんだな――死後。生体や細胞が死滅すれば意識ごと消滅して終了かと思っていた。実際現代科学の理論上ではそうなるはず。


 まあどうでもいいか。最期に(みこと)を守れた。それだけで。

 (みこと)のため(いのち)を捨てたことに、悔いはない。

 これで彼女が死ぬ未来を封じたのだから未練なくこの世を去れる。

 でも、理緒――ごめん。


 やはり数え切れないほどの後悔はあった。それでも最後、彼女のため(いのち)を捨てれたことに意味がある。


 そういう腐るほどある後悔を漁っている時、今更だが自分のことについて気付いたこと。

 オレは王だ。

 起源の起源。原初。ゼロ。最初のその姿に戻す――王。


 皮肉だよな、死に際で権能の本質を掴むなんて。


 香……権能が神々の力って言ってたな? 正直な感触、全くの別物だ。

 やはり神などという酷く曖昧で、どこまでも非科学的な存在は立証されない。


 正体は分からないが、自分の深層奥深くに隠れる“高次元なモノ”を感じた。

 胸の奥に宿る、限りなく先進的な有機生命体の気配を……感じた。ソイツを掌握した。


 その影響かは分からないが、オレの『権能』である復元能力が今、覚醒状態にある。 

 あらゆる損傷を無かったことにする力。「治す」のではなく、怪我を負う前の状態を「復元」し、そこから怪我を負わずに時間が経過した状態を実現する力。

 どう考えても物理現象じゃない、数学的原理でもない。「――」という技術を発明した人間はこれを理解していた。つまり、起源について知っていた。


 更に、起源の概念には明確な座標と軸、原点が存在する。知覚や認識はできない。おそらく人間の情報処理能力では一生解読できない視覚情報の沼。より高次元で先進した情報次元。

 人間の意識では到底理解できない高次元な存在。


 そして、権能に付随する箱。オレが見た、というより感じた「箱のような形」のものは『契約の箱(アーク)』と名付けられていた。その箱に、詠唱や演算に酷似した機能がデータ化されて詰まっているようだったが。

 権能発動の際、十二個の箱中から所定の箱を選ぶような感覚らしいな。

 おそらく使徒は皆、見えないナニカで繋がっている。その証拠に、箱を選ぶ瞬間に互いをほんの一瞬、僅かに体感することが可能だ。それが波長や気配。微細な上、感知の瞬間には消失するため、会話や干渉などはまるで不可能だが。


 オレの権能は『再構築(ダブルゼロ)』。

 死んでからその核心に触れることが叶った。

 

 浄眼で対象の情報履歴を遡り、復元時点を確認。次に対象の情報を復元し『権能』を発動、現在情報に上書き。情報の書き換えに伴い、その事象に限定して世界が上書き更改され、現在に定着する。そしてあとは世界の修復力に任せる。

 ――そういう一次式。



  *



 冷たい雨が頬に当たる感覚。ぴとぴと、と寂しく鳴り響く。

 何時間経過したか分からない。雨の中、冷え性の統也は身震いしながら上半身を起こす。ふと隣を見た。何気ない行為。頭を掻くのと何ら変わらない無意味の行為。 

 しかし、 


「は―――?」


 瞬間、雨に濡れた制服が視界に移った。昼下がりなのに闇夜かと錯覚する、それは彼が眩暈に似た感覚を覚えたせいだ。


「なん、で……」


 濡れた黒髪が、見えた。

 そして繊細な脚、端正な顔立ち、華奢な手腕、細身の体が見えた。


「なんで……」


 周囲には無数の影が残留している気配。統也の起源フェロモン、波長を遠隔察知したのか、一斉にここへ集まり始めるのも感知した。また『万里ノ碧』ではない別の結界の気配も感じる。しかし内部に玲奈達の気配はない。


「っ―――」


 統也はすぐ隣――横たわる森嶋命を視認した瞬間、体中に良くないナニカが巡るのを感じた。それは絶望かもしれないし、ただの動揺かもしれない。暫時硬直し、凝視するしかなかった。

 

「どうして――」


 ――死んでる?と声に出すつもりが掠れて発声は叶わなかった。

 何が起こったか理解できないというより、理解するより前に絶望が滞り、意識水準が落ちる感覚。


「みこと……」


 あまりにも理解不能、受け入れきれない。

 分かっていても瞳を蒼めて確認し否定したい。しかしその行為はむしろ残酷に走り、図らずも確定宣告となってしまった。


「みこと……!」


 血流ももはや巡ってはいない。生命活動の停止をこの世の誰よりも早く、かつ正確に感知できる浄眼の統也。

 彼女に脈拍はない。脳波も感じない。心停止、脳死……生物としての不可逆的な停止が今、目の前にある。相当前に(いのち)を落としたと分かる。どの情報も(みこと)の夭折を示す。

 そう、間違いない。(みこと)は――、


「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ」


 どうしてこうなった? 自問する統也は無情な現状から逃げたくなった。いや、叶うなら世界から逃げたくなった。

 心の底から湧き上がるどす黒い制御不能な感情が体中に這い回る。


「みことぉ……っ!!」


 温度を失った身体に触れ、何度も揺するがその行動に意味などない。

 人工呼吸を、心臓マッサージを試みる。心臓部、鼠径部に存在するマナ回路系を数度刺激し、異能界におけるもっとも有効的と思われる蘇生術を何度も試すがしかし――、


「ああ……そうか……」


 ――そもそもオレは何故に生きてるんだ?

 目の前にある悪夢とその異常性に気を取られ、真っ先に気付くべき事柄を無視していた。

 何故自分は息をしている? 逆に命は何故息をしていない?

 これは望んだ結果とはかけ離れている。むしろ逆転している。

 彼は『糸槍』無効化のために異能詠唱を行使して命を助けた。その際に全てを捨てたはず。


「どうしてだ……」


 どうして――統也の脳内を埋め尽くす四文字はそれから数分間も永続し、


「どうしてぇぇぇぇええ! オレが何をしたぁぁぁああ! 一体何をしたって言うんだぁああ!?」


 雨を振り落とす灰色の空への叫びはやがて止まった。


『好き』

「―――――」


 それは記憶を遡り、天使のような美声を思い出したから。優しく澄んだその声を、記憶の奥底で呼び起こしたから。


『私の(いのち)はあなたのものと言っても過言じゃない。私のために頑張ってくれてありがとう。ずっとずっと愛してるよ、統也』


 彼女はその美しい顔立ちに「いのち」を乗せ、笑っていた。

 ――綺麗。


「やめろぉっ!」


 誰が見ても綺麗で、どうしようもないほど綺麗、否定しようもない綺麗な笑顔。


『それじゃあ。またね』

「やめろぉぉぉぉぉぉおおお」


 彼女の薄く赤らめた頬に、涙はある。しかしこの世に存在するのかも疑われるような、屈託のない満面の笑みを魅せた。

 そして――逝った。



  *



「うおおおおおおおおおおおうううおおおおおおおおおおおおおおおお」


 (みこと)の死を、現実を悟った統也は鉛のように重い空から降ってくる雨に向かい叫んだ。

 彼は膝を折りながら(みこと)を抱きかかえ、涙か雨か分からない水を頬から流す。ぐちゃぐちゃになり、外見も感情も煩雑な闇に混じる。濡れる髪、濡れる全身にすべてを流してしまいたいという抑えようもない衝動に駆られた。


(いのち)を捧げてくれた君に、何一つ返せないまま……」


 どうして。どうしてこんなに報われない。どうしてこんなに失う。どうしてこんなに果たせない。どうして――。

 彼は考えることを放棄して尚その思考にすべてのリソースを割く。


「君はオレの人生を変えてくれた。君の笑顔を見ているだけで心が安らいだ……。そんな君は色々なものを与えてくれた。幸せという感情、使命という呪縛から解放してくれた。こんな醜いオレに王様だと言ってくれた」


 そうして統也の苦痛は雨の落下に逆行し大空へ木霊する。それは正しく彼の辛酸を喚く。


「でも……! オレは君に何をしたんだ! オレは君に何をあげれたんだ! なぁ……命! 君は最期でもなお笑顔で逝った、優しく言った、『またね』って! 一体何がそんなに嬉しかったんだ!? みことぉ! どうしてオレなんだ! どうしてオレを助けた……っ!! どうして!! どうして!! どうしてぇぇぇぇえええ!!」


 命の権能『黄泉の怒り(ラヴィータ)』――その能力は、自分の生命力を引き換えにする他者の完全蘇生。


 生命活動停止という不可逆性を覆す最高権能(プライム)。自らを代償にかけた、死という絶対事象を、生という可変事象に変更する最高峰の権能。

 伏見旬は学生時代、美音に蘇生され見たこの過程を基に「事象逆転」のイザナミ術式を完成させたという。


 細胞を一つとっても、人類が作り出したいかなる精密機械や建造物なども遥かに超えるほどの恐るべき精密さを備えている。それ故人類は無生物から生命を作り出せたことは一度もない。

 そんな細胞が60兆個も集まっている人体を蘇生するなど、途方もない事であり、人類には見果てぬ夢。しかれどそれを事象へ干渉して実現する正に神の力が存在するのだ。


 そう、彼女の名前の通り、「命」を交換する神業――。



  *



「あ……っ……」


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も失敗し、挫折を味わい、それでも君のために立ち上がったつもりだった。

 なのに。


 もう、何も考えたくない。もう、立ち直れない。

 もう、駄目だ。もう、いい。

 もう――。


 オレは何度も地面を殴りつける。皮膚がめくれ拳から血が垂れるまで、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 理緒を失い、命を失い、茜に八つ当たりし、捨てられ、見放され、今のオレに何がある?

 茜には、オレと関わって危険な思いをしてほしくないがための突き放す意味はあった。

 でも、そうだ。今更オレは何をしたって意味などない。

 無力の自分に何が残る? こんな塵のような男に。オレは何もできない糞野郎なんだ。


「命……どうしてオレを助けた?」


 オレは命を抱きかかえ、彼女に問うが当然返事は返ってこない。彼女が帰って来るなら、オレは何でもする。でも、それは叶わない。

 オレは正真正銘その大切な二人、どちらも守り通せなかった、本当にどうしようもない奴なんだ。


「理緒、命……お前らに会いたい。声が、聞きたい……。理緒にまた無理やり手を繋いで欲しい。命にまた優しく笑って欲しい。お前らに、もう一度でいいから、会いたい……!」


 こんなになっても、オレは安らぎを君らに求めるんだ。最低以外の何者でもない。

 すまない。オレがこんなだから二人は死んだ。オレがこんなんだから誰も守れなかった。


 がた、と鈍い音がした。

 丁度その時、正面から影人の大群が押寄せるのが見えた。その数は数えるだけ無駄なほどに多い。後ろも左右も、完全に影に囲まれた。獲物を見る赤い目でこちらを見つめている。

 先頭の数体がすぐそこまで迫ってくるが、オレはこの場から動くことはないだろう。

 両膝を床につけたまま脱力する。虚無感のままに全身のマナを抜く。


「もう、いい―――」


 このまま死のう。影に何をされたっていい。どうせ屑が蹂躙されるだけだ。

 何が出来る訳でもない。何か偉業を残せる訳でもない。ただの、大きな害虫だ。オレはこの世界に要らなかったんだよ。諜報潜入官(アドバンサー)として日々も、今まで繰り返してきた救助活動も、全部。要らなかった。

 

「これで君と一緒に死ねる」


 そう言って彼女の柔い頬、しかし冷たい皮膚に触れ優しく撫でたのち、強く抱いた。

 凛、ディアナ、茜、さようならだ。

 オレはこのまま死を受け入れるだろう。


「糞みたいな人生だった―――」


 理緒も命も、オレのせいで死んだ。


「今からどんな顔して会いに行けばいい? ……いや、お前らは天国、オレは地獄か……」


 軍隊のように一歩ずつ近寄ってくる影人。徐々に黒い円が収集し、追い込み漁のように追い詰められる。といってもオレは動かないが。

 絶好の獲物を狙って、こちらをぎらりと光る赤い眼光で見据えている。

 ああ、もう死ねる。自由になれる。楽になれる。全てを捨てられる。すべてを諦められる。


「――死ねよ」


 自らを罵倒すると少しだけ気分がいい。


「無力な特級が。……特級? 何が特級なんだよ。何も特別じゃない、オレは死ねばいい存在だった。死ねばすべてが解決する。オレがいたせいで何人死んだ?」


 理緒、命、その他大勢が死んでいった。


「……一体何が強いんだ? たった二人さえ守れない男の一体何が強いんだ? はははっ……馬鹿だ。オレは大馬鹿だ」


 卑下する内容を言ってる最中、影人のうち一体が瞬速のような俊敏さで間合いを詰め、オレの身体にナイフを入れようとしてくる。

 そうか――このナイフが胴体に刺さるのを待てば、オレは死ねる。ようやっと死ねる。

 長い、長い絶望だった。悪夢だった。たとえ翠蘭から見たら刹那でも、オレには永遠のような悪夢だった。

 ナイフと胴体の距離、10センチ。5センチ。2センチ。


「…………」


 そうして下を向いていた時、視界の端に黒いマフラーが見えた。オレの首に巻かれた黒いマフラーが解けて落ちていた。


『だから統也、生きて――』


『絶対に、生きて――』


『だから約束。生きてね――』


 理緒、茜、命……これが走馬灯? だとしたら薄いな。オレという個人がどれだけ君らに救われていたかが分かる。どれだけ君らに依存し、そうして愛されていたかが分かる。そんな支えに気付いていながら――。

 いや、もういいか、なんでも。


 そして、すまない。理緒、茜、命。

 ――それは無理だ。


 生きる意味を、感じない。そんなことをして、何の意味があるのか理解できない。

 君らのいない世界で生きる意味なんて、今のオレにはない。

 その絶望感、虚無感に打ちひしがれて全てを諦めるさ中、


「――や――――!」


 遠方から、どこからともなく聞こえる声。どこかで聞いたことのあるような透き通る声が儚く消えた。

 気のせいか……こんな影人塗れの地帯で人の声が聞けるはずないだろ。

 いよいよ幻聴かと思ったが、その刹那、目の前にいた影人は謎の落雷により焼き殺される。

 

 寸前だった。あと少し手前にズレていればオレも焼き死んでいた。

 だが、別になんでもいい。もうどうなろうと関係ない。

 落雷に焼かれようと、影に蹂躙されようと、どうでもいい。全てがどうでもいい。

 オレは無力感の末、命を寝かせ、再び俯いた。



  *



 雷鳴と共に電雨が降りしきるため、冷え性というSEを持つ統也の余熱は容赦なく奪われてゆく。

 しばらく俯いていた彼は、重苦しい雨の音をひたすらに聞いた。


「――――」


 死を待つ彼にとって、待望した落雷も、渇望した影人のナイフも直撃しないこの状況の持続は絶望でしかなかった。無心でただただ、その最期の時が来るのを待つ。


「――――」


 しかし唐突、雨水が彼の頭に当たらなくなった。

 意味不明、何故かと思い、ゆっくり視点を斜め上へ移動。その過程で真っ先に視認できたのは、地に足つくハイヒール。


 ――女性?


 次に視認したのは、黒い傘の持ち手にぶら下がる赤い花のストラップ。統也の脳裏に浮かぶのはツインテールと敬語の低身長、高架下でそれを渡された記憶。

 これは、


「すず――」


 ――ね、と言おうとしたが、あり得ない。入院して植物状態、ここに居るはずもない。そもそも貰った折り畳み傘は自宅の隅に置いてある。というか影人の大群の中を平気で傘を差せるなぞも、様々な理由からあり得ない。

 影人はどうした? 結界はどうした? その考えが、益々その女性の顔を確認しようと躍起にさせた。


 曇り空は然り。だが重たい雨は――たった今止んだ。それ故か、彼女は丁度傘を畳む。ばさ、と水を落とし、背にしまう流れるような動き。

 統也はその束の間、女性が持つ腰までの黒髪に目を映すが、直後、


「あ―――?」


 雲の隙間から射す陽光に当てられ、逆光の影響で彼女の顔を明視できないが目の前に現れた女性が誰か、統也には一目でわかった。眼がいい統也だからこそ、その顔付きさえ確かめずに保有マナの性質だけで断定できたのだ。


「凛?」


 ――ありえない。なぜ、ここに。

 彼の情報処理は混迷を極めた。彼女がオリジン社の軍帽並びに軍服を身に纏っている事実や、周囲に迫っていた影人およそ200体が全て討伐されていることなど二の次で、


「の偽物……?」


 そう口にした次の瞬間、地平線の赤に浮かぶシルエットしか見えなくとも、統也の呟きに対し彼女が顔を歪めるのが分かった。

 しかし今の統也は目の前の凛を気遣う余裕などないほどに、とにかく動転している。


「情報系の仮装魔法……? 変身の異能術式……?」


 多種多様な可能性にも関わらず、統也の頭蓋内部は否定で埋まった。


「いや、」


 どれも「上書き」を基本工程とする高等な情報系能力で、浄眼を前にこれらを誤魔化すことなど不可能だと統也自身がよく理解している。

 数多の思考を混ぜ込み、そうして辿り着く結論は、やはり―――、


「本物の凛……なのか?」


 それでもなお正面より対峙する凛は、一言も発することはなかった。

 彼女は答えが出るまで、一途に待っているのだ。


 しかしこの時の統也にはまた異なる見解もあった。凛がここに居るはずがないと。あり得ないと。それは、禁忌の壁を越えるに等しい。

 やはり凛ではな―――、


 女性背景の光芒が雲に隠れた関係で忽ち逆光が収まり、彼女の面相がついに見え始め、統也はその頭頂から顎先までを確認した。いや、確認するまでもなかった。


「――――」


 結論――雷電凛だ。

 この顔は凛のものだ。間違えるはずもない。切れ長の目も、精彩を放つ猫顔も、水流のような黒髪も、全部凛本人の端麗な顔であることの何よりの証左だ。


「…………」


 だがしかし、それでもなお駐在する違和感。

 統也の内心には、彼女の顔が雷電凛のものであるという絶対的な確信と保証があるのだ。

 しかしそれを真正面から否定するたった一つの要素。それは、眼前に佇む彼女の――面持ちだった。

 凛はこんな、どこかシックで凛々しい表情はしない。悪く言えばこんな大人びていない。

 今だから分かる。一年以上、数多の人と接した今だからこそ、その差をはっきり言い切れる。


「お前……誰だ……?」


 統也は喉からの低い声で、深い思考もせずその疑問をストレートに投げ付けた。

 全てがどうでも良かった今、本来重い質問でも軽く投げることができた。苦汁を嘗め、そして人生さえ諦めたのだから。

 それでも今、ここに凛を騙る紛い物が居る事実は看過できない。どうしようもなく彼の心が揺さぶられる。


「お前は誰だ……! 凛じゃないだろっ」

「…………」


 それでもやはり彼女は無言を貫く。たとえどんなに無価値で生産性がないと理解していても、土台無理と、そんな神通力はないと心得ていても……それでも……淡い願望であろうと彼女は直向きに待ち続ける。


「オレの浄眼()に映る全ての情報は“お前が雷電凛である”とそう告げ口している」


 総じて客観的外観も――容貌、容姿、瞳の紅も凛そのもの。苦楽を共に過ごした統也でなくとも、彼女が雷電凛であるとそう断言するだろう。そして解析眼の蒼き瞳をフィルターとしても、それは変わらないのだ。


「肉体設計……遺伝情報……異能領域……マナ回路……全てだ。だが…………」


 虚空へと消えた統也の声は、残存する微かな情緒と共に放出される。


「――オレの心が! オレの経験がそれを否定する! お前は誰だぁ……っ!」


 その低声は空気を震えさせるに至る、想いの咆哮。しばらく二人の間に静寂が訪れる。

 すると悲しげに微笑を浮かべる佳人は、初めてその艶やかな唇を動かした。


「誰だと思う?」


 直後、目を見張る統也の脳内に溢れる一年半の記憶。その澄んだ声を聞き、統也は脳に電撃を浴びるような感覚を受けた。

 たったその透明感のある声を聞いただけで、この人が誰か確信したのだ。間違いないと、そう思えたのだ。

 ――この澄み透った美声は、まさか。


「君は――」


 やっと気付いた統也に、彼女は待った甲斐があったと思う。

 情報は纏まらず支離滅裂であるが、統也は確証を得た。


「――あかね。……天霧茜か」


 その一言をもって、この命題に終止符が打たれる。


 彼女は相変わらず微笑に悲しさのような感情を滲ませつつも、そこはかとなく嬉しそうに首を傾げ、言った。


「――『正解』。気付くの、遅いよ」





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