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開口



「あれ……うちは……何を……っ」

「起きたか、栞……」


 青色透明の壁の中、自らの状況を問う栞の姿。それに反応する香。


「香くん……。栞……うそでしょっ……。うそ、だよね……」


 命はむせ返りながら必死に首を振るが、現実を受け取めることは叶わなかった。さらに二歩三歩と後ずさり、とうとう後ろの瓦礫にぶつかる。

 それでも尚彼女は首を振る。大粒の涙を落としながら。


「違うよ……うん違う……違うよ……これはきっと……他人の空似だ……」

「いや……香と栞だ。間違いない。オレの浄眼()が、そう言ってる」


 統也は、俯き加減に前髪で目線を隠した。それは悔しさからか、自らを呪ったのか、世界を呪ったのか。異能という力、浄眼という王の奇跡を以てしても何も見抜けていないことに対する不甲斐なさか。統也は何かを噛みしめる時、または集中する時、冷静になりたい時にこうする癖があった。 


(そうか、初めて会った時。あの時。香は、オレが地主の家かどうかを聞きたかったんじゃなくて、本物の名瀬一族かどうかを確認したかっただけだったんだな)


 異能界では東北海州の大地主は名瀬家。異能家名瀬だ。


「香……お前、何か弁明はあるか?」

「そんなの……ねぇよ」


 ぶっきらぼうでもなく、深い感情もなく告げた。しかし後ろめたさか、目線を逸らす。


「そうか……」


 今度、統也は栞を見た。しかし栞は辺りを見渡し、


「なに……うち、なんでこんな所にいるのっ? なにこれなにこれ、うち……何かしたっ?」


 その混乱ぶりは、この場をさらに混乱へと導く台詞だった。

 しかし統也の目には、それが演技に見えなかったのだ。


「香、黙って見てないでどうにかしてやれよ」


 窘めるふうでもなく言う統也は続けて、


「どうせ、自責の念か何かに押し潰されて心が分離したんだろ? 解離性同一性障害――二重人格ってところか」


 実は、これではないかと統也は気付いていた。この可能性だけは察知していたのだ。

 以前、何かに深く悩む栞の姿、香の反応を見るに、記憶の齟齬も発生しているようだった。

 つまり、解離性健忘の類か、と。


 二人が何かを隠していることまでは、なんとなく。

 しかし恋愛事情や友人関係といった、全く無関係路線のものだと信じて疑わなかった。

 

 大量の荒れた息を吐く命の差し置いて、


「すげーな。そんなこと見てすぐに分かるのか。統也、お前はやっぱり天才だな」


 変に微笑みながら語る香に、多少の虫唾が走った。


「黙れ。口を閉じろ。お前たちが今まで何人を殺してきたか、自覚はあるのか?」

「無い――仮にもそんな事ある訳ないだろ。無いわけない……俺たちは大量殺人鬼だ。今更その事実は覆らない」


 今まで見てきた香とはまるで別人の男子を見て、その淡々と語る姿を見て、命はさらに息を荒らしていく。肩を大きく揺らし、ぜいぜいと喘ぎ、溢れる悲しさを必死に抑えようとする。


「みんなっ、何の話を……?」


 栞はそう呟く。


「栞、起きろ―――“他律滅却”――!」


 香が恫喝すると瞬間、その変化は俄に訪れた。入れ替わったように栞の表情が変わる。心なしか目の色が変わったように統也には感じた。


「は……? なに……これは……? 青い『檻』……の中……ああそうか。うちら、負けたんだね……」


 それを見定める統也にはどちらが本当の栞なのか、分からなかった。さっきの栞と、こっちの栞。


「うん、正直成す術なくやられちまった。やっぱり統也、お前は紛れもない最強だ」


 香は、何かを諦めたように統也の目を見た。その蒼き瞳を、紛れもない敬意と共に覗き込んだ。 

 その自らの最期を悟ったような優しめの口調を聞いて、統也は不快感に顔を歪めるしかなかった。


「お前らなぁ……」


 それでも統也は怒る気力も、これ以上絶望する気力も無かった。そこで台詞は自然と止まる。

 すると何を思ったか、咽喘ぐ命を見て、


「みこと……」


 栞は涙を目に溜めてそう呟く。


「は?」


 その涙は、統也にとっては不可解でしかない。統也は目付きこそ変えないが、口調を鋭くした。


「お前ら、何を被害者面してるんだ? お前らのせいで何人が死んだ? なあ、答えろよ。お前ら、円山事変の時も、ダークテリトリー調査の時も、今回も……何人殺した?」


 これだけの殺戮に血と涙を流し犠牲を払いながら人を殺め続け、加害者から出たものが弁明でも純粋な謝罪でもなく――涙。

 

「そんなの……数えてねぇよ」

「うちだって、やりたくてこんなことしてるわけじゃない……」


 罪の意識は在っただろう、そんなことは彼らの苦しみに歪む表情を見れば統也にも命にも分かる。だが、それは違うだろと統也は思う。


「はぁ……? それは……」


 それは、分かっているのだ。

 統也には全て分かっているのだ。

 彼らが、何に苦しんでいるのか。何故これほど悪逆非道の限りを尽くすのか。したくもない、望んでもいない大量殺人を続けるのか。皆殺しを目指すのか。

 ――全て。

 

 というより、『諜報潜入官(アドバンサー)』はむしろ彼らと同じ立場でなくてはならない。血に染まった道を歩まなければいけない。いっそ雹理、杏子が正しいのだ。

 それを捻じ曲げているのは、他でもない統也自身。だからこそ、その統也に、その思想に寄り添えた茜は統也の理解者として在れた。普通の任務とは路線が異なっていても彼を支え続けたことに意義があった。


「お前らが間違ってるとは……言わない」


 否、言えない。

 それでも尚統也の心にずっと引っかかり続けているもの。

 刀果、リア、式夜、舞、真昼、雫。

 理緒。

 死んだ人間が返ってこないことくらい重々理解している。それが本当の意味で罪に問われないことも。

 でも、納得は、できない。

 

「そうだ、そもそもお前らは今まで何をやっていた? (みこと)は――目標は、すぐそばに居ただろ。一年以上お前達と、学校で――オレよりも長い期間を共に過ごしていたはずだ。その間、お前達は何をやっていた?」


 そう、殺すだけで良かった。きっと脅威・名瀬統也と呼ばれる特級異能者が来る前に、いや、来てからでも。みことの命を奪うのは、別に難しくなかったはずだ。


「…………」

「無言じゃわからないだろ。何か言えよ。なあ? 何か言ったらどうだ」

「…………」


 蒼い透明バリアを通して対峙する香、栞は俯くばかりで表情を変えない。

 すると命が統也の肩に触れ、


「もう……いいよ統也くん。もう……やめよう……こんな……こんなこと……意味ない……意味ないよ」

「いや、意味はある。コイツらが、どうして(みこと)をすぐに襲撃しなかったのか。どうしてすぐに大輝を回収しなかったのか。問い詰めることに、意味はある」


 思考中、統也はさらに連鎖反応のように次々に理解を得た。


(そうか。秀成高校のクラス配属。理系文系で決定するため容易にコントロールできる。(みこと)の監視に栞を置き、大輝の監視に香を置いていたのか……)


「…………」


(そうしてオレたちは出会った。互いに監視という役目を持ち、しかし相反する目的を持って)


 香はばつが悪そうに目線を逸らし始め、栞は頬を濡らし始める。

 その時、糸影である青年は一言、ポツリと告げた。


「――好きになったんだ」


「は?」


 ――スキニナッタンダ。


 それは乾いた布に落とされた水滴のように、場違いの様相を醸す。

 香は、告げた。好きになったと。

 森嶋命へ。自分達が抹殺すべき対象へ。


「ぇ……」


 その命の声は、もはや声ではなかった。限界までかすれ、空気に消えた。

 統也もその言葉の意味、その告白の意味をしばらく消化できなかった。 


 騙すのは辛かったんだ、苦しかったんだ。今、全てを手放せると心のどこかで開放感に似た何かを抱いたのか香はおもむろに口を開く。


「俺らは雹理に助けてもらった身だ」

「は―――?」


 脈絡を無視した会話の連続で戸惑う統也は眉間に皺を寄せる。


「統也、アドバンサーのお前なら知ってるんだろ。発生原因、転換原因は分からなくても、人知れず人間が影人に変化する、その条件くらい」

「…………」


 命の手前、統也は何も言わなかったが、それが逆に肯定を示す。


「栞の家族も、俺の家族も皆、影人化した。それも目の前でな。そうやって残された孤児は一杯いる。雫も音芽もその一人だ。そんな俺達を……雹理、彼は救ってくれた。未来も、何も見えない、暗闇から救ってくれた。温かい寝床、食事、必要とされているって満足も、生きる意味も与えてくれた。だから、選択肢なんてないんだよ俺たちには」


「――――」


「でも、ある時……偶々か因果か知らないが、とある国立の高校に起源『魅了』と、桃山陽子から行方不明になっていた『焔』特別紫紺石が二つ揃うっていう奇跡が起きた。当時の潜入計画では音芽が行く予定だったが、旬との戦闘で大打撃を受けていた彼女はしばらく休暇時期に入った。だから俺と栞が行ったんだよ」


 命の方を見て、


「一目で分かったよ、この子だ。この子が起源『魅了』を持つ女子生徒、森嶋命だって。なんせ俺は、見た瞬間から彼女に魅かれ、好きになっていた。正真正銘恋をしていた。多分、栞も同じだっただろうな」


 統也はしかめっ面をする。内容にではなく、起源という言葉に対して。

 脳に軽い電撃が加えられたような、そんな錯覚を起こしていたのだ。


「……意味わかんないって思うか? でもな、普通、魅了されて彼女には攻撃できないんだ。三宮家の襲撃、デパートで爆発した事件の時、(みこと)すれすれで殺さないようにしてたように見えたかもしれないが、あれは、敵意が跳ね返されていただけだ。善が(みこと)を殺せそうだったのは、あいつはそう言った因子をマナとかひっくるめて全て乱す特異体質だからだ。普通は命を殺そうとしても、おそらく強い情動とかを以て殺意を向けないと跳ね返される。特殊な“禁忌”っていうルールみたいなものだ。俺と栞みたいに……軽はずみに命を好きになるような奴は、彼女を殺せないし、傷一つ付けられない。……付けちゃいけないんだ」


 命は自分を殺すかどうかというリアルで残酷な会話に耳を塞ぐ。もう何も聞きたくない、と。


「いいや……それも言い訳かもなぁ。俺達はずっと、音芽、雫と話してるときにしか本当の意味で笑えなかった。でも、命といるときは、不思議と笑えたんだ。心の底から。……彼女の、全てを幸せにするような笑顔を見ていると、自分がやってる事全てが肯定された気がしたんだ。命と大輝の諜報活動をしているうちに、知らず知らず俺と栞の想いは重くなっていった。命の存在が限りなく大きくなっていった」


 抹殺対象に恋をした不覚、そのジレンマ。香は悲しげに苦笑を漏らす。

 その沈んだ面持ちを見つめる統也にも、何が正しいことなのか分からなくなってきていた。


 統也はここに来て沢山の人物と出会い、自らの思想の変化と共に決意してきた。皆殺しという無意味な手段ではなく、もっと他の道を模索できるならば、と。

 それは、ここの人に少なからず情が湧いたから。

 冷めた統也の心はここで、少しずつだが確実に人間性を獲得していたから。


 その病んだ思考を抑えるために、かぶりを振りながら、


「……さっきの『起源』とはなんだ?」


 気になったことを尋ねたが、起源という言葉を発した瞬間、訪れた頭痛。それは激痛であり統也の顔を容易に歪ませた。


「ん―――ッ」

「大丈夫? 統也くん!」


 しかし香はその様子を不思議そうに見るわけでもなく、もしくは単に待つのが面倒でか、告白を続けた。


「影人である俺達にとっては、波長とフェロモンだけで起源持ちかどうかはすぐに判定できる。統也、お前もすぐに分かったよ。起源を有する人間だと」


「――――」


「だから四月の下旬、統也と命と引き合わせてみた。起源接触っていって意味のある儀式なんだが、命が泣くだけでお前には何も起こらなかった」


「――――」


 統也は耐え難い頭痛に耐えるという一種の矛盾を孕みながらも、香の告白に耳を傾けた。

 その洪水のように流れる情報に。


「名瀬一族の強さを確かめようとして、里緒が居た討伐任務に紛れてお前の戦闘力を測った時もあった。あんときゃまだ楽しかったよ」


 統也の脳裏を駆け巡るゴールデンウィーク初日の記憶。それは統也が理緒と初めて出会った日。

 

「E級区画でのやつは雹理の指示でな。どの程度実力を披露するか確認しろと。あんときは統也もまだ、実力隠してたみてぇだが。まだ俺も『糸』の感覚を掴めなくて……。器用な栞はすぐに『霜』を習得したのにな……」  


「――――」

 

「大輝に関しても。お前の監視のせいで、更にお前の的確な助言のせいで、護衛強化なんてものじゃない。特別紫紺石奪取は遠のいた。んでも一度だけ、大輝を狙ったことはある。豊平川沿い。去年の夏。その時は大輝が急に影人化して暴走……おかげで作戦はめちゃくちゃ。しかも運悪く、ってよりか予め準備してたのか知らないが、そのあと統也と里緒、翠蘭がその場にお出ましだ。俺はその時、影人化制限時間が尽きてたから離脱する他なかった。変わりに栞が大輝の回収に行ったが案の定上手くいかなかった。むしろ統也にフルボッコにされて、捕獲されて……。以来余計に大輝の監視や統也らの探知呪詛が増えて……」


「今までのお前らの行動なんてどうでもいい。全て知ってる。その目的も凡そ理解してる。もっと別のことを話せ。起源とはなんだ? 権能とは別物なのか?」

「だから全部話してるだろ……。俺たちが知ってる事、全部……」

「このままだと朝までかかりそうだが?」


 順次、何をしたか説明してる時間はないと、皮肉った言葉を吐く。 


「なぁ統也……どうせ俺らを殺すつもりなんだろ?」


 だから少しくらいなら長話したっていいじゃないか、と香は言いたげ。


「……ああ。殺す」

 

 躊躇いはあったのか、それは誰にも分からない。統也にしか。いや、彼自身にも分からないのかもしれない。


「――――ッ」


 命はそれを聞き、しゃくりあげる。

 彼らのしたことを考えれば、また『万里ノ碧』内部に監禁されているという現在状況を鑑みれば妥当。それは彼女にも分かっていた。


「ふ、統也……お前は何も変わらないな。ま、別に怨んでねぇよ。仕方ないのは、分かってる。俺たちがしたことに比べれば……それで苦しんだ人間に比べれば、俺のは一瞬の痛みだ」


 混濁した気持ちを押し殺すような表情を見せた彼に続き、


「うん……そうだね。それに、うちらはどっちみち死ぬ。後始末として埋め込まれてる、雹理の『赫血晶』で」


 ここまで黙っていた栞が口を挟んだ。その赫血晶は以前神崎雫が受けた血液を結晶化させ得る特殊な『霜』の術式。体内奥深くに埋め込まれているため摘出は不可能だろう。


「とーや……うちらの特別紫紺石は二番出口前の壁に埋まってる。最初壁に穴を開けた時、うちの『吸水晶』と一緒に……。先に壊したいなら、好きにして。結果は変わらない」


 それを黙って聞いた。統也は雫の時のようになるのは避けたかった。彼らの気持ちを蔑ろにしたい訳じゃないが、気を配っている余裕はないのだ。


「今際の際に悪いが……起源とは何だ? せめてそれだけは……答えてもらう」

「起源は、要するにシステム。このちっぽけな世界で異能を制御するためにある機構。神々の力で、異能の普遍性、不都合を調整するためにある、らしい。俺らも詳細を知ってるわけじゃない。知りたきゃ、雷鳴村にでも行けよ。こっち側の、な」


「雷鳴村か……」


 その呟きを無視して、


「起源は、主にレッテル。権能はそのレッテルを達成するために人々へ与えられた能力の事だ。たとえば命は『魅了』という起源を持つが、権能は未だ不明。彼女自身は知ってるだろうけどよ」


 そう言って命の顔を見るが、彼女は何故か申し訳なさそうに顔を背けた。

 つまり、彼女は自らの起源が何かを明確に自覚しているのだ。


「歌姫でお馴染みヴィオラ・ソルヴィノは起源『歌』で、権能は『万能』。シャルロットは起源『記憶』で、権能は『記憶の旋律』」


 それが嘘であれ事実であれ、統也は納得するしかなかった。


「これ以上は俺の口では説明できない。少なくとも今すぐに、はいこれですと提示できるような簡単な内容ではないし。権能も起源も全て“因果”で繋がっている」

「それは……どういう意味だ?」


「繋がってるっつっても、起源がこれだから権能がこれだと確定する例は少ない。『歌』とか『不死』とか、あるにはあるが…………統也は『創造』か『構築』系の権能だろ? ま、そういう風に凡そ推測できるのもいる。……以上だ。それ以外のことは本当に知らない。そもそも知らされてない」


 多分本当だろうと思う統也。

 否、正確には、この言葉だけは本当だと信じたかったのだ。

 たとえ今までの香や栞との一年半のやり取りが、友達としての思い出が、虚偽であっても。

 彼らとの生活がどんな嘘に塗り固められていようと。


「まぁだからなんだという話でもないけどよ……。異能士の連中は皆、俺達を生け捕りにして情報を吐かせようとしてたんだろうがな、統也……お前が全部話せばいいだけだろ? 今話した以外の情報は、全部お前も知ってる――ケージの外の話だ。……な?」

「…………」


 それを受け、統也は沈黙するしかなかった。


「ほら、殺すなら殺せ。統也に殺されるなら、悪くない最期だ」

「うん、とーやなら……」


 下を向く統也はマフラーを解き、会場の壁に埋め込まれている特別紫紺石――若干白みがかっているアメジスト、赤みがっているアメジスト――を浄眼で探し出し、ついに片手に取る。

 それは、剥き出しになった弱点。剥き出しになった、二つのいのち。


「香、栞…………言い残す事はあるか?」


 その真摯な問いに、栞は最後の口を開いた。


「……うちは、死んだお兄ちゃんを助けたかった。九神の光という奇跡がれば、それが可能だと雹理に唆された。でもね、本当は分かってた。そんなこと無理だって。結局……沢山殺した。沢山壊した。そうやって自分は自分を捨てた。毎日記憶の齟齬を持ちながらも、インナーを滅ぼすために、生きた。でも。それでも…………うちは……統也が好きだった。勿論、みことも大好き……それは嘘じゃないから」

 

 それが、彼女の葛藤。彼女の心を分裂させた原因。好きな人を殺す任務に身を置く、彼女の運命。

 広がっていく現実という無情のエントロピーを受け止めきれなかった。


 それをまじかで聞いた命は弱い自分とケジメをつけたのか、涙を手首で拭き、栞の『檻』に近寄る。そうしてその透明な壁に手を合わせる。


「栞がやったことは許されない。でも、私も栞が好きだった……。これから世界がどうなろうと、この事実は変わらない」

「んっ……ありがと……」


 場違いな微笑は綺麗に。儚く、そして虚ろに。


「香、お前は?」

「――ねぇよ。ただ統也……お前は死ぬなよ。影人には負けてもいい。でも自分に――。それと、世界の理不尽に、記憶に、負けるなよ」


 それが二人の、最期の言葉だった。




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