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永遠のギア




  *



 オレは何をやっていたんだ。

 一体、何を。


「里緒―――」


 完全に安心しきっていた。里緒はもう大丈夫だと。

 心の深層のどこかでは、オレに並べる存在だと。


 そんなうわべの、一時の充足感に安堵している暇などなかったのに。

 守るべきは(みこと)だけだと、そう信じて疑わなかった。


「―――――」


 命はオレの『檻』に監禁し守っている。結界内の影人はまだ生存しているようだが、結界内外の人口均衡が崩れたせいで、ほとんど一般影人が外側へ向かっている。約半径300メートル先の結界の壁に吸い寄せられている。

 多分、今この結界内は「安全」に限りなく近い。


「里緒―――」


 核爆発した際の爆風に巻き込まれたか? 

 いや、それはない。彼女には領域構築という波導防壁の「盾」がある。

 それを突破できる要因……


 この場に霊体系術式の使用者はいなかった。つまり陸斗の波導しかない……そう言えばヤツの気配がほとんど感じられない。

 相打ちだった、か――

 

 あの時殺していれば――


「里緒―――」


 こんなに衰弱するほど……


「里緒」


 死なせない。


「里緒」


 絶対に。


「里緒」


 助けてみせる。



  *



 その暗闇――崩れた瓦礫の中、点々と陥没した道路の下に到着した瞬間――立ち尽くした。


「―――」


 この時オレの心身を襲ったのは、歴然たる絶望。体中を駆け巡る虚無感。

 急ぎ、下水が満ちる地下道、その巨大瓦礫に降り立つ。


「里緒――ッ! 里緒!」


 オレは駆け寄る。横たわる彼女に。


 彼女は、上半身下半身が分断されていた。想像を絶する血痕を残して。

 今も尚その切断面からは惨たらしい血を垂れ流している。


「りおッ!!」


 オレの命なんて要らない、要らないからその代わり、彼女を。


「三分の一で生体の『再構築』はでき…………いや」


 

 生体情報――確認。有機構築材料――決定。


 DNA情報――複製。生体細胞――復元。


 全工程完了。


 発動――――『再構築』




 分かっていた。だが認めたくなかった。


 


「――――っ」


 


 しかし現実という名で提示された、四文字。



 使()()()()



 権能で生体情報を構築するためには、体内マナ半分を要する。

 ルールなどではない。ただ、不足しているだけ。


「くそっ!」


 オレは瓦礫の地面を殴りつける。


 権能(ちから)も。いのちも。オレ自身も。

 無能だ。ただひたすらに無能だ。

 どうしてオレはこんなに、何も出来ない。


「止まれぇッ! 止まれよぉッ!!」


 オレは、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。


「なんでっ! なんでぇ!!」


 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


 再構築を繰り返すが――


「なんで権能が使えない! 血が止まらない!」


 結果は何一つ変わらない。その傷口は、切断面は治らない。

 無能だ。


 なぜ、なぜ。

 オレは、何のために。


 無力だ。


 オレは――何もできやしない。


 その時だった、伸ばすオレの手を冷たい両手が包んできたのは。


「は―――――――っ」


 信じられないほどに凍えたその両手を、もう片方の手で優しく包む。オレの冷え性の手はさらに冷えていくが、そんなことはどうでもいい。


「里緒、待ってろ、今助ける。絶対に、助ける。だから……」

「いいんだよ……統也。いいんだ……よ」


 息のような声を聞いた。


「何がいいんだ! 言い分けないだろぉ!!!」

「傷を治す技……使わないでね。あたしね……第零使って……会場の人を守ったよ。ほら、多分、会場のみんなは……助かった……あたしが……守った。大勢を……救ったよ……」


「は―――――――――――――――――――――――――――――――」


 彼女は、知らないんだ。会場で何が起こったのか。人々が、どうなったのか。


「みんな、無事……だよ、ね?」

「…………あ……ああ。ぶ、無事だ。みんな…………無事だ……」


 鑢同士を合わせたように音が鳴る程、強烈に歯ぎしりして怒りを、自分への不甲斐なさを押し潰す。

 いや潰しきれなかった。


「実はね……あたし、知ってたんだ……統也が物質を……元通りにする能力を持ってること……それが大量のマナを消費すること……だから……あたしの傷を治さないくて……いい」

「何を言ってるんだ!! 駄目だ! 死んじゃ駄目だ!」


 意味のないと分かっていても、オレは何度だって繰り返す。再構築しようと試みる。

 しかし、結果はあまりに無情で。


「どうせあたしは……もう助からない。脳も……内臓も……完全に……逝ってる」

「りおぉ―――! 駄目だ!! 死ぬな!!」

「へへ……統也が、こんなに取り乱してるの、初めて見たよ……。こんなに必死に、あたしに、死なないでって……」


 目も、それに宿る生気も、みるみるうちに無慈悲に、虚ろになっていく。

 なのに、彼女は何故こんなにも、何故こんなにも――


「オレのギアでいてくれるんじゃなかったのか!! そばにいてくれんじゃなかったのか!!」


 文句一つ言わずオレを好きでいてくれた君に、ずっとこんなクズを好きでいてくれた君に、報いなきゃいけないんだ。

 君が超越演算者(アベレージオーバー)である事なんて、どうでもいい。


 君が。

 生きててくれれば、なんでもいい。


 無為にオレの頬が濡れた。今までの人生にない経験。他人のために涙を流すという行為。

 初めて流れた涙は精一杯に微笑む里緒の頬へ落ちる。


「わあ……とうやが、涙を流した? すごいや……」

「君がいないと、オレは……オレは……」


「あたし、実は知ってるんだ。統也のうなじに近未来的なデバイスをつけてること……」

「――――」


「あたし、実は知ってるんだ。こっそり誰かと話してる事……」

「――――」


「統也、ほんとはこの時代の人じゃない、でしょ? 分かるんだ……」

「そんなことどうでもいい。全部教えてやる。だから、生きてオレの隣に―――」



 嘘をついた。騙した。人を傷つけた。

 ここに居る、ある意味人種が異なる、人間を。


 差別をしたつもりはない。裏切るつもりもない。皆殺しも、しない。

 けど、アドバンサーという派遣エージェントとして、生きた。


 ここの人を、何人も手にかけた。人から影人が発生することを知っていながら見殺しにしているのもそうだ。助かるかもしれない人を。


 この世界(インナーワールド)の人が、どんなヒトかも知ってる。

 化け物と、呼ばれていることも。

 全て。知ってる。


「――――」


 オレは君に何もしてあげられなかった。それでも君はずっとオレのそばで笑っていてくれた。こんな最低なオレを好きだと言ってくれた。

 今までオレを悲しませたことがなかった君が。

 最期だけ……。

 

「ごめん……実は……もう一つ知ってるんだ……」

「なんでもいい。全部教えてやる。だから。生きてくれ。頼む。頼むから……」



「統也が……この宇宙で……一番かっこいいってこと……」



 その言葉を聞いた瞬間、息が出来なくなった。


「り、お―――ッ!」

「…………」


 彼女は口からそっと血を流した。


「色んなことを秘密にしてたオレを、許さなくていい。だから―――」

「許す、よ。あたしも隠し事あるから……。あたしの漢字……本名……『里』じゃなくて『理』なんだ」

「理緒……」 



 この時、突如脳内に流れてきた可能性。


 ()奈、()璃、()緒……旬の反蝶術式(アンチバタフライ)で、王辺が漢字に含まれる人間はオレに出会えるよう未来を強制していた……のか。


 真名(マナ)(オレ)を刻んだ、という事象強制。



「そんな悲しそうな顔、しないで…………とうや、あたしは、あなたの中で、生き続けるから……」


 彼女の手にはもう、力は働いていなかった。しかしオレはその手を、凍ったような手を、優しく掴んだ。


「心の中では、あなたのギアで、居続けるから。だから、無理しないで。きっと新しいギアを見つけてね……」

「何言ってる? オレのギアは、里緒だろ……」


 咽そうになるのを必死に耐えた。せめて。


「だから、とうや……生きて―――――」


 叫びたい。どうしようもなく叫びたい。


「確かに、世界は辛いよ。残酷な事ばかり。理不尽な事ばかり……。それでも、きっと……希望は、あるから……」

「――――」


 なぜ、何も出てこない。


「とうやと共に生きた、証を、残して……」

「――――」


「あは…………とうやに追いつこうとして……なんだか今度は……追い越しちゃったみたい……」

「く――――ッ……!」


 理緒の体からマナが抜けていくその様を痛切に感じながら、自分と生きたギアを強く抱きかかえた。正確にはその上半身を。

 そして、もう皮膚の触覚さえないだろう彼女の頬へキスをした。


「とうや……怖い……怖いよ…………どこ……どこにも見えないよ、とうや…………」


 身に沁みて体感する。抜けていく意識。抜けていく生気。抜けていく余熱。

  

「ああ、ここだ理緒。オレはここにいる。ずっとずっと――ここにいる」


 溢れる涙と共に強く、抱いた――


「……うん。見つけたよ……とうや。あなたは……あたしの……英雄……。あたしの…………王子…………。あたしの…………永遠の……ギア………………」


 ぱたり、と音が鳴った。

 それは彼女の片手が地面のアスファルトにぶつかった音。


「――――」


 オレは水が弾ける下水道の中、絶望という二文字を、空へ向けた。夜空を仰いだ。

 そうして首を振りながら両目から溢れる水を抑えようとした。

 それは下水ではない。魂の漏れ水。


 顔が苦痛に歪んでいくのが自分でも分かる。

 理緒の――永遠のギアの手を、必死に掴んだ。必死に。



「ううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおおおお―――」


 






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