最強の博打
◇
旬はその瞬間に駆け巡る後悔の記憶……美音、エミリアの死を押し殺した。
それと同時、惟司はこのチャンスを待っていたとばかりに「それ」を展開する。それは初めから準備されていた超高速の『檻』開放。
しかし旬も世界最強の特級。彼は人並外れた瞬時の判断で「それ」を構築し返す。
そして重なった二人の低い声。
最強と最凶の声。
「「領域構築――――」」
次の瞬間「黒」と「紫」が辺りに処理しきれない情報の沼として広がる。
「―――『無光虚域』」
「―――『菫影花園』」
*
「リクトって、陸斗か……?」
オレは呟きながら背後から迫るネメに『檻』で障壁を作成するが、鈍い音のあと、明確にその空間固定に亀裂が入るのを感じる。
「っ―――――」
……『檻』を破った?
「意外、という顔ですか?」
「さあな」
オレはそのままマフラーに空間断裂を付与し、その黒いオリジン大剣を切断しようとするが、当然そんな簡単にはいかなかった。というよりむしろ「蒼」術式が中和される。
このオリジン武装……『反転』の拡張なのは間違いない。だが機械システムに依拠し過ぎているせいか浄眼で解析できないという難点がある。
配線の回路パターンなどにマナ・術式の要素を多分に含んでいる以上解析は不可能ではないが、規模が小さすぎる。
もっとじっくり視ないと……。
厄介だ。
取りあえず術式効果の中和……術式干渉の一種だな。
そして、
「今気づいた。お前ら、特殊な呪詛を体に付けてるだろ」
「そうですね。私はつけていませんが」
主に「空間」という情報を乱す作用が練られているな。結果的にオレの術式を乱せる。
道理で糸影も女影も肉弾戦、というか体術ばかりしてきたわけだ。正直おかしいとは思っていた。呪詛の制御に回っていたのだろう。それでオレの全体的な攻撃力を幾分か抑えていた。
何か他の異能を演算しているようにも見なかったし、かといって領域の構築も扱わないのも気がかりだった。
所詮こちらは『律』が使えない環境。構築すれば一発でオレを倒せるはずなのに、そうしない。
おかげでこちらはいつ領域構築が来るか構えて、第一術式「解」を常に準備した状態で戦っていた。
つまり、そもそも空間干渉力が落ちた状態で勝負していたということだ。
思考しながらネメと剣……オレはマフラー……を激しくぶつけ合っていると、壁面に控えていた大量の影人が、問答無用で非異能士の方へ向かって行く。
まあこうなるわな。ネメが影人の行動支配をやめたんだから。
「怠いな……」
「それは誉め言葉ですよ、うふ」
一方陸斗は命の方へ向かっている。さすがに玲奈と里緒、大輝が何とかしてくれるだろう。
糸影はもってあと数分ってとこか。すぐに自己再生を終え、戦闘を始める。
女影はそもそも……死んでる? いや、さすがに微量だがマナを感じる。僅かにだが、細胞が生きてるな。
しかし影人も割と無限再生ではないようだ。
あー、もうやめた。面倒すぎだろ。
さっさとネメから殺そう。
正直他のヤツはそんなに苦労しない。
*
数週間前。
「はい? ……どういうことですか?」
女影の本体である女子が雹理に尋ねる。今、雹理は信じられないことを言った。
「――だからね、自爆だよ自爆」
「…………」
「名瀬統也も最初の方は全力を出してこないはず。私はそこを狙う、と言っている」
雹理は一拍置いて続ける。
「名瀬家の人間は『監禁』に長けているが、彼は例外。どちらかというと殺人に長けている。その上、彼がいくつの隠し球を有してるかも分からない。権能『再構築』の使いどころもまあ上手い。さらに知識や思考、判断も上等。結果、彼と渡り合って戦えるのは精々最初だけだ。彼が君らのやり方、手法、出方を見定める間、そのタイミングでしか彼には対抗できない」
統也の実力を知っている以上、誰も否定する人間はいなかった。
「あの年で“特級”になった少年だ。正直君らなど蟻んこ同然として処理できる。たとえネメがバリケード影人の制御を無視して戦闘に参加しても、君らは殺られる――。絶対に負けるんだ」
「ちょ、ちょっと待ってください! それじゃ……!」
「――安心しろ、しーちゃん。策はある。陸斗くんも糸影くんも、それからネメもよく聞くんだ。いいかい? 君らがギリギリ死なずに済む、その瀬戸際を狙う。簡単に言うと、自爆してもらう」
「いや……そんなん俺らも死ぬじゃねーか」
陸斗は見かねて意見した。
彼は当然死にたくなかった。ただ統也に復讐したい、里緒を手に入れたいとは思っていた。
「死ぬか死なないかで言えば、死なないよ。君らを真の意味で殺せるのは九神の使徒だけだ。そこは安心してもらっていい。……というよりね、君らがその自爆を始めるまでに彼を倒せるならそれに越したことはない。むしろそっちを願う。この自爆方法は本来翠蘭を弱らせるためにあるからね。名瀬統也には使いたくないんだ」
「オリジン武装密輸の時、合わせて持ってきた『魔子放出式爆弾』ですか?」
ネメは知っていたので確認の意味で尋ねる。それは元々円山で使う予定だった爆弾。翠蘭、鈴音諸共始末するためのもの。
不老不死という特異な性質を有する翠蘭は死んでくれないだろうが、精々爆風には巻き込まれてくれるだろう、と。
「そういうことだ。あれならマナの跡も残らない」
ここで糸影が発言を繰り出す。
「でも無理だろ、雹理さん……よく考えてみろ。統也は攻撃という攻撃の全てを『檻』の展開で防いでしまう。仮に予め会場に仕掛けておいて、その時その爆弾に気付かなくても0.5秒以内の爆発兆候があればすぐに対処される。統也を、浄眼を侮りすぎだ。それに……あと出ししたとしても問題はまだある。防御どろか、爆弾自体を『檻』で囲まれたら終わりだ」
「大丈夫。その心配は無用さ。だって彼は――――」
*
オレは、一般市民に襲い掛かる影人達に構わず憮然たる表情のネメに猛攻。
次々に殺されていく非異能士が横目に見えるが、オレは何もしない。
「はら、さっさと弱れよ」
第一術式「解」をマフラーに付与し、彼女の周りに展開される『反転』の領域構築を壊そうと試みるが、さっきから跳ね返される。
おそらく「解」自体を『反転』の拡張効果でいったん中和し、それに際して運動量を反転している。
「まだ、ばてるわけにはいきませんので」
ネメ……器用なヤツだ。
浄眼を持ってるオレにでも出来るか怪しいのに、普通の人……といっても影だが……に、こんな複雑な異能演算作業が出来るとは思えない……。
マナ操作に関して何か特殊なコツでもあるのか。
いや、今はどうでもいい。
「さて……」
バリケードが消え、そろそろここに居る人間が出口から出始めるころだろう。
外の影人は蛆のようにいるが、いるだけだ。
ごめん……ここに居る人間の半分は助けられない。
先に出てここの人間が減ってもらう必要がある。
つまり……死んでもらう必要がある。
悪いとは思っている。何の罪もない人たちだ。何の理解もない人たちだ。
ただ意味もなく死ぬ。殺される。なぜ自分が殺されるのかも知らずに。
でも、仮にオレが死ねば……ここにいる全員が死ぬ。それは決定未来。
この中でオレが一番尊い存在であるとか、旬さんみたいに思ったりしていない。傲慢に思ってない。
ただ、ここにいる命と里緒という人物を守るために。
オレは戦わなければいけない。勝たなければいけない。
「ほら――こっちですよ!」
「あ?」
目の前のネメは素早くジャンプし真上に移動したかと思うと、オリジン武装の黒い大剣を投げつけてくる。
接近してきて、その黒に上方視界が塞がれる―――。
なんだ?
次の瞬間、ネメはオレの背後に居た―――。
「はっ?」
ミスディレクション? 反転による空中加速?
いや―――。
オレは戸惑いながらも何とか反応、背後に対抗すべくマフラーで切りつけるが、当然反転され意味をなさなかった。
こちらが反転され多少の反動を受けていると、今度はさらにその背後にネメの気配を感じた。
「くっ―――」
いつの間に?
そして―――。
「“此糸術式『煌絲神紡』”」
それは会場に響く糸影の鋭い声。
「なに!」
嘘だろおい。
体が大きく損傷を受け、再生に手一杯の時は固有術式を発動できない―――はずだろ?
正面、オレは当然急いで『檻』を展開し、その此糸術式・煌絲神紡を防御してみせるが。
「まずいっ」
上には近づいてくる『檻』さえも突き破るオリジン武装。
背後には『反転』により『檻』を突破可能なネメ。
極端な攻撃集中は……まずい。
いったん時間を作りたい……。一時的でもいい。せめて『檻』を……。
名瀬の異能『檻』または『境界』、これは「空間」という情報の海に干渉する高等術式。
当然制約はある。
たとえば『檻』は三つまでしか展開できない。絶対に。
これは人間の脳内演算では100%の理。
*
数週間前の雹理は言った。
「大丈夫。その心配は無用さ。だって彼は――――」
糸影の男子、音芽、女影の女子、陸斗は揃って雹理のそのセリフに耳を傾ける。
「――――『檻』を二つしか展開できない。既に『青の境界』に一つのキャパを奪われているからね」
*
名瀬統也の背後には高速接近のネメ。
上方には、鋭利迅雷に迫るオリジン武装・反転剣。
正面には『檻』に阻まれている『煌絲神紡』。……『檻』を一つ消費。
彼が使える『檻』はあと一つまで。
(仕方ないか……)
瞬間、名瀬統也は背後と上方の両方を覆える……いわば「四分の一」球形を展開。ネメの刺突と「反転剣」を一時的に防御した。
これで二つ目の『檻』をも消費。つまり。
統也はこっから先、『檻』の展開という手段を完全に断たれた。
勝った――――。
瞬刻の中、ネメと糸影は同時にそう思った。
統也は反撃の気構えさえ失くしたのか、その場で俯き始める。ゆっくりとだが確実に彼を「静」が包んでいく。
黒い前髪に遮られ、その「蒼き瞳」が隠れた。
おそらく、現在の統也の表情を確認できる存在はここには居なかった。
「『魔子放出式爆弾』―――起爆」
雹理が遠隔にて告げる。そうして爆発兆候が表れてから0.1秒後―――。
名瀬統也は“博打”に出た。
彼はその一瞬、その刹那における短時間で奴らの計略に気付き、考えた。迷った。必死に考え続け、出た答えは―――。
論理的、合理的思考の彼にしては珍しいもの。
(ヤバすぎだろぉっ!!)
(正気ですか……!!)
糸影とネメは同時にそう思った。
統也はその刹那、諦めてもいなければ絶望、悲嘆さえもしていなかった。
ここで前髪に隠れていた「蒼き瞳」が外界を見た。
サファイアのような、それでいて深海のような、宇宙のようなその紺青の瞳が、現実世界の「空間」という情報を捕捉していく。
平行して右手をフィンガースナップの形にした。
「領域構築『時空零域』」
パチンと響き渡る速度の方が、爆発による衝撃波よりも速かった。なぜなら彼は爆発前から敵の意図を凡そ察知していたからである。
―――瞬間、統也の主観は元来の見える現実から、音も色彩もない世界へ没入する。
それは即ち周囲の「時間の流れ」が本来よりも遅く進む零域の世界……相対的に統也が光速に近似する世界。それは「空間」と「時間」が交わるただ一点の領域「律空間」。原点。
自分の技量、今ある覚悟、経験、知識……全てを賭けて、彼は大の苦手分野である領域構築を果たした。
普段は『檻』内部で支配している制御下空間につき、第零術式『律』として整合を取って発動するという手間をかけていた。
そうしなければ発動できないほど、術式機能に依存しないと発動できないほど名瀬統也は領域構築が苦手であった。
しかし、世界を。命を。里緒を守るため、
―――彼は自分を超えた。
今回の何が「博打」なのか、あんまりピンと来ていなけば簡単に説明します。
普段統也は「青の境界」という『檻』で空間を制御して初めから領域(空間)を構築してあるわけです。
しかし今回は「自らマナ標準を薄く延ばして展開していく」という彼が超苦手としている操作で空間を制御していき、領域構築を果たした。
これなら名瀬杏子の制御空間内でも使用可能。
まあ、こんな感じの説明でどうでしょう。




