騒乱の起こり
*
八月上旬。
人気の少ない真っ暗な夜道、月光に照らされる麗しき「蒼き蝶」と「碧い花」。
接触面にて飛び散る火花――。
「くっ――!!!」
紺の輝き……主に蝶の鱗粉のごとく散らばる。モルフォ、オオルリアゲハ、それらと同質の。
その一方で――。
碧色の輝き……主に両刃薙刀に付与される尾を引く緑光。それは氷冷を纏いし刃。
二つは凄まじく、そして絢爛に衝突する。互いにマナを源泉とするエネルギー構築体をぶつけ合う。高速移動かつ瞬間的なヒットアンドアウェイを繰り返しながら。
やがて、その二色は止まる。
特に「紺」の方が先にばてた。
「はぁ……はぁ……はぁ……名瀬杏子、貴様……一体、何を考えているのか。こんな無法」
「瑠璃、残念だけどあなたに私は倒せない」
「そうか……? それはまだ……分からないと思うがな―――」
伏見瑠璃は手で蝶の印を組み、そして告げる。
「領域構築『蒼蝶・大乱舞』!!」
瞬間的に杏子を含む周囲の地面が蒼銀に発光、次にその道路面から湧き上がるマナ発光の粒が形となって蝶を模る。
一瞬にして『衣』――『青鱗』から生み出される無限の蒼い蝶に囲まれた杏子。それでもなお彼女の鉄の仮面は揺るがない。
「はぁ……はぁ……杏子、あんたに玲奈は殺させない」
「さっきから言ってるでしょ。別にあなたの妹を殺すかは分からない。ただ、邪魔になるようなら先に殺す、と宣告しただけ」
「同じだろうが」
反抗的な目付きを向ける瑠璃。
「何を偉そうに言ってるのかしら? 息も絶え絶えのくせに」
「黙れ」
瑠璃は蒼き蝶達を杏子へ衝突させようと仕掛けた。――領域の命中。
この大乱舞は普通の蝶乱舞と異なり、必中。無数の蝶達は必ず杏子に当たる。
空中に巻いておいた微小な『青鱗』による粉塵爆発の効果もてきめん。威力は各段に上がる。
しかしそれでも杏子が表情一つ変えない、その場から動じない。
その理由――。
瑠璃が領域空間の構築を会得していることには驚かされたが、杏子の表情は絶望も焦りも表れていなかった。その理由――。
それが今、宇宙冷気を発し、時空を凍結していく。碧のままに。
「第一術式『碧凍領域』」
「なにっ――――!!」
(領域を術式として運用しているだと!?)
領域の押し合いにて杏子に勝るものは存在しない。
何故なら名瀬杏子は、空間を御しながらなお空間にマナ標準という狙いを定めることが出来る稀代の天才である。
(これが名瀬家における才女、名瀬杏子か!!)
「っ――!? 馬鹿な……! 蒼蝶が空中で凍っている!?」
杏子にあと数センチ、蒼き蝶達は届かなかった。
氷煙を取り巻き、凍り付いたからだ。空中で時を止めらた様に留まっていた。
「あり得ない……エネルギーを凍らせるだと? そもそも凍るという現象は相転移、それがどうして……」
「一つ、勘違いしてるようだから言っておくわ。私は物体を凍結させるわけじゃない。時空を凍結させるの。言っている意味が分かるかしら?」
(そうか……空間、そしてその系にあるエネルギーの準点をゼロに変化させている。簡単にいうと空間を「静止」させている……)
(表面が凍るのは空間放射熱の関係か……)
(バケモノが)
「全く、私としたことが。忘れてたよ。名瀬杏子、貴様がS級異能士だと」
最近は名瀬統也などという規格外の存在を認知したために戦闘における強さの基準感覚が完全に狂っていた。
「残念。異学時代は結構いい決闘相手だと思っていたのよ、あなたのこと」
杏子は領域効果距離を途中で変更するという離れ業を、たった今難なくこなし、瑠璃がしゃがむ道路にまでマナ標準領域を広げた。
ピザは焼く前の捏ねている生地ならばさらに薄く延ばすなど自在だが、焼けた後では到底不可能。焼け固まり固定化されているから。
しかし、この稀代の天才・名瀬杏子の前ではその理屈は意味をなさなかった。
焼けた物をそのまま薄く延ばして見せるのだ。
「それじゃあまた、何年後かに会えたら……」
瑠璃に「氷冷の領域」が、「時空間の静止」が到着する寸前―――。
「っ……?」
(何?)
杏子は目を剥き、
「苺糸神紡『月弧』」
男の高貴な声音が聞こえても気にせず、素早く後退し、瑠璃と距離を取る。
まるで未来を予測したかのような完璧な高速回避。そして外部から訪れたその苺色の光の線が円弧を描き、杏子が先居た地点へぶつかり、その路面がマグマのように溶け出す間、彼女はそれをよく観察し分析する。
(溶解の『糸』……?)
杏子は薙刀を持つ手とは逆で放出を構え――、
(空間収束『蒼玉』)
真っ直ぐ瑠璃に撃ち込まれる濃い碧の収束体。
しかし紺の第二出力『魂霊』の切り離されたエネルギーにより弾かれる。
これは異能相性の問題。
「やっぱり駄目なのね……」
杏子は独り言を言い、改めて正面に降り立つスーツの男に言いかけた。
「三宮拓真、部下の瑠璃がこんなに弱るまで一体どこで油を売っていたのかしら?」
「それは大変悪いことをした。しかし許してくれ。僕もそこまで暇人じゃないのでね、名瀬杏子さん」
最近S級認定を受けた「三宮拓真」、彼を相手にするのは流石に分が悪いと考えた杏子。逃走経路を頭で描き、その類い稀なる空間把握で瞬時に決定した。
「ふ、まぁいいわ」
正面に大きな碧『檻』を展開し、侵入を阻むと同時に、それを『避役』で不可視化し、姿をくらました。そのまま逃げたことは明白。
「拓真様、杏子は一体何をするつもりでしょうか?」
「さぁね、僕には理解し兼ねるよ。でも、雹理勢力が本格的に動き始めたことだけは確信できるね」
「ええ……賽は投げられた」
*
数日後。
「ん?」
オレはうなじのデバイスよりシグナルを確認し、手首をかざし反射させると「青」。
「どうした茜」
『さっき命さんと会ってたでしょ』
「ああ。ちょっと来週日曜に開催される『ミコ&レナ』コラボライブのチケットを十枚近く貰ってたんだ。だがどうしてそんな具体的行動の把握ができる? オレをストーカーしてたわけでもないだろ」
『それってどういう意味? 私がストーカーする人に見えるんだ。へぇ……』
また不機嫌になった?
最近はよく分かんないな。機械のように冷静な人だと思う時もあれば、里緒みたいにデレる時も間々ある。見せてくる性格が確定しない。
「いや、そんなことより用件はなんだ? 何か問題でも?」
『ううん、そうじゃない。どっちかというと懸念かな。先程命さんと統也が接近した時確信した。……命さんの発する脳波が――強まった』
「なに? それじゃあ――」
『そう、ただでさえ影人に感知されやすいのに、結界でどんなに保護策を練っても意味を成さないほどの脳波を発するようになってしまった彼女は今、この上なく危険な状態。今までは統也の脳波を特別に嗅ぎ分けたりしてただけっぽいけど、既に自分から信号を発するようになってる』
「どうしてそうなった?」
『原因は分からない。けれどあなたのチューニレイダーデバイスが有する微弱な波動受信機能でさえその電波をキャッチできるレベル。このままだと彼女は、いつでも居場所が筒抜けな存在となってしまい、相手の餌食になるのも時間の問題』
確かにそれだと、致命的ほどじゃないが敵に塩を送ってるな。
今までは命が行くとこ行くとこ……たとえばコンサートのライブやテレビの収録現場……それぞれに予め一般人に無影響の開印結界を玲奈が張っていた。だから命が狙われるのは移動時間のみだった。
「第一、茜はその九神が出す脳波の正体、というかその具体的な話を知ってるんだろ?」
『え、知らないけど? ただのテレパシーのようなものじゃないの?』
オレは椎名リカじゃないので、そもそも茜の目を見ていないので分かるはずもないがおそらく嘘は言っていない。
茜が嘘をつくときはいつも行動原理的に「避ける」。本人は嘘をつきたくないと思っているのか、このように断言することはなく「逃げ」の態度を示す。スルーしたりといった感じで。
『ただ……影人と九神が表裏一体という事実は知っている。たとえば九神の使徒と知性影人は互いに「光」と「影」を象徴する紙一重の存在。だから脳から発する波長も影人のと似たような物であると推測できる。私は無神論者だから突拍子のない見解は持たない主義なの。その脳波を受け取ると甘い匂いがしたり、そういう器官反応があるとも報告例が上がっている。列記とした生物能力だという証拠』
甘い匂い、か。
翠蘭も、命も。今思えばそれらしき香りを漂わせていた。そういや僅かながらにヴィオラも凛もディアナも、シャルロットも。
みんな九神だとすれば、何か妙なくらいオレの周りに九神の使徒が居たことになる。
面白くない冗談だ。
「まあCSSの特別紫紺石に、九神が持つ心臓宝石……類似・一致する点が多いしな。納得は出来る。だが脳波も同じなら、九神であるオレも命や黒羽大輝同様にその電波の類を送れたり受け取れたりしないのか? 理論上可能な気がするが」
『無理。統也はまだ無理』
まだ?
『そんなことより、こっちの方も荒れてきた。何やら影人復興派閥と関わる賞金稼ぎのパーティーに旬が目を付けた。私も向かうことになっているから何か統也の助けになる情報があれば持ってくる。土産に期待してて』
ほら逃げた。さっきの話題から早急回避。つまり具体的には知らないが、他に何か隠している事があるな。
「その作戦で、戦闘するのか?」
『私……?』
「君以外に誰がいる?」
『最悪の場合はすると思う、おそらく。作戦は丁度一週間後の日曜日』
「そうか、なら気を付けて」
まだ早いかもしれないが見送りのセリフを。
この時、なぜかこの言動が禁止されている気がした。気がしただけ。
世界により禁じられている、そんな歪な感覚。
『ええ、大丈夫』
さっきの不機嫌が嘘のようで自信満々に言う茜。
「その心は?」
『だって私、無敵だから』




