忘れないで
最初の「境界」の説明は後から読んでもらってもかまいません。
この世に青色の境界を築いて「奴ら」から世界を救ったんだな、と思っていただければそれで充分です。
◇◇◇
――二〇一七年二月十四日、南極に「奴ら」は突如姿を現した。
正体不明、生態不明。異常な殺傷能力と驚異的な生命力を備えた「奴ら」は、人類を次々と屠りながら北へと侵攻を開始。各国の軍は対応しきれず、市民を守る間もなく壊滅。わずか数カ月で人類の64%が消滅した。
――人類は、絶滅の危機に瀕していた。
やがて、「隠されていた戦闘技術」を用いることで対抗手段を得るが、局地的な反撃にすぎず、戦局を覆すには至らなかった。軍勢は次々と蹴散らされ、都市は蹂躙されていく。
このままでは、北半球すら陥落する。そう判断した政府は、北緯40度に『境界』を築く決断を下した。
――二〇一八年一月某日。
計画は遂行され、青く輝く障壁が大地を分断し、囲った。
ダイヤモンドをも凌駕する硬度を持ち、一切の侵食を許さない蒼き壁。
その内側、守られた領域は「インナーワールド(IW)」。
外側、「奴ら」に蹂躙された地は「アウターワールド(OW)」。
そして、人類最後の砦となったこの障壁は、やがてこう呼ばれるようになる――
―――『青の境界』。
これが、現在の世界の歴史である。
◇
2021年3月18日、夕方。オリジン軍特別任務専用施設の白い廊下。
――南極に「奴ら」は突如姿を現した――モニターから流れ始めたその忌々しいナレーションを無視して、私はルームメイト兼同僚の風間葵中尉と並んで歩いていた。
「それすごい似合ってるね~~。さっすが茜、なんでも似合う粋な女!」
赤髪ボブを揺らしながら、葵が私の軍帽を指差す。正確には、その側面に飾られた白い造花を。
「あ、ありがとう……」
これは数分前、大佐から正式に授与された「称号花」。オリジン軍異能大隊二等特務官の証。
特務官はそれぞれ異なる花を軍帽に飾ることで識別される仕組みになっている。
私の称号花は、五弁の白花――アカネ。
「その花を選ぶなんて、大佐も遊び心満載だね~!」
「あの人はいつもあんな感じよ。ふざけてるだけ」
「確かにー。あのイケボで『この花は、小さく可憐に咲きながらも、どこか儚げな面影を宿す』とか真顔で言ってたしね。授与式に参加したお偉いさんも大笑い」
口に手を当て上品に笑う葵だったが、次の瞬間、真剣な表情になる。
「それにしても、まさか茜の同調相手が《《マフラー王子》》だったなんてね……。顔は見られなかったけど、個人コードで彼だと断定できたよ」
その言葉に、私ははっとなり問い返した。
「……葵、あの人のこと知ってるの?」
「え? いつもマフラー巻いてる少尉のことでしょ? 会ったことはないし、写真も見たことないけど……噂ならね。とにかく謎が多くて、すっごい冷徹だって有名」
「ふーん……」
冷徹、か。
「え、何その反応! もっとリアクションしてよ~!」
葵が頬を膨らませる。
私は昔から「声の抑揚がない」「表情筋が死んでいる」「サイボーグみたい」と言われてきた。
冷淡、冷徹……そう評されることには慣れている。
「私にリアクションを求めないでほしいのだけど」
「えーでも実際、同調訓練で話してみてどうだった? マフラーの彼、冷徹だった?」
「うーん、どうだろうね。言うほど、かな?」
けど、知ってる。
あなたは本当は冷徹なんかじゃない。
ね、統也。
あなたにとって私は“初対面”なのだろうけど。
「え~そうだったんだ」
「うん。でも、それよりも同調の瞬間に襲ってくる内耳神経の痛みのほうが問題だった」
無理やり話の方向を変える。
「えーそうなの~? "同調痛"ってやつ? 音みたいな痛覚が来るんでしょ?」
「同調調整中、雪子博士が直そうとする素振りすら見せなかったし、特務官の義務みたいなものだと理解した」
葵が少し視線を上げる。
「特務官かー……でも羨ましいよ。毎晩彼と感覚を共有できるんでしょ? いいじゃん? 彼も喜ぶと思うよ。こんな才色兼備の美人コンダクターと話せてさ。あ、でも聴覚リンクだけだから茜の顔は見えないか」
途中で気づいたように訂正する。
「そんないいものじゃないけど」
「憧れるなー、男子と夜中に話したりさ! きゃー!!」
私の言葉など聞こえていない様子で、葵は一人でキャッキャとはしゃぐ。
そのとき、正面から若い特務少佐の二人組が近づいてきた。
片方がもう片方を肘で軽く突く。
「おい、見ろ。黒髪ロングにあの眼、間違いない。天霧少佐……いや、天霧《《元》》少佐って言うべきか?」
煽るような口調だけど、興味もないし、気にする気もない。
「椎名カリンの弟と、千本木明楽……またアイツら? 懲りないね」
隣で葵が静かに威嚇する。
「でも、やっぱ可愛いな。スタイル抜群のモデル体型。あの鋭い声もいい。ベッドの中ではいい感じに鳴いてくれそうだし」
「確かになぁ」
椎名ジン少佐の言葉に千本木少佐が納得の意を表した。
「だって考えてみろ? 容姿端麗、頭脳明晰……こんなS級美女、周りに居ないだろ」
「それな。俺の嫁にしたいくらいだぜ」
「お前には渡さねーよ」
二人の低い囁き声。聞こえているが、何の感情も湧かない。
すると、椎名が敬礼もせず接近してくる。
「なあ、天霧中尉。今度お前が昇格できるよう、伏見大佐に推薦状送って推挙してやる」
「だから何?」
そんな厚意を示しに来たわけじゃないのは明らか。
先を催促すると、顔を近づけてくる。
「今日俺とディナー行こうぜ」
耳元で囁く彼の視線は見ずとも分かる。ハイウエストミニスカートから覗くニーハイソックス、つまり私の脚。
下心が見え見え。椎名の淫らな考えが手に取るように分かる。
気持ち悪い。
「――お構いなく」
一蹴する。
「は? 大臣側近の息子だぞ? そのジンの誘いを、また断った? これで三度目だぞ? ……天霧中尉、お前、昇格したくないのか?」
驚き呆れた様子の千本木。
「ええ、別に昇格に興味はありませんので、ご心配なく」
そもそも、私は成りたくて中尉になった。わざわざ今より上の階級・少佐になってから二階級降格することで。
「チッ! そうかよ! それだけ強くて頭脳も優秀なくせに、何が楽しくて中尉に降格したんだか」
椎名少佐には去り際に鋭い視線を向けられたが、どうでもいいって思う。私にとっては言うほど意味のある出来事ではない。
というより、他の男に興味なんてない。心底アウトオブ眼中。
彼らは私の愚痴を零しながら反対側に去っていった。
「アイツらなんなの!? めっちゃ腹立つんだけどー!!」
「あなたが腹立ってどうするの?」
「いや、だってー!」
風間一族のオッドカラー、赤い髪を揺らしながら頬を膨らませる葵。
「彼らの言っていた事は別に間違ってない。私はわざと降格した」
「うん、まーね。それは知ってるよ。補佐指揮官になるためだよね?」
「そう」
というより、彼と話すために。彼を支えたくて。
私自身もこの先、大きな問題を沢山抱えていくだろう。
これから待っているのは、そのくらい重い任務の数々。
でも大丈夫。彼がいれば、それでいい。
私は彼を補佐する。例えどんな障害が待ち受けていようと。私は、否――私達は止まらない。彼の成すべきことが成されるまで。
物理的に届かなくても。情報的にだけでも。その間、決して会えなくとも。
心が繋がっていればいいだけ。
私はあたなを全力で補助する。
だから待ってて―――統也。
アドバンサーのあなたを、コンダクターの私が、支えるから。
一緒に、進もう。
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