「今度は
*
「お前が、柳沢邦光で間違いないか?」
オレは青ガラスに包まれる礼拝堂のような場所に到着。おんぶってきた永無クレアをカーペットの床に容赦なく落として尋ねた。
「かはっ!」
クレアが落ちた強打の衝撃で身悶えした直後、正面で堂々腰を落としている年配の男が急に立ち上がる。目を子供のように輝かせて。
「わざわざ来てくれたのか! ……やっと会えた! 今、この時に!! 素晴らしい!! なんと素晴らしい!!」
いきなり両手を天に向け、空を仰ぐ。
さすが狂った宗教の狂った「最高司祭」だけはある。
だいぶイカれてるな、この柳沢とかいうヤツ。
「オレはお前に少しも会いたくなかったんだが、取引をしに来た。どうせ今、無抵抗のお前を殺せば罪に問われるのは当然オレだ。異能間正当防衛で許されているのは、ここにいるクレアを殺す事まで」
「だから取引を? 成程ね、いいじゃないか。どんと話し合おう。私と私の娘ほど、君を愛している人はいないのだから」
そう言うと、祭壇の後ろの方から一人の女性が現れる。女性と言うより女子だったが。
両目隠しの黒髪。昼間地上に出てはいけないであろう「マナ光過敏疾患」の皮膚であるのが分かる。
浄眼で見ると他にも『仮想演算術式』――いわゆるオリジン武装の主体機能と同等の異能演算システムを『術式』として体内に内包している少女だと分かった。
「真正の聖女・柳沢シムア様!? どうしてこんな地上に!」
全身骨折を受け一センチも動けないクレアが声を張った。
ん、シムア?
「そうか、お前がオレの代わりに礎を。……ありがとう。無機質な礼に聞こえるかもしれないが、感謝はしている」
シムアに向け言うと、どういうわけか逆に深く礼をしてくる。
「『蒼の王』様。いえ、神様……あなたは私達の『光』、あなたは私達の『柱』、そして聖なるものそのものです。私はあなたと会える事だけを夢見てきました。そして今、それが叶いました。唯一口惜しいのは、そのお顔を拝見できないという神の悪戯のみです。申し訳ありません、無礼を……」
「やめてくれ。オレはこの世界の創造神になったつもりはないし、なるつもりもない。シムア、お前は四六時中『仮想演算』することだけが天職だ。そんなお前には何の罪もないし、むしろ感謝さえ湧く。だがな、柳沢邦光、お前は違う」
彼へ蒼い瞳を向けると、もっと見てくれと言わんばかりに表情を明るくする。
「素晴らしい眼だ。全ての真実を見抜かんとするその蒼き眼光。やはり私の目に狂いはなかった……。禍々しいほどに『青』、世界を象徴した鮮やかな『青』。地球上に存在する『自由』を体現するその瞳が、海の青を、そして空の紺を……」
「そんな話はどうでもいい。オレはただ確認しに来ただけだ」
「……確認? なんの……?」
「お前なんだろ、命を殺すよう聖境の特別委員に命令したのは」
「ふむ、勿論だ」
「その命令を取り消せ。しないなら――」
オレは言いながらマフラーを手に取る。
食い下がると思ったのだが。
「はて、どうするんだね?」
「しないなら、あんたを殺すかもな」
「それは困る。だから聖境勢力は、以降彼女……十二柱の森嶋命を殺すのを諦めよう……決して手を出さないと約束する。その代わり君は私を殺さない……とまぁ、こんな所でどうかな? 手打ちしてくれるか?」
柳沢邦光。始終口角を上げ続けている所を見るに、オレの実力を知っていながらそれをこの場で振るうことも、柳沢邦光殺害のために行使しないことも悟っている。
提示した条件もまあ見合っている。誰でも理解可能な普通の取引条件に見えて、かなり策略的な内容が絡む。
「いや、もし次に聖境の刺客が命に迫ってると判断したら、オレは――」
柳沢はオレの発言の溜めに対し羨望の眼差しで待機する。
「あんたら聖境を――完全に潰す」
言いながらオレは目にも留まらぬ速さで床に居た永無クレアの首をマフラーの空間断裂で切り裂く。
言い残す言葉さえお前には必要ないだろ、クレア。年貢の納め時だ。
赤い液が飛び散るのと同時、乾いたカーペットの上を鮮血が生き物のように進み、広がった。
「言っとくが、脅しじゃないからな」
「そのようだね」
彼は部下の死を少しも悲嘆する様子がなく、それはシムアも同様だった。
というよりシムアは天より与えられた宿命に依存し、寿命はあと数年、耳や視界も悪くとても平均水準的な生活はできないはずだ。
オレのせいで。
正確には、あんたらが必死に崇める物のせいで。
「あんたなら知ってるだろ? この世界においてオレより強い者は存在しないと」
既に彼らに背を向け歩き始めていた。
*
統也が去り数分。クレアの死体を処理したのちシムアは父である邦光と言葉を交わす。
「あの……父上、まさか彼はまだ……」
「ああ、よく気付いたねシムア。あれはまだ、起源覚醒を済ませていない。しかもなんだ、あの感じだと命が覚醒済みだと知らないようだ。彼も完璧・最強に見えて割と抜けてるところがある」
「でも父上の言う通り、素晴らしいお方でした。この疾患だらけの、欠陥だらけの私に感謝の言葉を述べてくださいました。私はあと30年生きられそうですが、願わくば彼との子をこさえ……んっふん! 少し不行儀な妄想をしてしまいました。いけないいけない……」
「んいや、きっと大丈夫。いつか彼に愛される時が来る。私はそう信じている」
(まぁいい。これから先、面白いことが起こる。これは長年で培った私の『勘』)
(……充分楽しめるだろう)
柳沢邦光は口を緩めた。
(彼とは近いうちに必ず会える)
(君はまだ気がついていない。私じゃなくても、命を狙う存在は五万といる、その事実に)
「君の敗北理由を教えてやろうか、名瀬統也」
君はね、ただ「自覚」が足りないんだ。自分の因果律に与える影響の深さを、「起源理論」における現象の変数を、現実世界におけるその極限を理解していない。
「君は自分が『神』である自覚も、起源の『王』である自覚も、何も持ち合わせていない」
だから負ける。
私にではなく、世界に。法則に。
負ける。
「そして何より君の、最大にして唯一の弱点――」
それは君が――。
「『最強』である事だ」
*
オレは簡単に人を殺める。
相手がその気なら、こちらにも同等の権利がある、オレはそう考える。等価交換だと。
「はぁ……」
だが、これで終わりじゃないはずだ。
少なくとも嫌な予感しかしない。
夜道を歩きながら六月の温風に巻かれた。
あとで命を送った里緒がオレの家に来る手筈になっているため、足早に向かわねば。何やらオレに話したいことがあるとか。
まあ、なんとなく察しはついているが。
「K、今日はありがとう。助かった」
同調越しに礼を述べた。オレの、最強の指揮官に。
「特に浄眼の透視距離と視界で可能な索敵距離は別物だ。Kがいなければ危うい状況だったかもしれない」
『こっちのレーダーとか索敵はあくまでチューニレイダーが予備機能として搭載している付随システムを応用してるだけにすぎない。統也のデバイスに付属する高出力コンパクトウェーブによる反響定位を無理に稼働させてる状態。だからむやみやたらと使えないから。マナの感知だけならイージーだけど、物体環境の選別コードなんてエラーばかり算出するバグ生産プログラムみたいなもの。今回のクルスさん発見作業みたいなのは、今後あまりやらせないでほしい。軍規定を思いっ切り違反してるし』
マナの感知は反響定位が楽。理由は情報化コードを一度物質干渉、実際の「波動」コードに変換する必要がないから。
情報を情報次元のマナ波動に変換するのと、情報を実際の空間波動に変換すのは雲泥の差。
その点今回のやり方は結構オレのチューニレイダーデバイスに負荷をかける非推奨な索敵手段。
本来脊髄へマナを送るだけの高出力コンパクトウェーブによる副次的強制稼働法。
「それでもKはやってくれた。違反してまで尽力してくれた。その行動力、覚悟、どれも生半可では出来ない。それでもKはやった。任務に直接関係のない、オレのサポート。それを見事遂行してくれた。感謝してる」
『それは……構わないのだけれど……』
急激に歯切れ悪くなり、何か他に言いたげ、釈然としない口振り。
「ん?」
『敵対象に対して「里緒が他人のものになるなんて耐えられない」とか「オレの里緒」とか言ってたよね……? あれは本気なの? それとも建前による演技? 里緒さんを懐柔するための策なら何も言わない、けど……』
「それをKが知ってどうする?」
『心配になってるだけ。あなたはその世界の住人じゃない。そこで人を愛すことがどれだけ残酷で報われない事か理解出来ないあなたじゃないでしょう? ……確かに以前、恋人ができたかとか質問した。でもあれは“一般”に馴染むための手段として訊いたにすぎない』
恋人、恋愛、そういった言葉はもう聞きたくない。
オレのアドバンサーとしての任務に、オレの生き様に、それは必要ない。そう判断した。
それだけでいい。
「オレには分からない。人を好きになるという行為が何なのか。相手を魅力的に感じれば、それがそうなのか? それとも情欲が湧けばそれがそうなのか? 大切に思えればそれがそうなのか? ……結局オレにはそれが理解出来ない。だからあれは、自然に出た言葉に過ぎない」
『自然に出た? それは尚更放っておけない。あなたは彼女をどうしたいの?』
そんなこと。
オレが分かるはずもない。
凛とディアナに、世間での常識、一般的な思想、在り方を教わっていたオレに。
そんなこと。
「……すまない、同調を切る」
*(理緒)
あたしは統也の指示通り命の護衛につき、彼女を自宅まで送っている最中だった。
バスの中、最初に口を開いたのは命ではなくあたし。
「命……あ、これから呼び捨てにするね?」
「うん……」
活力なく頷いた彼女は相も変わらずずっと窓から外を見ていた。面白くもない夏の外を。
あたしも彼女も既に私服に着替えていて、と言ってもあたしは学校の制服なんだけど……。
「じゃあ私も里緒さんって呼ぶ」
「いや、『さん』は要らないんだけど」
「私、基本『さん』『くん』付ける主義だから」
「へぇ……」
あたしはコミュ障だし当然命との会話は続かない。
統也は本音をぶつけても上手く返してくれるから凄いなぁ、と思ったり思わなかったり。
「ねぇ命……聞いていい?」
「どうぞ」
あたしは覚悟を決めて―――。
「統也と寝たって、ほんと?」
先の戦闘にて、アドリブで永無クレアに洗脳された振りをしてスムーズに作戦を進めた……。
その時、あたしは泣いた。
あれ、実は。
半分演技で半分本当だった。
もちろんクレアとかいう人にはこれっぽっちも、一ミリも、一マイクロも心を開いてはいなかった。
統也のことも好きなまま。
問題は――統也と命が実際に寝たかってこと。
そりゃやっぱり、ショックだった。
あたしが初めての相手であって欲しかったし、統也が命に心を許したという事実が、何より悔しい……。
正直、百歩譲って、他のことは許せる。
統也に関して疑心暗鬼になってきてるのもまた事実。何か大きすぎる隠し事があるのも、いきなり一人で会話し始める時があるとか、うなじの近未来装置とか、彼の豊富な知識とか、純粋に強さとか……どう考慮しても、やっぱりおかしい。
分かってるよ。でも。
アドバンサー? なにそれ、知らない単語だし。
英語で「アドバンス」が「進む、前進する」って意味だから『前進する者』?
意味不明。
統也ってほんとに何者なの?
どこに前進するの?
映画やフィクションだと特殊な訓練を受け育てられた秘密エージェント、とか?
なわけないか……。
「―――うん、本当だよ」
静かに、そして残酷に告げた。命は初めて窓の外からこちらを見た。図らずもあたしらの目が合う。
「気持ちよかった?」
「うん」
あたし、何聞いてんだろ……。
それでも命は無表情で答えた。ただ静かに頷いた。
「痛くなかった?」
「うん、最初は優しくしてくれたから」
「統也、凄かった?」
「うん」
「どのくらい、した?」
「いっぱい。朝になるまで」
「統也は、どんな顔してた?」
「凄かったよ。今まで見たことないくらい可愛い顔して、私のために必死に……」
刺激的で生々しい会話にも表情一つ変えない命。
その目はどこか虚ろで。
その顔は誰かを、何かを考えて、物思いにふける、そんな風にあたしには見えた。
当然あたしの方は、身体中の血流の巡りが急に悪化していく感覚を味わった。
妙にうるさい拍動。正体は分かっている。
ただの、妬み嫉み。
「羨ましい?」
静かに聞いてくる命が、なんだか今はとてつもなく怖い魔女に見えた。
「あたしがそれに頷いたらどうするの」
「どうもしない。だって間違ってないよ、好きな人が寝取られたら嫌な気分になるのは普通のことだもん。里緒さん……統也くんと交わってもいいんじゃないかな。今日にでも」
衝撃的な事をサラッと言い、再びバスの外を見始めた。
「え?? は? 何言ってるの?」
あたしは眉間に皺が寄るのを自覚する。
困惑を隠せずにいた。
「なんとなく今日……統也くんはあなたといたいって、そう思ってる気がするの。……意味わかんないよね? でも私、統也くんの大まかな感情なら読み取れちゃうから」
「そ、そうなんだ?」
統也から似た話は聞いた。連中が命を狙う原因となる重要なファクターが彼女にその第六感を与えているって。
それが脳波に近い何かであることも。
「ネットで調べてみたらね、『感情』って脳波によって読み解けるんだって。脳波のキャリブレーション? 感情を脳波測定で可視化する現代科学があるみたい。……私がね、気絶から覚めたら、少し遠くの統也くんの心が里緒さんに寄り添ってた。だから、今日は……里緒さん、あなたが彼を愛してあげて」
「ごめん、ちょっと意味わかんない」
「だよね……」
「うん」
感情を脳波で……?
統也の脳波パターン、周波数を読み解けるなら統也の感情を間接的に解読できる、ってこと?
スマホの検索で適当に調べると『Valence-Arousal Analyzer』という感情推定技術が出てきた。
一応「波動」は私の分野。脳波をテレパシーのように拡張する何かを、命さんは持ってるって推測可能。
「そもそもその話……私達が関係を持ったの、誰から聞いたの? 統也くんは絶対に人に話したりしない。別の人が知ってたか……それとも学校かどこかで噂になってる?」
「情報の出所は秘密。けど確かに統也じゃない」
「やっぱり」
彼女は何故か涙を流していた。あたしは訳が分からなくて、少し戸惑ったけれど放っておいた。
もし逆の立場なら、あたしなら何も聞かないでほしいから。




