茜の場合【3】
時系列的には茜【1】の続きです。(*)からが現在となります。
◇◇◇
現在より数日前。2022年6月某日。
午前0時47分。
私はキャミソールとショーツ以外何も身に着けていない状態でベッドの端に腰を下ろしていた。
同部屋の風間葵は今日、飲み会のお酌を担当している頃。
『話は変わるが……茜、意中の人とかいるか?』
「え? いきなり何?」
不意の指摘に私は思わず面食らった。
『いや、ただのコイバナだと思ってくれればいい』
「……逆に統也はいるの?」
『質問したのはオレだ』
はいはい、意中の人、ね。
「でも私、そういう質問には今後一切答えないつもりなの。少なくとも対面していないこの場では。人って通話とかメールとか、実際対面していない状況においては想像より話し過ぎちゃうと思う。心理的に近くなれたと思い込んで、心にあるハードルを越えないまま。きっと最近告白や大事な約束が電子メッセージ化されているのは、そういう側面がある。だから私はそういう大事な話をするなら実際に会って話したいって思う。……重いでしょ?」
問いながら後ろ髪を軽く押さえる。
『重い? 何がだ?』
「考えが重くない? 私ってかなり重い女だと思うけれど、自分でも」
『茜が重いなら、里緒も命も相当重い。大丈夫だろ』
いやごめんだけどそれはそれで大丈夫じゃない。
無駄なエネルギー消費を好まない私だけど、かちんと来た。
なんだろう。分かんないけど物凄く癇に障る。
「あっそ」
胸の奥がチクチクする。妙に脈拍を感じて、徐々に沸き上がる苛立ちと焦燥感。
里緒さんと命さん……聞くだけで私の下劣な嫉妬心がむき出しにされる。
反蝶術式での理緒と美琴……。
『茜って最近怒るようになったよな?』
「私のこと煽ってる?」
『まさか。オレに感情を見せてくれてるってことだろ』
「どうだろう、違うと思うけれど」
最近嫉妬ばかりして疲れた。
最近? いやもっと前から。もう一年以上嫉妬し続けている。
だから怒っていると受け取られても仕方がない。
『ずっと考えてた。茜は普段どんな表情をする人なのか』
ずっと? そこに反応してしまう私は随分単純な女。
「普通だけど? そもそも私の表情なんてほとんど変わらない。見ても面白くない」
『それが見たいんだ。ここまで長くオレに寄り添ってくれているのに、対面してお礼さえ言えない。理不尽だよな』
寄り添って、か。無償で他者に寄り添う女性なんていない。
統也はそれを理解していない。
『オレはいつか、茜と会ってお礼を言いたい』
駄目だ私、こんなこと言われて嬉しくなっている。
他の男からのどんな誘いも、どんな魅力的な提案も、どんな誉め言葉も不快に感じるのに。
彼は、お礼を言うために会いたいって言った。別に私と会いたいわけじゃない。
それに彼は知らないから、本当の私を。
会っても幻滅されるだけ。私が贋者――フェイカーだと知られて蔑まれるだけ。
そんなことを考えながら、彼との接し方にずっと悩んできた。色々な人格を演技して試した。
けど、別人として接するのも悪くはない。
でもそれはきっと結果論で。統也が私に悪感を持たなかったから。
もし持たれていたら……。
払拭するように私は首を振った。
私は本当の“私”として接していいのだろうか。
そもそも私は本当に在るのだろうか。
偽物の、私に。本当の部分など。
「真っ赤な嘘」に由来する起源色――私の紅き電光が、私を塗り尽くす嘘を焼き払ってくれれば、どれだけ楽だっただろう。
「そんな機会があったらね。でも、統也が私という重い女を受け入れられるなら、私はいつでも統也に寄り添うし、応援したいって思う。だから、お礼は必要ない」
私を受け入れてくれるか、受け入れてくれないか。
そのイェス・ノーに意味なんかないって分かっているけれど。
お礼を言いたいだけなら、そんな「会いたい」は要らない。
『……茜も打算で生きているんだな。こんな知りもしないオレにここまで親身になってくれたから、てっきり仏のように優しい人なのかと思っていた。でも、君にずっとオレのサポーターをしててほしいんだ。……お礼は言う。オレの同調に、要求に、いつも迅速に応えてくれてありがとう。でもその感謝とは別に、茜と巡り合えたらなって思う。そしてオレは重い軽いに関わらず、ここまで支えてくれた人には応えたい。だから、茜、オレは君を逃がす気はない』
こうやって私を包んでいく彼を、私は素敵だなって思う。
逃がす気はない……分かりずらい暗示。
でも、意味は伝わったから。
「ありがとう」
久しぶりに、四年ぶりに、私は微笑んだ。
愛想笑いでも嘘笑いでもない。本当の笑みを。
彼が居ない一年間、全てが凍ったような世界で淡々と生きた。モノクロの世界で。
なのに。
たったこの何秒かの言葉だけで私の口が緩むには充分だった。
この人がたとえ他の女性に盗られようと、彼を愛したい。
だって、こんなに遠いのに、こんなに近い。
*
現在。学校をサボり訪れた札幌市内中央区にある病院の一室。命と大輝の病室。
「命、そのままでいいから聞いてくれるか?」
布団を被る命みことに向け、言った。
「自分の気持ちに嘘はつけない。クリスマスの時、命はオレにそう言ったよな。だからオレも自分の気持ちに嘘はつかない。オレは、選ばない」
「え?」
驚くあまりか命が布団から顔を出す。その顔は「嘘でしょ」と語っていた。
分かってるさ。それがどれだけ最低なことかくらい。
でも、選べない。
「みんなが大切でみんなを守りたい。おこがましいことを言うが、オレは誰のものにもなる気はない。だから、選ばない」
「統也くん、それ本気で言ってる?」
「ああ」
「……ごめん、初めて統也くんがカッコ悪く見える。初めてだよ、こんな風に思ったのは」
「どんなになじられてもいい。ただ、オレは里緒とも命とも今まで通り一緒に居たい」
言ってる最中にも段々命は俯いてゆく。
何を思ったか命は大輝の方を見て、
「大輝くんごめん、ちょっと耳塞いでて」
そう言った後すぐさまこちらを向く。
大輝は「え、は??」と言いながらも仕方なく両手で耳を塞ぐ。
「今まで通り? それは無理だよ。統也くん去年のクリスマスに起こった事を無かったことにできるの? この間、霞流さんが統也くんの家に居た時、私真っ先に何を考えたと思う? ……霞流さんとしたのかな、だった。この意味が分かる? 統也くんには口止めされてたから当然言わなかったよ。私、統也くんと一夜を共にしことある、なんて自慢してマウント取りたかったけどしなかった。それは、統也くんが私の仕事に支障をきたさないために気遣ってくれてたからだと思ってた。だから誰にも言わなかった。けど、酷いよ……あんまりだよ……」
命は溜めていた不安などを放出すると、そのまま涙ぐむ。
「勘違いしてるようだから言っとくが、オレは里緒としたことはない」
「……え、じゃあこの間家で何してたの? 二人きりで何も起こらなかったの? ほんとに?」
「ああ、何もしてない。後ろから抱き着かれたがそれだけだ」
少し疑うような表情のあと、無理やりにでも納得したか頷く。
「……うん……信じる。……けど、やっぱり『今まで通り』は無理だよ。そんなの私にとって生き地獄」
今、命の脳内を占有してるのはおそらく独占欲。
里緒に取られたくないと考えている。
ならばどちらのものにもならなければいい。
「本当のことを言うとオレは、恋愛に現を抜かしている暇はないんだ。おそらくそんな精神的余裕もなくなる。だから里緒でも命でも、対応は変わらない」
そもそも異能界の情勢が荒れ始めている今、恋愛生活を堪能している暇はない。
オレは男である前に、アドバンサーなのだ。
「それに、命を傷付けたくない」
「逃げてるだけでしょ? 私を傷付けたくなんいじゃなくて、統也くんが傷付きたくないだけ。……もういい」
目を逸らす命は立ち上がると、患者衣のまま病室の外へ走っていった。まるでこの場から逃げ去るように。
「おい、いいのか? 追いかけなくて」
言ってくる大輝。
「ああ、あとで追いかける」
「ほーん。……てか、凄いな、耳塞いでたら何の話か全く聞こえなかった」
悪くない演技だが、目が一瞬泳いだ。
「嘘つくな。聞こえてたんだろ?」
「あー、やっぱ統也は騙せないか。おん、聞こえてた。てか、命としたってマジ?」
「ふざけて言ってるなら殺す」
「いや、別にふざけてねーよ。統也でも女子に興味あるんだなって思って驚きはしたけどよ。てか、ミコとしたって考えるとすげー」
「殺そうか?」
オレが睨んだからか、大輝は苦笑いしながら静かに合掌した。
「すまん」
「あのな、知られてしまったから言うが、半ば強引に迫られたんだ。もちろん最終的に承諾したのはオレだし、交わったのもオレだ。それは否定しない。だが、男はそういうのをオープンで生きてる。結果、女性が選択権を持っているものだ」
「なんか難しい事言って御託を並べてはいるが、つまりあれだろ? 性欲には勝てなかったんだろ? ならそう言えよ。統也、お前は普通に最低だよ。片方と肉体関係まで進んでおいて、里緒とも? 言ってることめちゃくちゃだ」
「言いたいことは分かる。だがオレは正直、この話を封印したい。真面目に恋愛について考えるのを一回やめたい」
「まぁ今結構外はきな臭い事ばっか起こってるからなぁ……統也の危惧も理解はできる。ミコ、命も可哀想だ、好きになった相手が異能士ってのも」
オレが黙っていると。
「あのよ、素朴な疑問なんだけどよ? 一般人と異能士が結婚するとかあり得るのか?」
「『日輪』ならあり得るんじゃないのか? 彼らは基本、他の職業や立場を持ってることが多い。二ノ沢楓は先生、玲奈は歌手、みたいな具合にな」
「あー、そういや前に言ってたな。まぁともかく命はちょっと可哀想だ。統也もまるっきり悪いってわけじゃねーよ。あんな可愛い子に迫られたら俺なんか一秒も抵抗せずに飛びつく」
「お前な……」
呆れている最中。
「いや、やっぱし俺も無理だな。別に里緒とも命ともあんまり仲良くないけど、多分裸でいられたらどちらにも飛びつく。そんくらい二人とも可愛いし魅力的だと思うわ。俺の認識が甘かった」
「勝手に二人を裸にするな」
「う~ん? なんだぁ? ヤキモチかぁ?」
「はぁ……」
オレはもう一度呆れながら、命を追いかけるため浄眼を発動した。
最近会話ばかりで申し訳ない……。




