転入【1】
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オレは校内を軽く探検しつつ見て回りながら二階の職員室へと向かった。
青の境界設立後に建てられたエリート校ないしは進学校なだけあって、校内はかなり綺麗でグラウンドや体育館もかなり広さだ。学校の中央部分が吹き抜けになっているのも非常に珍しい作りだと言える。
オレは職員室に隣接する応接室の正面まで来たところでいったん止まり、中を確認する。
当然、肉眼でドアを貫通し視野が広がるはずもないので、オレは特異的な「眼」を使用することで中を確認する。
(女性が一人……か。怪しい物も持ってなさそうだ。問題ないな)
そもそもこんなに警戒する必要もないのかもしれない。オレはこの学校で適応していく力が必要となるが、それは危機察知についてのことではないからな。
オレはわざと二度ノックをして応接室に入る。
まず目の前にはテーブルとそれを囲むソファが三つあった。正面奥に一つ、右左に一つずつだ。
そのうち左にあるソファに一人の女性が座っていたが、立ち上がりこちらを向く。
立つと身長は170弱。おそらく20代ほどで若めの先生だろうと考えられる。化粧は薄いが、髪は淡い栗色に染められており後ろで束ねていた。
「これから少なくとも一年間あなたの担任になる二ノ沢楓よ。専門教科は古文を担当しているわ」
彼女は笑いかけながらそう言いオレに握手を求めてきた。
が――――オレはその手を取らない。
「オレはこの学校に来てまだ数分ですよ。何のつもりです?」
オレは軽く二ノ沢先生を睨みつける。
「っ……?」
彼女は目を大きく見開く。
「……悪かったわ。あなたを少し試してみただけよ。杏子の弟だって聞いてたから、どれほどなのかってね。でも統也くん、思っていたよりいい男じゃない?」
二ノ沢と名乗る先生は空間制御方式の異能を展開していた手を下げる。
転校してきた生徒に対し「いい男」はまずい表現な気がするが、まあいいか。
彼女は最初こそ、オレが気付いたことに驚いたような表情をしていたが、すぐに最初の笑顔に戻っていた。
(転入早々にこれかよ)
どうやらこの女性はただの教師ではないらしい。
つまりこの栗色の髪は染めたわけではなく、オッドカラーによるものである可能性が高い。
彼女の瞳も髪色と同様に淡い栗色だったことからオレはそう推測することが出来た。
要は、彼女はただの教師ではなく異能士ということだ。それも相当な腕前なのだろう。
なるほど。Kがこの学校に来れば、すべてうまくいくよう手引きしてあるらしいと言っていたが、このことか。
この学校は別に異能士がいる学校ってわけじゃないはずだ。なんなら、異能士の存在を暴露すれば、異能士協会から追放されるかもしれないレベル。だが、異能士の先生がオレの担任ならば色々と上手くいきやすいだろう。そう計らったというわけだ。
それに彼女は杏姉のことを知ってるのか? 親しげな様子から考えると同期だろうか。
「ご期待には沿えましたか?」
「ええ、十分よ。あなたの凄さは今の一瞬で分かったわ。よくアメリカからこんな所まで来てくれたわね。私たちはあなたを歓迎するわ」
彼女は元のソファに腰を下ろしながらそう述べた。
「それはどうも」
「あ、ちなみに今のオレに引っ掛けようとした異能はなんて種類ですか?」
「んー? ずばり聞いてくるわねー。まあ、隠すことでもないし、私はあなたの異能力を一方的に知っているから、教えるしか選択肢は残ってないんだけど………知りたい?」
彼女は勿体付けるように訊いてくる。
「ええ、教えてもらえるのなら」
オレが答えると彼女は満足そうに頷く。
「私の使用する異能は空間を捻じ曲げる能力『歪曲』と呼ばれているものよ」
「……歪曲?」
そんな名前の異能は聞いたこともない。初耳だな。
「聞いたことないでしょう。二ノ沢家の血脈異能の一つ『歪み』を利用した異能力よ」
そういえば、異能士学校時代、決闘で全勝無敗の杏姉さんが一度だけ負けたことがあると話していたのを思い出した。
確かその負けた時の相手、つまり杏姉に勝った人物が使用していた異能が空間制御方式のものだと聞いた。
もしかしたら、その人は目の前のこの教師のことかもしれないな。
空間制御方式とは、簡単に説明すれば空間制御や空間断裂、三次元干渉を可能とする高等異能で、この種類の異能を完璧に使いこなすのに20年はかかると言われているほど。
「統也くんの異能は『檻』でしょう?」
「ええ、そうです」
「檻……ね。名瀬一族血脈の能力よね。空間を切り取ることにより、防御と攻撃の両方に転用することが可能。また、結界のようにある一部分だけ空間を切り取り、他のものの進入を阻むこともできる。いわば空間を制御する能力。私と同じ空間制御方式の異能力」
彼女は何か昔のことを回想するかのようにそう語った。
「わざわざ説明ありがとうございます」
「あなたも大変なのね……」
「そうですか?」
もし同情のつもりなら、それは必要ない。オレは別に困ってもいなければ、憐れまれるような状態でもない。
「それにしても本当に偽名を使わなくていいの? 杏子からはそう聞いていたんだけど」
随分と急に真面目な話を始めたな、と感じる。
彼女は先ほどまで異能の話をしていたが、その「檻」の話をしたことにより名瀬の名前について想起したのかもしれない。
「偽名は必要ありません。もし必要になるとしても異能士学校でだけです」
オレは強めに偽名が必要ないことを強調する。
「そう……分かったわ。あなたがそう言うならそれでいいけれど」
実際、この高校で偽名を使う意味は無いに等しい。
異能力者か異能士以外の人間で名瀬家がどんな家系か知っている人物などほとんどいないだろう。
隠しておくリスクを抱えて高校生活を暮らすことになるくらいなら、偽名なんて使用しないほうがいい。
その後、二ノ沢先生はこの学校がエリート学校であるが異能士の存在は当然伏せておくこと。
またオレの任務について。その任務遂行のために必要なこと。人材。この学校で生活していく意味。
その他諸々を説明し終えた。
「分かりました。その霞流里緒さんという人に聞けば全て分かるんですね」
「分かるというか……里緒が教えてくれると思うわ。それと書類とかは提出しなくていいから。杏子や伏見家から話は聞いてる分、その辺は心配しなくていいわ」
「ん?」
杏姉の方は理解できるし当たり前のことだが、伏見家からも根回しがあったというのは少々意味が分からない。
オレはこのことについて納得がいかなかったが、思考の途中、旬さんのセリフを思い出すことで全てに合点がいった。
あーそうか、なるほど。
「その学校へ行けば全てが上手くいくから俺を信用しろ」というのはこれのことか。
旬さん、あんたはこんなところにまで影響力を持っている人物なのか。
その知名度と権力は計り知れないなと改めて認識させられた。
さすが師だ。
「ちなみに姉さんは今どこに?」
先程から杏姉と呼んでいるのは正真正銘オレの姉だ。
本名を名瀬杏子という。
姉さんは名瀬家の現当主であり、旧当主の父・名瀬惟司から引き継いだ異能力「檻」を継承している。
その「檻」はオレが使用できる異能の名称でもあることは言うまでもないだろう。
ちなみにオレにはもう一人、名瀬白愛という兄妹がいるが、あいつはうまくやっているだろうか。
「……? もしかして聞かされてないの? 杏子は今、北の討伐隊に加勢しているところよ」
二ノ沢先生は不安そうな表情を作る。
「北……? 北海道よりもさらに北……ですか?」
あの杏姉さんが加勢しているんだ。国内であるはずがない。
「シベリアよ」
シベリア? なぜロシアに。
オレは二、三秒考えてすぐにその答えを得た。
援軍要請が来ていたとKが言っていたが、おそらくそれがこのシベリアの戦線の話だったということだ。
だとするならば、だ。
何故か理由も分からず青の境界内に生き残っているとされる影たち。数年前からその影が度々IW各地で見つかるようになった。
それを討伐しIWから影を駆逐するのが異能士としての仕事となる。
奴らがどっから湧いて出たのかは知らないだろうが、その存在を認知している国民がいるのはまずいな。
現在シベリアでは有能な姉さんが派遣された状態とはいえ、戦線を明確に引いているレベルで戦闘が激化している恐れがある。
それほどの激しい交戦ならば、青の境界の内側に影が存在していると一般人に明かされるのも時間の問題だろう。
トップシークレット1~4まであります。




