イザナミ
*
何日後、6月22日(火)。朝早め。
互いの家自体が近いこともあり、オレは大輝と駅まで一緒に登校することにした。
自分の制服ブレザーのシワを直していると。
「まじで最近俺思うんだよ。玲奈ってマジ可愛いよな」
歩くオレの隣でいきなりそう言いだす大輝。半ば独り言だがオレは横目に彼を見た。
「急にどうした?」
「いやな、昨日テレビに出ててさ、やっぱりめっちゃ可愛いなってなった。なんとなくやんわりとしたあの顔でニコッてするとマジヤバいんだよ。金髪も似合うよなー。……てかあれか? あの金髪ってもしかして……」
「ああ、まあ、そういうことだな」
玲奈推しの大輝は今気づいたのか、もっと前に気づいていたのか定かではないが、アイドルとしてテレビにも出演する伏見玲奈の「金髪」がオッドカラーであると思い至ったようだ。
以前の大輝生殺審議の際、伏見玲奈は異能者であると自分から明かしていた。
「『伏見』と『ホワイト』のオッドカラーは両方先天性の“金髪”だからな」
「ってことはあのブロンドヘア、生まれつきなんかー。尚更推せる」
「玲奈の話は分かったが、命はどうなんだ?」
オレは気になり聞いてみた。最近は忙しくて学校にも来ていないが。
近頃は命よりも里緒と接する機会の方が圧倒的に多い。以前は学校では命、他の活動では里緒と、一緒に居た。しかし時は移ろいで行くもの。
小さな変化でも世界はダイバージェンスのように変わっていく。
いつまでも同じように、とはいかないのだ。
「ミコ? うーん、まあ可愛いけど、あれは駄目だな。今アイドルといえば『ミコ』だろ。世界はフィーバーしてる最中だし。良くも悪くも人気すぎるつーか。ライバルが多いっていうか、ミーハーっていうか……」
「そうなのか?」
それを言うなら玲奈も相当人気だと思うけどな。命に引けを取らない。
青の境界がこの世を囲うその前から、玲奈はアイドル歌手として有名だった。しかもソロで。……世界の歌姫、ソルヴィノと並ぶ絶対的スターといったところか。
一方命はミコという名前で、四人グループ「Say me」のセンターとして所属している。
他の四人のメンバーについてはメディアに触れる機会が少ないオレにとっては興味のない事なので知る由もないが、そもそも世間でもミコがダントツ圧倒的人気を誇っているためあまり関係ないと言える。
大輝のは、そう言う意味での「ミーハー」なのだろう。
まあ分かるがな。忖度のない評価を言うと彼女は相当可愛い。仕草も声も、言うことも。全て。
彼女の近くに居る時、彼女が可愛すぎてオレが戸惑うことさえある。アイドルとして名声を博すのも分かる。
かく言うオレもこの間テレビでの命を観賞してみた。
このせ……というより、アイドル文化というものにあまり詳しくないためオレは総じてよくは分らなかった。率直に言うとそれがオレの感想になる。
一年前は必死にテレビなどのメディアから流行などを学んだりもしたが、生活していくうちに流行についていけなくてもさほど問題ないとの結論を得た。
それでもやはりここの文化は難しい内容が多い。
里緒にはよく「そんなのも知らないの?」と言われたものだ。
「ミコってうちの学校にいるんだよな。マジで実感ない。しかも統也が言うには俺達が護衛する対象なんだろ? その辺の事情は俺にはよく分かんねーけど。……お前って純粋に人脈凄いよな。マジでどーってるんだよ。アイドル二人と知り合いとか普通におかしいだろ」
オレはそれに対し何も言わなかった。
そんな時、まるでタイミングを図ったかのように自分のスマホがバイブした。
LIMEというチャットアプリでメッセージを受信した際にだけ反応する特殊なバイブである関係上、すぐにLIME上の誰かからの連絡だと分かる。
うなじが痛めばそれは茜からの連絡であるわけだが。
中道、歩みを止め、そんなくだらない思考の中スマホを手に取りチャット欄を開くと、新着に命からのメッセージ。
「命?」
普段の命はオレに連絡してくることが少ない。少し意外だった。
みこと 07:48「なんかヤバいかも、、、 どうしよう︎;;」
統也 07:48「どうかしたのか?」
みこと 07:48「分からない。今日CMの撮影あって車で送迎してもらってたら、うしろで爆発が起きたみたい、、、 それ以上のことはあまり分からない。でもなんか怖くて」
それを見ていると大輝が横からスマホを覗き込んでくる。
「LIME? しかも相手は件の命。現役アイドルとLIMEとかお前どんだけ羨ましいんだよ」
「悪いがふざけている場合ではないかもしれない」
真顔で伝えるとさすがに理解してくれたか、大輝の緩んでいた表情も硬くなる。
「マジで……? なんかあったのか?」
時を移さず浄眼を用いて命へマーキングした呪印を辿ることにした。
満一秒で二時の方角を視る。
中道である関係上、アパートなどの建物に周囲は囲まれていたが、『透視』という作業の前に物理的距離は大して意味を持たない。
とはいえレーダーのように瞬時に彼女の居場所を特定できるわけではないため、多少の時間はかかる。
呪詛が成せる軌跡を追尾する感覚。
そんな時だった―――。
切迫感を煽るようにもう一度スマホがバイブレーションする。今度は電話を知らせるもの。
心做しかその振動が警告を示しているように感じた。そんな、珍しくも曖昧なフォーリングがオレを襲う。
表示を見ると、噂をすれば「伏見玲奈」の文字。
すぐさま通話をオンにし、スマホを耳元へ持ってくる。
「もしもし、オレだ」
『統也! 申し訳ない。いきなりだけど今すぐ指定の位置に向かって!!!』
「は?」
『いいから早く!! 質問禁止、横着厳禁、お願いだから早く向かって!』
いつになく焦る様子の玲奈。こんな慌てた玲奈の声は初めて聞いた。
よく分からないがまあいい。緊急なことだけはよく分かった。
「了解だ。座標は?」
話ながら大輝に「一緒に来い」と目配せする。すると「げー」という顔をする大輝。
『今、チャットに送った』
オレはその座標をマップで確認する。
なるほど、ここからそんなに離れてないな。
札幌西区……か。
オレと大輝がいるのは札幌市中央区。西区はまさに隣接するためそこまで離れていない。
「足で行く。その途中、事情を説明してもらえるか?」
『うん……』
オレは大輝に近寄り、彼のカバンを手に取り、その辺の中道の道路脇に置く。自分のリュックもその隣へ添える。それらの操作を素早く行ったかと思うと、急に走り出す。
「えっ、ちょっ……! 待てって!」
慌ててついてくる大輝。
大輝には基礎的な異界術の他、マナや呪詛の知識、異能に関連する情報を叩きこんだ。
マナ作用を利用する筋力増強といった【生体異界術】。マナを体内で上手く固定する骨格硬化、肉体強化の【一般異界術】。共に教えた。
彼は数日で見事会得して見せた。
後日リカから聞いたのだが、彼は思いの外努力家とのこと。
その成果か、生体異界術で強化したダッシュの速度についてきている大輝。
制服姿で走る二人男子高生、と周囲から目線を集めるが、そんな小さなことを気にしている場合ではない。
「話していいぞ」
『結論から言うね……。私の所の護衛が殺られた。全員命ちゃんに付いてた人員』
「っ……」
命の護衛が殺された? 一体誰に。
命には伏見家の専門護衛人がついていた。より一層その人員を増やしているため「三宮勢力」からの被害は激減した。
しかし、これは―――。
「命からは後方で爆発があったとの報告を受けたが」
『おそらく、敵と思われる何者かと、命ちゃんの護衛がかち合った。爆発はその戦闘時に起きたものだと思われる』
「つまり、狙いは命、か」
『多分』
「護衛がやられたと、どうして分かった?」
『護衛が付けてる特殊腕時計。脈拍を測ることで体調などを知れる』
それで護衛全員の死亡を確認した、と。
「今日担当の護衛は何人いたんだ?」
『10名ほど……』
ばつが悪そうに話す玲奈だが、玲奈が悪くないことも彼女の責任じゃないことも理解している。
それでも、もっと人員を割けばよかったと軽く後悔しているのかもしれない。
「護衛の階級は?」
『全員A級異能士』
「そうか」
さすがにA級10名をしばいたとなると只者ってわけにはいかないか……。
『私もこれから向かうけど、今、近場に居ないから……あなただけが頼りなの。悪いけど……死守で』
「言われるまでもない」
『……すっごい頼れる。ありがと』
藁にもすがる思い、というやつだろうな。玲奈の声が救いを求めている。
そもそも、オレという怪しい名瀬一族を、玲奈はなぜか結構信頼しているらしい。
「敵は三宮家か?」
『多分違う。派手な感じが似てなくもないけど、今回のは毛色が違う気がする。瑠璃姉さん達は確かに爆発が好きだけど、命ちゃん誘拐に荒っぽい手段はあまり取らない。今回みたいに護衛を皆殺し、とかはしないと思う』
「一理あるな」
だが、そもそも瑠璃は―――。
おそらく玲奈は気づいていないんだろうな。オレは瑠璃と会って、話をしてすぐに気付けたが。
まあいいか。今は関係ない。
「敵勢力次第では反撃してもいいか? 大事になったときのために便宜上、玲奈の直接許可が欲しい。名瀬家は今、肩身が狭いからな」
『別にいいよ。敵対象への反撃を許可します。……その代わり、絶対に命ちゃんを守ってね』
言われるまでもない。
「了解だ」
*
到着。
札幌西区のとある街中。現場に到着したとすぐに理解できるほど辺りは騒然としていた。
まず目に入るのは大きな炎。火事現場。大きく分けて三軒くらいが燃えてるか。
浄眼によるコバルトブルーの瞳を維持したまま奥を探る。
あっちだな。
向こうに命へ施した呪詛の気配を感じる。
高く煙が上がる方向へ進む。
周りの一般住民はオレ達より逆走するが、正確にはオレ達が逆走している。避難する足並みとは明らかに逆。煙の場所へ向かう。
住民たちの多くは、恐ろしい爆発の現場へ向かう不思議な存在――オレと大輝をチラ見するが、それどころではない様子で反対側へ走って逃げていく。
野次馬で溢れているかと思ったがこれなら問題ないな。
戦場を覆うように大きな『檻』を展開し、現場を隔離しようとも思ったが、あとで玲奈が来た時、人物を選別する術式が厄介になるだけか、と思いやめる。
それでも。できるだけ一般人の介入はないようにしたい。
直後、隣で嫌そうな顔をして煙を直視していた大輝に話しかけた。
「大輝、お前に先に言っておく。生身でもプラチナダストによる傷口の回復は使えるだろうが、緊急時は影人化を許可する」
「は? いいのかよ」
顔をしかめ、こちらの発言を疑う。
「ああ、規約は違反してない。内容は、オレの前では影人化を許可する、だろ? 何も問題ない。そのためにお前を連れて来た」
「いやいやいや? おいおいそれ本気かよ? 統也ってお前、結構……てか、かなりアホか?」
「さあな」
ただオレが、命を守るためならなんでもするというだけの話だと思う。
*
路上、火を上げる半壊した車からかろうじて体を出す、私服の命。周辺は黒煙で充満していた。
道路の上、彼女はうつ伏せで目を覚ます。
「……あれ……私……なんでっ……」
錯乱する脳内は朦朧としていて、意識はままならなかった。
(くらくらする)
(どうしてこんなことに……)
彼女は身体の至る所を痛めていたため、すぐさまこの場を離れるという判断に基ずく行動が脳神経から伝達されていても、実行できずにいた。
「ここから離れないと……」
地面を匍匐前進のように這い、頑張って進むことを試みるもあまり上手くいかない。
(たしか、ガソリンに引火する前に離れないと、車が爆発するんだよね……)
そんな時、運命は彼女を逃がしてはくれなかった。
「お前が森嶋命か?」
30代後半くらい声。細身の容姿の男性が近づいてくる。彼の服装は白い伝統宗教衣装のようなもの。髪型は普通だが全身の肌部分が白い包帯により巻かれていた。肌という肌を確認できない。全て包帯でまさに不気味。
さらに男の手には一メートルほどの両刃の剣が握られていたが、命はいわゆる近視であり、コンタクトを付けていない今、それを明視することは叶わなかった。
加えて肩の部分に、十字架のような青いマークの刺繍が入っていた。
「助けて……ください」
命は力を振り絞り声を発する。
「助ける?? お前は馬鹿だな。アイドルになって有名になったかと思えば、これか。平和ボケっつーのかな。気持ち悪」
(待って……! どうして助けてくれないの……)
(というかこの人……包帯!? 誰!?)
遅れて状況を理解する命。希望が絶望へと分かりやすく変化し、怯える。
(この人、誰!?)
「おお、でもイイ脚してんな」
言いながら伸びる男の手。包帯で巻かれるその手が、ミニスカートの下、命の素脚に淫猥に触れる。
「っ……!!」
(怖い……怖い怖い怖い)
想像を絶する恐怖と寒気、急激な戦慄に肌が粟立つ。
うつ伏せになる命の太ももの裏からお尻にかけて這わせてくる卑猥かつ官能的なタッチを受け、命は目に涙を浮かべる。
(統也、助けて……)
「それにしてもお前、黄泉の神“イザナミ”の美音に似てないな」
男は上から語り掛ける。
(美音、さん? 私の伯母の名前を……どうして!)
「あーいや、言われてみれば似てるか? 唇とか」
そう言って屈んで顔を近づけてくる。
(どうしよう、怖い)
(助けて……。統也、統也、統也!!!)
「ま、楽しんだしもういいや。アイドルって犯してみたかったんだけどな。九神を浸蝕するのは、聖境の信仰に背くからな」
男は一人悦に浸りながらも表情を緩めた。
「お前がどの称号者の座を内包してるかは知らんが、最高司祭からの指示だ。悪く思うなよ」
その男は、右手に握っていた両刃の剣の先端を下に向け、弱り、道路で横たわる命へ垂直降下させる。
気味の悪いほど銀に光る剣先が命の背中に――――。




