二者択一というコップ
*
オレは一時限目の前の休み時間、二階男子トイレの個室に入り『避役の檻』を展開し、防音にした。
すぐさまマフラーのうなじ部分を晒し、そこに位置するチューニレイダーの電源を入れる。
そして一定の操作後。
『はい、こちら「K」。……緊急? それとも雑用?』
「雑用の方だ」
『分かった……』
その後お互い話すのが久々なのもありしばらく沈黙、静寂が訪れる。
人間関係において二か月ほど音沙汰無しならば、実際連絡したとき少し気まずくなる現象があるが、それ。
『それにしても久しぶり』
「ああ、かなり久しぶりだな」
『私のチューニレイダーデバイスのメンテ、相当時間かかったから』
「らしいな」
言いながら考えていた。茜の、抑揚のない、感情のないこの口調。透明感溢れるこの声音。これがずっと聞きたかった、と。
その澄んだ声を耳に通す。正確には内耳神経へ通すわけだが。
『それで、調べてほしいことは?』
まるで、何か調べてほしいんでしょう? と言わんばかりの口振り。
まあ正解なんだが。
「『シュペンサー・火花・クルス』という人物についてだ」
『ふーん……また女子? 呆れを通り越して凄いと思う』
その発言と同時、何かしらのタイピング音が聞こえてくるのでおそらくダイヤデータの情報ベースから名前を照合している最中。
「オレが関わってる人に女子が多いと言うより、異能者の女子率が高いって事実に注目すべきだ。言っておくがオレは女好きってわけじゃないからな」
『分かってるから、そのくらいは』
訝られると思っていたが意外も意外、茜はオレのその言葉を信用した。
ずっと女好きみたいな言われ様だったのでてっきり信じてもらえないとばかり思っていた。
『はい調べたよ。シュペンサー・火花・クルス。劫火一族の近縁で使用異能は「焔」。通常形体残しで、特殊変化はなし。ただ………』
そこで言いやめる。
「ただ?」
『聖境教会の中でも裏稼業を兼任する特殊委員会に入ってて、その中では特に狙撃手をやってるみたい』
「狙撃手?」
妙だな。
『うん。担当は遠距離攻撃、追撃、その他後方援護。直近のリーク情報からはここまでしか特定できないかも。それ以上の情報になると誤認誘導の可能性がある』
つまり、リークされた正確なインフォは述べた通りで、それ以上の情報はあえて誤った情報を流している可能性の方が高いらしい。異能界ではよくあることだ。
それにしても――。
「異能『焔』で後方援護や狙撃? そんなことは普通あり得ない」
風間一族なども扱う『焔』派生の固有異能は直接作用の異能。手先や身体などから空中に放出するマナ反応により炎を生み出す異能。
異能界一般的に遠距離攻撃の役割はもらえない。もっと言うと不可能に近い。
それを「遠距離」という事は念動系の『焔』を操れるということ。
この世界では『念動』――Psychic、『マナ反応』――マナの術式、『異能力』――異能作用の標準。他、異界術、古式異能、呪詛、魔術など、概念の分類が信じられないほどに雑。甚だしく適当なのだ。本来はどれも異なる分類に入る能力類。
科学水準、文明レベルから考えればこのガサツさにも納得せざるを得ない。
それにしても酷いものだ。
シャルロットに会ったら必ず落とし前付けさせてやる。誰の指示か知らないが、こんなことが出来るのはこの世に唯一お前しかいないからな……そうだろ? シャルロット・セリーヌ。
『その人と戦うの?』
その人とはクルスのこと。
「まだ分からない……が、おそらく戦うことになるだろう。なんとなくそんな気がする。で、大体オレのこういう勘は当たる」
『そうかもね。それで、実際どう? 特殊委員会直属の狙撃手が相手だけれど、勝てそう?』
「さあ、浄眼で見てみないとなんとも……。まあだが、必ず勝ってみせるさ」
『はいはい、さすが。またなんかあったら言って』
「了解だ」
*(里緒)
「シューさん、一時間目の古文の教科書忘れちゃったんだけど、少しの間あたしに貸してくれない?」
あたしは後方斜めのシュペンサー・火花・クルスに向けそう言ってみた。
赤髪ツインテール、つり目、不愛想な無表情という特徴的な彼女に。
身長はあたしより低いが今は座っているのでその差は分からない。
「は? 私の教科書無くなるじゃない。そんなことも分からないのかしら? あなたバカ?」
眉間に皺を寄せ不機嫌を隠そうともしない様子で刺々しく言われた。
やばい…………!
我慢だあたし! 我慢我慢!
………めっちゃ腹立つ!!!
けど我慢!!
「いや~でもさ、シューさん古文得意手でしょ。教科書なくてもイケちゃうんじゃないかなって思って」
「まぁ……大丈夫ではあるけど……」
「それなら貸してくれない? あたし古文苦手でさ」
さて、どうする?
そう身構えていたけど、対するシューは思ったより無反応。
「別にいいけど、必ず返してよ」
ぶっきらぼうに教科書を手渡すとそのままノートを開き授業の準備を始める。何もなかったかのように。
この子。もしかしてだけど……あたしより友達少ない??
*
「は~い、今日の古文はここまでよ。明日の予習ちゃんとやっておくことー。いいかしら?」
古文担当の二ノ沢楓先生が授業終了を通告すると同時、学校のチャイムが鳴る。
里緒は授業が終わってすぐ右斜め後ろ……シューの席を向く。彼女に用事があったからだ。
「シューさん、古文の教科書貸してくれてありがとね。助かっちゃった」
「別にいいわよ」
対するシュペンサー・火花・クルスは変わらない不愛想。ツンツンしていた。
その様子を教卓付近から見つめていた二ノ沢楓。
(里緒が自分から他人に話しかけている? しかも相手がクルスさん? 珍しいこともあるのね。……今日は雨でも降るのかしら?)
「あのさ、迷惑じゃなければ昼に学食奢るよ?」
里緒はシューがいつも一人で学食に食べに行くをことを予め知っていたためそれを引き合いに誘いかける。
「は?」
(この霞流って女、どういうつもり? 急に食事に誘ってきた?)
「いや別に、お構いなく」
様々なパターンを考慮した末に誘いを拒むシューだが、里緒も食い下がる。
「だって今日の古文、教科書貸してもらって凄い助かっちゃったし、なんかお礼がしたいから」
(さすがに無理があるかな……)
里緒は右耳に長い髪を掛ける仕草をし、統也から貰った蝶のヘアピンを手早く付ける。
(でも、このくらいしか思いつかないしな。統也ならもっと自然に誘導できるんだろうけど……)
その後、里緒は自らのスカートを直す仕草をしていると。
「じゃあ……いくらまでならいいのかしら?」
「えっ?」
あまりに文脈からズレていたため驚かずにはいられない里緒。
一方シューは里緒から目を逸らす。
(まぁ少しくらいなら奢ってもらおうかしら? す、少しなら……)
予想外にもシューはそう考えていた。
「えっと、800円までなら?」
「分かった行くわ」
シューは即答した。
(え……なんかあたしの作戦上手くいったんだけど……)
なぜならシューは貧乏な暮らしをしていたからだったが、当の里緒はそのことに気付いてはいない。
金欠、貧しい暮らしを強制されているシューは食事関係の取引になると弱かったのだ。
里緒は偶然にもそのウィークポイントをついた。
*
ついに昼休みがやってきた。
校内学食にてシューと里緒の二人は校内生徒の視線を集めていた。
シューは名目上転校生という体だが、その容姿は三大美女に引けを取らないという。更には里緒本人はその校内三大美女に該当する一人。
つまり二人が周りの、特に男子生徒からの熱い視線を収集するのは当然の流れだった。
そんな中、周りはがやがやと生徒らが食券を買っていく。
「シューさん何買うの? 食券」
里緒は何か会話をしようと尋ねた。
「私? 私は豪華定食を……」
(え、豪華定食って750円のやつじゃん)
*
里緒はざるそばを購入し、シューは豪華定食というセットを購入した。
それぞれ並びながらテーブル席へと座る。
(統也以外の人に見せるものなんてないんだけど)
里緒にとっては男子生徒からの視線が少し不快だった。
統也からの視線はあんなにドキドキするのに、なぜこんなにも同じ男子という生物でも違いが生じるのか、と。
それに。
(そろそろ統也が……)
「――今更だけど私、あなたのことなんて呼べばいいのかしら」
シューは割りばしを割りながら隣の椅子に座る里緒に尋ねた。
「普通に里緒でいいけど」
「じゃあ里緒、奢ってくれてありがとう。正直感謝してるわ」
「そお? こんなんでいいならいつでも」
そう言ってからしばらく時が流れる。実時間にして二分にも満たない時間だろうが互いのコミュニケーション能力不足が露見し、変な空気が漂う。
もくもくと二人は箸を動かし食事を口へ運んだ。
その空気感を初めに破ったのはシューだった。
「あの……ここで話すのは気が引けると思うけど、里緒ってどのくらい稼いでるの?」
「稼ぐ? 仕事でってこと?」
「ええ、もちろんそうよ」
要約すると異能の仕事でどのくらい稼げるのかとシューは訊いている。
もっと言うなら影人討伐でどれくらい儲かるのか、という入り組んだ質問。
(やっぱりあたしが異能士なのはバレてるんだね。当たり前か)
「いい月だと60万稼げる。ほとんど異能税で引かれるから30万も残らないけど」
「そうなの……やっぱり異能商業法は改定が必要ね……もぐもぐ」
(いや、もぐもぐって……)
そんな時。
里緒は明確に知っている気配を背中に感じた。
「わ」
なんの勢いもない「わ」。語気が軽い。同時に安心する手の感覚が里緒の背にあたった。
普通は驚かすために「わっ!」くらいやるものだけど統也だし、と里緒は納得していた。
「そんなんで驚くはずないでしょ」
「そうか。一年前にやられたことをやり返してみたが、上手くいかないものだな」
統也が淡々と言いながらも里緒の隣に座る。両手にはトレーに乗るカレーが。
「は……!?」
(どうしてここに脅威・名瀬統也が……?)
今までにないほど焦るシュー。
少し考えてすぐに結論は出た。
(里緒……この女謀ったわね)
(クソ、食べ物で釣るなんて姑息……!!)
統也は冷静にシューを観察した。これには二つの意味がある。浄眼で観察するという意味と、単純にどんな人間であるかを見極めるという意味。
「ごめん、びっくりした? 彼は名瀬統也、あたしの歯車だから気にしないで」
(なんだよ歯車って。どんな紹介だ?)
(おそらくギアのことなんだろうが)
里緒が言うとシューは静かに、それでいて素早く立ち上がる。豪華定食はまだ明らかに完食していなかった。
「私、帰る」
(冗談じゃないわ。目標・森嶋命を護衛する存在――脅威・名瀬統也と並んで仲良く食事? 馬鹿馬鹿しい……)
(そもそも名瀬統也、この男はレベチ。対面するのは危険)
(以前派遣された専門の狙撃手へ的確かつ迅速な対処をしてみせた。正直異次元の男。今の段階で目標を狙ってもおそらく勝機はない)
シューにそう思わせるほど、統也の影響力は大きかった。
異能の裏社会では「脅威・名瀬統也」と呼ばれるような存在。
彼をよく知っている者や彼と対峙した者は、高校生の域を超えた異能者としての彼を心得ているのだ。
「シュペンサー・火花・クルス」
統也はそれだけ言った。いわゆる、呼びかけ。
食べかけの豪華定食が乗るトレーを持って離脱しようと歩き始めていたシューは、背を向けたまま足を止める。
「何かしら?」
振り向かず聞く。
統也側からシューの表情や面持ちは視認できない。
「お前、学校ではやらかすなよ。一般生徒に手を出すようならオレも容赦はしない」
「そう……。なら問題ないわ。なぜなら……」
「――命を狙うなんて以ての外だ」
統也は、一般生徒に該当しない九神の森嶋命ならいいでしょ、と言おうとしたシューを封殺する。
「あなた、聖境教会に逆らってると痛い目見るわよ? これは脅しじゃないわ。警告よ」
「助言感謝する」
「助言でもないわよ……。一応教えておくわ。仮に私を殺してそれで終わりだと思っているのならあなたも大したことない」
「そんなこと、端から思っていない。所詮オレとお前では住む世界が違う。その先のことは誰にも分からない」
「ええ、そうね。でも……」
そう言って間を開けるシュー。
「あなたはもっと取捨選択をするべきかもね」
言われた統也は自分でも気づくほどに目付きを強める。皺が寄る眉間。
(コイツ……気付いたのか。オレと話したこの一瞬で?)
(分かってるわよ。あなた、標的だけじゃなく、そこに居る里緒も守りたいんでしょ?)
(折角そんなに強いのに、勿体ないくらい傲慢な人……)
「でもね。よく覚えておきなさい名瀬統也。コップに収まる水の量は最初から決まっているの。人はそれを“運命”と呼ぶ」
「戯言をべらべらと……」
「戯言なんかじゃないわ。私には分かる。抑強扶弱、そうやってあなたは何度も何度も人を助けてきた。その『強さ』で弱者を守ってきた。でも……あなたのやり方じゃ誰も救えないわ」
そう言い捨て、去っていったシュー。赤いツインテールを揺らし校内食堂をあとにする。
その様子に視線を送りつつも統也は少し図星を突かれ、軽く俯いていた。
珍しく考え込む彼の目を里緒は見た。
「統也……大丈夫?」
「ん? ああ、大丈夫だ。ありがとう里緒」
統也はいつの間にかカレーを食べ終わっていた。
「里緒、聞いてもいいか?」
「ん? ……うん」
何かに想いを馳せる統也を里緒は優しい目線で見守る。
「もしオレが……仮にオレが独裁者のようになったらどうする?」
(オレにはそうなるだけの力がある。それは紛れもない可能性)
「いやごめん。少し何を言ってるのか分からないけど」
「……自分ではかなり他人を尊重しているつもりなんだ。どんな弱者でも、どんな愚かな相手でも、オレはなるべく平等に接したいと思っている。それはオレ自身が人によって態度を変えがちだからだ。認めていない人物に冷たくあたってしまう時もある」
(あーそういう意味ね)
「統也は『優しい王様』って感じがする。だから独裁者にはならないんじゃない? 残忍な王子を演じて、冷徹に振舞ってはいるけど、ほんとはそんなことないって、多分多くの人が理解してる。だからほんとは優しい統也にあたしはついていくし、共に歩んでいきたいと思う。雪華もリカも大輝も翠蘭も。だから統也が何か大事なことを決めたなら安心して前に進んでほしい。あたしはずっと統也のそばに居てあげるから………」
(――って学校で何言ってんだあたし!!!)
自分の話した内容を改めて自覚した里緒は食堂内の生徒の中で最も顔を赤くした。
統也はそれを聞き、自身の信条を貫くと決心した。
(そうだな)
(変わらないだろう。オレのこの考えは)
(たとえ旬さんが何と言おうと、オレは周りの人間を守り抜く)
(ただ、それだけだ)
(オレは、戦争時核兵器にも勝るとも劣らないと定評の『特級異能者』、その六人が一人。御三家名瀬の当代随一)
―――「自分だけが強くても意味はないんだ。強者がいくら弱者を救っても意味はない」
統也の脳内で伏見旬の低いイケボが不快に響き渡った。
「オレは『青』。決して『黒』にはなれないからな」




