異能術式
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去年の10月ごろ。里緒を含めみんなを招集した。
具体的にはオレ、翠蘭、雪華、リカ、里緒の5人。異学の異能演習場を貸し切った。そして防音に設定した室内。
こういう機会は9月上旬くらいから多々あった。基本的には「オレが異能などを教える会」のようなもの。
「――特に、雪華と里緒に“この技術”を教えたい」
オレは里緒と雪華の前に立ち言った。
「技術?」
正面で立っていた雪華はメガネを上げつつ訊いてくる。
「ああ、異能の『真髄』だ」
「あー前に言ってたやつね。でもステラに入ってから教えてくれるんじゃなかったの?」
「現在の成績的に矛星に入隊できると踏んだ」
「へぇ……」
つまらなそうに言う雪華。
里緒は割と真面目にオレの話を聞いていた。これはいつもだ。
「なんか先生みたいだね統也」
里緒がニヤニヤしながら言う。
「そうか、なら統也先生と呼べ」
「嫌だよ」
などとふざけた話をした後本題を述べる。
「まず初めに言っておく。今から話す内容は他言無用にしてくれ。じゃないと、おそらく政府に消される」
「ん、どゆこと」
と里緒。
「そのままの意味だ。政府関係者に抹消される」
キョトンとする2人を横目に翠蘭を見ると。
「そういう組織があるのですよ」
やはり翠蘭は全てを知っているらしく、オレの説明不足の部分を補填してくれる。
里緒は曇っていた表情をより一層曇らせたがオレは気にせず話すことにした。
「まあいい。とにかくこれから“異能の真髄”を二人に教える。そして最終的にはそれを使用できる段階までいってもらう」
「さっきから真髄真髄言ってるけど、それなんなの? そんなに凄いの?」
里緒は割と興味あるのか、雪華よりはしっかり聞いている。
「凄いか凄くないかで言えば凄い。……オレが教えるのは異能の“出力解放”『異能性の起動式』――――『異能術式』通称“術式”についてだ」
「ん? え待って、それ何? あたし聞いたことすらないんだけど……術、式?」
「私だって聞いたことないよ。おそらくリカも知らないよね?」
雪華は確認するよう右隣に居たリカに尋ねる。
リカは平静とした様子で「もち」とだけ言う。
「正式名称は異能術式だが、みんなこれを単に術式と呼ぶ」
いやここでは、みんなもクソもないのか。
「それって何? 異能工程みたいなもの?」
雪華のその問に解答する。
「正解だ。むしろみんなが異能工程と思っているモノこそが術式。まあ、それは術式より曖昧な認識だが。……術式を使うと異能の強度、規模、発動における精密度が格段に向上するだけでなく技の多様性や選択肢が増える」
「いやいや、それ反則じゃない?」
と雪華。
「そんなこともない。大抵が一人一つ、自分の異能に則した術式を持っている。それがチートとは限らない。まあ全体的な能力アップには繋がるかもな」
「統也は簡単そうに言ってるけども、結局どうやるのかな? 自分の異能にある式なんて私知らない」
「うん、あたしも。原理とかもよく分かんないし」
二人ともまだあまり信じていない顔つき。
だがそれもそうか。普通こんなに優れた技術があるならそれを異学のカリキュラムとして取り入れない理由がないからな。
技術の進歩を遅らせるためだ、とか。ある組織の保身のためだ、と言っても彼女らには通じない。この意味が分かるのは翠蘭だけだろう。
「二人とも理系で良かったな。術式の原理は“数学の公式”と同じ」
「数学の公式と同じ? それマジで?」
と里緒が素直に驚く。
「ああ。たとえば三角形の面積を求める時はどうする?」
目線だけ里緒に送り訊く。
「どうするって……『(底辺)×(高さ)÷2』するけど」
「ああ、それだ。その公式は本来四角形を想定して、それの半分の面積が三角形という意味だ」
「まーそうだね」
「そこを原理的に計算しているのが今まで二人が使っていた術式なしの異能発動。それを公式を通して手早く正確に計算するのが術式の異能。数字を公式に入力することで正確な結果を出力する、ってとこか。本来の異能の形態は全てがこれ。伏見旬が18歳という若さで初めて考案したものだ」
ただし術式という名称が絶対なわけじゃない。収束式・発散式、イザナミ・イザナギなど様々な名称形態を持つ。
「で、それを使うと一定の異能の発動を速めたり棚のようにいくつか収納したりもできる。第一術式、第二術式、みたいな感じでな」
言うと翠蘭が。
「有名どころで言えば、伏見異能『衣』の定格出力のようなものです。第三から第一定格出力、のように数字が少なくなればなるほどレベルが上がり会得難易度も高まる。術式も同様ですね。もっとも、衣の定格出力は“出力制御”という術式とは異なる技術分類ですが」
翠蘭の丁寧で分かりやすい説明。オレなんかより翠蘭に術式の教授をお願いすれば良かったと半ば後悔した。
「異能術式は今説明してくれた通りだ。そしてその術式にはいくつかの種類、というか二次式的な解釈がある」
「種類? 一人一つ、異能に則した式があるんじゃなかったのかな」
雪華は関心を持ってきたか訊いてくる。
「種類というか『能力域』という解釈についてだ。術式の説明にあたってこの『能力域』という概念は絶対に欠かせない」
「また知らない単語。異能座学トップで主席のあたしが知らないワードとかフツーあり得ないからね?」
里緒の眉毛がしわを寄せる。
「まあ全て説明するから焦るな」
「分かった……」
そう言いながら不服そうに目を逸らす。
「異能の『能力域』は簡単に言うと『現象、原則、化学・物理法則への干渉度』の話だ。通常異能者が出せる異能演算規模、異能演算能力は『実数域』という二段階工程。二次式のプロセスから成り立っている。任意の現象を観測、それをマナによる超能力で変更することで二回目の観測を行う。こんな具合に基本異能は二次式として存在する。つまりその原点を出力する術式は、数学で言う『√』……平方根じゃなきゃいけない」
「んんん? ……よく分かんないけど、まぁいいや」
と里緒。
事実これはただの原理説明。実戦における重要な内容かと聞かれればノー。
「そうして振り分けた時。『通常』『限界』『虚構』の異能―――という風に三つの領域に分かれる。通常が『実数域』、限界が『零域』、虚構が『虚数域』と名付けられている」
「あ! 待って! 零域は知ってるかも! 第零工程のことじゃないかな?」
雪華が乗り気で答える。そして正解。
柔らかい表情を持った翠蘭が口を開く。
「そうですね。統也さんと皆さんが初めて会った日。三宮家の方にちょっかいを掛けられ、影人に囲まれた際に雪華さんが命を賭して解放しようとした『霜』の第零工程『極夜』、本当は『第零術式』という名称のものです」
「いやいや……ちょっとやばいなそれは。私の家、白夜家ではその第零とかっていう技術の原理は未だ解明されないって言われてる。でも翠蘭ちゃんと統也はそれを知ってるってことになる、そうだよね?」
「ああ、否定はしない」
オレがそう答えると、翠蘭以外の顔付きが明らかに曇る。
リカに至っては至極難しい顔をしている。こちらの発言が嘘でないと見抜けるからこそ、気味が悪いのかもしれない。
あまり詮索されたくないので口早に説明を続ける。
「異能という超自然的な固有能力は本来『実数域』のみだ。そして主にそれらを二人には習得してもらう。それで充分―――」
「―――え、でも零域っていうのもあるんだよね?」
雪華がオレの言葉を遮る。
零域や虚数域、その辺を知りたいらしいのでちょっとかじるか。知っていて損はない。
「数字の0という概念は普通目には見えないよな? 例えば一個のミカンという風に明確に観測できないだろ? ゼロ個、なんて」
「うん……できないね」
「だからそんな概念は現実世界には存在しないんだ、実はな。だが目に見えなくても頭の中で考えることに意味があるんだ。ゼロという数字を導入することで数学的世界の思考範囲がより広がったとも言える。それが異能界における『第零術式』」
オレの話を真顔で聞いている里緒は理解した様子だが、雪華は考え中という雰囲気。
「『虚数域』も同じだ。負の数のルート、そんな数字はこの世に無い。だが特別な世界では虚数単位iという答えが正解なんだ。こんな感じで、数学では時として有り得ないものを有るとして考えることがある。虚構を現実に拡張するんだ。あり得ない数式を無理やりに処理したり仮定することでな。こういうのは物理や数学の世界では珍しくない。それらから作用原理を得ている『異能』もまたその例外ではない。そしてこの領域の術式をこう呼んでいる――――『虚数術式』と」
「なんか強そう。それって誰でも使えるの?」
「安心しろ。里緒には扱えない」
「むー! 別にあたしが使えるか聞いたわけじゃないのに!」
そう言いながらふくれっ面を見せる里緒。この女は日に日に可愛くなっている。
「『虚数術式』は基本的な異能演算能力じゃ補えないんだ。演算能力が基本値より上な里緒であれ使えない。世界規模で見ても虚数術式使用者は片手で数えられるくらいしか存在しない。そのくらいとても稀有な才能。……まあその中の二人はここに居るんだが」
意味ありげに翠蘭へ視線を送ると。
「なんですか統也さん、こちらをじっと見つめて。そんなに熱い視線を送られたら私と言えど照れますよ」
などと誤魔化しているが無駄だ。もう逃げれない。
「待って……それも統也と翠蘭ちゃんにはできるってことかな?」
「あたい、話聞いてるだけで頭痛くなってくるわ」
「嘘でしょ、あんたたち本当に何者なわけ?」
雪華とリカ、里緒はそれぞれ驚嘆の意を表する。
「まあその話はいい。どうせ訓練しても身につかない技術の詳細を学んでも意味なんかない」
「確かにそれはそうだね」
「ただ、第零術式の方は雪華、里緒にも扱える」
そう、オレは扱える、とだけ言った。別に嘘はついてない。
言うと隣にいた翠蘭が意味深長な目付きでこちらを見てくる。
多分「第零術式という『死』を、教える意味があるのですか?」と目で訴えている。そんなところだろう。
「え、どうやるのそれ」
「いや、やり方は教えない」
「は、どーして?」
里緒がそう疑問を口にすると雪華が何かを言いたそうな顔をする。
おそらく雪華はこの「第零」という名がつく技の代償を知っているのだろう。術式という概念を知らなくても異能工程として雹理が近い内容の話を白夜家にだけ伝授したようだしな。
翠蘭が言うには以前、雪華は第零を使ってみんなを守ろうとしたらしい。
そう――――命懸けで。
「里緒、それは止めといたほうがいいよ」
とだけ言う雪華。
「雪華の言う通りだ。オレは『扱える』とは言ったが『使える』とは言ってない」
「ん……?」
里緒は渋い表情を作る。
「なぜなら『第零術式』という能力。強力すぎる異能効力の代償として使用者は最後――――必ず死ぬからだ」
第ゼロを使用すると、脳への負荷に耐えられなくなった脳細胞がマナ燃焼という現象で焼けていく。
それほどに複雑、難解な多重演算の術式。負数の術式と正数の術式の狭間。ゼロという感覚の掌握。
実はその例外も存在し、それに該当するのはオレと翠蘭の二者だけだが、この事実は新たな非難を生む可能性として口にしなかった。
浄眼で超高度な術式を練れるオレと、不老不死の翠蘭ならではの例外が―――。
こうしてオレは彼女ら……雪華と里緒に『術式』を教えた。




