もう一人のアドバンサー
*
2022年3月26日。昼過ぎ。
影人調査部隊「矛星」本部拠点―――『SHQ』
廊下の先、オレは三度のノックを。
「――誰?」
「こちら特務異能士の未登録隊員二等兵・名瀬統也です」
「入っていい」
と許可をもらったのち、大隊長室と札に書かれる部屋の扉を開ける。
「待ってたよ」
開けた瞬間、クリーム色の瞳と髪を窓からの逆光で隠しながら、こちらに振り返る麗人―――二ノ沢紅葉。
「オレに何の御用でしょうか?」
こちらが謙った口調で言うと、明らかに不満をあらわにした顔で窓際の専務机の椅子に座る。
「そんな敬語はいい。せめてタメ語で話そうじゃないか」
「隊長にタメ語など聞いたことありませんが」
「気にするな統也。……あ、統也と呼ばせてもらうよ。名瀬と呼ぶとどの名瀬か区別がつけにくいしね」
「何でも構いませんが、訓練中に呼び出しておいて呼び名を確認するだけですか? それならオレは退散しますが」
「はいはい、落ち着け。ちゃんと話したいことが在って呼んだ。大丈夫、安心して」
訓練中で雪華と里緒に動きの指導をしてたところだったのだが。
里緒も無事、というか主席で飛び級しているので矛星に入る資格を得ていた。
「――――まず、君はこの世の真実をどこまで知ってる?」
唐突。机に、ある装置を置きつつ尋ねてくる。
この行動、この言葉で「初めて会った時はかなり警戒されていた」と、たった今理解した。出会い頭、浄眼で見た時うなじにそれはなかった。
内心驚いていたがオレは表情一つ変えず部屋と一体化するように「避役の檻」を展開し、室内を防音にする。
紅葉は「ほー凄い、防音になるのかー」などと感心する。
「自分はオリジン軍のいち少尉ですのでお答えできません」
改めて言うと、紅葉は表情を緩める。
「私もオリジン軍少尉だよ。それはそうだろう。アドバンサーは少尉、補佐指揮官は中尉と決まっている。そして私も統也もおそらく、異能側に身を置く、ただのスパイ、なんだろ?」
そう。彼女が机に置いた装置は―――――「チューニレイダー」だった。
そしてオレの仲間だと告げてきた。
しかしこれで確定した。
やはり彼女が特級異能者の一人。
得体の知れない感じがなんとなくそうと理解させた。
「では、伏見旬が生きていることもご存じで?」
「当然当然! 知らないわけない。オリジン軍の大佐として潜入工作しているのも知ってるよ」
「で、その上でオレに何を?」
「そう身構えないで。単純なことだ。君と情報をすり合わせたい。情報を共有することで理解や状況把握の材料にしたいのさ」
んー、まあいいか。
オレは反応として無言で頷いた。
*
「早速話すが……まずは知性影人――CSSについて」
目の前の紅葉は話し始めた。余談は嫌いなようで本筋に入る。
「特別紫紺石っていうマナを内包したアメジストを一般人が食えば、異能を持つ影人に変身する能力を得る、でしたよね?」
その人間がCSS。普段は一般人として社会に紛れ込んでいることになるが、何をきっかけに影人へ変身できるのか。そのトリガーは未だ不明のまま。
人間への戻り方も具体的なモノは何一つ判明していない。
「ふむ、その通り。まずは『女影』から話そう。女影は女性型の通り、一般女子または女性が影人化していると考えられている。CSSが影人化できる時間に制限があることは最近の研究で分かってきてるが、女影はその時間が長めでは、と矛星の研究科が述べていた」
「触手状の変形手や、女影の異能『霜』については何か進展があったんですか?」
「いや……無い。白夜一族の雪華、雪葵らにも聞いたが、顕現する水晶の色がマナ含有量や人によって違うとか、物質自体が違うこともある、としか。いかんせん根拠情報が少な過ぎるんでな」
そう言って残念そうに自分の頭をポンと叩く紅葉。
「オレ側から雪子博士にも聞いてみましたが、同じような回答を貰いました」
「雪子博士……? ……ああ! あのちっちゃい博士さんか。覚えてる覚えてる! なんか十歳近くなのに天才発明家で、チューニレイダーを最初に開発したとか」
「ええ、その人ですね」
「ま、その話はいいや。とにかく女影は終わり。次は『糸影』? 割とやせ型で、短髪が特徴の男性型影人。大きめの剣の変形手を使う。使用異能は『糸』。最近はこの影人による被害のほうが多いようだ」
最初にオレと里緒が遭遇した奴がこれ。
「次に、黒羽大輝。伏見家が優秀な異能者達を彼の監視に配置してるって話。敵じゃないのが幸いだけど……正直、そろそろ潮時かな。不安の種は摘んでおきたい」
「……と、言いますと?」
具体的コンテンツが分からず聞く。
「矛星に大輝を勧誘する。別に戦わなくてもいいさ。ただある程度の実験や影人の仕組みについては解明したい。検査くらいはさせてもらえるか、後日伏見玲奈に頼みに行く」
「いえ、それはオレが行きます。必ず黒羽をこちらに引き取りますので」
「へぇ? そこまで言うなら頼んじゃおっかなー」
言いながら立ち上がり、セクシーな動きで上着を脱ぐ。
その行動に何の意味があるのか。
「で、次は旬からの報告内容―――」
紅葉は再び座りつつ手元のタブレットを凝視したあと、そのスクリーンをジト目で見つめる。
「旬曰く『なんか“ネメ”っていう頭おかしいくらいに強い影がいるよー。その継承前の奴は初見の俺でも倒せなかったから頑張ってねー』……だと」
「はぁ……」
オレは息をこぼす。
旬さんらしいな。
しかし、ネメという影もこの世にいるのか。おそらく七か月前オレが「勿忘」で衰弱させた女影を間一髪助けたという影か。
翠蘭が言っていた。途中、別の影が現れてオレの空間遷移技「勿忘」を防御したと。
それがその『ネメ』とかいうヤツ。
しかも旬さんが言うには継承前? つまり昔は違うヤツがその特別紫紺石を所有していたのか。そういう風に特別紫紺石だけで次々CSSを継承量産されるのは良くない。
「おそらく四年前の第一次防衛戦争の時に戦った奴だろうか。知らないが、『ネメ』の外見、女性型ではないけど女性的雰囲気があるって。あと『ネメが使用する異能は“全てを跳ね返す”』って書いてある。でもそんなことあり得る? あと、喋れるらしい」
と半分独り言として旬へ文句を垂れる。
「もしそれが本当ならかなりまずいですね」
オレはマフラーを直しながら率直な意見をそのまま述べた。
「な? おそらく今、私達は全く同じことを考えた。名実ともに反則級の旬が戦って勝てなかった相手に私達が勝てるのか」
「ええ、正直に言うと不可能です。おそらくS級異能士が何人いようと勝てません。圧倒的な戦力、例えばイギリスにいる異能士協会会長でアドバンサーの『セシリア・ホワイト』と協力するとか」
「簡単そうに言ってくれるな。その選択はこちらもそれ相応のリスクがある話だ」
「分かってますよ。それに……旬さんがオレたちに油断させないようハードルを上げてる可能性もあるにはあります」
「どうだろうな。私的にはあのテキトーな旬がそこまで考えてるのかって感じがする。いいや、そもそも旬が『ネメ』を殺せなかった時点でその線は薄いかもな」
「ええ、それには同感です。現在は三つの特別紫紺石も流出しているとのこと。オレたちは想像以上に窮地です」
翠蘭曰く「12人のCSS」の内、四個の紫紺石は確実に破壊したらしい。
つまりこの世には「女影」「糸影」「ネメ」「黒羽大輝」「三つの特別紫紺石」「矛星に保管されている元リヒトの特別紫紺石」が存在する。
「窮地……ピンチ……クライシス……まあね。我々の最大の目標はこの世から影人を消し去ること。手っ取り早いのは境界内人類の皆殺し。でもそれだと意味ない。だから影人を調査している。統也、君はどうしたい? 参考までに聞く」
どうしたい、か。
この先オレは何へ向かって行けばいいのだろう。
境界の内側、IWに生息している影。OWだけでなく、その内側に影が居たという事実は世界を震撼させた。
四年前「青の境界」を築いたあと影がIWで発見されたとき、異能関係者、政府、誰もが思った。
―――どうしてこの閉じた世界に影人がいるのか―――? と。
初めは、青の境界に穴を開けOWから入り込んだ仮説や、最初からIWの領域に影人が居たのではないかと騒がれた。
それでも一般人にはその事実を隠せるほど、実際の数と被害は少なかった。
それから三年が経ち、世界はついに影の発生源を突き止めた。
今から七か月前、白夜雹理が九神の一人「李翠蘭」を弱っているうちに殺そうと企てた影人災害。その際に、どういう原理かは不明だが円山を囲う住宅地の一部から多数の影人が発生した。
それで判明した――――。
影はOWから侵入してきたわけでも、IWに予め潜伏していたわけでもなかった。
IWで人知れず増えていたヒトの行方不明者。つまりは皆の知らないところで一般人などが影へ変化していたのだ。だからIWに影が居た。
発生の際は雷のようなマナ光の爆発を生じる場合と、そうでない場合がある。
旧秋田県でオレが初めて影を討伐した時、鈴音と進藤がいた廃病院。あの場に発生した影は前者だったのだろう。明らかに爆発が見られた。
「――何もないのかい?」
こちらが思考中、しばらくの沈黙で不思議に思ったようだ。紅葉が聞いてきた。
「いや、そうではなく……」
今のオレは本当に色々なことを抱えている。
それでも尚、オレは命を守りたい。三宮勢力のように九神を犠牲にしてまで影を消し去りたいとは思わない。
だがきっと、「彼女」と「この世の28億人」を天秤にかけるのは狂気だ。
「紅葉隊長、九神って知ってますか?」
「ああ。私は君と同じアドバンサーだから……当然知っているよ」
会話から察するにアドバンサーなら普通に知っている事なんだな。
ならどうしてオレには教えてもらえなかった。
任務開始時、オレは初めから九神や権能の話を知らなかった。
そこに何か深い意味があるのか。
まあいい。考えても答えは出ない。
「その『権能』という力を持つ存在を、影人側は処分したいそうですが、権能を持つ存在もこれから視野に入れていかないと後々面倒なことになるかもしれません。例えば“保護”とか」
「そこまで対応するとなると我々は過労死するけどね?」
「だとしても対応すべきです」
命の顔を思い浮かべながら、そう告げる。
オレには守りたい人が居る。もし紅葉が全面的にそれを後押ししてくれればオレも少しは肩の荷が下りる。
「ふむふむ………それは助言かい? それとも――――――脅しかな?」
オレの眼をクリーム色の瞳が貫く。何一つ音が鳴らない謎の時間が訪れる。
その間は数十秒かもしれないし、はたまた数秒だったかもしれない。
「――――助言です」
「その君の眼の能力。まだ扱いきれてないんだね。確か『浄眼』だったかな? 御三家の人に現れる特殊な体質。『王の宿命』って二つ名がある、マナや術式を看破する眼」
「は……はい?」
いきなり能力を見抜かれた? と肝を冷やした。
流石のオレも意味が分からず混乱する。
彼女はオレと目を合わせつつ言う。
「自覚がないのか……。そこのガラス越しにでも確認してみな。眼が蒼くなってる。どうやら情緒的になると感情抑制物質からの潤滑作用で目周りのマナ回路が興奮状態になるようだね」
オレは右にあった棚のガラス越しに鏡のように自分の姿を映す。
言う様に眼が蒼かった。
迅速に発動を切る。
「……大変見苦しいところをお見せしました」
そう言って誤魔化す。
「ふははは。何を言ってるんだ。まぁ安心しろ。別に私はそれを吹聴したりしないさ。そんなこと分かってるっしょ? というかその時は君が力ずくで私を止めることも出来るかもしれないしな?」
「ご冗談を」
何も可笑しくないが紅葉は笑い続ける。
「それにしても妙な世界だよな。影人の目的は一貫して人類への攻撃。対象となる世界はIWしかないってのに、そんなに人類滅亡を所望か。そして一際妙なのが、それに協力している人間がいる。名瀬杏子や白夜雹理だ。しかも彼らは何故か九神の一人である君を殺さない。さあ、ここで問題。どうして敵は君を殺さないのかな? 本当に殺せないのか? それとも殺すと何か不都合があるのか……」
呆れから来る笑いがこみ上げてきたがそれを我慢する。
紅葉、想像以上に頭が切れる。
何故こうも賢い奴が多いのか。本当に困ったものだ。
九神とかは正直関係ない、オレを殺せない理由―――。
「ええ、おそらく。今の段階ではオレを殺せないでしょう。とある理由からそれは確定ですが、その理由は教えられません。というかもう気付いているんですよね?」
「まあな~」
そう言ってエロいポーズを取ったあと、何を思ったか窓の外を見る。
「統也、もし君が望むなら、私の秘書の席を開けてやってもいい」
「いえ、結構です」
「即答か……流石に私も傷付くよ……」
「里緒たちと隊を組むと決めているので」
「いいや、どっちにしろ君は私の隊に入ってもらう。これは決定事項だ」
まあ妥当か。オレを御三家・名瀬の特級と知るなら、無理もない。
「……ですが、里緒と翠蘭を自分の隊に入れたいです。これは自分が決めた事項ですが……」
「もうまったく悪い男だな~君は。いいだろう。私の隊を二重編制にしてその中に好きな四人を集めろ。あと黒羽大輝もだ。……これで満足かな?」
「嬉しい限りです」
「ふん、君……あれだろ? 女子との関係、ハーレムを作るタイプだろ?」
「……ちょっと何を言っているか分かりませんが」
「周りに美人な女子を置きたがる」
「偶々周りに女子がいるだけです。そして彼女らが偶々美人なだけです」
「ふーん……ま、いいや。とにかく来週の訓練までには誰か都合のいい四人と黒羽を集めて、その次の週から本格的に『ダークテリトリー』を調査する。いいな?」
「……はい」
ダークテリトリーにある「雷鳴村」―――そこに何かしらの秘密があると鈴音は言っていた。
「もしかして私たちが死刑になったりしてな」
一瞬意味が分からなかったが。すぐに理解できた。
「吊し上げられた末に、という意味ですか?」
「ああ、もちろんさ。……私たちはこの世の真実を知っていながら、それを隠している。大きな大きな罪だよ。……君、高校生なのによく耐えられたね。私なんか今年で24なのに、良心の呵責で鬱になりかけた。これでも結構メンタルは強い方なのに、だ」
「ええ。幸いにも自分には心の支えになってくれる茜と、命と里緒が居たので」
そう。オレは一人じゃない。
いや。例え独りだと認識していても無理くりにそう思うのだ。
それでいい。オレはどこまでも冷え切った人間なのだから。
*
その二週間後。オレたちはダークテリトリーという影人領地、廃墟地の奪還。及び雷鳴村への調査をするため、調査隊を編成した―――――。




